【11.05.23】行政監視委員会――原発問題での参考人質疑
京都大学原子炉実験所助教 小出裕章さん
(未定稿)
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○委員長(末松信介君) 行政監視、行政評価及び行政に対する苦情に関する調査を議題といたします。
本日は、原発事故と行政監視システムの在り方に関する件について参考人の皆様方から意見を聴取した後に質疑を行います。
御出席をいただいております参考人は、京都大学原子炉実験所助教小出裕章さん、芝浦工業大学非常勤講師後藤政志さん、神戸大学名誉教授石橋克彦さん及びソフトバンク株式会社代表取締役社長孫正義さんの四名でございます。
この際、参考人の皆様方に一言御挨拶を申し上げます。
本日は、大変御多忙のところ当委員会に御出席をいただきまして、本当にありがとうございます。
参考人の先生方また孫社長様の御意見等につきましては、集約した資料を調査室が作成をいたしまして、それぞれ委員にお配りをいたしています。
今日は、先生方から、今日まで取ってきた政府の原子力の発電所の事故に対して改善すべき点はないのかどうかという点、あるいは日本の原子力について、エネルギー行政についてどうかということについて、積極的かつ、批判的な御意見でも結構であります、御忌憚のない御意見を述べていただければと思います。
委員一同重く受け止めますので、どうぞよろしくお願いを申し上げます。
議事の進め方でございますが、小出参考人、後藤参考人、石橋参考人及び孫参考人の順にお一人十五分程度御意見をお述べいただき、その後、午後四時ごろまでをめどに質疑を行います。
なお、御発言は着席のままで結構でございます。
それでは、まず小出参考人にお願いをいたします。
○参考人(京都大学原子炉実験所助教 小出裕章君) では、始めさせていただきます。(資料映写)
私の今日の資料はこちらに見ていただきながら話を進めたいと思いますし、皆さんお手元に資料が既に配られていると思いますので、それを御覧いただきながら聞いてください。
今日は、原子力をこれまで進めてきた行政に対して一言私は申したいことがあるということでここに伺っています。
まず、私自身は原子力に夢を抱いて原子核工学科というところに入った人間です。なぜそんなことになったかというと、原子力こそ未来のエネルギー源だと思ったからです。無尽蔵にあると、石油や石炭は枯渇してしまうから将来は原子力だということを信じてこの場に足を踏み入れた人間です。ただし、入ってみて調べてみたところ、原子力というのは大変貧弱な資源だということに気が付きました。
今、これからこのスライドに再生不能エネルギー資源というものの量を順番にかいていこうと思います。
まず、一番多い資源は石炭です。大変膨大に地球上にあるということが分かっています。ただし、今かいた四角は究極埋蔵量です。実際に経済的に掘れると分かっているのは確認埋蔵量と言われているものなわけですが、この青い部分だけだということになっています。
では、この四角が一体どのくらいのことを意味しているかというと、右の上に今ちいちゃな四角をかきましたが、これは世界が一年ごとに使っているエネルギーの総量です。ということは、石油の現在の確認埋蔵量だけでいっても数十、数字で書きますとこんなことになりますが、六十年、七十年はあるし、究極埋蔵量が全て使えるとすれば八百年近くはあるというほど石炭はたくさんあるということが分かっています。その次に、天然ガスもあることが分かっている。石油もある。そして、オイルシェール、タールサンドと言っている現在は余り使っていない資源もあるということが既に分かっているわけです。
そして、私自身は、こういう化石燃料と呼ばれているものがいずれ枯渇してしまうから原子力だと思ったわけですが、原子力の資源であるウランは実はこれしかないのです。石油に比べても数分の一、石炭に比べれば数十分の一しかないという大変貧弱な資源であったわけです。ただ、私がこれを言うと、原子力を進めてきた行政サイドの方々は、いや、それはちょっと違うんだと。そこに書いたのは核分裂性のウランの資源量だけを書いたろうと。実は、自分たちが原子力で使おうと思っているのは核分裂性のウランではなくてプルトニウムなんだと言うわけです。つまり、非核分裂性のウランをプルトニウムに変換して使うからエネルギーとして意味があることになるということを言っているわけです。
どういうことかというと、こういうことです。まず、ウランを掘ってくるということはどんな意味でも必要です。それを濃縮とか加工という作業を行って原子力発電所で燃やすと、これが現在やっていることなわけです。しかし、これを幾らやったところで、今聞いていただいたように原子力はエネルギー資源にならないのです。そこで、原子力を推進している人たちは、実はこんなことではないと言っているわけですね。ウランはもちろん掘ってくるわけですけれども、あるところからプルトニウムというものにして、高速増殖炉という特殊な原子炉を造ってプルトニウムをどんどん増殖していくと。それを再処理とかしながら、ぐるぐる核燃料サイクルで回しながらエネルギー源にするんだと言ったわけですね。最後は高レベル放射性廃物という大変厄介なごみが出てきますので、それをいつか処分しなければいけないという仕事を描いたわけです。
ただ、プルトニウムという物質は地球上には一滴もありませんので、仕方ないので現在の原子力発電所から出てくるプルトニウムというのを再処理して、高速増殖炉を中心とする核燃料サイクルに引き渡すという、こういう構想を練ったわけです。
しかし、この構想の一番中心は高速増殖炉にあるわけですが、この高速増殖炉は実はできないのです。日本の高速増殖炉計画がどのように計画されて破綻していったかということを今からこの図に示そうと思います。
横軸は一九六〇から二〇一〇まで書いてありますが、西暦です。何をこれからかくかというと、原子力開発利用長期計画というものができた年度を横軸にしようと思います。縦軸の方は一九八〇から二〇六〇まで数字が書いてありますが、これはそれぞれの原子力開発利用長期計画で高速増殖炉がいつ実用化できるかというふうに考えたかというその見通しの年度を書きます。
原子力開発利用長期計画で一番初めに高速増殖炉に触れられたのは、第三回の長期計画、一九六八年でした。そのときの長期計画では、高速増殖炉は一九八〇年代の前半に実用化すると書いてあります。ところが、しばらくしましたら、それは難しいということになりまして、次の原子力開発利用長期計画では、一九九〇年前後にならないと実用化できないというふうに書き換えました。それもまたできなくて、五年たって改定されたときには、高速増殖炉は二〇〇〇年前後に実用化すると書き換えたわけです。ところが、これもできませんでした。次の改定では、二〇一〇年に実用化すると書きました。これもできませんでした。次は、二〇二〇年代に、もう実用化ではありません、技術体系を確立したいというような目標に変わりました。ところが、これもできませんでした。次には、二〇三〇年に技術体系を確立したいということになった。では、次の長期計画ではどうなったかというと、実は二〇〇〇年に長期計画の改定があったのですが、とうとうこのときには年度を示すこともできなくなりました。私は、仕方がないので、ここにバッテンを付けました。そしてまた五年後に長期計画が改定されまして、今度は原子力政策大綱というような大仰な名前に改定されましたが、その改定では二〇五〇年に一基目の高速増殖炉をとにかく造りたいという計画になってきたわけです。
皆さん、この図をどのように御覧になるでしょうか。私は、ここに一本の線を引きました。どんどんどんどん目標が逃げていくということを分かっていただけると思います。これ、横軸も縦軸も一升が十年で、この線は何を示しているかというと、十年たつと目標が二十年先に逃げるということなのです。十年たって目標が十年先に逃げたら絶対にたどり着けません。それ以上にひどくて十年たつと二十年先に目標が逃げているわけですから、永遠にこんなものにはたどり着けないということを分からなければいけないと私は思います。
ところが、こういう長期計画を作ってきた原子力委員会というところ、あるいはそれを支えてきた行政は一切責任を取らないということで今日まで来ているわけです。
日本は「もんじゅ」という高速増殖炉の原型炉だけでも既に一兆円以上の金を捨ててしまいました。現在の裁判制度でいうと、一億円の詐欺をすると一年実刑になるんだそうです。では、一兆円の詐欺をしたら何年の実刑を食らわなければいけないんでしょうか。一万年です。原子力委員会、原子力安全委員会、あるいは経産省、通産省等々、行政にかかわった人の中で「もんじゅ」に責任のある人は一体何人いるのか私はよく知りません。でも、仮に百人だとすれば、一人一人、百年間実刑を処さなければいけないという、それほどのことをやってきて結局誰もいまだに何の責任も取らないままいるという、そういうことになっているわけです。原子力の場というのは大変異常な世界だと私には思えます。
次は、今、現在進行中の福島の事故のことを一言申し上げます。
皆さんは御存じだろうと思いますけれども、原子力発電というのは大変膨大な放射能を取り扱うという、そういう技術です。今ここに真っ白なスライドがありますが、左の下の方に今私は小さい四角をかこうと思います。──かきました。これは何かというと、広島の原爆が爆発したときに燃えたウランの量です。八百グラムです。皆さんどなたでも手で持てるという、そのぐらいのウランが燃えて広島の町が壊滅したわけです。
では、原子力発電、この電気も原子力発電所から来ているわけですけれども、これをやるために一体どのくらいのウランを燃やすかというと、一つの原子力発電所が一年動くたびに一トンのウランを燃やす、それほどのことをやっているわけです。つまり、それだけの核分裂生成物という放射性物質をつくり出しながらやっているということになります。
原発は機械です。機械が時々故障を起こしたり事故を起こしたりするというのは当たり前のことです。原発を動かしているのは人間です。人間は神ではありません。時に誤りを犯す、当たり前のことなわけです。私たちがどんなに事故が起きてほしくないと願ったところで、破局的事故の可能性は常に残ります。いつか起きるかもしれないということになっているわけです。そこで、では原子力を推進する人たちがどういう対策を取ったかというと、破局的事故はめったに起きない、そんなものを想定することはおかしいと、だから想定不適当という烙印を押して無視してしまうということにしたわけです。
どうやって破局的事故が起きないかというと、これは中部電力のホームページから取ってきた説明の図ですけれども、たくさんの壁があると、放射能を外部に漏らさないための壁があると言っているのですが、このうちで特に重要なのは、第四の壁というところに書いてある原子炉格納容器というものです。巨大な鋼鉄製の容器ですけれども、これがいついかなるときでも放射能を閉じ込めるという、そういう考え方にしたわけです。
原子炉立地審査指針というものがあって、その指針に基づいて重大事故、仮想事故という、まあかなり厳しい事故を考えていると彼らは言うわけですけれども、そういう事故では格納容器という放射能を閉じ込める最後の防壁は絶対に壊れないという、そういう仮定になってしまっているのです。絶対に壊れないなら放射能は出るはずがないということになってしまいますので、原子力発電所はいついかなる場合も安全だと。放射能が漏れてくるような事故を考えるのは想定不適当、そして想定不適当事故という烙印を押して無視するということにしたわけです。
ところが、実際に破局的事故は起きて、今現在進行中です。大変な悲惨なことが今福島を中心に起きているということは、多分皆さんも御承知いただいていることだろうと思います。ただ、その現在進行中の事故にどうやって行政が向き合ってきているかということについても、大変不適切な対応が私はたくさんあったと思います。
防災というものの原則は、危険を大きめに評価してあらかじめ対策を取って住民を守ると。もし危険を過大に評価していたのだとすれば、これは過大だった、でも住民に被害を与えないでよかったと胸をなで下ろすという、それが防災の原則だと思いますが、実は日本の政府がやってきたことは、一貫して事故を過小評価して楽観的な見通しで行動してきました。国際事故評価尺度で当初レベル4だとかというようなことを言って、ずっとその評価を変えない。レベル5と言ったことはありましたけれども、最後の最後になってレベル7だと。もう余りにも遅い対応の仕方をする。
それから、避難区域に関しても、一番初めは三キロメートルの住民を避難指示出す。これは万一のことを考えての指示ですと言ったのです。しかし、しばらくしたら今度十キロメートルの人たちに避難指示を出しました。そのときも、これは万一のことを考えての処置ですと言ったのです。ところが、それからしばらくしたら二十キロメートルの人たちに避難の指示を出す。そのときも、これは万一のことを考えての指示ですというようなことを言いながら、どんどんどんどん後手後手に対策がなっていったという経過をたどりました。
私は、パニックを避ける唯一の手段というのは正確な情報を常に公開するという態度だろうと思います。そうして初めて行政や国が住民から信頼を受ける、そしてパニックを回避するのだと私は思ってきたのですが、残念ながら日本の行政はそうではありませんでした。常に情報を隠して、危機的な状況でないということを常に言いたがるということでした。SPEEDIという百億円以上のお金を掛けて、二十五年も掛けて築き上げてきた事故時の計算コード、それすらも隠してしまって住民には知らせないというようなことをやったわけです。
それから、現在まだ続いていますが、誰の責任かを明確にしないまま労働者や住民に犠牲を強制しています。福島の原発で働く労働者の被曝の限度量を引き上げてしまったり、あるいは、住民に対して強制避難をさせるときの基準を現在の立法府が決めた基準とは全く違ってまた引き上げてしまうというようなことをやろうとしている。本当にこんなことをやっていていいのだろうかと私は思います。
現在進行中の福島の原発事故の本当の被害って一体どれだけになるんだろうかと、私は考えてしまうと途方に暮れます。失われる土地というのは、もし現在の日本の法律を厳密に適用するなら、福島県全域と言ってもいいくらいの広大な土地を放棄しなければならなくなると思います。それを避けようとすれば、住民の被曝限度を引き上げるしかなくなりますけれども、そうすれば、住民たちは被曝を強制させるということになります。
一次産業は、多分これから物すごい苦難に陥るだろうと思います。農業、漁業を中心として商品が売れないということになるだろうと思います。そして、住民たちはふるさとを追われて生活が崩壊していくということになるはずだと私は思っています。
東京電力に賠償をきちっとさせるというような話もありますけれども、東京電力が幾ら賠償したところで足りないのです。何度倒産しても多分足りないだろうと思います。日本国が倒産しても多分あがない切れないほどの被害が私は出るのだろうと思っています、本当に賠償するならということです。
最後になりますが、ガンジーが七つの社会的罪ということを言っていて、彼のお墓にこれが碑文で残っているのだそうです。一番初めは、理念なき政治です。この場にお集まりの方々は政治に携わっている方ですので、十分にこの言葉をかみしめていただきたいと思います。そのほかたくさん、労働なき富、良心なき快楽、人格なき知識、道徳なき商業と、これは多分、東京電力を始めとする電力会社に私は当てはまると思います。そして、人間性なき科学と、これは私も含めたいわゆるアカデミズムの世界がこれまで原子力に丸ごと加担してきたということを私はこれで問いたいと思います。最後は献身なき崇拝と、宗教をお持ちの方はこの言葉もかみしめていただきたいと思います。
終わりにします。ありがとうございました。
○委員長(末松信介君) 小出参考人、ありがとうございました。
次に、後藤参考人、お願いいたします。
芝浦工業大学非常勤講師 後藤政志さん
○参考人(芝浦工業大学非常勤講師 後藤政志君) 後藤でございます。よろしくお願いいたします。
私は、一九八九年からなんですが、十数年にわたって東芝で原子力プラント、特に原子炉格納容器の設計に携わってまいりました。原子炉格納容器と申しますのは、放射性物質を外に出さない、事故のときに閉じ込めるという容器でございます。その設計を担当しておりました。その立場から、原子力事故、今回の事故及び原子力事故というのはどういうものであるかということを若干お話をさせていただきます。(資料映写)
原子力安全のシステムを考えますと、福島第一原発に限らないんですけれども、よく言われますように、原子炉を止める、止めるというのは核反応を止めるという意味です。制御棒というのがありまして、それが燃料棒の間に入りますと核反応は一旦止まります。しかし、今回止まったわけです、福島の第一、一号から三号全部ですね。ですけど、これが実は止まったというのは運がいいという面があるんです。既に何回も制御棒の事故を起こしている。地震で制御棒が必ず入るとは断言できなかったんです。今回は良かったということなんです。
それは、福島第一原発の三号とか志賀一号で臨界事故というのを起こしています。ちょっと先へ回しますと、次のページにリストがあるんですけど、十数件にわたって制御棒が脱落あるいは誤挿入、つまり制御棒をコントロールを失った事故があって、しかもそれは二十年以上にわたって隠されていたんです。そのうち二件は臨界に達している。臨界というのは、予期せずに核反応が進むわけです、原子炉の中で。これはとんでもない話なんですね。
私は、原子力の仕事に携わったときに、制御棒だけは絶対事故を起こさないというふうに確信、確信というより周りからそう言われていましたし設計者もそう言っていましたから、これだけはないだろうと思っていたんですね。ところが、二〇〇〇年代になったらこれだけ分かってきたわけです。この段階で私は、格納容器の問題もありましたけど、制御棒でこれだけの事故を起こすということは、これは原子力成立しない、技術的にというふうに思いました。
さて、次ですが、今回は制御棒はうまく入ったわけです。で、冷やす、閉じ込めるということになりますが、冷やすという意味は、原子炉を止めましてもその後、崩壊熱と申しまして、ずっと長期にわたって、一年オーダーにわたって冷やし続けないと燃料が溶けてしまいます。今回は冷やそうとしたんですけど、地震で電源が来なくなって、津波あるいはそのほかの原因もあると思いますけれども、機器類、ポンプ類が動かなくなった。それで、特に水没したものもございますから、それによって多重、つまりいっぱい付けてある機械類が、全部ポンプ類が動かなくなって冷却ができなくなった、こういうことになります。
それで、炉心、つまり燃料がだんだん水面に出てきて溶けてくるわけですね、中から熱が物すごく出てますので。その熱で水蒸気と反応して、被覆管というんですけれども管があって、そこから水素が出て、今回爆発等も起こりました。この事故の経緯で、最近メルトダウンとかいう話、初めて出しましたけど、これはもう十一日か十二日の段階、三月の十二日の段階で炉心の損傷、炉心の冷却ができなくなっていて格納容器の圧力も相当に上がっている、この段階でほぼもうこういう道に行くのは間違いないという形だったわけですね。
炉心、つまり圧力容器も壊れ、非常に不安定な状態で、それでもずっと何とか必死で作業を通じて冷却を維持してきた。今でも不安定なんです。原子力プラントの中のシステムで冷やしているわけじゃないんです。外から付け足して、一部回復した部分ございますけど、基本的には、装置が駄目になったので外から人海戦術で何とか維持してきてここに来ていると、そういう不安定な状態だということです。しかも、閉じ込め機能も失っています。
これを設計の方から申しますと、こういうふうに、大きく見まして、設計の想定の範囲とそれから制御不能な範囲というふうに考えますと、通常状態とか過渡状態とか事故と書いていますけど、要は、そのある事故ですね、冷却材喪失事故というのは、水が出ちゃうとかそれから電源がなくなるとか、そういうことも原子力プラントは当然考えているんです。そこでこういうふうに設計しているんですが、今回のように、止める、冷やす、閉じ込めるという機能を、地震、津波、そのほかの、多分これは機器の故障、それから人為的なミスも絡むと思います、それでここに書いたのは、シビアアクシデントといういわゆる制御不能な状態になる、これが今回の事故なんですね。こうなりますと、水素爆発とか水蒸気爆発とか再臨界とか、非常に危機的な問題を生みます。
図で御説明申し上げますと、炉心が溶けて落ちますと、それが圧力容器、厚さ十数センチの厚い容器の中に落ちます。ここで冷却ができなければそのまま溶けて下に落ちます。更にここで冷却できないと、そのままコンクリートを侵食してどこまでも行く、これをブラックジョークですけどチャイナ・シンドロームといっておりますね。この段階で冷却をするために水を入れます。水を入れますと、溶融物、非常に高温の溶融物に水が接触すると水蒸気爆発の危険性が極めて高いんです。これは火山においてマグマが水と接触したときの爆発です。こういう現象を起こします。更に冷却をしていきますと、その段階で冷却がうまくいけばいいんですけど、ここにありますように流れていきますと、格納容器の鋼板、鉄板ですね、大体厚さ二、三十ミリなんですが、それを溶かしてしまいます。そういう壊れ方もあると。これは事故ですから、どのプロセスへ行くかはその経過によって変わります、当然。ですけど、どれを行ってもおかしくなかった。
今回は、ここの、少なくとも水蒸気爆発ですね、これは起こっていない、水素爆発は起こりました。何かといいますと、中の水素が格納容器のあるところから出まして、上で爆発したんです。これがもし格納容器の中で爆発現象を起こしていて、そのまま格納容器が破壊していたときには、今の桁違いの被害になります。今回は、格納容器はまだ、一部損傷していますけど、爆発的に全部出たんではないんですね。爆発は建物の、つまり格納容器の上で爆発して、一部出ていた放射能が飛んだだけ、そういう関係になります。
原子力技術の特徴について申し上げます。
私の理解では、非常に技術が細分化している、これは全般の原子力に限らない面もあるんですけれども、特に原子力においては、全体像が把握しにくい、技術者はなかなか周囲の仕事を知らない形になってしまう。そうしますと、設計の段階での監理、設計の、どういうふうに変更するかとか、設計したものがこれでいいのかという、デザインレビューとかいうんですけど、いろんな分野の人間が集まってそれを審査したりする。そういうことをやってきているんですけど、どうしても技術というのは、非常に危機感を持って、例えば事故が起こるとか安全はどうだということを考えながらデザインレビューしていれば意味がありますけれども、こんな事故は起こるはずないと思ったデザインレビューというものは形骸化します、形式的にやるだけなんです。私の経験している中でも最初のころはかなりデザインレビューがしっかりしていた、それから五年、十年たつに従って非常に形骸化していった、そういうふうに思います。これは安全審査についても言えます。そういう形で、どうも見ていますと、技術の分かる専門技術者が本当にいるのか、審査にという印象を受けます。
それからさらに、事故が多発しているということです。これは軽水炉、つまり今回の福島の事故に限らない。軽水炉と申しますのは沸騰水型と加圧水型の二種類ございますけれども、今日本で使われている通常の発電所の原子炉で、今回の事故だけではなくていろんなところで事故が多発している。
細かいことは省略しますけど、同じく高速増殖炉「もんじゅ」も実用化していないどころかトラブルの連続。一部燃料棒を交換するために、燃料を交換するために入れた装置が、機械がちょっと引っかかっちゃった、それで落っこっちゃったんですね。ちょっと傷ついたわけです。それを持ち上げようと思ったら、引っかかって上がらない。普通、機械ではよくあることです、そんなものは。一週間もありゃ直ります。ですけど、それはナトリウムがあるから見えない。出そうと思うと、燃料を出せばいいんですけど、燃料はナトリウムの中にないと危ないので、そうすると、それを出すための装置が壊れている、何もできないという状態が半年、一年続くんです。こんなのは技術じゃないんですね。設計の立場からいったら、何を考えているのか。そんなこと、一つのものが壊れて何もできないのは技術じゃありません。設計の立場からそういうふうに見えますということなんですね。
それからもう一つは、やはり安全設計と被曝労働、これは問題がある。被曝を前提にした安全設計というのは私は非人間的だと思います。五分で行ってきて入ってやるわけですね。そのときに、仮にそれが、そういうやり方がいいとしても、難しいのはコントロールができないんですよ。確実に被曝をあるオーダーに抑えるなんて、そんなことは私は信じられません、人間というのはどうしてもミスもありますし。そういうことを考えますと、これはとても私は人間的な労働だとは思えません。
それから、処分ができない大量の放射性物質、これもよくトイレなきマンションと言われています。
さて、現在の事故をどう見るかといいますと、炉心を冷却、続けています。確かに現在、全
体の温度は百何度とか百数十度オーダーまで落ちてきています。ですけど、まだ依然として、もし冷やすことをやめればそのまま進むわけですね、事故は。そういう関係になっている。
しかも、溶けた溶融物が、メルトダウンしたと言いましたね、そうしますと、圧力容器の中にあるのか格納容器の中にあるのかすらはっきりしない。全く中は分かっていないんです。ただし、水を入れたら、何か冷えているらしい。つまり、技術的に見ますと、ちゃんとした、分かってコントロールできているわけじゃないんです。そうであろうといった推測でやっている。これは、最初のメルトダウンと言ったのがよく分かりますよね。最初に全く、炉心、一部燃料損傷と言っていたのがメルトダウンだった。これだけ違うわけですから、今の状態に対してどれだけ責任を負えるんですか。中を見れるんですか。圧力温度は正しいんですか。どれ一つ私は疑ってみざるを得ないという状態にあるわけですね。
もちろん、今の状態が以前よりは少し楽になってきているのは明らかです。ですけど、事故というのはそういうところから、思わぬところから発展して大きな事故になるわけです。そうしますと、これからもずっと安定させてやることがいかに難しいかということを言っているわけです。
あと、同時に、一号機、二号機、三号機とも格納容器が損傷しています。格納容器が損傷していることは、そのまま放射能が外に出ているということです。外に出ています既にたまった十万トンに近い放射性物質を帯びた水が海や地下水に漏れ続けているんです。これは今、大量に、めちゃくちゃに漏れているとは申しません、もちろんコンクリがありますからね。ですけど、容器じゃないんです。格納容器のように閉じ込め機能を持っていないんです。ですから、コンクリートが割れたらそこから行きますし、土のところから行く、流れていくわけです。そうすると、現在は大なり小なり放射性物質を垂れ流している状態が続いていると、そういう認識です。それは、何とか早く既存の陸上タンクなり、メガフロートかバージでもいいです、格納機能を持ったところに入れる方が先決だと思います。その上で処理をすべきと思います。
原子力の技術について考えますと、どれも究極の選択になっている。先ほど申しましたように、冷却しようとする。冷却に失敗すると、失敗するといいますか、水を入れると水蒸気爆発を起こす。あるいは、格納容器がそうなんですが、今回、格納容器の圧力が上がり過ぎたのでベントすると。どういうことかと申しますと、格納容器は放射能を閉じ込めるための容器ですから、それをベントするという意味は、放射能をまき散らすということを意味しているんです。つまり、このままほうっておくと格納容器が爆発しちゃう、最悪だと。だけど、漏らすということは、逆に放射能を出すんですよ、そのまま。人に向けて放射能を出しているんですよ、これは。何でその認識がないかということなんです。そのときに、格納容器のベントをするということの意味をどれだけみんなが分かっていたかということなんです。そこは非常に重たい問題なんです。特にこの問題は説明が非常に私は間違っていると思います。きちんとした説明していないと思います。
また、安全をどう見るかですが、状況が把握できないということは非常に問題だということ。もう一つは、安全性の哲学といいますか、安全の考え方が不在だというふうに思います。確実でないことを安全とは言えませんので、多分大丈夫だとか危険な兆候がないからいいだろうとか、グレーゾーン問題と呼んでいるんですが、こういう問題が論理的に起こり得ることは、いつ起こるか分からないわけですから、そうすると、そういう理屈の上で、ある形で起こり得る事故というのは論理的に起こり得るんですね。これは、その上に安全技術を築くのは砂上の楼閣だというふうに思います。
これ、グレーゾーン問題と申しますけれども、これはちょっと省略させていただきます。
福島の原発事故は直接的には地震と津波でした。ですけど、それに機器のトラブルとかあるいは人為的なミスが重なっているだろうと思います。そういうことから、最終的には事故解析やるわけですけど、基本的には自然条件の設定が間違っていたこと。津波は例えば何メートル、間違ったとして仮に対策をこれからするとしても、どれだけまでやればいいかというのは非常に問題です。地震も同じです。
また、たとえ津波や地震の一部対策をしても、それでこういうシビアアクシデントが起こらないかというと、そんなことはないんです。落雷でも台風でも竜巻でも、ある多重にどこかをやられてしまえば、あるいはそんな外的条件なしで、機器が故障してそれに人為的なミスが重なるとシビアアクシデントになります。つまり、シビアアクシデントは発生確率が小さいとして無視してきたんです、これが。これが最大の問題です。これは原子力安全委員会の責任が重大だというふうに私は思っています。また、シビアアクシデントは原子力の特性であって不可避であると。つまり、地震、津波はその入口であるというふうに理解しております。
これは規制のことで細かくは省略させていただきますが、一九九二年に既に原子力安全委員会で対策を取ることを言っていた。しかし、それは法的な規制をしない、民間の自主的な規制によると、こういう話でした。
図の上でちょっと概念を申し上げますと、横に時間、縦に出力といいますか、取りますと、通常のものは他のエネルギーシステムの場合には横にだんだん寝てきますけれども、原子力は赤のように立ち上がってくるわけです。それを途中で安全装置を働かせて抑え込むんです。その安全装置は何重にもなっています、確かに、四重にも五重にも。でも、それが全部突破されると、自然と原子力は駄目な方向に行ってしまうんですね、制御不能の状態になる。これが特性なんですね。これが原子力の特徴だと思います。
それを事故防止ができるかどうかということで、事故の発生防止とか事故の影響緩和とかを考えまして、どういう対策をしてもある確率で、確率は小さいけれどもそういう事故が起きてしまうという場合には、それは受忍できない技術だと。つまり、ある技術だったら全部使っていいわけじゃなくて、その技術は本当に大事故を防げるのか。防げないとしたら、起きたときの影響はどの程度か。それが受忍できない技術はやめるべきだと、そういう意味です。
したがいまして、我々は最悪の事故の可能性を考慮する必要がある。今度原子力事故を起こせば、日本は確実に壊滅すると私は思います。原子力をこれ以上進めるというのであれば、絶対にシビアアクシデントを起こさないことを証明する必要があります。工学的にはそのようなことは私は不可能だと考えています。つまり、危険な原発から段階的に止めるなりするしかない。そうしますと、完璧な事故対策を模索するというよりも、新たな分野へのエネルギーシフトの方がはるかに容易であろうというふうに考えます。
膨大な原子力予算を他の技術へ向ければ解決可能ではないか。あらゆる原子力関連の利権、そういうものを許してはいけない。そういうものからもう一度エネルギー政策全体を見直して原子力から脱却していくということが現実的だろうと思います。
以上です。ありがとうございました。
○委員長(末松信介君) もっとお時間が必要だと思います。後藤参考人、ありがとうございました。
次に、石橋参考人、お願いいたします。
神戸大学名誉教授 石橋克彦さん
○参考人(石橋克彦君) 石橋です。どうぞよろしくお願いします。
ちょっと私、目の手術をしてから日が余りたっていないものですから、ちょっとまだ見るのが不自由で、もたもたして少し時間をオーバーするかもしれません。あらかじめお許しください。
インターネット中継にはこういうスクリーンの方がよかったのかもしれませんけど、何か委員会の審議は基本的に紙ベースだと伺っておりましたので、私の資料は紙だけです。お手元にありますダブルクリップで留めたものです。資料一から七までと、それから追加が二点とじてあると思いますけど、時間が限られていますので、この一枚目のA4の「(要点)」と書いてあるレジュメに沿って御説明します。細かいところは、御関心があればまた後で質問していただければと思います。
まず、0と書いてあります。六年前、二〇〇五年の二月の二十三日の第百六十二回国会の衆議院の予算委員会の公聴会に私、出席しまして、原発震災というお話もいたしまして警鐘を鳴らしたつもりだったんですけれども、残念ながらこの国会の中ではそれが響かないで、役に立たなかったようで大変残念に思っておりますということを最初にちょっと言わせていただきます。今日の私の意見が多少なりともお役に立てばいいと願っております。
次に1.でありますけれども、福島第一原発の大事故は、大津波によって非常用ディーゼル発電機が全部死んでしまった、全電源喪失が起こって冷却ができなくなったからであるというふうに言われておりますけれども、実は、津波の前に地震の揺れそのもので重大事故が発生した可能性がかなり大きいと思います。これは非常に重要なことなんですけれども、殊更何かそれに触れないように社会の中ではされている感がありますので、ここで強調しておきたいと思います。
田中三彦さんという方が、既に四月の初めに発売されました岩波書店の「世界」の中に書いていらっしゃいますし、それから四月の末に発売された「科学」の中でも書いていらっしゃいますけれども、要するに、地震の激しい揺れによってまず一号機では配管の破損がどこかで生じたであろうと、それによって冷却材の喪失が起こった、つまり冷やすという機能が喪失した、これがメルトダウンにつながったという推定です。田中さんの議論は、東京電力から公開されておりますデータ、圧力容器の中の水位、圧力、それから格納容器の中の圧力、そういうデータを詳細に点検されての議論であります。
二号機では、地震の激しい揺れによって圧力抑制室に損傷が生じた可能性が大きい。これは閉じ込める機能が喪失されたわけです。これで放射能も漏出しますし、それから水素が漏れ出てそれが二号機の水素爆発につながったのであろうという、そういうことを田中さんは主張しておられます。
これは、私は地震学が専門でありますけれども、地震学的にも十分あり得ることです。東京電力から公表されております原子炉建屋の一番下の基礎版というところの揺れが、耐震設計で想定している揺れより、二号機、三号機、五号機の東西方向の揺れではそれをオーバーしています。それから、たしか十六日にほかの地震のデータも公表されましたけれども、地下の記録なんかでも、耐震設計の基準とする地震動を、これは今後更に分析してみなければ正確なところは分かりませんけれども、オーバーしていた可能性があります。
ただ、その想定より超えた度合いは二〇〇七年の柏崎刈羽のときに比べるとそれほど甚だしくはないんですけれども、超えているということ自体非常に重要ですし、今回地震学的に大変注目すべきことは、振動の時間が非常に長かったわけです。M九・〇という。地下で地震波を出している時間自体がべらぼうに長くて、三分ぐらい出していたんですけれども、それを受けた福島第一原発の揺れも非常に長時間続いたために、その長時間の繰り返しですね、繰り返し荷重というものによって損傷を起こしたことは十分考えられるわけです。
一方、非常に重要なことは、五つ目の黒ポツに書いてありますけれども、福島第一原発は、二〇〇九年に原子力安全・保安院と原子力安全委員会によって耐震安全性が確認されています。つまり、止める、冷やす、閉じ込めるという機能がちゃんと備わっているというふうに認められたわけです。ですけれども、今回それは誤りであった可能性が大きい。ですから、これはまだ断定はできませんけれども、この問題は非常に重要ですから厳重に議論する必要がある。
ところが、今のところはそこを何となく避けているようです。何か聞くところによりますと、本日、東京電力から何か発表があるみたいで、津波が来るまでは配管の破損なんかは生じなかったんだというような発表があるようなことをちらっと聞きましたけれども、とにかくこれはもう公開の場で厳重に議論されなければなりません。
想定の揺れを既に超えているということ自体、二〇〇六年に改定された耐震設計審査指針に問題があるということを意味していますし、それから、もしその重大事故が地震の揺れで起こったとすればなおさらのこと、全国の原発の耐震バックチェックというのが二〇〇六年、二〇〇七年以降行われておりますけれども、それの審議のプロセス及びその結果、その信頼性が失われるわけで、これは全部やり直す必要が出てまいります。
それから、二番目ですけれども、二ポツ、三月三十日に原子力安全・保安院が電力会社に指示を出しまして、全国の原発について津波の緊急安全対策をするようにという指示を出しました。これは、全国の原発が福島第一原発のような大津波を被って全電源喪失、全交流電源喪失というような事態になっても大丈夫なように緊急安全対策をしなさいということで、全部の電力会社が電源車を用意したり、それから高いところに応急的な貯水槽を設けたり、ホースをたくさん用意したり、それを操作する訓練をしたり、そういうことをやっていまして、これでその安全性がまた格段に上がったようなことが言われていますけれども、この一連の事態は非常に大きな問題を含んでいます。
二つありまして、一つは先ほど言いました第一点の問題を無視していることです。津波対策だけすれば大丈夫だなんてものではないわけで、耐震設計審査指針を見直してバックチェックもやり直さなければ安心とは言えません。それから二つ目の問題としては、保安院自らが全国の原発で大津波と全電源喪失ということを想定しなさいと言ったわけですけれども、そういうことを想定すること自体が原子炉立地審査指針というものに反しています。
この原子炉立地審査指針というのが資料三に一枚紙で付いておりますけれども、これは一連の安全審査指針類の一番本に来るものでありまして、昭和三十九年に原子力委員会が決定したものです。
この一枚紙、以下を略してあるんですけれども、この最初のところだけが書いてあります。原子炉立地審査指針の基本的な考え方として、原則的立地条件として、その一・一の二行目の終わりから、「万一の事故に備え、公衆の安全を確保するためには、原則的に次のような立地条件が必要である。」。その(1)ですね、「大きな事故の誘因となるような事象が過去においてなかったことはもちろんであるが、将来においてもあるとは考えられないこと。また、災害を拡大するような事象も少ないこと。」、こういうことが原則的に立地条件として必要であるとうたっているわけです。
ところが、大津波等、それによって全電源喪失という大きな事故ですね、これを全国の原発で想定しましょうというわけですから、これは驚くべきことです。そんなものはその立地の条件に反しているわけです。
そもそも人間の良識というか常識から考えて、大津波をかぶるおそれのあるような場所で原発を運転するということ自体、私は正気のさたではないと思います。これはあたかも真冬に暴風雪警報が出ている北アルプスで六十歳、七十歳代の熟年ツアー登山をやろうなんて言っているようなもので、とてもおかしい。要するに、たかが原発です、要するに、たかが発電所なわけです。例えば、遭難した漁船を救うための巡視船なんというのはどんな荒波でも航海しなきゃならないでしょうけれども、発電するために何もこんな危ないものを大津波のあるところで頑張って運転することはないと私は思います。
それから三番目、原子力安全・保安院と原子力安全委員会というものが、現状では残念ながら、これが原発擁護機関になっています。福島第一原発の事故、三・一一以降を見ていてもそうでありますけれども、今までお二人の参考人からもそういうお話ありましたけれども、私が直接かかわった例としては、二〇〇七年、柏崎刈羽原発が新潟県中越沖地震で被害を受けて全七基が止まったということがありまして、そのとき私は新潟県の小委員会の委員として議論に加わっていたんですけれども、運転再開に向けて、何人かの研究者から存在が指摘されている柏崎刈羽原発の沖合の海底活断層、非常に長大な海底活断層、これを無視しました。東京電力は、長さ三十六キロの断層だけ、その一部分だけを取り上げて、そこにM七・〇の地震を想定したんですけれども、可能性としてはもっと長大な六十キロぐらいの長いものがある可能性がある、そういうものは原発の場合は安全サイドに立って当然考慮しなければいけないんですけれども、それを無視しました。これはある意味、もう原発耐震偽装と言ってもいいことでありまして、これは詳細は資料四に書いてあります。そういうことを保安院、安全委員会も率先してというか、組織的に行ったわけです。
これに関しては、資料四の追加という別の、後ろの方にあると思いますけれども、私はそのことをこの資料四のように岩波の「科学」という雑誌に書いたんですけれども、さらに、毎日新聞に一般向けに投稿しました。ところが、それに対して原子力安全委員会は、毎日新聞社に私が書いたその「発言席」という原稿、だから書いた責任は私にあるわけですけれども、私には何も言ってこないで、毎日新聞社にあの記事はおかしいから訂正しろ、何か取り消せというようなことを言っていった。そういうことまでありまして、非常に問題であると思います。
実は、こういう原発を擁護するについては、非常に多くの地震、地質の専門家、研究者、それが加担しています。海底活断層を無視することに加担している。これは、日本活断層研究会という学会のシンポジウムのときの議論なんかでも、もうあからさまにそういうことが出てまいりました、ちょっと詳細は省略しますけれども。
こういう状況は、研究者の倫理ということもありますけれども、もっと根深くは、政府系の研究機関あるいは国立大学、有名旧国立大学、そういうところの研究者が加担せざるを得ないような構造的な問題があります。反対意見があっても、まあ良心的な人はせめて黙っているぐらいのことしかできないという構造があります。これは国民にとって非常な不幸であります。
それから四番目、そもそも日本列島は、地球上で最も原発建設に適さない場所です。資料五というのに一枚紙で地図がありますけれども、これ、世界中の地震をプロットしますと、地球上では地震というのは線状ないしはベルト状に起こっているわけですけれども、非常に活発な地震活動のベルトの中に日本列島は全域がすっぽり入ってしまうわけです。これが、面積でいいますと、日本の国土とそれから領海等の排他的経済水域の一部を合計した場合、地球の表面積の〇・三%弱ですけれども、その範囲内に実に地球の全地震の約一〇%が集中しています。
こういうところには、そもそも原発は造るべきではないのです。それはもう欧米では常識なことです。ドイツやアメリカの原子炉の規制の条件、それから、現実に日本だったらごみみたいな活断層が問題になって原発が閉鎖されたというような実例を見ても、もしフランス人やドイツ人が日本列島に住んでいれば、彼らは絶対にこんなところに原発は造らないであろうと。もう常識的なことです。日本が異常なんだと思います。
省略しましたけど、レジュメに書いてあります(1)から(4)まで、非常に基本的な原発とそれから地震に関する条件というものがありまして、そういうことを考えれば、地震列島における原発は、制御された安全の範囲で大丈夫だから運転しようというのでは困るのです。先ほど後藤さんのお話にもありましたけれども、それでは困る。本質的な安全でなければ日本列島の上に住んでいる人間にとってはもう全く不幸であって、本質的安全というのは原発が存在しないことであると思います。
これに関して、一番最後にあります資料五の追加という漫画がありますけれども、これは昨日、思い付いて急いでかいたんですけれども、もうこういうことでもかかなければ余りにも分からない。特に経済界の人、あるいは政治、行政、そういう話を聞いている一般国民、どうもまるで分かっていないらしいというのでかきました。
原発というのは、本質的には世界中で同じ問題を抱えています。これは、小出さん、後藤さんから御説明があったような深刻な問題があります。ですけれども、私、地震学をやっている人間として、現実的なことを考えると、やっぱり日本の原発はフランスやドイツやそういうところの原発とは違うんです。何が違うかというと、日本の原発は地震付き原発であると。フランスやドイツと同じ原発があって、それを日本列島に建てた場合、たまたま近くで地震が起こるかもしれませんよなんというそんな生易しいものではなくて、もう日本の原発が全て、まるでおんぶお化けみたいにこうやって地震がくっついているわけで、地震とセットになってあるわけです。ですから、地震付き原発なんていうものはあっては困ると、そういうことであります。
したがいまして、今後、新設、増設というのはやめてほしい。建設計画中のものもやめるべきでしょう。耐震設計審査指針に不備がある可能性が非常に高いとさっき言いましたけれども、現に今不備がある、その基準地震動の策定に不備があるわけで、それを再改定しなければいけないというような議論もありますけれども、もうその新設、増設をしなければ設置許可のための指針というのは要らなくなるわけで、私としては、むしろリスク評価のための指針あるいは安全運転を管理する保安のための指針というものを厳重に作り直した上で、早急に第三者機関を設立して日本列島の全原発に関してリスク評価をして、順位付けをして、リスクの高いものから順に今あるものも閉鎖していくということを真剣に考えなければいけないと思います。
筆頭は浜岡原発でありますけれども、これは、津波対策が完了するまで取りあえず閉鎖なんてものではなくて、永久に閉鎖する必要があります。といいますのは、東海地震による地震の揺れ、それから大きな余震の続発、それから地盤の隆起、変形、それから大津波、それら全て恐ろしいのでありまして、津波対策さえすれば大丈夫というものではありません。
これ、資料六にありますけれども、私、二〇〇九年に新政権が誕生したときに期待を込めて、浜岡を止めてほしい、原発震災を回避することが新政権の世界に対する責任であるということを書きましたけれども、残念ながらそれはやっと福島第一原発の悲劇を経験した後でなければ実現しなかった。
この資料六の最後に書いてありますが、「手をこまぬいていれば、薬害エイズやBSE問題を超絶した不作為の大罪を犯すことになるだろう。」と、二〇〇九年に私は書きましたけれども、結局、その不作為の大罪を犯してしまったことになります。これは、でも決して現在の政府の責任だけではなくて、二十七年間の歴代の政府が積み重ねてきた国民に対する、あるいは世界に対する罪であると思います。
それからもう一つ、浜岡以外の原発は大丈夫というふうなことが言われていますけれども、とんでもないことでありまして、もうこれはちょっと省略しますが、下に五つ黒ポツが書いてありますようにいろんな理由があって、若狭湾の原発群を始めとして、日本全国、危険な原発はたくさんあります。それらについて早急に点検をして、順次閉鎖に向かっていくことが必要です。
済みません、あと最後に一つだけ五ポツを追加します。
そうはいいましても、まだ我々は当分原発に付き合っていかなければなりません。それから、止めたからといってそれで安全なわけではなくて、使用済核燃料が原発に保管されている、それをあともう何十年も安全に管理しなければいけない。その間には地震が起こるでしょう。そういうことで、原子力災害対策特別措置法であるとか原子力防災指針、あるいはそれによるEPZの範囲、そういうものは早急に改めなければなりません。
最後にちょっと紹介したいのは、この資料七にありますものですけれども、これはアメリカのコネティカット州で出ているこういう冊子ですけれども、(資料提示)これ二十ページぐらいのこういう冊子がコネティカット州、ニューヨークの北東にあるところですが、そこで出ています。これは何か。コネティカット州原子力発電所非常事態対策ガイドというものです。平常時からこういうものが近隣住民に漏れなく配られていて、そこには、非常事態とはどんなものであるか、つまり、私たちは非常に安全なように原発を運転していますけれども、それでもなおかつ非常事態が生じるかもしれませんということで、非常事態とはどういうものか、屋内退避、避難を指示されたらどうするか、避難移動を指示されたらどうするか、それから子供が学校、保育所に行っている場合はどうするか、そういうことが簡潔ですが漏れなく記されています。こういうものが常時配られているわけです。それから、電話帳にもちゃんと避難場所が出ています。
そういうことを日本では何もしてこなかった。いきなりもう避難しろ、飯舘村なんて四十何キロ離れていても急に出ていけ、もう牛も置いていけ、何も置いていけと、余りにもひどいわけで、これからは早急にこういうものを原発周辺の人々に配る必要があると思います。
以上です。
○委員長(末松信介君) 石橋参考人、ありがとうございました。
次に、孫参考人、よろしくお願いいたします。
ソフトバンク株式会社代表取締役社長 孫正義さん
○参考人(孫正義君) よろしくお願いします。(資料映写)
今、先生方から話がありましたように、原発の大いなる恐ろしさ、問題点はもう国民が十分知っておるとおりでございます。
では、さて、原発への依存度をこれから徐々に下げていかざるを得ない、できるだけ早く下げていかなきゃいけないという中で、代わりに何のエネルギーで国民生活を維持していくことができるのか、あるいは産業を維持することができるのかということで私なりに拙い知恵を少し絞ってみました。
今までは、事故前で原発による電気の供給というのは約三〇%、水力を入れた自然エネルギ
ーが一〇%、その他が火力ということですが、十年後のイメージとして見ると、原発への依存度は事故後の現在の半分近くぐらいまでは少なくとも下げていかざるを得ないだろうと。四十年以上過ぎた原発は使うわけにはいかないね、地震の真上とかひびの入っているもの、これも止めなきゃいけないねというふうに、当然安全運転を強いられる。それを、じゃ何で賄うのかと。CO2を増やすわけにもいかない。したがって、省エネと自然エネルギー、ここしか結局答えはないのだろうと。省エネももちろん限界がありますので、エネルギーを供給するという意味でいくと自然エネルギーしか答えはないのだろうというふうに思います。
そこで、現在、水力を含めて約一〇%として、これを十年後には、例えば二〇%ぐらい増加で自然エネルギーの構成比を上げるというミックスにならざるを得ないでしょうと。もし二〇%増加で増やすとしたら、何の自然エネルギーで賄うのかと。例えばの例として、太陽光を七割、風力を二割、その他を一割だと、この十年間で増加させるものとして。こういうふうに仮置きで置いてみました。
十年後にはヨーロッパではもう三〇%、四〇%にするという国が続々と出てきておりますが、日本も三〇%ぐらいにまでは持っていくと。仮にこうするとするならば、どういうことが自然エネルギーを普及させるために必要かということで考えました。
七ページ目が、例えばでございますけれども、ドイツは、固定買取り制度、全量買取り制度がちょうど十年前、二〇〇〇年に始まりまして、六十一円。その後、もっと加速しなければいけないということで改定されて、一キロワット当たり六十五円で全量買取り。そこから急激にドイツでは太陽光発電ブームが起きました。このように一回どんどん拍車が掛かってきますと、自然と産業界のエコシステムが回るようになるという例でございます。
したがって、日本でもできるだけ早く、できることであれば後送りすることなく、今国会でヨーロッパ並みの全量買取り制度の法律を是非決めていただきたい。このときにおいては、党派を超えて、国難における日本の政治の決断として、是非今国会で決めていただきたいなというふうに思いますが、当然、送電網への電力会社による接続義務、あるいは用地の規制緩和というものがございます。
この全量買取りの制度に今現在の素案では住宅用は入らないということになっておるようですが、ヨーロッパなどでは住宅用もこの枠にたしか入っているというふうに僕は記憶しておりますが、この事業用の多目的発電、メガソーラーに加えて住宅用もこういうもので促進してはどうかというふうに思います。
送電網への接続義務、結局、幾ら太陽光あるいは風で発電しても電力会社が送電網につながないと意味がないので、これを、この下半分のところに、「ただし、電気の円滑な供給に支障が生ずるおそれのあるときを除く」と。こういうただし書がいつもくせ者でありまして、私どもは電気通信でこのただし書でいつもやられてまいりましたので、是非こういうただし書をやたら連発せずに、発電したらちゃんとつながるということを是非きっちりと担保していただきたい。
そこで、今日新たに奇妙な名前のプロジェクトを提案します。電田プロジェクト、第二電電ではございません。電田プロジェクト、電気の田んぼという意味でございます。どうしてかといいますと、太陽発電をするのに膨大な土地が要ります。日本に膨大な土地は余り余っておりません。しかし、休耕田それから耕作放棄地、これが合わせて五十万ヘクタール以上あるということでございます。もしここに太陽光発電のパネルを敷き詰めるとどのくらいの発電ができるか。もし、全部じゃなくて二割だけここに敷き詰めたとすると、五十ギガワットの発電能力があります。これはピーク時間における原発五十基分と。現在、日本では二十基の原発が動いておりますので、大体昼間のピーク時間に一番電気が食うと、ピークマネジメントが大切なわけですけれども、そのくらいの威力のある太陽光発電が場合によってはできると。もちろん夜とか雨の日は使えませんけれども、少なくともピーク対策に大いに役立つだろうということでございます。
しかし、今までですと、農地には農地以外のことをやっちゃいけないという日本のルールがあります。原則不許可というふうになっておりますが、ただし、公益性の高い事業に使用する場合は可というふうになっております。今国難のときで、電気が足りないという国難ですから、まさに公益性の高い発電というものは、農地であったとしても仮設置することができるという法解釈を是非すべきではないかと。法は人を守るためにある、人が国難で一番今苦しんでいるときに、人を守るための法解釈として、今の法を変えることなく、単にその法をしっかりと解釈することによって、この国難がもしかしたら救われるかもしれないということでございます。
つまり、農地は農地のままで、農地の上に仮設置としてボルトで留めた、この斜めに置いただけの太陽光パネルというのは、そこに人が住むわけではない、工場を建てるわけでもない。したがって、いざ日本の農業の自給率の問題で農地が足りないというときには、いつでもこれを取り外してまた耕すことができるという意味で、まあ畑の上にビニールハウスを建てたりするぐらいですから、仮設置のものはこれは農地のまま建ててもよい。電気の田んぼ、どちらも太陽の恵みで成り立っているということで電田プロジェクトというふうに勝手に名付けましたが、一時的設置のものは認めるというふうにすべきだと思います。
二番目が屋根。これは既に総理を中心に真剣に検討しておられるようでございますので、是非頑張っていただきたい。
ということで、屋根で例えば十年間で二十ギガワット、電田プロジェクトで五十ギガワット、その他で三十、合計百ギガワットの太陽熱発電、これを実施したと仮に仮定します。これはピーク時間における原発百基分に相当しますけれども、もちろん夜とか雨の日を使えるわけではないので、ならして考えるともちろんそれよりも低いわけですけれども、その太陽に加えて、風、地熱その他で五十ギガワット、合計百五十ギガワットの発電容量を持ったとすると、自然エネルギーだけで日本の昼も夜も雨の日も含めたオールトータルの年間の発電量の約二〇%を賄うことができる。
つまり、自然エネルギーは必要だけれども力弱しと、頼るに足らずというのが今までのイメージですが、二〇%をやるんだという覚悟を持って、そういうビジョンを持ってすれば、そこから逆算すれば、実は日本には使われていない休耕田だとかその他がたくさんあるということでございます。使われていない土地を国難のときに生かしましょうということでございます。これを、先ほど言いましたように、二〇〇九年度の年間の、雨の日も夜も含めたトータルの発電量一千百十二テラワットアワーということですけれども、それの約二〇%を今申し上げた太陽、風力、地熱その他で賄うことができるということでございます。諦めるのはまだ早いと。国難において建設的な、プロダクティブな建設的な代替案というものを是非、後送りすることなく、しかも柔軟な発想でやってみてはいかがかということでございます。
つまり、従来のエネルギーの基本計画は二〇三〇年までに原子力発電を五〇%以上にすると、今思うと恐ろしい計画をしていたことになりますが、少なくとも、これをそのまま突き進むべきだという日本人は余りいないのではないかということでございます。これを白紙から見直すということですが、見直すのであれば是非、後で後悔しないで済むような見直し方、しかも大きく大局から物を見て、まず大掛かりな大くくりのビジョンを持って、そしてそれを着実に実現するための知恵を出してはどうかと、子供たちに安全な未来を提供するためにということでございます。
以上です。ありがとうございました。
○委員長(末松信介君) 孫参考人、貴重な御意見ありがとうございました。ただし書には注意をいたしておきます。
以上で参考人の方々からの意見聴取は終わりました。
参考人に対する質問 および 参考人の答弁
○田村智子君 日本共産党の田村智子です。
今日は、産業として活用するだけの技術に日本の原子力発電所、達していないと、そういう御指摘を受けましたから、今後、国会の中でも日本の原子力発電所全体をどうしていくのかということを真剣に議論をしていかなければならないと思っています。
二つに分けてお聞きをしたいんですけれども、まず石橋参考人にお聞きをしたいんです。浜岡原発の問題です。
この浜岡原発の停止をめぐっては、実は国会では様々な議論が行われています。私たちは、そもそも大きな地震の震源域、起こるであろう地震の震源域に原子力発電所を造ったこと自体が誤りであって、これは一時的な停止ではなくて、やっぱり廃炉を前提とした安全対策を進めるべきだというふうに考えているんですけれども、一方で、金曜日の予算委員会も、東海地震発生の確率が高いから止めたと、これは停止要請の根拠にならないという議論が国会の中で行われました。また、政府自身からも、緊急安全対策が取られて安全性が確認されれば再稼働を認めると菅首相が述べたり、耐震安全対策、耐震の安全対策は適切に講じられてきていると海江田経済産業大臣がコメントしたりしているんですね。このことについて石橋参考人の御意見を是非お聞きしたいと思います。
○参考人(石橋克彦君) 先ほどもちょっと簡単に申しましたけれども、今おっしゃった国会での議論あるいは政府の答弁というのは、私は全く地震の研究者としては納得できません。
まず、八七%だから取りあえず止めてくれというのは理由になっていないというような議論は、それは私も何かそういう議論があるというのを聞きましたけれども、八七という数字ははっきり言って当てにならないんです。だけれども、ほとんど非常に大多数の地震の研究者が東海地震はほぼ確実に起こると、近い将来起こるでしょうと、数字では表せないけれども、そう思っていることはこれは確実です。
起こるとすれば、遠州灘のはるか沖合とかそういうところではなくて、駿河湾とそれから駿河湾西岸の陸地を含んで、浜岡の真下も含んで、天竜川河口ぐらいの、そういうまさに今中央防災会議が想定しているああいうところで起こるでしょうというのは、細かい学問的な議論は別として、大局的にはそれはもう一致した見解でありまして、そういう意味では、ターゲットですね、これ地震学者で敵という言葉を使う人がいるんですけれども、私は地震を敵と言うのは好きではありませんので言いませんけれども、まあ原発に対する相手側ですね、そういうもののイメージが非常に明瞭に見えている、そうしてそれが近い将来ほぼ確実に起こるだろうと考えられている、そういうことは非常に重要なことでありまして、これは絶対無視できない。
そういう真上に建っているものを、取りあえずか永久にかはちょっとまず今は別として、止めましょう、今止めましょう。とにかく一〇〇%というか、私は絶対的に安全でなければ困ると思いますけれども、そうしましょうというこの判断自体は全く問題ないので、したがって、八七%だから止めるというのはおかしいという理屈は全くナンセンスだと思います。
次に、じゃその耐震、地震の揺れに対する対策が万全であるから津波対策だけが整えばいいかというのは、これは私は全く間違いだと思います。東京電力は、その基準地震動という揺れを一応八百、昔は六百ガルだったものを八百ガルという、ガルというのは加速度の単位ですけれども、最大加速度八百ガルというふうにちょっと上げまして、なお念のため、千ガルまでは耐えるようにするといって耐震補強をしているわけですけれども、私はもっと、つまり二〇〇七年の柏崎刈羽原子力発電所を襲った新潟県中越沖地震のときは柏崎刈羽一号機の下で千六百九十九ガルというものを記録したわけで、そのぐらいに達する可能性は十分あると、否定できないと思いますので、千ガルまで考えているから大丈夫だなんということは到底言えない。
それから、浜岡のちょっと細かい説明しますと、駿河湾西岸から御前崎を通って、浜岡を通って天竜川河口の東側ぐらいまでは、東海地震が起こればほぼ確実に一、二メートル、場所によっては二、三メートル隆起するだろうと。これはもちろん場所によってそうじゃないところがあるかもしれませんけど、現在の地震学のそれこそ科学的な知見からはそういうふうに隆起する可能性があると考えるのが妥当です。過去、一八五四年の安政東海地震のときにはそういうふうに隆起しました。
その隆起が、例えば浜岡原子力発電所の敷地全体で一枚岩のように、まるでそこに大きな鉄板が敷いてあるように静々と隆起するのならそれはいいかもしれませんけれども、地殻変動といって、うんと深いところから全体が隆起するわけですけれども、その上に乗っている地盤はそれによって破壊される可能性は十分ある。H断層系とかいろんな断層が浜岡の構内にいっぱいあるわけです。それがずれたことはないよとかいう話もありますけれども、そういう大きな隆起が起こると、一九二三年の関東地震なんかのときもそうでしたけど、上の地面が凸凹に破壊されたりする場所はあるわけで、そういうことが起これば、例えば原子炉建屋とタービン建屋の間で隆起量が違ってくるとか、そういうことも起こるかもしれないし、それから復水器に海水を取り入れる取水管、あるいは排水管、そういう水路があるわけだけど、そういうものが壊れるかもしれないし、それから巨大な、十二メートルと言ったり十五メートルと言ったりしてますけれども、そういう防波壁を造れば大丈夫だと言うけど、そんなものは根底が隆起すれば壊れてしまうかもしれないわけで、地震で壊れて、その少し後に大津波が来れば役に立たないかもしれないわけですから、二、三年掛けて今考えられている津波対策を整えれば大丈夫だなんということは、地震学者としては全く言えません。
もうまさに浜岡というのは地雷原の上でカーニバルかなんかやっているようなもので……
○委員長(末松信介君) 先生、ちょっと答弁おまとめいただけましたらと思います。
○参考人(石橋克彦君) はい。以上です。
○田村智子君 済みません、もう一点だけ。
ありがとうございました。是非今度はその提言が生かされるように、やっぱり政治の責任が問われていると思います。
小出参考人にお聞きしたいんですけれども、先ほど格納容器の専門家は格納容器だけと、その周辺のことは知らないというか分からないのが……(発言する者あり)ごめんなさい、後藤参考人、という御発言があって私もちょっと驚いたんですけれども。そうなりますと、今の東電の事故なんですけれども、事故が連鎖的に次々に起きていくとか、最悪の事態がこうだというようなことを専門的に検討できるような部署というのが果たして東電の中にあるんだろうかということ。
あと、小出参考人と石橋参考人、済みません、短時間でいいのでもう一点だけお答えいただきたいのは、やっぱりそういう危険性を権限を持って調査をし、監視をし、そして規制をするという機関が日本にないということが非常に問題だと私たちは思っているんですね。
国際条約である原子力の安全に関する条約の中には、法的権限を持って規制の機関を各国は持つべきだと、それは原子力の発電所の推進機関とは別であるべきだと。そこの機関が建設についても運転や廃止についての措置も権限を持つと、そういう機関をつくることを各国に求めているわけですね。
やっぱりこれがないと。この事故の収束に当たってもこうした権限を持った規制機関というのをつくること、これ急がれているんじゃないかと思いますが、その点についての御意見を伺いたいと思います。
○委員長(末松信介君) この際、参考人の先生方にお願い申し上げます。
時間が大分経過をいたしてまいりまして、できましたら答弁は簡潔に、かつ、あんこの部分でぱっとお願いしたいと。たくさんの先生方が引き続き御質問されたいそうでございますけれども、取りあえず一巡目は、田村先生、中山先生までにはより丁寧にお答えいただきますようお願い申し上げます。
○参考人(後藤政志君) 格納容器以外は分からないという話ですが、一般的にかなり細分化してあるというのが一点です。それとあと、電力さんの中ではそれなりに、運転なら運転、全体を通してですね、もちろんやっていらっしゃる方がいる。ただし、こういうシビアアクシデント、こういう状態になると、相当な専門性があって、やっぱりメーカーも多分サポートしていると思いますけれども、ただ、いずれにしてもやっぱり限界があるんですね、みんな。それを総合化するのは非常に難しいことなんです。そういうことを申し上げているわけですね、一般的にです。
○参考人(小出裕章君) 権限を持った委員会というのは是非とも必要だと思います。特に、日本の原子力の場合に一体じゃ誰がそれをまずやるべきだったのかというなら、私は原子力安全委員会こそがそれをやるべきだったと思うのですが、今回の事故経過を見てもそうですけれども、安全委員会はもうほとんど登場の余地すらないという、そういう委員会だったわけですね。ですから、もっと実質的に力のある委員会というものを構成し直さなければいけないと私は思います。
それから、原子力安全・保安院の方も今日は来てくださっていますけれども、安全・保安院というところも、本来の仕事であれば原子力の安全を守るということが仕事のはずですけれども、それが経済産業省の中にあって、推進をする組織の中に取り込まれてしまっていると。原子力の場合には、全てが原子力を進めるために、規制の仕事すらがその中に取り込まれてしまって、よくこのごろは聞くようになりましたけど、原子力村という一つに囲い込まれてしまうような形で今日まで来てしまったと、そこに不幸があるだろうと私は思います。
以上です。
○参考人(石橋克彦君) 多分、私にも質問されたと思いますのでお答えします。
おっしゃるとおり、その権限を持ったきちんとした規制機関を是非確立しなければいけないと思います。アメリカのNRCなんというのはもっとずっとスタッフもはるかに多くて強力なわけで。
あと一つ、知識として御参考までに申し上げますと、今原子力安全委員会の話が小出参考人から出ましたけれども、一九九九年にジェー・シー・オーの事故というのがありました、東海村で。このときは原子力安全委員会がもう少し存在が見えました。委員長代理の住田さんが現場へ飛び込んで中性子線を防ぐということで、非常に活躍なさった。それがなぜ今こうなのか。実は、二〇〇一年一月の中央省庁再編によって原子力安全委員会のかつての事務局であった科技庁は解体された。原子力安全委員会は全くその牙を抜かれたようなところがあります。そうして、経済産業省にほとんど全てが集中されてしまった、原子力推進と原子力規制とが。もう圧倒的に保安院の力が強くなって安全委員会の影が薄くなった。そういう事実、状況があります。
以上です。
○田村智子君 ありがとうございました。