コラム
【08.02.01】国立ハンセン病資料館を訪ねて
政治の責任はまだ果たされていない
ハンセン病の療養施設、多磨全生園(ぜんしょうえん)を訪ねました。
桜の大木が、驚くほど高く枝をのばしている園内。
みなさんが、思いをこめて植え続けた木々です。
隔離政策の誤りを政府が認める前から、敷地内の緑の小道は市民に親しまれてきたそうです。
散歩するだけで森林浴ができそうなほど、たくさんの木々が植えられているのです。
国立施設として再オープンしたハンセン病資料館を見学。
映像や音声を各所にとりいれた資料に、時間が許す限り目を通しました。
治療が可能、完治する病だとわかってからも続いた隔離・収容政策。
「らい根絶」のスローガンのもと、「一人の患者も残さない」ことが自治体の使命となった歴史。
沖縄では、戦前、日本軍が収容の先頭に立ったそうです。
治療ではなく隔離を目的とした療養所は、患者のみなさんに農作業、土木作業、患者の治療までも担わせました。
それが病状の悪化をもたらす場合も多々あったとのこと。
重官房と呼ばれた隔離部屋、見せしめ部屋が再現されていました。
腰をかがめても頭をぶつけそうな入り口。地下牢そのものです。
反抗的というだけで、この中に1週間も入れられたらどうなるのか、それが治療の必要な患者に許される行為なのか。
展示を見終わってから、入所者協議会の事務局長さん、自治会の会長さんと懇談。
「国立の施設になって、展示は後退した」との説明に驚きました。
以前の「高松宮記念 ハンセン病資料館」を知っている方々もうなづいています。
資料の数が減ったことが、生々しい記録にフィルターをかける効果となったようです。
高校生の時に訪ねた広島の原爆資料館を、10数年後に訪ねたときに感じた違和感と同じなのでしょう。
展示内容についても、入所者のみなさんの厳しい指摘がいくつもあったようです。
「私たちの命がなくなったあとで、歴史の改ざんが行われてしまうのではという危機感がある」
私たちが受け継ぐべきものの重さを実感する言葉です。
国立施設の統廃合がどんどん進んでいる今、療養所がこれからどうするのか、大きな課題です。
医療施設でありながら、内科医師が常駐していない療養所もあるとのこと。
「療養所は、いまだ隔離されている。療養所を市民に開放し、みんなが利用できる施設にしたい」
「隔離政策の根拠法がなくなった、というだけではだめ。人権の回復を果たすために、ハンセン病基本法が必要」等々。
入所者のみなさんの運動が、超党派の国会議員の動きもつくりはじめています。
命をかけたたたかいが歴史を動かしている、その歴史を私たちはどうすすめていくのか――色々なことを学び考える一日になりました。