日本共産党 田村智子
コラム

【13.07.21】国会質問は国民の代弁者としての仕事

通常国会で質問を放棄した与党

安倍内閣発足後の通常国会、振り返ってみると、与党が委員会審議をこんなに軽んじた国会があっただろうかと思えてきます。
私が所属する厚生労働委員会での審議がどうだったか、まとめてみました。

今年1月28日から6月26日まで行われた通常国会。厚生労働委員会の質疑は次の通りです。
3月21日、大臣所信への質問。全会派が質問に立ちました。
3月28日、予防接種に関する法案、自・公は質問せず。
4月25日、一般的質疑(自由テーマでの質問)、自民、公明は立たず。
5月9日、予算委員会からの委嘱による質疑、在日米軍基地内の日本人労働者についての法案、違法ドラッグ取り締まりの議員立法、全て自民、公明は立たず。
5月21日、健康保険についての法案、全会派が質問。
5月23日、一般的質疑、自民、公明は立たず。
5月28日、障害者差別解消法案、精神障害者に関わる法案、自民は立たず。
5月30日、上記法案の参考人質疑は全会派が質問。続く法案審議は、自民、公明は立たず。
6月4日、戦傷病者の妻への特別給付金に関する法案、自民、公明は立たず。
6月13日、年金に関する法案、全会派が質問。
6月18日、年金に関する法案の質問2日目、子どもの貧困対策法案、どちらも自民、公明は立たず。
6月20日、生活保護法案、生活困窮者支援法案、自民、公明は立たず。
6月21日、上記法案の参考人質疑は全会派が質問。質問2日目も自民、公明は質問要求なし。
(21日の質問は、私も立っていませんが、これは2日目の質問を2回に分けたため。私は25日の質問予定でした。)
6月25日、一般質疑と上記法案の質疑が予定されていたが、与党のみならず、政府の出席拒否により質問できず。

与党だから質問に立たなくてもよい、という考え方。それでいいのだろうかと、何度も思いました。
質問時間がいらないのならば、私に分けて欲しいと思いましたし、日程協議の理事懇談会で実際に主張もしました。
国会議員にとって政府への質問は、国民の代弁者としての最も大切な仕事。私は、いつも質問時間の少なさに悔しい思いをしているのです。

法案質疑のやり方では、私は、与党のみならず民主党とも、度々バトルを繰り広げました。
障害者差別解消法案と精神障害福祉法案を一緒に審議する、これは許せないことでした。
差別解消法案は、障害者のみなさんも運動を積み重ね、早期の成立をのぞんでいたもの。
精神障害の法案は、本人同意のない強制入院の要件を緩和する内容が含まれていて、反対や危惧の意見が当事者や家族、日本弁護士会からも出されていました。
私が分けて審議すべきと主張すると、与党は会期末があるからと言い、民主党も私の理を認めつつも与党に合意する、正式な理事ではないオブザーバーという立場が悔しくて仕方ありませんでした。

しかし、理を尽くした態度を貫いたことが、最終盤、子ども貧困対策法案の審議日程に生きました。
衆議院では、なんと生活保護改悪法案とセットで審議されてしまったこの法案。参議院ではそれだけはなんとしても阻止しようと決意していました。
あしなが育英会や子ども貧困問題に取り組んできた市民団体の運動が、この法案の出発点。
私も集会に何度も参加し、貧困をなくしてほしいという切実な思いに強く共感していました。それだけに生活保護制度の改悪とセットのように扱うなど許せなかったのです。

民主党の理事に何度も、分けて審議をと要求し、社民党にも働きかけて共同戦線をはり、その他作戦を練り、私の主張が通った!
そしてこれが、子ども貧困対策法は成立、しかし生活保護改悪法案は廃案という結果につながったことも、本当に嬉しかった。あきらめずに主張して良かったと何度も嬉しさを噛み締めました。

国会での質問は、議員にとって真剣勝負の場です。
内容もやり方も、まさに真剣勝負です。
その場を放棄して、委員会の時間を短縮することにどんな意味があるというのか、他党の議員に問いかけたい。