日本共産党 田村智子
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【14.05.29】文教科学委員会 教育委員会改悪法 参考人質疑

(参考人)
前郡山市教育委員会教育長・前中核市教育長会会長 木村孝雄君
東京大学大学院教育学研究科准教授 村上祐介君
元千葉県教育委員会委員長・千葉大学教育学部教授 天笠茂君
首都大学東京大学院社会科学研究科教授 伊藤正次君

○田村智子君 日本共産党の田村智子です。今日はありがとうございます。
 私は、教育というのは、人格の形成、完成を目指す、また真理の探求、そして文化の創造という言わば普遍的な営みであるだけに、政治からの独立、教育の自主性ということが本当に求められているんだと思います。教育委員会の改革というときも、そのことを大前提、根底に据えた議論というのが行われなければならないということをまず申し上げて、質問をしたいと思います。
 まず、村上参考人にお聞きをします。
 御意見いろいろお聞きをしていて、責任の所在の不明確さというテーマを与えられて中教審が議論をしたことで様々な御苦労があったんだろうなと。まして、教育委員会を諮問機関にというような案も出てくる中で、やはり相当にその取りまとめには御苦労があったということをおもんぱかりながら御意見をお聞きをしておりました。
 私も、やはり今回の法案の中で一番懸念として出てくるのは、首長への権限の集中がどういうことを引き起こしかねないのかということだと思うんです。先ほどの村上参考人のお話の中でも運用の工夫ということが提案されていたのも、そういうことへの懸念からかなというふうに聞いていました。
 この首長の意向の反映というのは、それが民意の反映だということも説明をされているんですけれども、やはり教育の先ほど言った自主性であるとか普遍的な取組ということを考えると、首長の意向の反映というよりも、いかに多様な民意を反映していくのかということにこそ、本来、教育委員会の改革というのは眼目が置かれるべきではなかろうかというふうに思うんです。
 その首長の意向の反映の危惧の中で、一つ私も大綱の問題なんですね。総合教育会議で首長がこれを主宰をし、そして決定権限が首長にあると。参考人からは、承認ということも必要じゃないか、教育委員会の承認ということが必要じゃないかという御提案があって、なるほどというふうに感じたんですけれども、教育委員会との協議が調わない場合も首長の判断で内容は決定ができると。これが提案のあったような運用の改善がない場合にどのような問題が起こり得るのかということは、もし具体に懸念されていることがありましたらお聞かせいただきたいと思います。

○参考人(村上祐介君) ありがとうございます。
 中教審では私、一委員なので好きなことを申し上げさせていただいたのですが、大綱にもし教育委員会が従わなかった場合にどういうことが考えられるかということなんですが、やはり首長が専権を持って打ち出すということで、それが一種の政治的アピールになると。それで、首長に従わない教育委員会ということで、ある種、民意に沿わないということで攻撃をされる可能性がある。ただ、それが本当にどちらがより教育のパフォーマンスを上げる上で妥当なのかというのは実は分からないので、その辺がある種の政治的アピールに使われる可能性が大綱にはあるということが一つ問題があり得ると思います。
 それからもう一つは、現実にあった例ですが、予算執行権の停止を示唆するというような権限を首長が行使した場合に、大綱に沿わないようなことの予算は出さないといった場合に、じゃ教育委員会はどうするのかと、これはなかなか対抗することが難しいという問題があり得ると思います。
 その二点です。

○田村智子君 ありがとうございます。
 もう少しちょっとお聞きをしたいんですけれども、首長が様々な大綱の中に書き込みたいと、確かに、教科書の在り方とか教材の在り方とか、あるいは学校統廃合、あるいはより権限を持っている、県でいえば大学、あるいは私立の学校と、こういうところに具体の問題として何かもたらされるような懸念というのはあるんでしょうか。大学や私立の学校の関係なんかではいかがかなと思いますが、あるいは高校とかですね。

○参考人(村上祐介君) ありがとうございます。
 大学、私立、高校への影響というところなんですけれども、具体的にあり得るのは学校統廃合だと思います。学校統廃合というのは、やはり財政を預かる首長にとっても非常に関心の高い事項ですし、教育効果にも高い影響を及ぼし、強い影響を及ぼしますので、そこのところのやはり首長の意向というものはかなり強くなる可能性があるのかなというふうに思います。
 あと、高校に関しては、現実にやや起こりかけていることかもしれませんが、教科書の問題で、教科書採択で何らかの意向が、これは小中学校も同じなんですが、そういったことがあり得るかなというふうに考えております。

○田村智子君 ありがとうございます。
 先ほどの運用の改善というのは、本来は法案の中に盛り込めるようにちょっと今後の審議の中でも頑張りたいなというふうに思います。
 次に、天笠参考人にお聞きします。
 法案は、教育委員長と教育長を一本化するという説明がされているんですけれども、私は、条文に沿って考えれば、そうではなくて、お話のあったとおり、教育委員長というポストをなくすんだというのが法案の中身だというふうに私は理解をしています。
 責任の明確化が必要だということだったんですけど、これ、衆議院の議論の中で大分そのことは議論になっていて、現行法の下でも教育委員長は教育委員会を代表する立場であって責任者ではありません。教育委員会の委任を受けて、事実上の執行の責任は教育長にあります。それはもう今も明確なんですよね。そこが理解がされていないとか、あるいは、何ですか、分かりにくいというレベルの問題ではなかろうかと。じゃ、それをもって教育委員長というポストをなくしてしまうということが果たしていいんだろうかというのは大変疑問に感じているところです。
 そこで、まず、教育委員長の役割、教育長とは別にもう一人長がいるということのその意味について、御自身の体験も踏まえてでも構いません、お聞かせください。

○参考人(天笠茂君) 今のお話にありましたように、教育委員長は教育委員会を代表するという、そういう点があるかと思いますし、また、教育委員会の事務局へのチェックというんでしょうか、そういう存在ということもあると思いますし、また、時に、教育委員会全体をある意味でいうと守っていくというか、代表ということと重なってくるものがあるかと思うんですけれども、そういう多様な側面を持った存在としてあるのではないかと、こういうふうに思います。
 ですから、そういう点からしますと、これまでの果たしてきたその役割についてをどう評価していただいたのかどうなのか、あるいは、これからあるときにそれをどういうふうに考えていったらいいのかどうなのかというふうなことというのは、曖昧さという点でどちらかというと対応されてしまったというか、処理されてしまっているところがあるかと思うんですけれども、そこら辺のところはもう一度御検討いただいてもいい点かなというふうに思っております。
 もう一つ、あれですけれども、教育委員が存在するわけですので、その教育委員をある意味でいうと取りまとめていくとか、あるいは委員間の調整を図っていくとか、そういう機能というのは恐らく委員の間で自律的に発生する可能性というのが今後考えられるんじゃないかというふうに思いますので、そういう点では、これまでとは位置付けとか、それが少し違ってくるかもしれませんですけれども、実質的に、指摘されるところの委員長の機能というのは次への展開の中でまた相応に存在していくんじゃないかなというふうにも見ております。
 以上です。

○田村智子君 ありがとうございます。
 次につながるようなお話もいただいたので、とてもうれしく思ったんですけれども。
 私、事前にいただいた資料の中で、天笠参考人にもう一問なんですが、東日本大震災のときにやはり千葉も様々な被害を受け、また放射能の汚染の問題などで非常に不安が広がっていた、そのときになかなか教育委員会の事務局の方からの連絡、情報が入らず、平時のままの状態だった、これでいいのかという問題意識も持って、教育委員会の側から事務局を動かしたというような御経験を資料でいただいているんです。それに照らして、教育委員長や教育委員会の役割、やっぱり事務局とは別、事務局のトップではない方がやっぱりトップにいるということの意味なんかを少しお話しいただけないかなと。

○参考人(天笠茂君) 御承知のとおり、あの三月十一日はああいうことの状況でありましたので、たまたまそのときに私は委員長という立場でありました。ですので、そういうところからすると、その状況の中において何を判断しなくちゃいけないのかということは当然私自身問われたんだという、そういう受け止め方をしました。
 当然、その時点では、教育長は教育長として、知事は知事としてそれぞれの下で動いていたということでありますし、私もその限りにおいて私の立場とか意見を申させていただいたということで、そのことが事務局との関係の中でというのもその中には含まれていたわけでありまして、そういう中で、例えば定例の教育委員会会議等々でも、震災対応に関連する事項というのはどういうことがあったかとか、あるいは、千葉県下の被災状況等々を私の立場で伺わさせていただくとか、そういうふうなことを通しまして事務局と関わりを持ちながらその状況を対応させていただいたという、そういう経験を持たせていただきました。

○田村智子君 ありがとうございました。
 事前にいただいた資料の中には、どうしても目前のすぐに対応しなきゃいけないところに教育長以下事務局の皆さんが本当に一生懸命対応されていたと。そういうやっぱり一歩引いたところで、より広い、学校現場がどうなっているかなという視点からいろいろ教育長さんと連携をされたということも書かれていまして、やはりそういうところに教育委員会の役割もあるんだなということを具体の事例として私も学ばせていただいたところです。
 木村参考人にお聞きしたいんですけれども、私、今日のお話の中とはちょっと違うんですけれども、中核市教育委員会がまとめて、今日もお話をされていた、これからの地域主権型地方教育行政における教育委員会制度の在り方、この中で、国、都道府県、市町村の役割分担の明確化ということも提起をされていたんですね。これ非常に大切な提言だなと思っていまして、上意下達の中央集権的行政や教育行政の重層構造を解消するというようなことも提言をされておられました。
 今、政府は本当に様々な教育改革の旗を振り、グローバル人材などの政策誘導的な予算も次々と出していく、一方で地方交付税は相当締め付けがされていて、そうすると教育予算の確保をしようと思うと、国が旗を振るそういう予算の獲得をして国の教育改革に沿ったというようなものになるような力が既に働いているんじゃないかなというように思っているんです。この上、国が教育振興基本計画を作って地方自治体はその国の計画を参酌して大綱を作ることが義務付けられていくと。いよいよ上意下達が強まるということになるとこれはいろんな問題が起きてくるんじゃないかという問題意識を持っています。そういう国との役割分担、あるいは上意下達の解消ということについて御意見を伺いたいと思います。

○参考人(木村孝雄君) 全体的なコメントは今はちょっと差し控えさせていただきたいと思うんですけど、やはり中核市教育長会としては、一番の重層構造、ねじれ現象として地域主権に大きな疎外感を持っておるのが人事権なんです。

○田村智子君 人事権。

○参考人(木村孝雄君) ええ。この人事権につきましては、義務教育の責任は全て市町村にあるんですけど、この人事の権限は県が握っているんですよ。そこに大きなねじれ現象があって、一般社会とは全く違ったそういう構造が厳然としてありますので、その辺を、どのようにこのねじれ現象を解決して、せめて義務教育だけはやはり基礎自治体に権限と責任と、もう当然、責任には権限も付いてきますので、その辺を与えてほしいなと、それが地方分権につながっていくなということで中核市教育長会では今強く要望している、その思いが一番今入っているところでございます。

○田村智子君 もう終わります。ありがとうございました。特に義務教育の分野でより現場に近い市町村のところを本当に大切にというのは重く受け止めたいと思います。
 ありがとうございました。

(参考人)
横浜市教育委員会委員長 今田忠彦君
兵庫教育大学長 加治佐哲也君
秋津コミュニティ顧問・習志野市立秋津小学校PTA元会長・文部科学省コミュニティ・スクール推進員 岸裕司君
日本教育政策学会会長・元明治大学教授 三上昭彦君
 
○田村智子君 日本共産党の田村智子です。
 四人の参考人の皆さん、本当に勉強になりました。ありがとうございます。
 まず、三上参考人にお聞きしたいと思います。
 お話の中で、教育委員会改革は目的や方向性が最も問われるんだというお話でした。法案は、元々中教審への諮問も、テーマが、責任の所在の不明確さ、これを解決するという言わばレールが敷かれて、それで諮問が行われた以上、諮問機関はやはりそれに沿った検討を行い、答申をしなければならないと思うんですが、私たち議会の側は、やはり全く立場は違うわけで、法案の改革の目的や方向性ということについて政府から独立した立法府としてやはり真剣に議論をしなければいけないなと、こういう立場でまずお聞きをしたいのは、教育委員会の形骸化というのは確かにずっと言われてきた。では、その要因というのはどこにあるのかということが、ほとんど、長が二人いるから形骸化なのかというと、それは違うでしょうというふうに私はすごく思うんですね。その形骸化の要因についてお考えをまずお聞かせください。

○参考人(三上昭彦君) 先ほど冒頭でも発言しましたけど、教育委員会の、かなりの教育委員会が形骸化しているんじゃないかという、そういう指摘、分析が初めて、私の言うところ、政府関係のしかも総理大臣の諮問機関ですね、その臨教審でなされたわけです。そのとき臨教審の分析は、それは言わば教育委員や教育長なり首長の意識の問題、それから使命感、特に教育委員の使命感の欠如の問題とか、そういう意識の問題というようなものを非常に臨教審はうんと言って、教育委員会制度の持っている制度の根幹部分についてはほとんど触れなかったわけですね。
 なぜ形骸化しているかということは、それはなかなか個別に見ていく必要はあるんですけれども、私は、先ほど言いましたとおり、やっぱり一九五六年の地教行法の改正が法制度的には私は決定的に教育委員会の豊かな発展を抑えてきたというのは、私の分析から出てくるあれなんですね、結論であるわけです。
 その後の流れをずっと見ていますと、実はいろいろ挙がってきている問題は、ほとんどある部分、例えば教育委員会を公開制にしなさいと、これは一九四八年の教育委員会法では当然だったわけですよ、会議の公開なんていうのは。それを地教行法で、法文上、公開制を削除しちゃったわけです。公開は各教育委員会の判断に任せるという、それが答弁ですよ、政府答弁。例えばそういうこと。それから、先ほど言った教育長と教育委員長を一緒にしちゃったとか、それから、これはなかなか難しい点はありますけれども人事権ですね、市町村教育委員会が持っていた教員の人事権を都道府県教育委員会に吸い上げるといいますか、そういうことをやる、それから、教育長の任命承認制を導入すると。
 つまり、先ほど私が言いました教育委員会の三原則なら三原則と言うかな、当初のですね、これは確かにそのとき十分に開花したとはとても言えません、公選制時代にですね。とても言えません。そんな状況もなかったわけですけれども。やっぱりそれを粘り強く、何といいますか、少しでも発展させていく方向じゃなくて、残念ながら地教行法と教育委員会法を比べてみれば、確かに一定程度整備されている部分もありますけれども、大事な部分は私はずっと後退、三原則という点では後退してしまったと。
 そういう制度的な要因の問題と、それからそれと深い関係を持っている意識の面とか運用の面。制度問題の一つ、制度問題を考えるときの本当に難問は、どの制度もそうかもしれませんけれども、やっぱりその制度自体が持つ、そこに内包し内在している問題というのはどういうものなのかと。しかし、どんな制度もそれを運用するのは運用主体であって、その主体の意識、力量、それから情熱、使命感、そういうものはもちろんあるというようには思うんですね。
 今回のこの議論というものは、例えば大津のあれを契機にしたというふうに言われていますけれども、しかし、これは大津のあれで言えば第三者検証委員会が明らかにしているとおり、直接的なやっぱり大きな問題は、教育長、事務局、これが教育委員にも、ほかの、もちろん首長にもそうだったと思いますけれども、この大問題についてきちっと情報を報告をし、教育委員会を招集するように教育委員長に連絡するとか、そういうのをやっぱりやっていなかったというですね。
 つまり、言ってみれば、今日の教育委員会制度というものがやっぱり教育長を中心的なものとして動いてきて、その要因になったのは、私は繰り返し言っていますけれども、本来、教育委員というのはやっぱり首長とともに住民から選ばれる、あるいは何らかの形で住民代表性を持って、推薦制にしろ何でもいいですよ、様々な形で持つということを、住民代表性を欠いてしまった場合には、これは、ここにいらっしゃる議員の方々だって恐らく御自分の中にある一つの誇りとか使命感というのは、やっぱり国民から選ばれたという、これは確かに大事なプロセスであり契機だと思うんですね。ならば、何も首長だけが住民代表というふうなシステムに終わらせないで、教育委員や、特に今行政委員会の最も重要なあれは憲法九十三条にもちゃんと明記されているわけですから、議員や首長以外に、地方の吏員は。やっぱり住民の公選にするという規定もあるわけですから、唯一のそれが教育委員会の公選制だったので、ほとんど、農業委員会は若干あれです。私は本当に強く思います。
 それを強く実感したのは、今から三十年近く前になるんですけれども、十五、六年続いた、これは皆さんの中にはもちろん評価の議論はあると思いますけれども、私は身近にいてずっと見てきたんですけれども、やっぱり中野の教育委員の準公選だったというふうに思うんです。あの委員たちはなぜあんなに一生懸命やったのかというと、直接的に言っていますよね、保守の方も言っています。やっぱり自分が住民から推薦されたというこの力は自分の意識を変えさせたというようなことを、恐らく自民党系とか保守系の、これは産婦人科の第一期のお医者さんでありましたけれども。
 私の実はあるイメージにあるのは、あれなんですね、ですからオルタナティブの一つの選択肢としては、やっぱり現在あるもう今の状況というのはもっと、何といいますか、それができるある種の条件というのはあるような気もするんですけれども、そんなふうに考えていますね。

○田村智子君 次に、今田参考人にお聞きをしたいんですけれども、今田参考人は、最初の資料のところで教育委員に机も椅子もないのかということで、まずその机と椅子をそろえさせた。実は、私たちも、やっぱり教育委員が本当にその役割を果たす上で余りにもそういう当たり前の条件も整えられていないじゃないか、全く同じ意見を持って、改革の提言を出したときに、机も椅子もパソコンも資料の置場もないと、これでいいのかというのを問題提起しておりまして、今田参考人とは立場はいろいろ違うんですが、そこは共通するところがあるなという思いでお聞きをしておりました。
 それで、お聞きしたいのは、先ほど総合教育会議、これはなかなか絵に描いた餅になってしまうんじゃないかという危惧をお持ちなんだなということがよく分かったんですね。やはり非常に多忙な首長さん、教育長さんも今度は教育委員長の職務も兼ねると、教育委員会を代表する、一層多忙になるということは、これは目に見えているわけです。
 そうすると、そういう方が集まって、教育委員も集まって、本当にかんかんがくがくの議論で大綱というものを作ることができるんだろうかと。もしそれがしっかりとした議論が物理的に取れないというような状態になって形式的な議論で決定されるようなことになれば、これは作られたもので一応協議が調ったとみなされたものは尊重義務が生じるので、教育委員会、教育長はこれを執行しなければならなくなっていきます。そうすると、形式的な議論でそうなっていくと、やはり結果として教育委員会の役割は今よりも薄まりかねないんじゃないかなというのは、具体に即したお話を聞いて非常に危機感を感じたんですけれども、今田参考人、現状と照らしてどうでしょう。御意見をお聞きしたいと思いますが。

○参考人(今田忠彦君) 法案を作るに当たっては、きっと文科省の方もオールジャパンでいろんな事例を見てこういうことに、総合教育会議の必要性というものを感じられたんだろうというふうに思います。
 私ども横浜の場合に言わせていただくと、先ほどから大島先生の話にも少し歯切れの悪い答弁を申し上げたんですけれども、多少ともそれなりの機能をしていると。何をもって機能しているかというのはなかなか難しいんですが、二十七万人の児童生徒がいて一万六千人の先生がいますから、何らかのことがあることはありますけれども、それなりに機能しているという立場からすると、お国の方はこういうオールジャパンの観点から定められたんでしょうけれども、横浜の場合は正直少しちょっと煩わしいなという気は正直しています。
 ただ、一方で、これを、教育長になる人は、本当に今も多忙なのに、先生がおっしゃったように、教育委員会を仕切っていく、会議をリードしていくということになると、これはなかなか正直大変だろうなと。今は、教育委員会の会議は私なんかの方がリードする立場ですから、そのときは少し、聞く役ではないですけれども、比較的ゆっくりなところがあるわけですけれども、これからはそれも、今度は我々もまた違った角度でいろいろ意見を言っていくようなことになるとなかなか大変になるなというふうに思います。

○田村智子君 ありがとうございます。
 岸参考人、よろしいでしょうか。お聞きしたいんですけれども。
 とても、学校の運営の中に、学校の中に本当に住民の皆さん、保護者の皆さんが関わっていくというのはすばらしい取組だなということで経験をお聞きしていました。
 私は、教育委員会もやはりそうあってこそ活性化するだろうと。いかに住民の意向、保護者の意向、学校の中で起きている問題というのに、そこにアンテナを張って、上から来る、文科省から来る、何というか、通知とかそういうところではなくて、いかに現場の問題を酌み取って、そしてそれを教育長さんとか首長さんとかにも提起ができるだろうか、ここに教育委員会が懸かっているんじゃないかというふうに考えているんですね。
 そういう意味で、今の教育委員会の制度をより良くしていく、活性化していくためにどんなことが必要か、御自身の経験からでも構いませんので、御意見をお聞かせいただきたいと思います。

○参考人(岸裕司君) やっぱりマネジメントだと思うんですね。マネジメントも、例えば教育委員会の中に大きく分けると学校教育部署と社会教育部署、この反りが悪いんですよ。何で同じ教育委員会なのに、僕は行政内融合と言っているんですが、又は首長部局と教育委員会と、例えば首長部局に青少年何たらかんたら部署があって、そこで市民のメンツ同じ人を集めて何かイベントをやるんですよ。教育委員会も同じようなことをやるんです。つまり、マネジメント、チープガバナンス、ここですよね。これができる体制なのかどうか。それは、やっぱりずっと住んでいる住民として見て、おかしいのいっぱいありますよ。
 それともう一つは、やはり議員さん皆さんが国会で法律作るんだけれども、ますます先生忙しくしているわけですよ。例えば、食育基本法を作る。それから、今食べ物アレルギー問題、食べ物アレルギー、クラスに一人子供がいたら、給食のときに先生、担任一人がみんな注意するんですよ、全ての食べ物を。実際に亡くなった方がいたから。いじめでしょう。この四月からまた学校内組織をつくって忙しくしているんですよ。そういう声が届かない。
 だから、百七十人側にいる保護者や地域住民が学校の中に入って、先生の声なき声を我々が理解して、多数側の方が先生を応援しなかったら、究極的な子供の教育は良くならない、ここなんですよ。多数決民主主義ですから。地域は多数決できないんです。五十一人が賛成したら四十九人切っていいかといったら、そんなことはできないんですよ、地域は。
 だから、コミュニティ・スクールという権限と責任を担うことを我々が経験して、江戸時代に戻ることはできないけれども、江戸時代には我々の庶民の子供の教育は寺子屋がやっていたんですから、それをあえて取り戻そうと。又は、明治二年に京都が番組小学校を造った。金も含めてみんな町民が出したわけですよ、六十四の学校も造った。それ以降、お上に全部預けて百四十二年来ちゃったのが僕は義務教育学校の在り方だったと思うんです。それを根本的に変えようという時代が今だと思います。
 ですから、住民も変わらなきゃいけないけれども、教育委員会の職員もやっぱり変わっていただきたいと思います。

○田村智子君 ありがとうございました。