日本共産党 田村智子
コラム

【08.05.21】ビラを受け取る自由を認めてほしい

葛飾ビラ配布事件、最高裁へ

荒川庸生さんは、今日は墨衣の僧侶の着物で、まっすぐな瞳を会場に向けていました。
正々堂々、「やましい」という思いと無縁、「無辜(むこ)」の心境そのものであることが、まっすぐに伝わります。

日本共産党の都議団報告、区議団報告をドアポストに配った、
それが「住居侵入罪」であり、「財産権を侵した」として有罪とした東京高裁。
地裁の「無罪判決」を破棄したことに、マスコミも驚きや民主主義のこれからに危機感を表していました。

今日は、最高裁で審理をもとめる「上告書」の提出があり、その報告集会が開かれたのです。

荒川さんや弁護士のみなさんの報告を聞いていて、色々考えさせられました。
ビラを配っただけで逮捕・23日間の拘留、家宅捜査、という警察のやり方への怒りが、どうしても先にたっていましたが、
ビラ配布の自由を制限することの意味を問わなければ、という問題意識がふつふつとわいてきたのです。

問題となったマンションは、総会で「区報以外は配布を禁ずる」ことにしたそうです。
(しかし、これは議事録の発言というレベルで、居住者全体の意思といえるかどうかは疑問です。)
この「確認」は、憲法の「言論表現の自由」とどういう関係になるのか。

「区報」というのは、区議会の決定事項は伝えるけれど、区政の問題点を指摘することはできません。
国に照らして言えば、今の後期高齢者医療制度の説明をするけれど、問題点は隠されることになります。

それでは、問題点を知らせる自由をなぜ制限するのか、
為政者とは異なる立場・主張のビラはなぜ配布の自由を認めないのか、
これは、とても恐ろしいことではないでしょうか。

ビラは受け取る人がいる、目にする人がいるから、「言論表現の自由」が保障される。
受け取る自由を保障してこそ、主張する側の自由がある。
今回の事件は、受け取る自由を制限してはいないのか、
そしてその制限は、民主主義の発展に照らしてどうなのか。

これは、ぜひ多くの国民のみなさんと考えたいテーマだと思います。