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2005年6月

6月23日(木)

いよいよ明日から都議選です

告示前日、いろいろな準備があるのだなと、あらためてわかりました。自分の選挙のときも、周りでたくさんの人たちが準備をすすめていたんですね。
渡辺やすのぶ都議のホームページも昨日開設!

リンクの整理ができていなくてすみません。
このトップページでご紹介します。
http://www.w-yasunobu.com

そして私も選挙の中に突入しますので、更新再開は私の40回目の誕生日、7月4日になります!
さあ、がんばるぞ!
24日第1声は、西新井駅西口 午前11時30分
25日には市田忠義書記局長をむかえて午後6時より 北千住駅西口で街頭演説
どちらも司会としてみなさんの前に現れる予定です。

6月22日(水)

飲酒して国会・・・泥仕合のような応酬に腹が立ちます。

17日の国会で、衆議院本会議に酔っ払って出席した議員がいた・・・このニュースにも驚きましたが、民主党の岡田代表と小泉首相のやりとりにもあきれます。
お互いに「飲酒した」「いやしていない」とやりあっても、国民はあきれるばかりではないでしょうか。

そもそも、休憩をはさんで夜8時過ぎに本会議を再開する、この議事運営に大きな問題があります。
経団連のパーティに政治家が出席するための休憩、そこに、自民・民主・公明の国会議員が出席、ここから飲酒騒動も出たのです。
国会をなんだと思っているのでしょう。誰のための議員なのでしょうか。

この国会は、重大な法案が山積みです。障害者の方々も「自立支援法案」をめぐって、全国から国会におしかけて、議員への要請をくりひろげています。
そういうさなかに、国会の日程を財界の都合でずらさせ、財界の人たちと一緒に酒を飲む、あきれはてます。
2大政党化がすすんで、「みんなでやれば怖くない」とばかりに国会運営がすすんでいるのではないでしょうか。

「自民党を変える」と言った小泉さん、「政権交代」といった岡田さん、それで何が変わったのですかと、正面から問いただしたい気持ちです。

6月21日(火)

娘が6歳になりました。

昨年は私の入院騒ぎで、いっしょにお祝いができませんでした。今年は、どうにか、いっしょにお祝いができました。
このところ、夜に仕事に出かけることも多いので、「ごはんの後は、お仕事? いっしょにアイスクリーム食べられる?」と聞かれてしまいました。
お風呂までいっしょの「フルコース」に満足だったようです。

食事やお風呂では、「どんなふうに生まれたのか」「どんな赤ちゃんだったのか」、何度も聞かせた話をせがまれました。
兄の時はどうだったのか、自分はどうなのか、話していると思い出すこともいろいろあります。

我が家の子ども2人は、どちらも「予定日に産まれた」という「時間正確さ」。とても珍しいことだろうと思います。
兄が生まれた時、乳幼児医療費無料化の直後でした。年齢拡大も制度を追いかけるように適用になっていったので、そのありがたさがよくわかります。
私たちの世代は運動の恩恵を受けているな、と思います。何か初めからあったかのように思ってしまいますが、1970年代からの運動の積み重ね、7年にわたる日本共産党都議団の提案があり、ついに他党も行政も動いた----すごいことです。
こうした制度をつぶしてしまわないよう、さらに前進させていく、そのバトンが渡されているのですね。

6月19日(日)

志位委員長といっしょに街頭演説

西新井駅東口、心配していた雨は大丈夫。日もさしてきて、あわてて近くのお店で帽子を調達しました。
スーツを着て、帽子をかぶると、「選挙だ」と奮い立ちます。私は司会でしたが、背筋が伸びます。

1000人が集まった街頭演説。
都民のくらしの大変さを知らないとは言わせない、という渡辺やすのぶ都議の訴え、迫力にみちていました。
志位和夫委員長、福祉の切りすてをなんとも思わない自民・公明・民主、「万死に値する」と怒りを込めての告発でした。
驚いたのは、盲導犬のエサ代、年70万円にもならない予算さえ切りすてたということ。とにかく、「福祉」と名がつくものは都政から消し去ろうということなのだと、わかりました。
この事実を知らせたくてたまらない、そう思った方がきっと大勢いるでしょう。

6月18日(土)

竹ノ塚駅踏み切り事故、本社の責任まで行き着くか

「朝日」新聞の夕刊で、本社もロック解除をして遮断機を上げていたことを知っていた証拠文書がみつかったと報道されていました。
「ああ、やった」と思わず声にだしてしまいました。

被害者の親族の方からお話を聞く機会があり、「このままでは、遮断機をあげた一人の責任で終わってしまうのでは」という、どうしようもない思いを知りました。
会社の責任がなぜ問われないのか、決定打となる証拠物件がないためとも聞いていました。
記事では、組合交渉の問答例として「ロック解除」の言葉があったというのです。

もう一つ、国の責任はどうなるのかという思いがあります。
危険な踏み切りだとわかっていて、なぜ高架化が現実の課題にならなかったのか、それは自治体と会社の責任ですまされるのか・・・・。
事故の原因究明は、そのとき何があったかだけではない、背景となったことについても行われるべきではないでしょうか。

6月12日(日)

渡辺やすのぶ都議と商店街をねり歩き

雨の予報は大きくはずれ、夏の蒸し暑さ。
午後2時 千住柳原に35人が集まりました。手に手にのぼり旗をもち、ビラやパンフを持ち、いざ出発。

柳原商店街は、日曜日はほとんどがお店を閉めています。
車の入りようがない路地が商店街、「平日もお客が減ってしまって」とのことですが、下町ならではの商店街です。
北千住駅前の旭町商店街、地元の渡辺やすのぶさんが来たということで、店先に出て演説を聞いてくれる店主の方も。

大型店ができると「便利だから」「品揃えがいいから」と地域の商店は客をとられてしまう、「規制緩和」の掛け声でどれだけの商店が店じまいしてしまったでしょうか。
街づくり、地域社会という観点から考えれば、「大型店があればいい」ということにはならないはずなのに、政治も「規制緩和」ばかりを先行させてきました。
業者のみなさんと話すときが、私も一番苦しい思いをします。どこに展望を見出すのか、「自分の代でもう終わり」というあきらめの気持ちをどうするのか・・・。

途中で、私もハンドマイクを握って歩きました。「街のお店屋さん、職人さんが元気でこそ、街も日本経済も元気になります」----この立場で知恵も出し合い、あきらめずに政治に「物申す」ことが大切です。

6月11日(土)

障害者自立支援法 学習・交流集会にて

足立社会保障協議会の主催したこの企画、80人が集まりました。
障害者への支援(ホームヘルパーとか、施設利用など)、いまは障害者本人の収入に応じた利用料支払いが原則です。
これからは受けた支援(サービス)に比例して利用料を払ってもらうことにしよう----簡略化すると、こういうことが国会で審議されています。

講師の福井典子さんのお話。自身てんかん患者、重度障害の娘さんがいるということです。
24時間支援が必要な重度の障害者は、食事をするのも、トイレに行くのも、外出するのも、支援が必要。健常者であれば当たり前の生活を、障害者は全部お金を払ってやれということなのか、「血を吐くような」障害者の訴えが、法案のもとをつくった審議会のなかでも出されたそうです。
そしていま、障害者団体あげて「応能負担から応益負担への変更は認められない」との、前代未聞の運動に、与党議員も揺れに揺れている----運動のすさまじさと、世論の力を実感できました。

フロア発言では、障害者本人、家族が次々発言。私は、何度かこのHPでも書いている娘の育成医療のことを発言しました。
集会後、福井さんと娘の口唇裂のことで言葉を交わしました。「患者団体というようにはなっていないんです」と私。「この指止まれで、田村さんが声をかけたら」と福井さん。
長年、運動をひっぱってきた人のパワーを感じます。

私に何ができるか、できることから、「できる範囲で」になってしまいますが、やっていかなければ!

6月9日(木)

竹ノ塚駅踏切 高架化への1歩が

踏切事故から3ヶ月が経とうとしています。いまだに高架化の検討がどうなっているのかが、見えてこない、この状況を変えようと、日本共産党として国土交通省への要請をしました。
(日本共産党 渡辺やすのぶ都議、党衆院東京13区国政対策責任者の私、党足立区議団、党足立地区委員会の連名です)

要請の焦点は、事故が起きた「赤山街道」を幹線道路とみなすこと。
踏切をなくすために、鉄道高架化をするには多額の費用がかかります。国の補助事業とすることで、費用のおよそ2分の1は国の負担となります。
ところが国の補助基準は、国道、都道、都市計画道路の踏切でなければなりません。区道である「赤山街道」は国の基準外であったために、高架化が棚上げされてきたのです。

要請への国土交通省の回答は「画期的」でした。
「都市計画道路として決定するかどうかは足立区の判断」「区画整理や道路の拡幅、新道建設などをともなわず、現状のまま都市計画道路と決定した前例がある」
つまりは、足立区が今の道路のまま「都市計画道路」と決定すれば、国の補助基準と合致するのです。

事故直後に、国土交通省に踏切解消についての施策説明を受けた時は、「都市計画決定をしたのに、現状を変えないというのはだめ」ということが言われていました。
それから3ヶ月、事故への批判も高まるなか、高架化への障害をとりのぞこうと国土交通省も動いているのでしょう。
やっと開けてきた高架化への道。工事に5年ほどがかかるというだけに、一日も早く事業化決定をしてもらわなければ。