日本共産党 田村智子
コラム

【08.08.03】明日から広島です

18年ぶりの原水爆禁止世界大会へ

一足先に広島へ行った夫から「あつい」と一言だけ書かれたメールが届きました。
思い出します。20代の私。
我慢できずにつばの広い帽子を買いましたっけ。

核兵器廃絶の運動には長年関わってきました。
被爆者のみなさんの運動にもこの1年ほど、たびたび参加させていただきました。
だからでしょうか、約20年ぶりという実感がありませんでした。

原水爆禁止世界大会のことを知ったのは学生時代。
「分裂大会」ということがマスコミでもしきりにとりあげられていた時代です。
私たちが参加する大会は「共産系」と書かれ、その表現がレッテル張りに思えて、苦々しく一般の新聞報道を読んだ覚えがあります。

それから10数年、「分裂ってなに?」と若い人に聞かれる時代になりました。
私たちが関わり続けた世界大会は規模を広げ続け、今年は初めて国連の代表が参加!
核兵器廃絶の一点で世界と日本の人たちに共同をよびかけ続けた大義が、
運動のひろがりの原動力でしょうか。

私が参加したのは1989年長崎、1990年広島の大会。
はじめて青年だけの分科会が開かれたのが89年、
はじめて、関連行事としての青年集会「ピースジャム」が開かれたのが1990年。
民青同盟の一員として、それぞれの企画に直接関わることができことがなによりの思い出です。

初めての青年集会は、代表団にはほとんど知られていないため、
私は初日の新幹線の中、2日目(当日)の宮島の港で、東京代表団にビラ配りをして参加をよびかけました(宿泊が宮島だったのです)。
バスで往復する東京からの仲間たちと合流したときには、心底ほっとしました。

いまや青年集会も国際規模。
今回、18年ぶりに青年集会にも顔を出して、母親の気持ちで成長振りを実感したいと思っています。

ところで私も夫も広島、ということは我が家の子どもたちは?
広島に同行させようかとも考えたのですが、宿泊場所がない。
それに私たちの仕事に3日間つきあうのはしんどいかな、ということで、
今回は私の実家に、子ども2人で行くことにしました。

暑い東京を抜け出して、避暑地、信州で過ごせるとはうらやましい。
これも両親が健康だからできること。
心から感謝しています。