日本共産党 田村智子
コラム

【09.02.04】党都議団といっしょに街頭相談

寒さのなか20人の相談者が・・・

「午後1時から新宿駅東口で街頭相談やります」
都議団からの連絡で、1時少し前に現地に行くと、すでに机の前には相談者の姿が。
予定時間前からの行動に、都議団の心意気が伝わります。

「田村さんもここに座って」と相談を受ける側に着席。
すぐに長身の男性が私の前に座りました。
「どんなご相談ですか?」と声をかけると、差し出されたのは中国語の履歴書。
「日本語は話せますか」「・・・」

都議団、新宿区議団、党機関メンバー、赤旗や東京民報の記者が多数参加する行動。
「誰か中国語、話せますか?」と大きな声でよびかけると、
そばにいた赤旗記者が大きくうなずいて、男性の隣に。

流暢な北京語(と思います)で話しかけて、相談内容を聞いてくれました。
中国料理のレストランが突然の閉店、経営者の行方はわからず、職を探しているがみつからない。
「ハローワークには行ってみましたか?」(私)
「ハローワークってなんていうんだ…」(記者さん)
「公共職業安定所、でしたっけ(横文字文化の弊害ですね)」

民間の中国人のネットワークに頼っていたとの事。
記者さんが、新宿のハローワークに一緒に行くことになりました。
小一時間ほどして戻ってきた記者さんに「どうなりました?」と声をかけると、
「六本木に外国人の方で料理の免許を持っている人に職業紹介するところがあるということで、そこに行くことになりました」

私たちの街頭相談は、やるたびに「これが必要」「こういう対応が必要」と改善がはかられていますが、これからは外国語のできる人も必要になるのでしょうか。
今回は偶然、北京特派員だったという記者さんがいてくれたので助かりました。

その後も、相談の席は空くことはありませんでした。
住まいがない方、うつ病の治療をしながら3人の子どもを育てているシングルマザーの方、所持金がつきたという方…。

議員のみなさんは、その場から役所に電話を入れて「どんな対応ができるか」を相談します。
地方議員のみなさんの底力を実感します。

相談の席から少し離れて、それでも立ち去りがたそうにしている方が何人もいました。
チラシを配っている人が「なにかお困りのことがあったら気軽に声をかけてください」と、声をかけていきます。

30〜40代と思われる男性が、迷いながら席に座りました。
なかなか言葉がでてきません。
「相談ということでなくても、気になっていることがあったら話すだけでも気持ちが軽くなりますよ」
「…相談ということではないので、やっぱりいいです」
「こういう相談は、あちこちでやってるんですよ。さっきは中国の方が仕事が見つからないと相談にみえて、一緒にハローワークに行ったんです」

「家賃が払えないかもしれなくて」
重い口が開きました。求職活動中、家には事情があってほとんど帰っていない等々。
ぽつりぽつりと、話してくれました。
「でもやっぱりいいです。仕事見つけますから」

仕事を落ち着いて見つけるために生活保護を受ける――それはできない、という強い思いが感じられました。
状況は客観的にみればかなり深刻でした。
それでも生活保護だけは受けるわけにはいかない、という思い。

「生存権を保障する制度」であるはずの生活保護が、行政によってゆがめられてきたことが、どれだけ孤立をつくってきたか、どれだけ苦しい立場を広げてきたか、
厳しい現実に悔しさがこみあげます。

あとから相談者が20人にのぼったと知りました。3時までの予定を大幅にのばしての行動だったことも。

夜、食事を終えた頃、嬉しいメールが届きました。
12月の街頭相談で話をした人から、友人が生活保護を受けられた、という報告。
日本共産党が相談活動をしていて、住まいを失った人の力になっていることを友人に話していたそうです。
そのことを思い出して、党事務所を訪ね、区議の協力をえて生活の基盤をつくることができたとのこと。

「田村さんの目に見えない所で…少しずつ光が芽生えてきてるのですね!」
力不足を痛感することも多い相談活動。
激励のメッセージが胸にしみました。

(相談者の人数を間違えていました。20人に訂正します。すみません)