日本共産党 田村智子
コラム

【08.03.10】浅草をめぐり歩いた3月10日

東京大空襲を語り伝えるために

 
冷たい雨があがった3月10日の浅草。
仲見世通りのすぐ横、浅草公会堂で開催中の東京大空襲展を訪ねました。

正午からは浅草寺境内の「戦跡めぐり」があるというので、私も参加しました。
台東区の「9条の会」のみなさんが作成した戦跡マップを手に浅草寺へ。

このマップの表紙には、銀杏の大木の写真があります。
浅草寺には、大空襲当時の銀杏が今も10本残っている――ガイドの方のお話に驚きました。
写真の1本だけかと思い込んでいたのです。

浅草寺のご神木もその1本。
木のうちがわには、黒々と炭化した樹皮。
直撃弾を受けたと思われる亀裂。
それを覆うように新しい樹皮が成長し、新しい枝が天を指している・・・。

この木が芽吹いたとき、被災された方々は涙したそうです。
ずたずたにされた体に宿る生命力に、わが身を重ねたといいます。

境内には平和を祈願する碑がいくつもあります。
正面玄関ともいえる場所、観音堂と五重塔の間など、ガイドの方いわく「一等地を提供している」のです。

その一つ、大平和塔には弔意を示す花輪がいくつも。
浅草の民間の主要団体が合同で慰霊式典を今も続けているのだそうです。
この塔のわきに、ちいさなお地蔵様がありました。
吉原などて被災した女性たちを思って建立されたといいます。

お地蔵様は新しい赤い着物を身にまとっておられます。
マップの写真は、別の柄の着物。
どなたが、どんな思いで・・・。

浅草寺を出ると冷たい北風がふきつけました。
燃え盛る炎はどれほど熱かったろう、その後、吹き付けた風はどんなに身を凍えさせただろう、決して体験してはいけない事実を心のなかで思い描きました。

言問橋、橋の両側に焼夷弾が落とされたために、どちらからも人がなだれ込んだといいます。
橋から燃えながら隅田川に落ちていく人、
荷物や身体に火がつき、火柱となった人、
そして、ひしめく人の上を猛火が走って、すべてを焼き尽くした・・・。

この橋のたもとで資料展の実行委員会や平和遺族会のみなさんが主催する
東京大空襲慰霊式典が行われました。
戦跡めぐりの足で、式典へ。
毎年、山形からこの日に訪ねてこられるという女性。
親・兄弟がどこで亡くなったのか、遺体はどうなったのかもわからない方々は、
台東区が建てた慰霊碑を墓参りとして訪ねるそうです。

式典では私もひとことあいさつに立たせていただきました。
決して繰り返してはならない体験を、どう受け継ぎ、子どもたちに伝えていくか。
そんな思いをこめてあいさつしました。

こうして半日ほどを浅草界隈で過ごしました。
夜には、東京大空襲をとりあげたテレビ番組もみました。
昼間に見た光景と重なる場面がたくさん。
遅い時間なので子どもを寝かせなければと思いながら、息子も見入っていました。
「すごいリアルな映像だね」
黒焦げの遺体の場面に、ショックを受けたようです。

浅草、子どもたちも遊びに行ったことのある場所です。
花やしきには、家族で遊びに行きましたっけ。
今度は、まず、子どもといっしょに銀杏の木を見てみようと思います。