日本共産党 田村智子
コラム

【08.09.11】「算数のクラスが変わる、どうしよう」

習熟度別のクラスわけへの戸惑い

テレビをつければ総裁選挙。これは国民の選挙ではないでしょ?
一つの党のお家事情に、なんで国民全体をひっぱりこむのかと、腹立たしい限りです。

親子の会話にも、選挙の話がちらほら。
「秋は忙しくなりそうなんだ。運動会も全部はみられないかな」
「え〜!」
「福田さんが首相やめちゃったから、急に選挙になりそうなんだ」
「夏休みは小泉さんのせいでなくなったし、今度は福田さんのせいで…」
2005年の夏の解散は、一生忘れられない事件になるのでしょうか。

ところで学校生活をめぐる会話では、算数のクラスわけが話題に。
「どうしよう、明日から算数は、**(友達の名前)と同じクラスになっちゃう」という娘。
学習内容が変わるところでテストをやって、点数でクラスをわけるやり方が、昨年から続いているのです。

「計算プリントはできたけど、でも、頭いいクラスは進み方も早いんだよ。大丈夫かな」
「担任の先生のクラスがいいんだけどな」
しばらく娘のぼやきが続きました。
親としても、間違いだらけのプリントを何度も目にしているだけに、不安になってきます。

「心配だからもとのクラスがいいって、言うのはダメなの?」
「そういうのはダメなの」
「みんなは、本当はどの先生に習いたいのかな?」
「そりゃ、担任の先生に決まってるよ。やさしいし、ていねいだし」

担任の先生が子どもたちに好かれていることがわかります。
それだけに、「習熟度別は子どものためといえるのか」と考えてしまいます。

丁寧に、わかりやすく、どんな質問やつまずきにもこたえてもらえる、
それは、到達度(これも何で測っているのか、とても疑問ですが)がどうであれ、
子どもたちみんなが望んでいるのでは?

算数のクラスで、誰が頭が良い、悪い、と、子供同士が日常的に判断していることを、どう考えたらいいのか。
「そんなこと言ってはだめ」では、すまされないのです。
子どもたちがそう受け止めることをやめさせることなど、不可能ですから。

親としての力の限界、一つの学校だけでは解決できない問題。
政治がもちこんだ歪みであることは明らかです。
教育行政を変えることが、こんなに切実に求められているときはないと思いつつ、
今を生きる子どもたちのことを思うと、ため息を抑えることができません。