コラム
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【07.10.24】東京の被爆者団体(東友会)を訪問
東京の被爆者団体(東友会)を訪問
「この苦しみは原爆が原因だと認めてほしい」、被爆者のみなさんが原爆症認定裁判を全国ですすめています。裁判をめぐる動き、被爆者のみなさんの思いなどお聞きしようと、東京都原爆被爆者団体協議会(東友会)を訪ねました。
何十年の時をへて、癌や肝機能障害など、重い病を発症。
それが被爆を要因とするものかどうかを争う裁判です。
東京に在住する被爆者(被爆者手帳を持っている方)は8341人。
ところが原爆症認定は118人にすぎません(どちらも2005年の統計)。
国の認定基準となる「表」も見せてもらいました。
爆心地からの距離で放射線の被ばく線量を決め、それぞれの病気ごとに危険度を数値にしています。
杓子定規、という言葉がまず浮かびました。
しかも、被ばく線量の数値はあまりに低い基準とのこと。
地裁の判決で6度にわたり、国の基準の不当性が指摘されるのも当然です。
裁判のさなかに死去された方も少なくありません。
「遺言」ともなった、そのお一人お一人の裁判での訴えが冊子となっていました。
被爆当時の証言を読めば、どれほどの被害であったのかは明らかです。
身体に火がつくほどの熱線、ひどい火傷、ガラスが突き刺さった身体。
黒い雨を浴び、爆心地付近の水をのみ、肉親を探したり、救援活動で焼け野原の市内を歩き回る。
髪の毛が抜け落ち、歯茎から出血、身体のだるさ、傷が治らない…。
「私には健康な身体というものがわかりません」という証言。
被爆したその日から、病とのたたかいが何十年と続いた方さえ、原爆症を認めないとは!
原爆の被害のすさまじさを国に認めさせることは、核兵器を絶対に許さない、廃絶していくためにどうしても必要なこと。
長年、被爆者であることを周囲に告げずに生活してきた方も、家族への差別を懸念しても、それでも声をあげないわけにはいかなかったのです。
私が政治や社会を変えたいと切に願った原点も、核兵器をなくしたいという思いでした。
あらためて今、思います。
核兵器が非人道的な兵器であることを宣言できる政府をつくりたい。
被爆者の苦しみによりそえる政治を実現したい。
そして、被爆者の方が「核兵器がなくなる日」を目にすることができるよう、世界を動かしたい。
原爆症認定裁判は、本当に大きな大きな意味を私に投げかけています。