日本共産党 田村智子
コラム

【08.08.05】発見がたくさんの世界大会

若者たちといっしょに学んだこと

広島での原水爆禁止世界大会2日目。
昨日から、たくさんの刺激を受け、新たに学ぶこと(発見)が多々ありました。

開会総会(4日)の海外代表の発言。
初の国連代表、セルジオ・ドゥアルテ国連軍縮問題担当上級代表。
「2010年の核不拡散条約(NPT)再検討会議までの20ヶ月」が核兵器廃絶のプロセスをつくるかどうかの鍵であることを強調。
20ヶ月、という見方が、私たちが一ヵ月ごとに運動を広げるイメージとなって迫ります。

オーストラリアの代表は、「世界のウランのほとんどはオーストラリアで採掘されている。
そして採掘現場では、たくさんの被害が出ている。核兵器はつくってはならない兵器」と発言。
知りませんでした。もっと実態を知りたいと強く思います。

アフガニスタンの代表。
「身の危険を保障するためにマスコミ関係者含めて写真撮影をしないように」との紹介。
会場に緊張と感動が広がりました。
「アフガンの政権には、かつての犯罪者集団が深く関わっている。国民を代表する勢力と認めることはできない」――自分の無知を思い知らされます。

夜は、「世界青年のつどい」に参加。
CND(イギリス核軍縮キャンペーン)のブルース・ケント副議長が若者の質問に答える、企画そのものに驚きました。
80年代、私が反核運動に目覚めた頃、欧州で大規模な反核運動を展開していたのがCNDでした。世界の反核運動の草分け的存在です。
その中心を担ってきた人物と日本の若者たちが、こんなに近い存在として対話するとは!

原爆症認定訴訟の原告の一人、中山高光さん(熊本)のお話。
「原爆を落とした行為を裁きたい。原爆投下をもたらす戦争を起こした責任を問いたいというのが、私たちの本当の気持ち。しかし、そういう裁判はできないという。それならば、今日まで身体を蝕み続けるのが核兵器であることを明らかにしたかった」
戦後60年を経て裁判に訴えるみなさんの決意の根っこを見た思いです。

広島市長の発言は、開会総会とは内容を変えて、若者に原点を伝えるものでした。
「被爆者は、生きることをあえて選んだ。
生き残っても地獄であることがわかっていても、なお、生き残り、
被爆の事実を伝える道を歩んだ人たち」
――被爆の実相を継承する意味の重さ、深さを考えずにはいられませんでした。

「2020年までに廃絶のプロセスをつくるのが、私たち世代の仕事。実際に廃絶をすすめるのがみなさんの仕事」
必ず核兵器を廃絶する、廃絶できる、という発言に、みんなが心を打たれました。

若者という世代ではなくても、ほんとに感動しました。
学ぶことで沸いてくる力の大きさ、強さ、深さを実感しました。

2日目の分科会。
原爆症認定訴訟についての分科会に参加しました。
若者が率直に、「なぜ裁判をしているのですか」「どういう裁判かおしえてほしい」質問してくれたことで、内容がぐっと深まりました。

アメリカ軍や日本政府が戦後直後、原爆被害を覆い隠したこと。
被爆者の治療も、生活支援も、被爆の実情調査も、政府は何一つ自分たちで推進しようとはしなかったこと。
あらゆる被爆者支援の施策が、被爆者の運動のなかでかちとられたものであること。
原爆症認定者が毎年約2000人にされてきたのは、あらかじめの予算枠内におさめることを何よりも重視したから。
日本政府の被害を小さくする卑劣なやり方。それが、核兵器使用を認める姿勢と密接不可分であること・・・。
――宿題をたくさんもらったような気持ちです。

私も予定していたわけではないのですが、発言しました。
 原告一人ひとりの「証言」を読んだことで、この訴訟の意味をつかむことができた。
 被爆直後の苦しみだけでなく、今日に続く苦しみを知ることは、
 広い意味で「被爆の実相を継承する」ことだと思うし、
 今の苦しみであるだけに、よりわが身にひきつけてとらえることができる。
 裁判の記録を学べるよう、ぜひ文献もつくってほしい。私たちも普及したい。

発言しながら、あらためて思いました。
これは新しい「証言運動」ではないか、と。

若者だけではありません。
20年来、核兵器の運動に関わってきた私も、新鮮に学べるのが世界大会なのだと実感。
参加できて、本当に本当によかった!