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プロフィール
核兵器は廃絶できる 民青同盟で学んだこと
民青同盟として取り組んだ運動は、学費や勉学条件の改善など大学問題にとどまりません。私が一番力をそそいだのが、核兵器廃絶運動でした。広島を訪れて以来、深く刻まれた絶望が希望へと変化するときでした。それは、日本共産党の「核兵器は廃絶できる」という主張を学び、日本と世界で広がる運動を知ったからです。
第2次世界大戦後、初めての国連決議が「原子爆弾廃棄」を求めるものであった、それなのになぜ核兵器はなくならず増えていったのか等々、歴史の事実を学ぶことは希望への力となりました。そして、核兵器の使用・研究・開発・貯蔵・実験を全面禁止することを国際条約として締結する運動を知り、ここに人類の未来があると、目の前が開ける思いでした。
核兵器全面禁止の国際条約をもとめる「ヒロシマ・ナガサキからのアピール」を知らせ、賛同署名を集める運動が、日本と世界で広がっていました。私も早稲田のキャンパスで署名をよびかけました。被爆者の方が集めていた世界の反核ポスターを借りて急こしらえのポスター展をしたり、「反核クッキー」を作り署名してくれた人に配ったり、ミニコンサートをしたり。これをやりたい、こんなことをしたらどうだろう、考えは次々にうかび、当時の私は「水をえた魚」のようだったと思います。
政治や社会の問題を傍観しないで、間違っていると思うことに対しては発言し行動する、その大切さを感じながら、1985年10月、日本共産党への入党を決意しました。
国際婦人デーで櫛田ふきさんとインタビュー対談
(1992年)