日本共産党 田村智子
コラム

【08.08.13】お盆に剣道の試合とは・・・

初めて中学の試合の応援に行きました

「試合や練習に来ていないのは、うちの親ぐらいだよ」
息子から言われたのは、夏休みに入った頃だったでしょうか。
「大丈夫、13日の試合は応援に行くから」

地域の剣友会の試合も、仕事と重なることが多く、ほとんど応援に行かれませんでした。
「がっかり」の気持ちが、私が思っていた以上に強かったのかな。
わかってくれている、という「親の甘え」があったかもしれません。

ところが、13日の試合直前になると、
「ほんとに来るの? 補欠だから試合に出ないよ」と態度が変わりました。
今度は、親がついてくることへの気恥ずかしさが頭をもたげたのかもしれません。
「3年生は引退試合でしょ? 仕事は休みだし、応援に行かないと」

オリンピックの中継をみているとき、運動会のとき、私の応援の「熱」を知っている子どもたちは、「静かに応援してね」と再三念押ししてくれました。

夫は仕事。私と娘で、弁当と飲み物をかかえて応援に向かいました。
区内の私立高校が主催する中学生の団体戦。毎年、お盆初日に開催するそうです。
近隣の中学だけかと思ったら、全国大会に出場するような強豪が関東近県から(新潟からも)集まっていました。

区立体育館のなかは人の熱気で蒸し風呂のよう。
強豪チームは、応援団の構えが違います。
中学のクラブだけれど、親がそろいのポロシャツやTシャツ。
ビデオカメラをあらかじめセットして、試合内容を記録する姿も。

息子の中学は人数もぎりぎりに近く、1年生の息子も補欠登録する状態。
少人数の仲の良さ、チームワークは、見ていて気持ちのよいものでした。
面倒見のよい先輩たちだということは、息子の様子から感じていましたが、
初めて近くで接して「いい先輩たちに出会えたな」と、安心と嬉しさで頬がゆるみます。

試合は惜しくも予選リーグ敗退。
そこで帰ろうかとも思いましたが、「練習して帰りたい」という子どもたちにつきあうことに。
結局は、試合を最後まで観戦して終わったのですが、決勝戦近くなると試合のレベルの高さが素人目にもはっきりわかります。

竹刀の剣先が、お互いに相手ののど元を狙う位置。
踏み込めば「突かれる」間合いのまま、攻めるすきがない状態。
その緊迫感に会場が包まれる――剣道応援歴5年の私ですが、武道特有のこの雰囲気には魅了されます。

息子の剣道につきあうなかで、勝ち負けではない試合の楽しさも感じられるようになりました。
すばらしい打ち合いの「動の試合」、息をつくこともはばかられるような緊迫感に満ちた「静の試合」、こういう試合を見ることができてよかった、と思える時があるのです。
選手のみなさんに「いいもの見せてもらいました。ありがとう」と言いたくなるのです。

オリンピックの競技は、こういう感動の連続なのだろうなと思います。
選手のみなさんには、その努力、鍛錬、すばらしい試合への感謝の気持ちを持ちたいものです。

谷亮子選手の試合の翌日、「赤旗」日刊紙の写真に救われました。
試合当日は、準決勝で敗退したことがニュースになり、
我が家で購読している「朝日」では、翌日の朝刊で敗退の瞬間の写真が大きく掲載されていました。
そのなかで「赤旗」は、3位決定戦を決めた瞬間を大きくとりあげ、銅メダルを讃える記事となっていました。

選手に対する敬意が「赤旗」に貫かれていることを実感しました。
国の試合ではなく、選手が主役。そのまっすぐな視線が、スポーツの発展にもつながるのではと思います。

ところで、息子の試合はといえば・・・。
補欠でも2試合目に出してもらったのですが、動きの固さ、打ち込むときのためらいなど、内容はいま一つ。

息子の試合観戦で一番感動したのは、相手にまっすぐに、一時もひるむことなく向かって行った時。負けた試合でしたが、今でも思い起こすと胸が熱くなります。
そういう試合を、ぜひまた見たいなと思っています。

もちろん、息子の前でこんな批評はしません。
ふがいなさは、息子自身が一番わかっていることでしょうし、
試合に出た人でなければ、わからないことがたくさんたくさんあるでしょうから。

剣道の夏の試合は終わりましたが、オリンピックはいよいよ佳境。
選手への敬意を最後まで貫いて応援したいと思います。