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2005年9月

9月29日(木)

党に仲間を迎え入れました。

選挙が終わって、マスコミの「煽動」にも負けない実力をつけようと、「しんぶん赤旗」の読者や党員を広げるため町を歩き回っています。
今日は、後援会の一員として奮闘してくださったIさんが党に入ることを快諾してくれました。
以下、そのエピソードを。

Iさんのお宅を訪ねた時は残念ながら留守。それでは他の方のお宅にと歩き始めたところで、Iさんにバッタリ。
東京大空襲の被災者であるIさん一家。その体験を文章にするため、妹さんの家に行っていたとのことでした。
あらためてIさんの顔や手に目をやると、60年後の今もやけどの跡がわかりました。顔面の皮がすべて剥けてしまったそうです。
「実は、党の仲間になってほしくて伺いました」と私。「ああ、いいですよ」とIさん。支部長のHさんが思わず「えっ本当?!」。
「うれしい!」と私も思わずIさんの腕を握ってしまいました。
あらためてお宅に伺い、子どもさん2人を苦労して働いて育ててこられたことなどお聞きしながら、入党申込書に記入していただきました。
「あと何年生きられるかわからないけれど、お役にたてれば」という言葉に、胸がつまりました。
実力をつけよう! そして次には「よかったね」と喜びあえる結果を出そう! 決意みなぎる一日でした。

9月27日(火)

2日おくれの運動会

日曜日は雨。息子は不満のかたまりになって、月曜日の時間割の6時間授業を受けに登校。
4年間のうち3回が雨。今年はなんとかなるかと思ったのですが・・・。

娘も「たんたんの運動会に行く」とはりきって、夫も仕事の都合をつけて、みんなで参加することにしました。
「黄色組は10年以上優勝していない。今年もきっとだめだ」と、持ち前の後ろ向きの発言を繰り返す息子に、「阪神をみてみろ」といったら、「2年前に優勝しているよ」と夫。
プロ野球にはうといものですから・・・。

剣道のメンバー表をつくった残りの模造紙に、筆で「ファイト!黄色組」「めざせ優勝!」と書いておいたので、それを団扇に貼り付けて娘に持たせました。
これが息子のクラスメイト達にうけて、「貸して貸して」と次々にみんなの手に。
どうしても黄色い声が出てしまう私。今年も手のひらが一部青くなるような拍手までして応援してしまいました。

昼休み前、激しく追い上げて1位になったのに、最後はわずかな点差で2位に。でも、みんなよくがんばりました!
結果を見届けて、一足早く学校を引き上げ仕事へ。
がんばったね、の乾杯をしようと、おいしいケーキを買って帰りました。

9月24日(土)

年金者組合のみなさん、地域のみなさんと。

足立の年金者組合の総会に、来賓として参加をと声をかけていただきました。
総選挙では「年金改革」も、隠れた争点のひとつだっただけに、年金者組合のみなさんの多くが自らの要求をかかげ、私を支援してくださいました。

それにしても「年金改革」を全面に掲げた民主党の「改革案」には驚きました。「最低補償年金7万円」といいながら、現在の年金生活者の年金は1円も増えないのです。年金を支えるためには消費税増税しかないという「煽動」を買って出たようなものではありませんか。
私たちが納めた税金が何に使われているのか、それは本当にいま必要な使い方なのか、しっかり見極めれば、庶民増税をやらずに年金を充実させることはできる、この道を繰り返し訴えていこうと思います。

そんな思いを伝えるあいさつもしましたが、楽しかったのは、会場の後ろに並べられた会員のみなさんの得手を生かした展示。
写真、絵手紙、生け花、ビーズ細工、9条バッチ等々。ビーズ細工をしながら、「年金減らされて頭にくるわね」「消費税増税しかないのかしら」・・・と対話を広げて、政治を見る・考える輪をつくれたらいいなと、思いながら楽しみました。

午後は、六月という地域の後援会の集まりに参加しました。見事なお刺身、缶ビール等を前に、選挙のとりくみをお互いにねぎらうひと時でした。
「初めて田村さんを見た」という方、「演説を初めて聞きましたよ」という方、みなさん「次こそがんばって」と激励してくださいました。
選挙後初めての「ビール(お酒)で乾杯」でした。

9月23日(金)

職場復帰しました。

昨日、娘は無事退院しました。私もせまい簡易ベッドで寝起きする日々が終わりました。
「完全看護」といいつつ、小さい子どもの場合は、廊下を歩くにも、遊び部屋で遊ぶにも「保護者がいっしょ」が原則。娘にとっては、「母親一人じめ」の日々でした。

小児病棟の仲良しさんもできました。人口内耳をうめこむ手術をしたNくん(3歳)は、ほとんど音が聞こえていません。娘は自分の髪留め(パッチンどめ)をとられると、それを指差し、次に自分を指差し、「めんめよ」と手をばってん(×)の形に。お母さんがやっていた身振りを真似しながら、Nくんと対話をしていました。退院直前まで、遊ぶのも廊下を歩くのも食事をするのも一緒の仲良しぶりをみせていました。

放射線治療をしているのか、髪の毛がほとんどなくなったMちゃんやKちゃん。ほかのお友達と遊ぶのには勇気がいるようですが、そのうち一緒におままごとを始めました。
自転車事故から言葉や表情をうしなってしまったAちゃん。一日もはやく、何よりまず笑顔が戻りますようにと思います。
隣のベッドで3日間をともに過ごしたNちゃんは(3歳)、お見舞いにも来てくれました。おそろいのパッチンどめをもらって、娘はすっかり「お姉さん気分」。
黄色い帽子をかぶって「行ってきます」と院内学級に登校するKくんには、みんなで「いってらっしゃ」と声をかけました。

小さな体での病気やけがとの闘い。治療とともに、笑顔や楽しみを増やそうという病院の努力が少しずつ広がっていると実感できました。
ボランティアさんたちが楽しいおもちゃを持って、遊び部屋に来ていました。保育士の経験のある方が来てくれたらもっと子どもたちの遊びも広がるかな、お母さんたちの気持ちもゆったりできるかな等々、さらなるステップアップを求める声あげていきたいと思います。

治療だけでない「宝」が娘のなかにも芽生えていることを願いながら、私も職場復帰です。

9月17日(土)

総選挙から1週間が過ぎてしまいました。

久しぶりの更新で申し訳ありません。選挙を前後して、激励のメールもいただきました。ありがとうございました。
開票状況をテレビでみながら、4年前の「構造改革」キャンペーンと同じだったのだろうかと、選挙戦全体を俯瞰する思いでした。

「郵政民営化」が日本を大きく変えるほどの「改革」の決意と受け止められるのか、それとも4年前と同じ「古い自民党をぶっこわす」と受け止められるのか。
4年前と同じようなキャンペーンに加え、2大政党の流れ、そのなかで改選前の9議席を守った意義は大きいと思います。でも、1議席でものばしたかった・・・。

投票日深夜に帰宅し、翌朝から娘を入院させて私も付き添いの身となりました。口唇裂の2度目の手術を予定していたのが選挙で1週間遅らせることになったのです。
6年前に入院した東大病院は、入院棟が新築となり子どもの遊び部屋もできました。6年前、子どもと過ごす場所がほしいと切実に思いましたが、そういう親子の願いが新しい病院に生かされることはとても嬉しいものです。
手術から3日目、だいぶ元気になって、夫としばしの交代です。

そんな事情で、またしばらくHP更新が途切れ途切れになってしまいますが、今後ともどうぞ、HPを訪ねてください。

2005年9月11日

総選挙結果

http://www.city.adachi.tokyo.jp/info/050911/13syo_kaikaku.html

日本共産党 9議席(改選前と同じ)
小選挙区(東京13区)での私の得票は、30,806票 前回より2000票余り伸ばしましたが、得票率は1%マイナスでした。

ご支援いただいた皆様、激励してくださった皆様、心から感謝いたします。
議席には届かなくても、掲げた公約は国会の外の運動として実現めざしがんばります。これからもよろしくお願いいたします。

日本共産党の総選挙政策
http://www.jcp.or.jp/giin/senkyo/2005_syuin/index.html