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2005年7月
7月30日(土)
宣伝カーからの訴え
「解散もありうる」と小泉首相がいうのなら、受けてたちましょう!と、宣伝カーから2時間声を響かせました。
宣伝ポイントまでの道のりも、マイクを握って、にわかアナウンサー。最初はぎこちなかったのですが、途中から窓から手を出して、声援にもこたえながら走りました。
「解散」の脅しにつかわれている郵政民営化法案。それほどまでに押し通さなければならない理由は何か、国民が「早く郵便局をなくして」と言っているのでしょうか----こんな訴えから入ったら、商店街ではお店から何人かの人が顔を出して「何事か」というように聞いてくれました。
7月26日付けの「しんぶん赤旗」で、この法案をまとめるにあたってアメリカから文書で要求項目がわたされ、実に16回におよぶ協議をしていたことが報道されました。日本の国の法案を、国民に明らかにする前にアメリカと話し合って内容を固める、なんと異常なことでしょう。
郵便貯金も簡保も、民間会社のもうけの対象にする、アメリカの大企業もそのなかに加わる、こんなことでいいのでしょうか。
そして増税問題、これ以上の増税はなんとしてもやめさせなければ。
綾瀬駅前でも訴えていたら、子ども剣道で一緒になる友人とばったり。「議員さんなの?」と驚かれてしまいました。
政治の動きとともに、田村智子をもっと広い人に知ってもらうためにも、暑さに負けずがんばるぞ!
7月29日(金)
高齢期要求区民集会に参加しました。
足立年金者組合の方から集会があることをお聞きして、参加することにしました。
前半は、北千住法律事務所の吉村弁護士の講演。憲法と社会保障のことをセットで学べるお話でした。
「改憲」を主張する「読売新聞」私案や自民党の検討中の「改憲」案は、いまの憲法の根っこを変えるものなのだと、つくづく思いました。
国民の権利を国家が侵すことのないようにという立場から、国家(公)の利益を国民が侵すことのないようにと、180度方向転換を狙っているように思えます。
いまの憲法が掲げる理想を今一度よくとらえなければ。
後半は足立区への要請行動にむけた要求の交流でした。
健康診断の実施率をあげていくためにも周知と補助金の充実を、大気汚染の調査の徹底と環境基準をクリアする手立てを、削られた福祉をとりもどしてほしい、などなどそれぞれの立場からくらしに根付いた要求が出し合われました。
誰もが迎える高齢期。「長生きしてよかった」といえる世の中にしていきましょう!
7月28日(木)
「つくる会」教科書を全員一致で採択とは!
都教委で、都立学校がつかう教科書として扶桑社の歴史教科書を採択----夕刊の記事に「東京の教育はどうなってしまうのか」と慄然としました。
数学、理科などでは委員の意見が分かれているのに、なぜ歴史教科書は全員が「扶桑社」なのか。
神話を史実であるかのようにとりあげたり、大東亜戦争という名称をあえてもちいたり、植民地支配、侵略戦争という用語さえ日本については用いようとしない、これが歴史教科書としてなぜふさわしいのか、都民に説明すべきです。
たった6人の、しかも教育の専門家でもない、知事の任命による委員だけが、教科書を決めてしまっていいのでしょうか。なぜ教員など、直接教科書を使う立場の人たちの意見をとりいれないのでしょうか。教育の根本を脅かす行政介入としか思えません。
審議もなくいきなりの投票だったという記事に、まともに説明できない立場が浮き彫りになっています。それならば、説明を求めましょう。なぜこの教科書なのか。説明責任は、教育の初歩ではないですか。
7月27日(水)
台風一過の平和行進
竹ノ塚駅をおりて花屋に直行。ひまわりを買って集合場所の公園へ。
原水爆禁止世界大会に日本中の平和の声を寄せようと、全国をリレーして行進が行われます。おおいにアピールしようと、私なりの小道具がひまわりの花なのです。
何年か前に「ピンクの夾竹桃は嫌い。被爆した肌を思い出させる」という被爆者の方の言葉を新聞で読みました。
被爆地を想像させる言葉でした。被爆写真には色もにおいもありません。その壮絶さはどれほどのものでしょうか。
平和行進の出発式、あいさつで「つくる会」教科書を採択させようと圧力をかける今の政治についてもふれました。
被爆者の写真も証言もない、戦争の犠牲の「においも色もない」教科書。子供たちに手渡すわけにはいかないと、思いをこめて。
行進は元気にひまわりをかかげて、沿道の人たちに手を振り声をかけていきました。歌あり、元気な「ピース・コール」あり。
終わってから84歳になるTさんも炎天下を最後まで歩かれたことを知りました。一歩一歩の意味が重く感じられます。
7月26日(火)
台風に負けずに写真撮り
いよいよ選挙か、という情勢。ポスター用の写真撮りに出かけました。
スーツを数着持って、傘をさして・・・台風なんかに負けないぞ!
「いやだな、と思っていると顔にでます。楽しんでください」と事前レクチャーもありました。
「自然に笑って、でも目はもう少し開けて」カメラマンの注文。「こりゃ大変な姿勢だね」、アシスタントの声。思わず吹き出したら、「今のはいいね。何に笑ったの?」とカメラマン。
前回のポスターは「笑っているようで笑っていない」と言われてしまったので、今回は楽しむ気持ちでと心がけました。
「しわも人となりを表しているんだから」という言葉に、38歳のときより確かに「おばさん」になったけど、候補者の顔にもなったかなと思います。
さて出来栄えは? こうご期待。
7月25日(月)
竹ノ塚駅ふみきり事故、原因究明はどうなるのか
遺族のお一人から「事故の原因究明はどうなるのか」という意見をお聞きしたことがきっかけで、国土交通省から説明をうけることにしました。
緒方靖夫参議院議員の秘書さんと一緒に、議員会館の部屋で待つと、ずらずらと8人も省庁の人たちが入ってきました。
この問題で共産党が何をするのかに「構えて」いる、という印象を受けました。
事故調査委員会は、大臣からの指示がなければ動かない。類似の事故の可能性は考えられないので、事故調査委員会が動く件とは判断していないのではないかなどの説明。
この事故については、何度か国土交通省の説明を受けています。いつも感じるのは、行政として原因究明する立場ではないということです。
原因を大きくとらえるならば、「なぜ踏み切りをあげたのか」ではすませることはできません。
「危険性を指摘されながら対応がとられなかったのはなぜか」「過密ダイヤになっていたのではないか」「高架化を遅らせてきたのはなぜか、誰がどう判断することが必要だったのか」等々、解明されなければならない問題はたくさんあります。そこにメスが入らないどころか、「会社からの報告を待つ」というのです。
釈然としない気持ちで国会をあとにしました。
夕方には、毎月の消費税廃止足立各界連絡会の宣伝行動に参加しました。
東京土建足立支部特製のティッシュが好評でした。増税反対をアピールするティッシュとビラをセットにすると、次々と受け取ってくれるのです。
不況のもと、収入は減る一方、もらえるものならティッシュでも、そんな気持ちもあるのかなと思ってしまいます。
台風が近づく気配のもとで、世論も台風の風雲のようにわきたって、増税を吹き飛ばすような動きをつくりたいものです。
7月24日(日)
西新井駅前で増税反対の宣伝
増税なんか許さない!と、日本共産党として宣伝署名の行動が各地でとりくまれたようです。私も、西新井駅東口で行動。
所得税・住民税の増税、とりやすいところからとる、最悪の政治です。
黒字が増える大企業には法人税減税、労働者の首切りをすれば1人減らすごとに92万円の減税。
年間所得3000万円以上の人には、1998年に行われた大幅な減税(最高税率が50%→37%)がそのまま。
一方で、「年金が月10万円ちょっと」というお年寄りには増税。この政治のゆがみはなんなのでしょう。
年間所得が何千万円とか、何億円とかいう人たち。町の中小業者の何百倍、何千倍働いているといえるのでしょうか。
その労働の価値は、たとえば年間収入200〜300万円という農業の人たちの労働の価値の何万倍重いといえるのでしょうか。
所得があがるごとに税率があがるのは、こうした「不平等」を少しでも是正するものであるはずです。
今の政治が誰のためのものなのか、税金の問題からはっきり見えてくるように思えます。
「消費税10%なんてこまるよね」と通りがかった中学生に声をかけたら驚いたように足をとめて署名してくれました。
「お小遣いも減らされているのに困る」「大人にしっかりしてほしい」
こういう声をしっかり政治に届けなければ。
7月23日(土)
足立で震度5強の地震
夕方、子どもの保育園の盆踊りへと向かっている時でした。
ズン!という感覚と、道路のすぐ脇のトタンの建物が「ガタガタガタ」とすごい音をたてました。
なにか変な感覚はするものの、自転車をおして歩いていると地震だとはわかりませんでした。自転車に乗っていた子どもも「風?」と聞くのです。
立ち止まって、電線の揺れをみて「地震だ」とわかりました。
いつあるかわからない、けれど必ずくるという大地震。その備えは?と自問すれば「できていない」のが率直なところ。
家庭の備えも見直さなければ。
学校の耐震化、東京でもまだ6割だという記事が最近の「赤旗」に掲載されていました。もう何年も前から指摘されていながら、「予算に限りがある」と先送りが続いています。
石綿も、阪神・淡路大地震の後、大問題になっていたのです。
大切な問題をなぜ行政が後回しにするのか、被害がわかっていてなぜ対策をとることができないのか、徹底的に追及してみたいです。
7月22日(金)
身近なところで石綿の被害が
「ご主人が石綿を扱う仕事をしていて、つい先日亡くなった。奥さんも体調がよくないと、心配している」という話を足立の党区議から聞きました。ぜひ一緒に話を聞きに行かせてほしいとお願いをして、Sさん宅を訪ねました。
手術もできない肺ガンが急速に進んだそうです。入院中、石綿問題がマスコミでとりあげられるようになり、一言、「おれも石綿やってたんだよな」と言われたそうです。
苦しみぬき、痛みに体中を震わせ、絶命したとのこと。
亡くなられてから、その苦しみを思い出すたびに、「自分ももしかしたら」と思う気持ちがふくらんだそうです。
足立区内にも石綿を直接扱う工場があったことを知りました。
Sさんのご主人の労災認定など、対策を一つひとつとっていこうと考えています。「もしかしたら」と不安を感じている方がおられましたら、ぜひご連絡ください。足立区に限らず、ご相談にのりたいと思っています。
7月20日(水)
石綿問題で、新聞記者から電話がありました。
赤旗ではなく、いわゆるマスコミの新聞社の記者でした。
実は、井上美代参議院議員の国会秘書としての最後の仕事が、石綿問題に関わるものだったのです。この質問主意書を提出するいきさつなど話をしました。
2002年3月に井上美代議員が提出した質問主意書。石綿問題を調べ、関係者から話を聞き、質問の内容の検討に私もかかわりました。
いま、大問題になっていることは、その時、井上美代議員が指摘したものばかりです。最近の報道をみるにつけ、「ようやく」というやりきれない思いにのみこまれそうです。
すでに数年前から建築関係者、労災問題に詳しい医療関係者などが、警告していたことが社会問題化しているのです。
政府は全部わかっていたはずです。労働者と家族に大変な被害が広がるであろうことは。
それを「安全に関わる規則で取り扱い方を示しているから大丈夫」「通知やパンフレットで注意を喚起しているから、対策はとられている」と、実態をまったく無視した開き直りをしてきたのです。
中皮腫などで死亡された方の闘病生活はあまりに悲惨なものでした。厚生労働省の担当課に、遺族や家族が要請行動をした記録を読みました。
食べたものが腸から先にはいかず、全部口に戻って排泄される、この苦しみのなかで夫は絶命した、「あなた方に想像できますか?」「せめてこの病気がなぜ起きたのかを明らかにし認めてほしい」----こういう要請を受けながら、結局なにも対策をとってこなかったに等しいこの国の政府。
命の守ることが最大の政治の役割です。早期の対策を私も国会議員と協力して求めていきます。
7月13日(水)
障害者自立支援法案、委員会で採決
午後3時半頃に採決の予定という情報をえて、昼頃、衆議院にかけつけました。
傍聴席はいっぱいの様子。私は議員面会所のテレビで審議に注目しました。
率直に言って、民主党の質問は何を追及しているのか、具体的にみえにくいものでした。議員面会所につめてテレビをみている人たちも実感がわかないようでした。
その空気が一変したのが、日本共産党・山口富男議員の質問からです。
障害者の生活実態を示すかのようなデータを小出しにする厚生労働省、しかしそのデータは例えば「全世帯平均」とタイトルをつけながら、全世帯ではない、ごく限られた範囲を指定したうえでの「全世帯」平均であったり、説明の根拠となる数字の説明が変更されていたり。それでも開き直る厚生労働省の答弁に「何を言ってるんだ!」と普段温厚な山口議員が声を荒げる場面さえありました。
(質問の内容などはこちらから。http://www.t-yamaguchi.gr.jp/)
続く社民党・阿部知子議員の質問も、数字のごまかしを怒りにふるえながら追及するものでした。
こんなひどいやり方があるだろうかと、私も怒りが抑えられませんでした。数字のごまかし、これは私も秘書時代に経験したことですが、一つの法案をめぐってせいぜい一つの資料ぐらいでした。次から次へと、根拠のない数字が出てくるとなれば、法案審議の前提がくずれてしまいます。
障害者の生活を根本から変更させかねない法案なのに、実態がどうか、それがどう変わるのか、まともな調査もなくやっていたのかと情けなくなります。
障害者の要求や実態から出発したのではない、予算をどれだけ抑え込むかということから出発したことが、こんなひどい法案と、こんなひどい調査にあらわれています。
採決は怒号のなかで行われ、自民・公明の議員が賛成しました。当事者から涙の抗議を受けてもなお「自立支援」といえるのか! 腹の底からの怒りと、この未来のない政治への悔しさを絶対に忘れることはないでしょう。
7月8日(金)
医療費の負担を思うこの頃です。
息子の耳の調子がどうもおかしい、「水が入った時みたい」と耳をおさえるのが毎日のようになっていました。
申し訳ないことに、都議選が終わって本格的に耳鼻科に通うことにしました。
最初の通院は、鼓膜の検査があったため薬代とあわせて3000円をこえる医療費となりました。
このごろ「我が家は家計が苦しいのでは?」と気にし始めた息子は心配そうに財布をのぞきこみ、なんと「ごめんなさい」というのです。
「給料日はまだだよね。大丈夫?」と。
医療費3割負担の重さには怒りがわきます。なれることなどない怒りと痛みです。
子どもにまで「お金がこんなにかかる」と思わせるとは!
耳鼻科などの場合、治療費の重さから通わなくこともあるのでは?と思ってしまいました。通った方がいい、でも通わなくてもなんとかなる、このくり返しが症状を悪化させていることもあるのでは?
サラリーマンだったら、20年ぐらい前までは本人は無料で診察がうけられたのですから、この国民負担は劇的です。子どもの医療費無料はすぐにでも実現しないといけませんが、原則としての医療費無料化を夢物語にしてはいけないと思うこの頃です。
7月7日(木)
七夕飾りの願い事は?
保育園で娘がつくった七夕飾り、たどたどしい文字(?)は「みんながげんきに」と解読できました。
自分で考えたのか、保育士さんが言ったことの一つなのか。どちらにしても、娘の願い事がかないますように。
学校でも七夕飾りを作ったという息子も、「友だちや家族と仲良く」と書いたとか。以前に「七夕の願い事は、ほしいものを書くのと違うよ」と話したことを覚えていたようです。
そんな話をしながら子ども達と風呂からあがると、イギリスでの同時多発テロのニュース。
血を流しながらインタビューに答える人の映像に、息子が驚きの声をあげていました。
「日本は一番安全だと思うよ」という息子。「戦争をしないからね」という私の言葉には説得力が欠けています。
あってはならないことですが、このままでは日本もテロの標的にされかねない・・・。多国籍軍に参加してしまった日本も・・・。
「テロも戦争もない世界をつくれますように」という願いは、七夕の日の世界の願いでしょう。
7月6日(水)
1時間半、教科書を真剣に読みました。
中学校の新しい教科書の展示会に出かけました。
国語の教科書も、どんな文献が採用されているのか等、知りたかったのですが、今回は限られた時間のため、社会科教科書に集中せざるをえませんでした。
問題となっている扶桑社の教科書。小学校の社会科の教科書でも神話を重視している(神武天皇の東征を経路まで地図にしているとは!)ことに、大きな違和感を持ちましたから、古代史を含めて読まずにはいられませんでした。
冒頭に「歴史はヒーローがつくるものではない」という主旨のことが書いてあるのに、内容は天皇や豪族などを中心とした個人のことがほとんど。全時代を通じて民衆の生活・姿がみえてこないことに気づきました。
そして明治以降の史実のつまみぐい。戦争の記述では、戦争による犠牲を具体的につかめるような材料さえ示していない、爆弾のもとでどういう犠牲が生じるのか、原爆の苦しみはどういうものだったのか、血のにおいを微塵も感じさせないのはなぜなのでしょう。
もう一つわかったのは、徹底した「反共」思想だということです。共産主義=一党独裁、スターリンの粛清などをイメージさせ、共産主義の影響もある動き中国で日本軍が民衆に銃を向けたのは仕方がなかったかのような描き方。
共産主義がなぜ思想として生まれたのか、その内容はなんだったのか、真摯な探求があるとは思えない記述です。
意見・感想を書く紙には、一人の母親としての思いを書き綴りました。戦争の直接の体験者が少なくなり、いずれいなくなる、教科書が戦争体験を語り伝えていく大切な役割を果たさずにどうするのか。国家の名によって命を奪うことを正当化することができるのか、命を奪うことの悲惨さ、むごたらしさを抜きに教えることはできないはずです。
7月5日(火)
父親の手術に病院へかけつけました。
都議選のさなか、電話をくれという連絡が実家から入りました。思いがけない知らせは、父が結腸癌で、5日に手術をするというものでした。
手術の時には病院に行くからと、母親に伝えると「助かる」と素直な言葉。とても不安だったのでしょう。
手術室に入る30分前に小諸の病院に到着。「がんばって」と送り出しました。
待つこと約4時間、母親とたわいないおしゃべりばかりしていました。久しぶりにゆっくり話す時間があったということもありました。結腸癌ならば、きっと手術も困難ではないだろうと期待もこめた思いもありました。
子ども達の成長、日々のおかしな出来事を話し、ほとんど笑い話をしているようなものでした。
呼ばれて切り取った臓器も確認し、病室で対面。
すでに麻酔が切れ始めていて、時々話し掛けてくる父。「上手くいったよ」「輸血もしていないよ」、うんうんとうなずいていました。
そうやって30分ほど様子を見ていたら、突然、父親が手をあげて母親に握手を求め、目から涙をこぼしたのです。
本当に不安だったのでしょう。癌を告知され、どんな思いで日々を過ごしたのか、胸に迫りました。
医療の技術とともに、患者さんの心を支える体制がもっと求められるでしょう。もしも、手のつけられない状態だったなら、私たちもどうしていいかわからなかったでしょう。そしてそういう患者さんも決して少なくないでしょう。
あわただしく行き来する看護士さんにその役割を求めるのはあまりに酷です。
東京に帰る新幹線で浅田二郎さんの著作『天国への100マイル』を読みきりました。こういう病院が小説だけでしか存在できないのだろうかと、本を閉じて思いふけりました。
7月4日(月)
都議選の結果に喜びと複雑な思いと・・・
足立では渡辺やすのぶ候補が6選! 3日の夜10時半頃、私も事務所にかけつけて、NHKのテレビカメラの前で元気にバンザイしてきました。
それから、日付が変わるまで、「2人区でとった!」と歓喜の拍手。出口調査の結果から、10議席を割るのではという声も一瞬起こっただけに、それをくつがえす結果に事務所もわきたちました。
しかし、現有15議席に一歩届かず13議席・・・。悔しい、でも、この間の国政選挙とは明らかに違う手ごたえのようなものを感じずにはいられませんでした。
無党派という人の投票動向では、民主党に続いて日本共産党に20%の人が投票。これは何かが変わって来た、という予感がします。
4日早朝から、駅頭宣伝で使うチラシを3日深夜から4日未明にかけて作成。ここまでが私の選挙戦でした。
そして、気がつけば40歳。喜ぶべきか・・・という複雑な思いがする一日でした。
都議選の日々の出来事
24日(金)の告示日第一声、25日(土)北千住駅西口での市田書記局長を迎えての街頭演説、どちらも司会をつとめました。
とにかく開口一番を元気に!と心がけての司会でした。
その後は、候補者の乗らない宣伝カーでマイクを握らせてもらいました。
とにかくこの選挙は義憤がわき起こる選挙でした。特に「石原都政にアクセル&ブレーキ」という民主党の主張に、あきれるとともに怒りがわいて仕方ありませんでした。
私の演説の一節を記してしまいましょう。
「ここに資料を持ってきました。石原知事が提案した1203件の議案に各党がどういう態度をとったか。自民党・公明党賛成100%、では民主党はどうか99・8%賛成しているのです。
石原知事が週2・3日しか都庁に行っていない、知事の責任を果たしていない、と日本共産党は知事の責任を問う決議案を提案しました。これにも、自民党・公明党と一緒に民主党も反対をしているのです。
こんなことは都議会の議事録をみればわかることです。それを石原知事と対決してきたかのように選挙で言うのは、『どうせ都民のみなさんは、都議会のことなんてわかりっこない』と言うようなものではないでしょうか。
こんな有権者をだますようなやり方をする政党、政治家を断じて許すわけにはいかないではありませんか」
都議会でたしかに与党として、まさに自民党・公明党、そして石原知事といっしょに都政をすすめてきた民主党、選挙後、どういう態度をとるのか、見ものです。
選挙で終わりにせず、都議会を注目し、その内容を知らせていこうと思います。