日本共産党 田村智子
コラム

【08.02.08】朝の集団登校にて

「おはよう」と霜柱

今週は、朝がとても忙しい一週間。
子どもが通う小学校は集団登校で、保護者が当番で「旗当番(見守り役)」をしています。今週が我が家の「旗当番」なのです。

集合時間は7時55分(集合完了しだい出発)。
「先に行っているよ」「あ〜帽子、わすれた」「鍵は?」「遅れちゃうよ〜」等々、7時50分頃、大騒ぎしながら家を飛び出します。

子どもたちは一人のときや、数人のときは、自分からあいさつするのに、なぜかいろんな学年で集まるととても無口になってしまいます。
「おはよう!」と大きな声をかけるのは私。子どもたちははずかしそうに下をむいてボソボソ、ということが多いのです。
6年前、初めて「旗当番」をしたときには、このことがとてもショックでした。

学校では「あいさつ運動」をして、あいさつした回数をかくカードまで持たされて(これは以前、教育評論家の尾木直樹さんに話して、「どこの学校?」とあきれられましたが)、きっと学校に一歩はいれば元気にあいさつするのだろうな、などと考えてしまいます。
それが気持ちよくあいさつする実践に必ずしもむすびつかないことをどう考えたらいいのでしょう。

冬休み、娘の宿題の一つは「あいさつポスター」。
いい言葉をならべた標語をつくっても、自分の気持ちや実践に結びつかなければ意味がないと思い、
「あいさつする時の自分の気持ちを言葉にしたらどう?」と話してみました。
そしてつくった言葉は・・・
「はずかしかったけど いってみたらきもちよかった」(「おはよう」という女の子の絵)

ちょっと殻をやぶってみたら、楽しいと思うんだけど・・・。
大人にたいするちょっとした殻なのか、自分をおおっている殻なのか、旗当番の度に感じるもどかしさ。

集合場所の遊歩道、植え込みをのぞいてみたら、見事な霜柱がありました。
「霜柱、ほら」と持ち上がった土をひっくり返すと、1センチをこえる白い柱がびっしり。
「踏んでみな。ざくざくして気持ちいいよ」
「ほんとだ!」「こっちもあるよ」(娘と友達)
おはようの声かけに、下を向いていた子も、そばに来てのぞきこみました。

打てば響くの反応ではないけれど、殻をノックし続けてみましょう。
自分から、心から、言葉をかわしてみようと思えるような何かをつくるつもりで。