日本共産党 田村智子
コラム

【08.09.13】「やせ蛙」の句が違って見えてきた

俳人後援会のみなさんの集まりで

「長野県出身の田村さんにも、できれば、ぜひ観てほしい映画です」
ご案内をいただいたのは、こんな慌しい状況になる前のこと。
タイトルは、『信濃風土記より 小林一茶』(亀井文雄監督 1941年 東邦映画文化映画部製作)。

上映時間30分ほどの短い映画、この機会をのがしたら観ることはないかもしれない。
幸い、日程の都合もつきそうだったので、短時間でも駆けつけることにしました。

戦前、長野県が出資して観光PR映画をと依頼したそうです。
ところが亀井監督は、小林一茶の句に重ねて、民衆の姿を見事に描いたのです。

雪深い山脈、ふもとに広がる急斜面の棚田。
山をのぼって農作業をする農民の苦悩。
雪に閉ざされる生活、やっと春(雪解け)を迎えた子どもたちの笑顔。

監督の視点は、ただ民衆の暮らしを映すだけではありません。
観光地、避暑地として優雅に過ごす都会の人たち。
直後に、腰をかがめて芝生の雑草を一心にむしる女たちの姿。
そして、藁葺きの崩れそうな民家がこの章をしめくくる。

圧巻だったのは、遅霜(春に急に冷え込んで霜が降りること)のシーンです。
村人がたいまつをもって桑畑に次々に集まってくる。
畑のあちこちで火が燃やされ、蚕の神様を必死に拝む。
そして夜が明ける。無残にしおれてしまった桑の葉。「全滅」を告げる新聞記事。

立ち尽くす農民の姿に重ねて詠まれたのが
「やせ蛙 負けるな 一茶 ここにあり」

なんという強い思いが、この句にこめられていることか!
不毛の土地、寒冷の地、山ばかりのこの地に、
やせっぽっちの農民が、何度もうちのめされながら、
貧しさや過酷な風土に苦しみながら、それでも、負けるものか、負けるものか、と立ち上がる。

私につながる人々の生き様に胸が熱くなりました。
日本共産党に入って間もない頃、周囲の反対や、うまくいかないことも多い活動に、
苦しい思いをした日々がありました。
そんなとき自分に「開拓者」という言葉をあてて、元気を出そうとしました。

その精神は、もしかしたら、開墾とともに生きた人間のDNAに刻まれたものなのかもしれない――そんなことまで考えさせられました。

映画のあと、この感慨を含めて一言あいさつ。
総選挙で必ず前進をかちとる、という決意も、映画に重ねて話すことができました。
こういう機会を与えてくれた、俳人後援会のみなさんに心から感謝です。