日本共産党 田村智子
コラム

【13.06.04】国内の戦争被害の記録をどうやって伝えるか

「しょうけい館」戦傷病者資料館も訪ねて、厚労委員会で質問

戦没者等の妻や父母に、特別給付金を支給するという法案審議のなかで、戦争の記録をどうやって次世代に継承するかについて、短時間で質問しました。

日本の戦後政治は、日本軍兵士に関することは取り組んできたが、一般国民やアジアなどの民衆の被害にはまともに向き合っていないという歪みがあります。
前述の特別給付金も、対象は、戦死した軍人・軍属の家族へのもので、10年に1回、今回で6回目の支給。戦傷病軍人の家族にも、同様の制度があります。
軍人への恩給、軍人遺族への恩給、軍属遺族への遺族年金とは、別に、特別の労苦にかんがみての施策ということです。

日本政府は「国と特別の雇用関係があったのが軍人・軍属。一般国民とは違う」という立場をとり続けています。
「お国のために貢献したのだから」という考え方が根底にあることには、違和感をもたざるをえません。
国が無謀な戦争に駆り立ててしまった、食糧も補給せずに進軍させ、大量に餓死させてしまった、侵略戦争という過失への反省であり謝罪であるならば頷けます。
そういう立場であれば、国内の空襲などの戦災被害、他国民・他民族の被害に対しても、国策としての責任が問えるのです。                            

質問では、戦争被害の記録と次世代への継承にも、同じ問題があることをとりあげたかったのです。
この質問、厚生労働省が、戦傷病者の資料館に予算を計上していることに気が付いたことがきっかけです。
靖国神社のすぐ近くにある「しょうけい館」。国会からも近いし、よし、まずは見学に行こう!

九段下の交差点でタクシーをおりて、交番で場所を確認しました。
表通りを一本入ったところに小さな看板が出ていました。ビルの一角を借りているようです。
(厚労省管轄予算で運営する「昭和館」はとても目立つのに、この違いはいったい…。)

日本傷痍軍人会が運営を委託されている、戦傷病兵士の記録館「しょうけい館」。
1階では、水木しげる氏の企画展の真っ最中。自らの人生を絵巻のように描写した力作です。証言DVDを視聴する常設コーナーもあります。
2階は常設展。事務局の方の案内で回りました。
徴兵検査、徴兵、出兵、戦地での負傷、帰還後の生活という一連の流れがわかるような展示。野戦病院を再現したジオラマ、戦後のリハビリや社会復帰なども紹介しています。

身体から摘出された銃弾やその破片、銃弾を受けて破損したメガネ、義手や義足など、実物だからこそ伝わるものがあると感じました。
現在、証言DVDは100人ほどから集めたとのこと。
「証言してくださると連絡を受けた直後に、亡くなられた方や、認知症がすすんで施設に入所された方もおられます。直接証言をお聞きするには、もう残された時間はわずかだという危機感があります」と事務局の方。

説明の中で、運営を厚労省から委託されている日本傷痍軍人会が、今年11月で解散することも知りました。
国会に戻ってさっそく厚労省の担当者に説明を聞くと、現在、次の委託先を公募中とのこと。
所蔵品はどうなるのかと聞くと、「国の所有として、委託先に無償で貸し出す」とのこと。
「資料は国の所有ですね」――思わず再確認。これは重要な情報です。

私の今回の質問の目的は、国内の戦災についても、国が資料収集し次世代に伝えることが必要ではないか、という問題提起です。
調べてみると、国内の戦争被害については、総務省の所管とのこと。
そこで、厚労省、総務省の両方に質問することにしました。

「しょうけい館が所有する傷痍軍人の資料は、国が直接に所有することになる。一方で遅れているのが、国内の一般戦災者の記録。国の取り組みはどうなっているのか」
総務省の説明では、「平成22年から、追悼事業として、全国の戦災追悼の資料や行事について調査をしている」というもの。
実は、質問前の説明で、これが始まったきっかけは、衆議院での高橋千鶴子議員の質問がきっかけだったとのこと。

この答弁を受けて、こちらから一気に情報提供しました。
「追悼事業の一事務という扱いで、担当者はたった一人」
「予算も十分ではなくて、国立国会図書館にある戦後直後の政府機関の資料、例えば第一復員省、経済安定局などが、国内の戦争被害の調査をしたものも、見ることはできても、何らかの形で資料収集することはできないという状態。」
「全国の戦災の記録も、市町村合併で資料保管をしていた部署がなくなって、資料がどこにいったかわからないとか、慰霊碑なども風雨で文字が読めなくなっているなど、資料収集は時間とのたたかいになっている」
――これらも、事前の説明で、「たった一人の担当者」の方からお聞きしたことです。

本当は、総務大臣に質問したいところですが、内閣の一員ということで田村厚労大臣に、国としての資料収集、保存や展示ができる場所など検討をと求めました。
大臣は、「厚労省の所管ではない」と言い、戦争被害の継承は大切という一般論の答弁に。
それでも、国会でとりあげることが、予算や体制の拡充への布石になることを狙っての質問でした。

国として、過去の戦争にしっかり向き合っていない、その総括ができていないと、この質問を準備してあらためてかみしめました。

「しょうけい館」――日露戦争での傷痍軍人の資料を含めて展示していたことは、大切な視点だと思います。
アジアの大国になろうと、日清・日露から、日本の膨張主義が始まったことを、ある意味で示しています。
軍人恩給も、日露戦争の激しい戦闘で、手足を失った元軍人たちの生活を支えることから始まった制度であることもわかりました。
こうした、日本の兵士たちの歴史、その戦争被害を伝えることは大切だと思います。
けれど、これら悲惨な戦争がなんだったのか、手足を失うような戦争をなぜしなければならなかったのか、日本軍が戦った「敵」とは何かが、説明されていないことに、やはり胸のつかえが大きくなってしまうのです。

空襲被害など日本での民間人の戦災の記録、
植民政策として「満州国」に送られた開拓団の記録、
戦後、親を失った戦争孤児たちの記録、
そして、アジアからオセアニアまで日本軍が侵略した地域での戦争被害(他国の被害、自国の被害)の記録、
家族を戦争で奪われながら戦争反対の声をあげることを許さなかった、国内の弾圧政治、
弾圧に屈せず、侵略戦争に反対し続けた抵抗運動の歴史、等々。

これらをすべて集めたとき、初めて、日本の戦争の歴史がくっきりと見えてくると思うのです。
「そういう業務を担当する部署はない」――そんな政治でいいのだろうか、と危機感もまた強まる質問となりました。