日本共産党 田村智子
コラム

【07.10.25】全国いっせい学力テストの意味は?

全国いっせい学力テストの意味は?

 
学力テストの結果が各学校に送付された、というニュース。
段ボール箱をあけて、「全国平均より高い」「予想以上にいい」と喜ぶ先生の姿。
基礎的学力は身についているが、活用力が問題、という指摘。

なんともいえない気持ちになります。
この報道から、子ども一人ひとりの姿がみえてくるでしょうか。

一人ひとりの子どもに向き合っていれば、算数(数学)や国語の理解がどうなっているか、先生も親もだいたいわかるでしょう。
そして、「わからないところ、つまづいているところはなんだろう」とつかんで初めて、
教えることの本領発揮ではないのでしょうか。

マスコミ報道でも、「目新しい情報はない」「公立学校の同学年すべてを対象にする意味があるのか」という厳しい指摘。
目新しい情報があるとすれば、都道府県平均点、市町村平均点、学校平均点のランク付けだけではないでしょうか。

「活用力に問題」という指摘も、私は懐疑的にみています。
6年生の息子が持ち帰った問題用紙(問題集と呼んだ方がいいでしょう)、その量の多さは子どもたちの集中力がどこまで続いただろうかと思えるものでした。

計算力など、基礎的な知識や技量を問う「算数A」から解いたでしょう。
そのうえで、問題文も長く、考える時間も必要な「算数B」を解けば、疲れていやになったり、じっくり考えたくても時間がなくなったりした子どもはいたはずです。

批評するだけでなく、自らこの問題集を時間をとって解いてみたらどうでしょう。

半月ほど前に、授業参観があって、その後アンケートが配られました。
「心豊かに子どもを育てるために、どんなことに気をつけていますか」という欄があったので、こんなことを書きました。

「ほかの子どもと比べることを絶対にしない」
「テストも、自分のわからないことを確認し、どんなことを学べばいいのかをつかむためのものと話している」
「学力テストで平均点をだして、学校を比べることには全く意味がない、と子どもに話している」

私にしてはかなり挑発的ですが、学力テストに学校が踊らされるような事態を歓迎していないことを、どうしても伝えたくて、あえて強いタッチで書いたのです。

「わからない」ことに罪悪感をいだかせるようなことは、教育の場で絶対にあってはならないことです。
「わからない」から出発すれば、どれだけ豊かな学びの機会をえることができるでしょうか。

このニュースが花盛りの時、幸いなことに、息子たちは修学旅行。
帰ってきて、テスト結果(答案用紙は返されないでしょうが)を持ってきたとき、息子がなんというか、先生方は子どもたちに何を話すか、そして私は…。
自分のよって立つ地点をあらためて見直す機会になるでしょう。