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2005年11月
11月30日(水)
最高齢92才の宣伝に参加しました。
足立生活と健康を守る会のみなさんが、3時から1時間、西新井駅東口で宣伝行動をするというので、会員の一人でもある私も駆けつけました。
年金生活の方が多いのですが、総勢60数人で、北風にも負けない果敢な宣伝行動を繰り広げました。
「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」憲法25条を守り、今の政治に生かそうという宣伝です。
駅前はさまざまな要求を書いたのぼりがたくさん立ち、署名をもつ人は、積極的に通行人に話しかけ、署名は500筆を超えました。
高校生も次々によびとめられ、足をとめ署名していくのですから、訴える側の力強さがいかほどかがわかります。
年金は月3、4万円という方も少なくありません。そこに消費税増税やあらたな医療費負担が襲い掛かったらどうなるのか。
若い人も、派遣やアルバイトしか就職先がなければ、いつ収入が絶たれるかわかならないのです。
だれもが、健康で、心にもゆとりあって、休息の時間もとれて、芸術やスポーツ、趣味を楽しめる----そういう「もうひとつの日本」をつくりたい。
マイクを握ってよびかけながら、あらためて今の憲法の大切さ、この憲法を実現する政治を考えました。
11月29日(火)
マンション問題、事実の解明はどうなるのか
午後からの国会中継をラジオで聞いていました。
イーホームズの代表取締りが、次々に「爆弾発言」をすることには驚きました。
告発する勇気があることは認めましょう。でも、なぜ偽造を見抜く検査ができなかったのか、疑問は深まるばかりです。
「効率」優先で、1件1件の検査に十分な時間をかけることをしなかった、時間もお金もかかる人材育成も後手後手にまわっていたのではないか・・・。
資本主義の社会は、生産力や技術を急速に高めていきます。しかし、企業の生き残りをかけた競争が熾烈になればなるほど腐敗を生んでいく----日本共産党が指針とする科学的社会主義の立場での分析ですが、今おきている事実はまさにこういうことではないでしょうか。
「競争」に「勝つ」ことが、そもそもの目的も、人間社会のモラルも見失わせる。
企業の責任とともに、一企業ですまされない社会構造的なゆがみの深刻さに胸が詰まる思いです。
11月28日(月)
生活保護の問題で厚生労働省に要請しました。
自治体から猛反対を受けている生活保護の国の予算を削減する案、これを撤回するよう求める要請行動に参加しました。
東京の日本共産党としての要請です。
政府の担当者の説明は、「与党合意にもとづいて来年度6000億円を削減しなければならない」ということから始まりました。
予算削減先にありき。私が秘書として国会で働いていたときにも、さまざまな施策の説明を受けるときに、いつもぶつかる問題です。
予算の考え方がそもそもおかしい。
「こういう施策必要だから、こういう予算になる」、これを出し合って、どうしても全体額が足りなければ、国民の暮らしにとって重要なものは何か、日本の未来にとって必要なものは何かを真剣に議論して、優先順位をつけるべきではないのでしょうか。
省庁毎に金額を決めて、削減割合まで一律としてしまう、その方針に逆らうこともできなければ、なんのための省庁の仕事なのでしょう。
国がすべての国民に「文化的で健康な生活」を補償する、その砦となっている生活保護の制度を崩すようなことは絶対に許さない、その意思をこめての要請行動でした。
11月27日(日)
チンドン屋さんの演奏で雷大行進
下町の中小業者と労働者が力をあわせての集会、デモ行進。その名も「雷大行進」。
中曽根内閣がうちだした「臨調行革」、今の「構造改革」と同じように、庶民・業者の暮らしを直撃する予算削減、賃金・工賃カット、増税の波が押し寄せるなかで生まれた行動です。
プレ集会で日本共産党を代表してのあいさつをさせていただいたこともあり(10月18日の「出来事」参照)、一参加者でいいからと、浅草まで出かけました。
この行進、シュプレッヒ・コールはありません。先頭にはチンドン屋さん、そのにぎやかな演奏にあわせるように歩き始めました。
馬道通り。「かつら」の看板をかかげる古いお店、祭半纏が並ぶ老舗、浅草という町ならでは店がぽつり、ぽつりと見えますが、商店街とはいえないような状況です。
国際通りになると、浅草寺周辺のにぎわいが人通りとなって現れてきます。
行進も中盤。チンドン屋さんの演奏も熱が入ってきます。「サントワ・マミー」の演奏に、歌をくちずさみ、クラリネット演奏にデモ隊から拍手がわき起こりました。
その後は、まるでカラオケ。「いつでも夢を」などなど、国民的歌謡曲が次々に演奏され、歌声も大きくなっていきました。
沿道からも拍手や歌がおこり、なんとも楽しい行進になりました。
終点、吾妻橋にむけては「見あげてごらん夜の星を」と大合唱。ある意味、感動的でした。
演奏の合間で、「増税は反対でございます」など、噺家のような口調で沿道によびかけるチンドン屋さんには、とても感心しました。
こんなふうに「くらしを守れ」とよびかけ、多くの人たちが共鳴できる運動をしたいものだと、つくづく思います。
11月26日(土)
「若者に仕事を」と北千住駅西口のデッキの上で宣伝しました。
働きたい青年に仕事を、人間らしく働ける職場をと、日本共産党としての宣伝を企画しました。
深刻な青年雇用の実態をつかみ、青年たちといっしょに企業や政治を動かしたい、その一歩としての緊急宣伝でした。
急なよびかけに集まった6人での1時間の行動。
「若者に仕事を」とうちだしたのぼりが目をひきます。おしゃれ空間に様変わりした広場のようなデッキ、宣伝してもその反応の悪さは屈指ともいえます。
それでも、明らかに関心を示してビラをうけとる若い人は何人もいました。
医療系の職場かと思える(あるいは今はやりのリラクゼーションかも)制服姿の若い女性の2人連れ。通り過ぎかかってから「職場チェックしてみてください」という声に振り向き、ビラをうけとっていきました。
いっしょに行動したAさん、対話上手で、24才の男性と20分くらい話し込んでいました。「正社員になりたい。でもなれない」その思いをじかに聞いて、「本当にいい青年なのに、かわいそうになっちゃう」と母親の心境で話しくれました。
私に話しかけてきたのは、50才台の男性。「サービス残業は法律違反です」といいながらビラを差し出すと、すっと近づいてきたのです。
「22年間、役員やらされてきたから残業代はもらったことがない」「仕事もきつくて、このままでは体がおかしくなると思って、平社員にしてくれといったんだ」
青年が働きにくい世の中は、ほかの人たちだって働きにくいのです。
青年の2人に1人が派遣やアルバイト、こんなことで日本の未来はどうなるのか、この世論を広げる宣伝、これからも続けていこうと思います。
11月22日(火)
マンション耐震偽造問題で国土交通省から説明
小池晃参院議員、笠井あきら衆院議員のよびかけで、急遽設定されたレクチャーです。
説明を聞くほどに、この問題が氷山の一角ではないかという疑念がわきあがってきました。
1998年に、それまで政府と自治体(公的機関)が責任をもっていた建築確認(設計図のチェック)、建築完了時のチェックを民間開放したことが、今回の事件の根源的問題です。
「公務員を増やすという状況になかったことから」という説明。「公務員を減らせ」「官から民へ」という流れが、国民の安全・安心を根底から崩しているのです。
設計会社、建築会社と民間の検査機関が癒着しないという保証もない、そのうえ価格と工期の競争も野放し、モラル崩壊を止める手立ては検討さえされていなかったのです。
98年当時、日本共産党の中島武敏議員(当時)が、このことを厳しく追及しても、「民間=善」という考え方しかしめさなかった政府。そして、問題点を知りつつ賛成した自民・公明・民主・社民の各党議員、結果にどう責任をもつのでしょうか。
これでもまだ「公務員はどんどん減らす」という政治を続けるつもりなのか、今の政治の無責任さに言いようのない怒りを覚えます。
(前述の国会質問は国立国会図書館のHPから検索できます。http://www.ndl.go.jp/index.html
「国会会議録」のコーナー 「簡単検索」を選択 「平成10年5月15日」「衆議院」「建設委員会」「中島武敏」などのデータを入力してください。)
11月20日(日)
後援会まつりをかけめぐって
小春日和の日曜日、足立区内の3ヶ所で日本共産党の「後援会まつり」が開かれました。
主催するのは、それぞれの地域の後援会。もちつきあり、ミニSLあり、フリーマーケットありと、その多彩な企画は地域のかたがたも楽しみにしているとか。
最初は伊藤和彦区議の地域、花畑の公園です。「田村さんにと思って売らずにとっておいた」と、ピンクの上着とスカートを手渡されました。
次は、ぬかが和子区議の地域、西新井の公園。「もちつきをぜひやっていって」の声に、もちを返す役に。難しいですね。手についたもちがおいしかった!
そして3か所目は、橋本区議の地域、梅田の公園です。「これは田村さんが買わなきゃ」と、ピンクのバラ模様のワンピースをすすめられました(1着100円!)。
どこでもあたたかく声をかけていただき、「次はがんばって」「がんばろう」と励まされ、心もぽかぽかの一日でした。
カバン一つで回り始めたのが、買えるときには4つも袋をかかえていました。
どの会場もにぎやかに人が集まっていて、この元気な力があれば、世直しの声も大きくあげられる! そんな希望が見えてきます。
11月18日(金)
「新聞はいやなニュースばかりで見たくない」
「しんぶん赤旗」を多くの方に読んでいただきたくて、何人かのお宅を訪ねて話をしました。そのなかで聞いた声です。
「戦後の食べ物のない時代と違って今はこんなに豊かなのに、どうしていやな事件が、毎日のように起きるんでしょうね」と、70代のKさん。
家族を殺してしまう事件、老夫婦の無理心中、高校生の殺人事件・・・気持ちが重くなります。
日本の社会の「ゆきづまり」を見ているような気持ちになります。
経済的に苦しい人たちを増税や社会保障の切捨てでさらに苦しい立場に追い込む。
競争が学校でも経済でも必要とあおられる。勝つ人は一握りという事実を隠して、ひたすら競争をあおる。
殺伐とした事件を、政治が助長しているように思えてなりません。
「一筋の光が見えるようなニュースを伝えていると思います」と、「しんぶん赤旗」の記事を紹介し、Kさんに購読していただきました。
国民を苦しめる政治を、どう変えるのか、考えることはできる、これだけでも大きな希望ではありませんか。
11月17日(木)
就学前健診に行ってきました。
学校に着いたら、すでに受付を待つ列が校庭にのびていました。
同じ保育園の親子が大勢いるうえに、娘にとっては兄の学校行事のたびに来ている場所。「遊んできていい?」と、友達数人と校庭を走り回っていました。
みんな、この学校の子供に見えます。たくましいことです。
初めての入学になるお母さんとしばしのおしゃべり。
「クラスはいくつあるの?」と聞かれて、「今年の1年生は2クラスだけど、ほかの学年は3クラス」と答えました。
「人数が減っている?」「あと2人いたら、1年生も3クラスなんだって」と、最近、1年生の親御さんから聞いた話を伝えました。
39人と40人というクラスの人数を知って、「それは大変だよね。先生は一人なんでしょ?」
東京だけが少人数学級を断固として認めていないことの理不尽さをあらためて感じます。
1学期に学校行事についての感想を書いたとき、「せめて1年生の30人学級を学校がもとめてほしい。親もがんばる」という主旨を書いたのですが、果たしてどう受け止めてもらえたか。
元気にいっぱいに走り回る子供たちをみると、元気いっぱいのまま勉強にも集中できる条件整備を早くと思います。
11月14日(月)
公務員の「既得権益」ってなんだ?
ある会議のなかで、公務員のKさんと話していて、しばし公務員「改革」談義となりました。
20代後半のKさん、「自分の後輩は職場にいないんですよ」。公務員の人数を減らすべきという政策のなかで、退職者がでても正規職員としては新人を雇い入れなくなっているというのです。
非正規雇用の「パートさん」は増える、でも、正規職員(公務員)でなければ扱えない仕事があるために、仕事量は増える一方。
いっしょに話していたWさん、「公務員を減らすのなら、税金も減税するのが当然。公務員を減らしておいて増税というのは、おかしい」。
「公務員とは何か」を多面的に考えるときだと思います。
住民のくらしを「もうけ」優先でなく支えるという役割。「全体の奉仕者」という立場。住民の利益からかけ離れた「お役所仕事」をただす、天下りや保身に躍起になる人たちをただす----それが改革ではないでしょうか。
公務員の労働条件が悪くすることが、どんな改革につながるのか、小泉首相に説明を求めていこうではありませんか。
11月10日(木)
従軍慰安婦という言葉を知っていますか?
高校生が平和のことや、世の中のことを、自ら調べたり、討論したり、フィールドワークを通じて学んだり。
そんな高校生平和ゼミナールの運動をすすめている方と話をする機会をもちました。
私も、青年時代、高校の先生方の勉強会に参加させていただき、全国各地の高校生平和ゼミナールの活動に大きな関心をよせた一人です。
政治という側面から平和を考えることが多いだけに、高校生たちの学び方、それを支援する先生方の考え方が、とても勉強になりました。
その時代(1990年代)、従軍慰安婦の犠牲者の方々が、「せめて命あるうちに、日本政府の謝罪を」と行動を起こしていました。歴史の事実に向き合い、驚きや苦しみを感じながら、自分たちにできることは何かを考える----高校生だけでなく私自身の姿でもありました。
「いまの高校生は従軍慰安婦といわれてもわからないですよ」と、平ゼミ関係者のOさん。
教科書がとりあげることを「妨害」し、マスコミでもかつてのようには取り上げることのない今、こんな後戻りが生まれていようとは。
どんなに隠そうとしても、歴史の事実は消し去ることはできない、でも知らせなければ伝わることもない。
私たちの責任の重さを実感します。
11月6日(日)
赤い靴がピンクの靴に
昨日のバザーで娘が買った真っ赤な靴、「入学式用にできるかな」と思っていたら、赤いコーティングがどんどんはがれてしまって、半日でだめになってしまいました。
50円という値段だったので、半日でも「お嬢さん」気分を味わえたから、と思うことにしたのですが、おさまらないのは娘です。
そこで、少し早いけれど、「卒園式&入学式用」と考えることにして、靴を買うことに。
本当は、お兄ちゃんの黒い靴をと思っていたのです。女の子が履いてもおかしくないデザインでしたから。ところが、娘の成長は著しく、「きつい」というのです。
考えてみれば、自転車も、保育園のリュックも、遠足の水筒も、たいして文句も言わずに「おさがり」を使ってきたのですから、「これくらいは」という気持ちにもなりました。
私も、姉・私・弟という家族構成、姉のお下がりは私に来ても、私から弟に行くことはなかったなと、思い出しました。
それだけに、時々、新品を手にする時は、「これは私のもの」という思いが強かったように思います。
私の子供時代よりも明らかに「豊かに」なって、欲しいものはたいてい手に入る時代。娘のものへの「愛着」の希薄さにため息がでることがあります。
お店でみつけたピンクの靴、「私の宝物」という言葉が、その場限りでないことを願います。
11月5日(土)
保育園生活最後のバザー
無認可保育園のバザーから数えて10回目。文房具店の娘として育った血が騒ぐのか、バザーは売り子になるのも、買うのも大好きです。
娘もエプロンを用意して、「お店屋さんやるんだからね!」とはりきって出発。
この1週間、買出し、提供品の値段付け、荷物の運び込みと、お母さん(何人かのお父さん)たちと協力して進めてきました。
普段、お迎えの時間が違うと顔をあわせることもないので、「この人が、あの子のお母さんか」と発見することも。
最近、自分の忙しさもあって、子供同士が遊んでいるときに、親同士の交流ができていないなと感じています。
一人目の子供のときは、子供が遊んでいるそばで親同士が「おしゃべり」ということが多かったのに、いつからか、お互いに「家で遊ばせていいよ」と、子供だけで遊ばせて、その間に親は家の片付けや買い物、というパターンが多くなってしまいました。
親のゆとりも奪われているのでしょうか。
バザーも終わってみれば、「売り切らねば」に一生懸命で、結局あんまりお話ができませんでした。
来年から学校にあがるから、いろいろ話したいこともあったのに・・・。
とはいえ、バザーは楽しく終了しました。終了間際に、かわいいキュロットスカート&長袖服(あわせて300円)を買って、「これはお買い得だった!」と得意になりながら家に向かいました。
11月3日(木)
千住新橋を自転車でわたって「青空まつり」へ。
「ささのは」に続いては「青空まつり」、大島芳江区議の地域です。「野点もやるから、11時前に来て」との連絡に、子ども2人を連れて向かいました。
ここでも「あいさつ」の後は、会場を見て回ったり、公園の遊具で子どもと遊んだり。
湯桶にシャボン玉の液体をいれて、針金ハンガーでつくったわっかでジャンボ・シャボン玉をつくるコーナー。なかなか丸いシャボンにならずに、しばし熱中。
3・4才くらいの女の子が一番上手にシャボン玉を飛ばしていました。
バザーの品物の前では、娘が「子どもさんは無料でいいよ」という小物の箱から、文字通り「掘り出し物」を見つけ出し、ご満悦。
千住での「おまつり」は、ひときわ下町の雰囲気が漂います。だれもが知り合いのような気持ちで話ができて、気持ちも暖かくなります。
その帰り道、千住新橋のたもとを見下ろした娘が「こっちきて。猫がいっぱいいるよ」。
見るとダンボールをいくつもつかった家があり、男性が食事の用意。そのそばに4匹の猫が行儀よく座っていました。
「ホームレス?」と息子。「そうだね」の後にどんな言葉を続ければいいのでしょう。
人情の町でも、住民のみなさんには限界があります。冬が間近、だれがどうすれば・・・と考えてしまいます。
11月2日(水)
大きな大きなさつまいも
先週から「あと*回寝たら遠足?」と、娘が楽しみにしていた保育園の「いもほり遠足」。お天気にも恵まれました。
帰宅して食事の用意をする時に、「おいも」の絵をかいて持たせたビニール袋から、自分でほったさつまいもをとりだしてくれました。
直径10センチを超えるほどのずんぐりした見事なさつまいも。驚きました。
4年前、息子が持って帰ったのはずっと小さいものだったので、予想外の大きさに、「すごいね!」と感嘆の声をあげてしまいました。
「ひっぱったら、4つもついてたの。一番大きいのを持ってきた」
「今晩食べる?」と聞くと、「みんなでいっしょに食べたいから、明日にする」と娘。
今日は息子は剣道で、すでに食事をして稽古に出かけていたのです。さて、明日、この大きいおいもをどうしましょう。