コラム
【13.11.27】「授業料という言葉なくなることを…」
定時制高校生の声をどう受け止めるのか!
公立高校の授業料不徴収制度を廃止する法案が成立しました。
やっと踏み出した、高校無償化の一歩を、後退させるのか。
民主党政権のもとで行った施策が目障りということか。
私は、この法案の質問を準備する過程で、何度も、ある定時制高校生の言葉を思い出していました。
今年5月、代々木公園、子どもの貧困対策法の成立を求める集会がありました。
与野党の国会議員、下村博文文部科学大臣も参加した集会。
ここで、首都圏の夜間定時制に通う男子高校生が意見表明をしました。
親に負担をかけまいと、アルバイトでなんとか高校生をやっている――彼も友人も、昼間は働きながら高校に通っている、「なぜ高校生が働かなければならないのか」という思いをもちながら。
定時制の仲間と県に要望書を出すために話し合った。
「お金に困っている人に特別な支援をして、負担を減らしてほしい」という要望にしようとした。
けれど、それは「施し」ではないのか、負い目を感じながら生きることになるのでは、と意見が出て、「お金持ちか貧しいかの区別なく、すべての人の負担を減らして」という内容になったというのです。
「高校無償化に所得制限」、こういう報道も受けて、彼はこう言いました。
「それはたぶん高校生の願いに反することだと思います。学校に通うことを私たちの権利にしてほしい。小中学校に授業料という言葉がないように、早く高校にも授業料という言葉がなくなり、教科書代という言葉も、実習費、生徒会費という言葉もなくなっていくことを望みます」
涙がこぼれそうになりました。
貧困のなかで、いろんな思いをもって「高校生をしている」彼らの言葉のなんと重いことか。
成立した法案は、公立高校の授業料不徴収、という条文を削除してしまう。
公立・私立高校とも、授業料徴収を前提として、就学支援金で負担を減らす。
ただし、所得制限を設けるので、高校生に保護者等の収入状況の届け出を義務付ける。
正当な理由なく届け出がない場合は、就学支援金の支給を差し止める。
「高校無償化に所得制限」ではありません。
彼が望んだ、授業料という言葉がなくなるどころか、一度はなくなった公立高校にも復活させてしまうのです。
保護者等の収入の届け出は、親権者の課税証明書のこと。
これは安定した働き方で、毎年、年末調整をしている場合は難しいことではありません。
短期でダブルワーク・トリプルワークなどの働き方では、確定申告をしなければなりません。
源泉徴収票を事業主が出してくれない、モラルを欠いた事業所では、こんなことも起こります。
DVや複雑な事情で片親と別居の場合は、保護者一人の課税証明書でよいが、そうした事情を届け出なければなりません。
ネグレクトなどで、保護者が責任を果たさない場合も、高校生が届け出て都道府県が確認しなければなりません。
質問準備の過程で、こうしたことを文部科学省に質していくたびに、あの定時制の彼の顔が浮かんで、申し訳ないような恥ずかしいような気持ちになって仕方がありませんでした。
これほど、具体の事例に想像力のない立法があるだろうか。
高校生に届け出を義務付ける、これ自体、私は驚きました。
そのうえ、「親はネグレクトしています」などと、高校生に届け出をさせるのか。
家族に複雑な事情があれば、多感な年齢の高校生は、それを報告したいと思うでしょうか。むしろ、知ってほしくない、知らせたくないと思うのでは。
もちろん、複雑な事情、困難、それは社会的に支援をしていくことが必要です。
でも、それは就学支援金支給の届け出によってではなく、学校などで高校生に寄り添うなかで事情をつかみ、いくつもの支援の手を検討していくことではないのか。
高校は、保護者収入のチェックという事務量が膨大に増えます。
届け出がない場合に、早く出してもらおうと実務的になれば、かえって支援の必要な家庭が取り残される危険性さえあるでしょう。
所得制限でつくった予算は、私立高校の授業料負担が必要な高校生への加算にあてる、と文科省は説明します。
それは、所得制限によって、ではなく、予算の使い方全体を見直して、増額要求するべきことでしょう。
文科省は来年度、全体で10%以上、予算増額の要求をしています。
スーパーグローバル大学事業は新規で156億円、小中高校のグローバル人材育成、つまりはエリート教育には54億円増の56億円。
戦略的イノベーション創造プログラムの創設として総合科学技術会議の司令塔機能強化に350億円。
国際核熱融合実験炉の計画には136億円増額の305億円、もんじゅは存続を前提に21億円増額の195億円等々。
どうして、高校授業料負担の軽減も同じように増額要求ができないのか。
本会議での私の反対討論。初めは自民党席から、控えめではありましたが野次の声がありました。
けれど、高校生の声を紹介するときには、静まり返っていました。
賛成のボタンを押した議員に、恥ずかしい、という気持ちがあったかどうか。
「高校から授業料という言葉をなくしてほしい」という言葉が、少しでも胸に刺さっていることを願わずにはいられません。