日本共産党 田村智子
コラム

【08.06.12】あじさいを手に座り込みの現場へ

原爆症認定訴訟原告団が副官房長官と面談

 
明け方の騒々しいほどの雨音。
「このなかで座り込みをしているんだよな」と、まず思いました。
厚生労働省前の原爆症認定訴訟団の座り込みは、今日が最終日。

もう一度、駆けつけようと、雨に負けない身支度を開始。
選挙のときにつかったレインコートを引っ張り出し、さて出発、というときにふと思いつきました。

花壇に咲くあじさいを持っていこう。
日照りのなかではすぐしおれてしまうけれど、こんな肌寒い雨だからこそ、花の差し入れができるんじゃないかな。

花瓶は邪魔になるからと、少し枝がカーブしている花を選んで切りました。
これなら切り口にティッシュをしめらせてあてて、そのままテーブルにおいても大丈夫。
ホタルブクロも今が花盛り、一緒にまとめました。

霞ヶ関に着くとまもなく、首相官邸前に移動するとのこと。
昨晩、急遽、副官房長官が面談に応じることになったのです。
花を残して、私も同行しました。

首相官邸前の歩道では何人もの警官が、「車道側には寄らないように」と指示しています。
「オーストラリアの要人が官邸に入るところ」だそうです。
それなら私たちの姿をみてもらおう、私たちも歓迎の意をあらわそう、そんな会話がおこりました。

オーストラリアの首相は来日してまず広島を訪ねた。。
原爆資料館を見て、記念碑に献花をして、核兵器廃絶をアピールした。
この報道を数日前にみて、驚きと感動がこみあげたことを思い出します。

日本に来て、まず広島に行った。
福田首相に会う前に、被爆者のみなさんに「会った」と言えるでしょう。
イラク戦争反対、イラクからの軍の撤退を掲げて勝利した首相。
政治が変わるとはこういうことか、と、短い報道から痛切に感じていました。

黒塗りの車がゆっくり通り過ぎました。
私たちを見たでしょうか、「あの人たちは?」と通訳の人に聞いてくれたでしょうか。

その後、歩道に並ぶ列はどんどん長くなりました。
面談できる代表は5人。「原爆許すまじ」の歌に送られて首相官邸に入っていきました。

 
それから1時間ほどして、厚生労働省前の座り込み現場に代表団が帰ってきました。
熊本の原告団の代表は、3年前に亡くなられた被爆者の方のことを話したそうです。
「裁判を闘ってやっと認定されたが、死んでから3年もたっていたら、どうやって喜べばいいのか」
「被爆者のこういう姿を知れば、聞く人は涙をうかべてくれる。仏の顔をみるようだ」
「ところが日がたつと、鬼瓦のような顔になってしまうのか、何度も悔しい思いをさせられてきた」

集まったみんなが同じ気持ちでしょう。
被爆者の方々を目の前にすれば、その苦しみを無視することも、人生をふみにじることも絶対にできないでしょう。
ところが、目の前から消えれば、机上の作業で、被爆した距離と病気の種類というデータだけで「原爆症ではない」と結論を出す。

裁判では、被爆者の方々が裁判所や病院で証言しています。
ケロイドのあとを示し、病と闘い続けた人生を語り、病床で話すことも大変な状態をおして証言する、裁判官は、被爆者のみなさんの苦しみを、直接に受け止めざるをえないでしょう。

8月6日、9日はもうすぐです。
福田首相は、広島で、長崎で、どんな言葉を述べることができるのか、いよいよ闘いは正念場です。