日本共産党 田村智子
コラム

【08.06.25】アフリカの子どもと日本の子ども

中学の学年通信に思い色々

昨晩、布団に入る直前に息子が学年通信をとりだしました。
中学校からの「お便り」で一番楽しみなのが、この学年通信。
子どもたちの作文の一部を折々紹介してくれるのです。

4月は、入学直後の素直な心境、5月は体育祭の感想、そして今回は・・・。
アフリカのどこかの国の子どもたちの姿を映像で見る授業があったようです。
戦争、飢餓の実態とともに、学校に通えるようになり笑顔の子どもたちの姿、日本の子どものことを考えたときに思うこと、そんなテーマだったようです。

自分たちは生き生きと学校に通っているだろうか、
そうでないのなら、アフリカの子どもたちとの違いはなんなのだろうか。
かなり奥の深いテーマです。

1年生の作文の一部分が、20人分くらい、B4のわら半紙2枚にわたって紹介されていました。
豊かすぎる国で、学校に行くことは当たり前になっているが、そうではない国があることをどう受け止めるか・・・。

読んでいて、「う〜む」と考えてしまったのは、
例えば、物がない社会でなければ物の価値がわからないのだろうか、
戦争がなければ、平和の大切さがわからないのだろうか、
物理的に学校に行かれない状態がなければ、学ぶことの意味がつかめないのだろうか、
ということ。

日本の子どもたちは恵まれている、それがいけない、となってしまったら、
私たちの社会のありようが根本から否定されかねません。

なぜアフリカの子どもたちは生き生きと、あふれる笑顔で学校に通っているのか。
短絡的にはこたえられない問題提起。

ちなみに息子の作文は、少し変わっていました。
まわりと比べられる勉強は、心から楽しいとは思えない――私の影響をまともに受けているな、と、ちょっと苦笑。

全都一斉テスト、全国一斉テストの当たり年となった息子の学年。
テストのたびに「比べることに何の意味があるのか」「テストに一日使うくらいなら、普段できないような授業をやってほしい」と、言わずにはいられなかったのです。

学年通信に目を通して、息子としばし対話しました。
「比べることをしなければ、学校の授業は面白い?」
「そうでもない。なんか、やる気にならないことが多い」と息子。
続けて、「人間ってなんかおかしいよ。狭い部屋にずらりと並んで座って、一日中勉強してるなんて。他の動物のほうがまともに思える」
「人間と動物の違いは何か、それはすごいテーマだね」と私。

でも、ここから何をどう考えるかは発展しませんでした。
時間切れ、ということもありますが、問題が大きくなりすぎました。

学ぶ、ということの意味。
私も、自分なりの答えにたどり着けたのは大学で、科学的社会主義に出会えてから。
自分が中学のときも「なんで高校に進学するんだ?」という漠然とした疑問が突然わいてきて、正面から向き合うことを避けた記憶があります。

アフリカの子どもたちからの思わぬ宿題。
学年通信を契機に、学校で親も子どもも先生もいっしょに話し合ってみたいものです。