日本共産党 田村智子
コラム

【07.05.31】早稲田大学キャンパスにて

早稲田大学キャンパスにて

天気予報がはずれた夏の青空のもと、早稲田大学正門前での街頭宣伝。
車に乗っていた人のなかで最年長が私でした。

一緒に宣伝する青年たちに「ここで20歳のとき、初めて日本共産党の応援を宣伝カーから訴えたんだよ」と、思い出話をしてしまいました。
1986年、上田耕一郎さん(当時の東京選挙区の参議院議員)の街頭演説でした。

キャンパスを見渡すと、早稲田の街の変わりように驚きます。
古い学生会館が華やかな建物に変わり、大隈講堂も改修中。
「きれいになっていいね」とは言えない複雑な思いです。

1984年、学費の値上げ反対の運動のなかで、早稲田大学が相当の積立金をしていることがわかりました。
「赤字だから値上げするしかない」のではない、あの当時、宣伝していたことと、このキャンパスの変容が重なり合ってみえてきます。

「値上げ反対」を主張した当時、第1文学部の授業料は40万円弱だった記憶があります。
今、約80万円! 
アルバイトにあけくれる学生もいるだろうと思えてなりません。
この異常な値上げが、どこまで続くのでしょうか。
この高学費、「仕方がない」と思ってほしくない、その一念です。

通り過ぎる学生たちの姿を見ていると、じっくり話してみたい気持ちになります。
胸のうちにある世の中への思いや、不安、そしてほんとは怒っていること。
選挙権のあるなしに関わらず、ある意味で自由な身だからこそ、その時にまっすぐ政治を見つめてほしい。
また、ぜひ早稲田にきて政治を語りたいと思っています。

余話その1
早稲田大学というと悲しいことに、いまだに暴力容認の学生集団がいます。
日本共産党を目の敵にして、私たちが宣伝行動を始めると、必ずまとわりつき、平和的な宣伝行動を妨害する人たち。

今日の宣伝行動にも現れました。
驚いたのは、その一人が、私が学生時代にも早大にいた人物だったこと。
まだ学生をやってるの? 一体その学費はどこから出ているの?
20年以上が過ぎてもまだキャンパスにいる彼は、どんな希望や生き方を見出しているのでしょうか。

余話その2
昨晩は久しぶりに、てるてる坊主をつくりカーテンレールにつるしました。
息子の学年の延期された遠足が今日。
「やった、雨じゃない」と喜んで登校したのですが…。

前日の雨のため、アスレチックの公園が閉鎖されたとかで、またまた延期。
6年間、遠足の日は、晴れたことがないのです。
「大人になっても絶対に忘れない思い出になるよ」と声をかけましたが、むっとした顔をされてしまいました。
息子よ、母親だって、その度の弁当作りは大変なんだよ。