日本共産党 田村智子
コラム

【13.03.07】福島第一原発の構内へ

3号機付近は毎時1200μシーベルト!

共生社会・地域活性化に関する調査会の視察で福島県を訪ねました。
初日の3月7日は、福島第1原発の視察がメイン。

原発事故対応の拠点となったJビレッジ。
防護服に身を包んだ一団が、次々に発着するバスに乗り降りしています。
東京電力からの説明。
結局、1号機〜3号機の原子炉がどうなっているかはわからない。
格納容器に接近できるロボットを開発しなければ、原子炉の様子を把握することもできない。
溶けてしまった核燃料をどう取りだすかは、これから研究が必要。
取り出した後の保管は…。

こんな状態で、事故の「収束宣言」がなぜ出せたのか。
30年スパンの計画はそのほとんどが白紙といっていい状態。
セシウムの半減期を待つというに等しいのでは。

第1原発の構内に入るために、靴から足首をつつむ厚手のビニールの足袋と、手袋が配られました。
被ばくの積算値を測るための線量計も、一人に一つずつ配られました。
バスの中からの視察なので、防護服の必要はないとのこと。

楢葉町、富岡町、大熊町を通過。
楢葉町は、日中は人が入ることが許されています。
家屋、田んぼ、道路、公園などの除染がまさに進行中。集めた草や枯れ葉が黒い袋に詰められて、袋の列になっています。
目に入る人の姿は、除染しているか、警備をしているか。

 

富岡町を通過する時、バスの空間線量が読み上げられました。毎時4マイクロシーベルト。
大熊町では5.1マイクロシーベルト。
原発の構内に入る直前、15〜20マイクロシーベルトにはねあがりました。

免震重要棟、構内の作業の指令棟です。
空調で外気の放射性物質をとりのぞいているため、ここだけは、防護服もビニールの足袋も手袋も必要ない空間。

一巡して、原子炉の温度を示すモニターなどを確認して、再びバスに乗り込みました。
汚染水をためる大小様々なタンク。
そして、太さも種類も様々なホースが絡み合うように、あちらにもこちらにも。
原子炉建屋に大量の地下水が流れこみ続け、汚染水となっていく。
今、第1原発は水とたたかう現場になっているのです。

すでにカバーがかぶされた1・2号機に対して、3・4号機の外観はほぼ手つかず。
3号機の建屋は水素爆発でぐにゃぐにゃになった鉄骨がむき出しの状態。
4号機は、爆発の衝撃で分厚いコンクリートの壁が崩れ落ちた状態。
空間線量も、1200マイクロシーベルト、つまり1.2ミリシーベルト。単位が変わってしまうのです。

津波の直撃を受けた3号機は、その周辺に横転した車やトラックがそのままになっています。
崩れた防潮堤は建設中とのこと。今は土嚢が積まれた状態のところも。
事故発生から2年が経過しようとしているのに、です。
高線量の場所での作業がいかに困難かを物語っているようです。

Jビレッジから原発に向かう道、防護服を着たままの男性を多数乗せたバスと何台もすれ違いました。
運転手も防護服姿。
運転手以外の労働者のみなさんは一人残らず、ぐったりと眠りについていました。

防護服に防護マスクの姿、これが当たり前になっている地帯がある。
これは異常であり、異様なことなのだという感覚がマヒしていきそうで怖い。
Jビレッジで回収された私の線量計は、26マイクロシーベルトになっていました。
レントゲンを1回撮影したときの半分の被ばく量ですと、東電の説明。
わずか1〜2時間、バスの中という条件です。
作業員の方の被ばく量は?と、考えずにはいられません。

なぜ3号機付近の線量が驚くほど高いのか。
破損した建屋がそのままになっているために、放射性物質の封じ込めができていないからでしょう。
周辺に撒き散らすような水素爆発は起きなくとも、鉄骨がむき出しの状態では、放射性物質を閉じ込めているとはいえないでしょう。
国会で環境省や東電から受ける説明と、現場で見た光景にはあまりにも乖離がありました。
(原発構内の写真は、事務局の職員のみ撮影許可されたため、入手次第アップします)