コラム
【08.01.13】寒風のなか靴職人の町へ
職人さんから受け継ぎたいこと
朝、家を出て風の冷たさに驚きました。
やっと冬らしい季節になったということでしょう。暖かさに慣れてしまった身体にはこたえます。
最初に向かった先は台東区橋場。履物加工の職人さんの町です。
あいさつかねて、「赤旗しんぶん」を勧めて歩く2時間。
北風だけでなく不況の冷たい風も身にこたえました。
鼻緒職人から始めたというお店では、「急ぎの仕事だといわれてね」とサンダルを手作業で造っている真っ最中。
玄関のたたきからいきなり腰の高さにちかい高さの作業場になっていて、半世紀以上の仕事の歴史を感じます。
「上野に行ってごらん。伝統文化の紹介のなかに鼻緒屋がある。もう伝統になっちゃったんだよ。生き残れないってことだね」
「日本ではなんにも作らないって時代になるんじゃないの? 私らの努力ではもうどうしようもない。国がやる気がないのならなくなるだけ」
先の見えない苛立ちさえも超えてしまって、あきらめるしかないという思いでしょうか。
もの作りを支えてきた職人さんと話をするときに、私も「希望はどこに」という気持ちに襲われることが度々あります。
けれど、今回は私の受け止めはちょっと違いました。
「もうなくなるしかない」「後継者なんて無理。この仕事をしていても食べていかれない」
こういう言葉の奥底に、それでも「もの作り」を伝えたい、廃れさせていいのか、という本音があるだろう、と思えて仕方なかったのです。
このままの政治が続くはずがない、3年後、5年後、政治は大きく変わりうる、という希望が見えているからでしょう。
午後、偶然、履物職人のみなさんの労働組合、東京靴工組合の旗開きに招かれていました。
昨年、廃業したという台東の組合役員さんと一緒に会場にむかいました。
熟練の職人さんでしたから、仕事を発注していた会社も「この靴はこの人にしかできない」という仕事があって困っているとか。
「ミシンは捨てられないね。靴の修理とか、ズボンのすそ上げとか、近所の人から頼まれるよ」
その技術を若い人に継承させたい・・・。
道々、色々なお話をお聞きしました。
50年前、丁稚奉公から始めた仕事。
人間らしく扱えと、組合がつくられたこと。
私が職人のみなさんから学ばなければならないことも、たくさんあるじゃないのかと思うひと時でした。