プロフィール
国会秘書として走り回る日々
1995年、第一子出産
民青同盟で出会った男性と結婚し妊娠。これを機に青年運動を卒業することになり、日本共産党の国会秘書に採用されることになりました。子どもが1歳になるまでは議員団事務局で、国会の動きを勉強したり請願署名をまとめたりという仕事をしていました。
1997年1月、石井郁子衆議院議員の秘書として主に教育分野を担当。2002年1月、配置転換で井上美代参議院議員の秘書として、厚生労働(社会保障や労働)分野を担当。
(→論文・レポート-国会議員秘書歴8年・そこで学んだこと-)
1998年参院選、比例代表候補として訴える
日本共産党の国会秘書は、法案の分析・法案立案、質問準備、各地の調査、生活相談への対応など、議員といっしょに活動をします。議員会館と国会の建物とを小走りで行き来する毎日でした。秘書の仕事の大きな柱は法案の分析。「こんな文章があるのか?」という、なんとも読みにくい一文一文を読み解き、国民生活にどういう意味をもつのか検討します。団体や専門家の意見も聞き、賛成するか反対するか、慎重に検討し集団で議論していきます。予算案の分析も大変です。分野ごとに秘書が総がかりで分析します。半年ぐらいの会期の通常国会では、内閣提出法案だけでも毎年約100本にもなりますから、これをひとつひとつ検討するのは大変な作業です。個人の力量ではお手上げになることでしょう。集団の力を発揮できる政党だから責任をもって態度を決められるのだと思います。もちろん、政策や方針を明確にしている政党でなければいけませんが。
2000年、石井郁子議員の秘書として学校
図書館を調査
ところで、私は大変「あわてんぼ」の秘書として同僚の中で有名でした。あるとき、石井郁子議員が「赤旗しんぶん」の地方版に「女子トイレに見慣れた本があるのをみつけました。私の秘書さんが忘れていったもので、そっと彼女の机にもどしておきました。秘書は寸暇をおしんで勉強しているのです」という内容のエッセイを書いていましたが、これが私のこと。活字になってから読み、忘れたという事実もそのときになってはじめて知り、赤面したものです。