日本共産党 田村智子
コラム

【06.08.25】2泊3日でたどった「84年」

2泊3日でたどった「84年」

23〜25日、伊豆にある日本共産党の学習会館で学習しました。
春にも行われた特別党学校の第2回目です。
講師は不破哲三さん、テーマは「党史」。

84年の歴史は波乱万丈、その中に身をおいたならばどう考え、どう行動したか、そんなことも思いながら学ぶ講義でした。

例えば戦前、特高警察の「殺してもかまわない」と思わせるような弾圧、党員検挙のためにスパイまで送り込むやり方、そのなかで戦争の誤りを訴え続け、軍の撤退を求め続けた党員たちは、どうやって主張し行動したか。

今でも共産党への悪口として使われる、宮本顕治さんの戦前の逮捕・抑留事件。
「殺人」という汚名を戦中の非民主的な法廷でさえ下すことはできなかった、ということは知っていました。
あらためて客観的な記録である公判記録を実際に読んでみました。
事実の検証を徹底して求めたのが、宮本さんたちであり、「あれは殺人事件だった」と口述した人たちは、法廷から逃げていたことがよくわかりました。

宮本さんが、日本共産党とは何か、スパイとのたたかいの党の方針は何か(党をやめさせ事実を公表することが、最高の処分)を理論的にも歴史的にも、徹底的に明らかにしていったことも、わかりました。

戦争に反対し、国民主権を求めた人たちが多数、逮捕され、虐殺・獄死した、ところが、この人たちへの謝罪はいっさいありません。
虐殺した特高警察の人たち、当時の政府の人たちの多くは、富を築き、戦後も政権与党にかかわり、当時の殺人を裁かれてもいないのです。
日本の政治の根本的な弱点が、今も続いていることにあらためて怒りがわいてきます。

こうした「歴史」をたどる講義。最後の方では、私自身の党員としての活動が重なる内容になっていき、「私も先輩の歴史を学ぶだけではない年代になったのだな」という感慨がありました。

80年代の終わり、金丸事件に象徴される自民党政治への批判の高まり、党への期待。
そのさなかに起きた天安門事件、そして東欧・ソ連の崩壊。
日本共産党は「時代の遺物」とみられたなかで、私たちは青年党員として、私たちがめざす社会はなにか、ソ連や東欧で崩れたものは何かなどなど、とにかく学び討論し、そして世の中にむけて主張していきました。

天安門事件の直後には、青年の「喪章デモ」にとりくみ、中国大使館にむけて抗議の行進をしました。
湾岸戦争、新宿歩行者天国での抗議のダイ・イン、沿道の人たちによびかける反戦パレード、代々木公園での反戦ライブ…。

あの当時、私たちの小さな行動が日本や世界を動かすものなのだろうか、という思いにとらわれた時もありました。
けれど、あの一瞬、一瞬を「なにかしても無駄だから」と沈黙せず、「私はこう思う」と意思表示したことが、「人民の運動の歴史」をつくっているのだと、10年以上の時を経て実感することができます。

戦前の反戦平和の運動は、日本の歴史の希望の光です。
あの当時、戦争を押しとどめることができる可能性など見えないなかでも、日本共産党が旗をおろさなかった、これは日本国民の良心の歴史です。
歴史の進む方向を自分の良心に照らしてつかむ、そして、まっすぐ歩んでいく。新たな歴史は、そうやってつくられるのだと、胸のうちが熱くなります。

夏休みのしめくくり、秋からのエネルギーは充分たくわえました!