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2005年2月
2月28日(月)
節約を強いる政治、この庶民の生活を知っていますか? 小泉さん!
「赤旗しんぶん」の読者を広げようと、綾瀬の地域を歩き回りました。
靴の型をたくさん置いている小さなお店(工場)、仕事の手をやすめて奥さんと話しました。
「お仕事はどうですか?」「まあまあ、うちは仕事をもらえるからね。どうにかやっていますよ」
若い人向きのデザインを研究して、返品されない仕事を心がけているそうです。
「でも、日常に履くような靴は、もう外国で安く作るから、たちうちできないですよ」
ものつくりが町から消えていき、一方で仕事がない人が増えていく。こんなことをしていたら自分の首をしめるようなものだと、話は続きました。
都営住宅のSさんを訪ねると、「福祉電話がきられちゃうし、年金は減るし・・・。もうどうしようもないよ」
新聞も図書館に出かけていって読むそうです。
脳梗塞の後遺症で介護度1、ヘルパーさんが週に1回来て、部屋の片付けなどしてくれるそうです。しかし、介護保険制度の「見直し」でそれさえ制限されかねません。
どこを訪ねても、今の政治に「文句」を言いたいことばかり。節約に節約を重ねる生活をどれだけ見てきたことでしょう。
それなのに、まだ所得税も住民税も増税が狙われている、年金・介護の保険料も値上げされる、どこまで追い詰めるのでしょうか。
政治を変えましょう!いっしょに力を合わせましょう! この思いを話した方々と共有したい、そのためには・・・? 私もまだ試行錯誤の毎日です。
2月27日(日)
我が家のひなまつり
実家で長い間「眠っていた」段飾りの雛人形、今年から我が家で飾ることになりました。
昨年までは、木目込みの男雛・女雛だけでしたから、飾るのもあっという間。ところが段飾りとなると・・・、こんなに大変だとは思いませんでした。
「これはどこに飾るの?」「この棒は何?」
広告や、以前飾った時に撮った写真を凝視しても、小さな「棒」の類になると、まったくわかりません。
とうとうギブアップ!
午後、我が家に集まった親戚に尋ねて、「それは五人囃子が腰につけるのよ」と教えてもらう始末です。
このささやかな「集まり」で、10数年ぶりに従弟に会いました。昔話に花が咲くかと思いきや、みんなが娘の遊びの相手にされて笑いっぱなし。何をやっても「かわいい」と言われる5才児は、大満足の一時だったようです。
核家族化、そして多忙な毎日。親戚との行き来も本当に少なくなりました。何かの行事を集まるきかっけにすることも大切だと思います。
私は自分の職業のこともあって、なんだか親戚との付き合いが「おっくう」になっていた時期もありましたが、自分につながる人の縁はかけがえのないものだと、だんだん思うようになってきました。
立場や考え方が違っても、久しぶりに会っても、ざっくばらんに話ができて、私という人間から日本共産党のことも知ってもらう、これは親戚だからこそですね。
2月26日(土)
「戦争を許さない」生き方をつらぬく人たち
明日付けの「赤旗」日曜版、一面で岸惠子さんが微笑んでいます。
以前にも「赤旗」のインタビュー記事で登場し、フランスのイラク戦争反対運動の様子などを語っていた記憶があります。「赤旗」に登場することは、著名人にとって勇気のいることです。民主主義の世の中にあるまじきことですが、マスコミから「干される」危険性があるというのです。
今回の記事で、岸惠子さんが「赤旗」にも登場して平和について語るのは、幼少から今日まで自身のなかに根付いている「戦争を許さない」思いからなのだとわかりました。
横浜での空襲の体験、反ナチ・レジスタンス闘士として生きた夫との関わり、ヨーロッパの日常に培われている第2次世界大戦の教訓・・・。
いま、「憲法9条を変えようとしている」という政治の動きに、「何かしなくては」と日本共産党への入党を決意する方が、身近なところでも生まれています。
いまの政治のもとで、何かをしようと決意する、この決意の輪がどこまで広がるかで、ここ数年の政治は大きく変わるのかもしれません。
そんなことを考えていたら、「民主青年新聞」の高遠菜穂子さんのインタビュー記事を「読んでみたら」と渡されました。
イラクで人質となり、武装した犯人グループと「こんなことをしても何も解決しない」と論争したということを、別の機会に目にしていましたが、この記事には「憲法9条を知らなかった」という小見出しがついていました。
帰国して、中傷の嵐のなか、激励の手紙やメールのいくつかに憲法9条のことが書かれていた、読んでみたら私の思いとまったく同じだった、というのです。
「戦争を許さない」生き方は、憲法9条に結びつく。それならば、憲法9条改悪反対の運動は、もっともっと大きく広がる、ロマンと大志をもって活動しようと思います。
2月25日(金)
桜にチュ―リップ、「テーマ・タウン」商店街
今日は、希望のわいてくる区議会傍聴でした。渡辺修次区議の質問は、区民の声にこたえて魅力ある足立区をつくる提案がもりだくさん。
荒川土手に五色桜を植えて、昔の姿を復活させてはどうか、春だけでなく秋桜・冬桜が楽しめる足立区にしてはどうか----「ここだから」という戦略をもって桜の名所をつくる、なんとも楽しく夢があります。
足立区の花、チューリップの群落。私の故郷、長野県ではコスモス街道が有名ですが、同じようにチューリップ街道やチューリップ公園ができて、秋には球根販売なんかもしていったら、町にチューリップが広がっていくように思えます。
日本共産党がとりくんだ区民アンケートで、「花や緑がもっとほしい」という要望がよせられていましたが、その声にもこたえる質問だったのでしょう。
商店街の活性化も、千住宿をテーマにとか、お大師さまをテーマにとか、町づくりと一体の提案でした。
足立の町づくりについて、足立区総合再開発協議会の方々と区議団の懇談に同席させてもらったことがあります(2003年8月8日の「出来事」)。
この時、私も「テーマ・タウン」を思い描きましたが、単なる懇談、夢物語にしないところが党区議団の力ですね。
商店街への支援については、これだけではありません。日常的な買い物が安心してできる町としての商店街の再生という提言。これも私が実感していることでした。
昨日も、近所の肉屋さんに買い物に行ったら、「この前、お兄ちゃんと妹さんで買い物に来てたけど、もう子どもだけでも買い物できるんだね」と声をかけられました。
息子をベビーカーにのせて買い物に行っていた時からのおつきあい。そういうお店だから、子どもだけでも買い物に行かせることができます。
数日前には、夜遅くまで店を開けている近所の八百屋さんでみかんを買おうとしたら、「今日はだんなさんと子ども達で、みかん買っていったよ」と教えてくれました。
生活を支えてもらっていることを、こんな小さなやりとりで感じます。
便利だから、品揃えがいいから、駅前などに大型店ができればそれでいい----のでしょうか。
町つくりを色々に考えることができた区議会傍聴でした。
2月24日(木)
足立区議会の傍聴に行きました。
いつも元気な伊藤和彦区議の代表質問。朗々とした声が議場に響き渡りました。
今年から増税がラッシュ、区民への影響の大きさを調べたうえでの質問には重みがありました。
消費税を新たに納税することになった中小業者約8500人、赤字だろうがおかまいなしに納税を迫られ、廃業に追い込まれかねない業者が少なくありません。
配偶者特別控除が廃止されたことで所得税が増税となった人は、約6万2000人。年金から引かれる所得税が増税になった人は約2万人。
収入が増えて税金が増えたわけではないのです。年金も減らされているもとで、給料も頭打ち・減収のもとで、税金が高くなる、なんという政治でしょう。
区は、この負担増をどうみるのか、区民生活を守るためどうするのか----地方自治体の真価が問われます。
「国の財政状況から負担増はやむをえない」という区の答弁には耳を疑いました。まず「お上」のことを思いやるではなく、まず区民のことを思いやる自治体にしなければ。
しかし、あまりの影響の大きさから、国民健康保険料の負担のあり方など検討したいという答弁もありました。
これまでも区議会は度々傍聴してきましたが、日本共産党の質問には、自民党・公明党からの野次が飛び交い、腹立たしい思いをしました。
ところが、今回、とくに国の増税をとりあげたところでは、野次の声が起きないのです。増税をすすめてきた政党であっても、庶民増税の深刻さを実感せざるをえないのでしょう。
来年には、住民税増税が待っています。収入は増えないのに、非課税から課税へとなった場合、国民健康保険料、保育料、介護保険料、都営住宅などの家賃などなど、いっせいに負担がおしよせてくるのです。いったいどうなるのか・・・。
今日の「赤旗しんぶん」には、こうした増税を中止するようもとめる署名がありました。
私も夕方には、消費税廃止各界連絡会の一員として、消費税増税反対の署名・宣伝に参加しました。
とにかく怒りの声をどんどんあげていきましょう。
2月23日(水)
「来年度から習熟度別で算数の授業」と聞いて・・・
今日もまたPTAの会議。年度末は大変です。
さて、この会議で校長先生が話した内容のなかに、来年度から学校はこう変わるというものがありました。
今年度は、算数で少人数授業をしてきた(一つの学年だけ)、3クラスを6つのグループにわけてきめ細かい指導ができるようにした。来年度は習熟度別にグループ分けをして算数の授業をする。学力は必ず向上する。
とうとう我が身にふりかかってきた「習熟度別」授業。黙って「そうですか」というわけにはいかないので、学校にも質問していかなければと思っています。
「授業の内容はどういう違いがあるのか」
「習熟度が低いという子どものグループへの差別意識を絶対につくらない保障はあるのか」
「習熟度別のほうが、学力があがる、という結果を必ず見せなければ、単に子どもを区別し、公教育で教育の内容に差をもたらすだけでしかない。それだけの重み、責任をもって実施するのか」
「もしも子ども達に亀裂や劣等感がつくられたとしたら、子どもの生涯にとっても取り返しのつかないもの。そうならないために、学校はどうとりくむのか」
いま、息子のクラスでもささいなことで「おまえレベルが低いんだよ」と、人を見下す言葉が飛び交います。
算数の授業のグループが成績によってわけられ、授業の内容も違う、ということを子ども達が知った時、どうなるのでしょうか。
仕事と両立して学校に関わることは、本当に大変です。でも、ここで黙っていては親の責務が問われる、そんな思いです。
2月22日(火)
私立幼稚園、入園料が9万円も!と驚きました。
忙しい一日でした。
午後から学校で授業参観やクラスの懇談会があり、終わってすぐに職場にもどり、女性分野の会議に出席。
仕事の途中でPTAの関係の仕事に出かけることも認めてもらえるからできることです。
さて、夜の会議にむけて、いくつか資料として調べたことの一つに幼稚園に通うための費用がどれくらいか、というテーマがありました。
足立区の区立幼稚園は、入園料6000円、保育料は、保育所と同じように収入に応じて決まるとのこと。
では私立は? いくつか調べて驚きました。
入園料8〜9万円+制服代や諸経費、月々の費用は基本が2万円の後半、施設費などを入れれば月3万円ぐらい。
これがだいたい共通しているようです。
保育所の保育料は、今、年長クラスならば、一番収入が高い層でも3万円にいかないぐらいです。
自分が幼稚園とは縁のない大人生活を送ってきたので、こんなに高いのか、あらためて思い知りました。
子育ての経済的な支援が必要というのは、多くの世帯に共通する課題なのだと思います。幼稚園、保育園の垣根をこえて、政治に物を言わなければ!
2月19日(土)
小林多喜二の遺志をうけつぐ1人として。
午後6時、冷たい雨のなか「小林多喜二没後72周年」の足立の「つどい」が始まりました。
日本共産党員であった多喜二、その遺志を受け継ぐ1人、日本共産党員の私を、実行委員会のみなさんが「来賓」として招いてくださいました。
「来賓なんて、おこがましいのですが・・・」と前置きしながら、あいさつしました。
あいさつで話すことを考えるため、学生時代に買った多喜二全集も、久しぶりに箱から出しました。まず開いたのは『党生活者』のページ。母親との「最後」の面会をする章は、なんど読んでも胸がつまります。
でも、今回は、面会を決断するまでの主人公の思いがつづられた章、多喜二が母親を未来の「同志」と受け止めている記述に注目しました。
貧困のなかで生涯を全うする母親、だからこそ、貧困を強いる政治・社会体制と戦う自分達と、根っこがつながっていることに、ゆるぎない確信を持っているのです。
私も、日本共産党に入り、歴史や政治のことを学び、そのなかで自分の母親・父親、自分をとりまく親戚や、お年よりへの心の寄せ方が大きく変わりました。
戦争の体験、戦後のどん底の生活、命を守るために働き、時に政治と戦い・・・こうしたことが生活感をもって自分に迫ってきた時、働いて社会を築き、私たちの世代を育ててきた人たちへの大きな尊敬の気持ちが根付いたのです。
「あいさつ」の準備で、いろいろなことを考えました。
働く人たち、人間らしく生きようとがんばる人たちへの敬愛があるから、日本共産党は(党員は)、その人たちが(自分もふくめて)苦しんでいる時に「他人事」にはできないのではないか。
苦しめているものの正体がわかるから、「その苦しみはあなたの責任なんだよ」などとは言わず、多くの人たちと連帯しようとしているのだということとか。
うまく言葉にできない思いや考えを、もっと整理し、深くとらえてみたいと思う一日でした。
長くなってしまいますが、この「つどい」で初演された「花ものがたり」、作曲者・丸山征四郎さんの指揮、作詞者・門倉?さんの朗読で聞くことができました。
ピースフラワー合唱団のうたごえも力強く、合唱経験者の1人としても心動かされる演奏でした。
2月17日(木)
介護保険がどう変わるか、厚労省の説明を聞きました。
小池晃参議院議員が説明を受ける場をもうけて、関係の団体などに連絡してくれました。私も「これは聞かねば」と国会に出かけました。
特別養護老人ホームへの入所者から、介護利用料とは別に、居住費(部屋代)と食費を負担してもらうという案が、昨年から話題になっていました。
ところが特養だけでなく、短期入所(ショートステイ)の人からも、部屋代と食費を徴収しようとしているのです。
短期入所というのは、在宅の人が数日とか1週間、利用する介護サービスです。
「特養に入所している人と比べて在宅の人の方が負担が重い。だから入所している人にもっと負担してもらって『公平』にする」----政府の口実さえも崩れます。
いま入所していて、経済的にとてもこれ以上の料金は払えない----この人たちは来年から5年間は「今のまま」という措置をとるそうですが、「お金がない」からと特養ホームから出ざるをえないような事態をまねく危険性はあります。
また、これからは30人規模こえる入所施設は、新規建設を認めない方向だということもわかりました。
やりくりが大変になっている入所施設、十分な予算配分がなければ、規模を小さくして運営することは一層大変になります。
実態をつかんで、政府に伝えて、介護の現場、なによりもお年よりが納得のいく「見直し」にさせなければなりません。
2月16日(水)
またも学校で・・・。殺傷事件を起こした少年の「思い」は何?
第1報に「また!」と声をあげてしまいました。幼い命が刃物で奪われた事件が起こったばかりです。
なぜこんなにも残忍な「無差別殺人」が繰り返されるのでしょう。
午後から夜にかけて繰り返される報道。
「事件を起こした少年が、窓から外をながめながらタバコを吸っていた」との説明に、「タバコは20歳になってからだよ」と息子。
「タバコより、人を殺してしまったことの方が許されないんだよ」
殺人という事件が遠いことだから、こんな反応をするのだろうと思いつつ、どんな親子の会話をしたらいいのだろうと考えてしまいました。
ゲームばかりしていたとか、中学から不登校だったとか、あいさつはきちんとする子だったとか、これからも情報があふれるのでしょう。
少年、青年、大人をふくめ、「特別な事件」「特別な人」では済まされないような残虐な事件が続いています。
「人格の形成」という教育の目標が棚上げされていることを不問にはできません。
学校から事実上「排除」されてしまった子ども、職場や地域社会から「排除」されてしまった青年・大人。
「排除」する仕組みを作っているとしかいえない、今の政治。
事件への怒りと同時に、事件の種をまきつづけているシステムに、やりどころのない憤りを抑えられません。
2月15日(火)
30人学級の要請行動、いざ都庁舎へ!
12時半、北千住待ち合わせ。5分前に到着すると、5人の方が私を待っていました。
4600人分の署名、その大半は渡辺やすのぶ都議にすでに渡してありましたから、カバン1つ分の追加署名をもって都議会議事堂に向かいました。
会場の第1会議室は広い部屋ですが、1時半に到着するとすでにいっぱいで席もほとんどあいていませんでした。
あとで聞いたら参加者は220人。私も立ち見参加となりました。
「30人学級を東京でも」の要請署名は、石原都知事と横山都教育長あてですが、今日出てきたのは「部長」さんたち。
「多くの道府県ですでに40人以下のクラス編成を実施していることは承知している。東京は独自の判断にもとづいている」
「教科に応じて習熟度別での授業などを行っている。学級規模を固定的にはとらえていない」
「切磋琢磨するには一定規模が必要」
「生活集団としての学級は40人規模でよい」
学校や子ども達の具体的な姿がまったくみえてこない、都教育委員会の説明。
参加者の発言は、具体的事例に満ちていました。私も「少人数授業」については、一言言いたい思いにかられました。
先日、クラスの母親が集まってざっくばらんな話し合いの機会をもちましたが、算数の授業についてこんな話がありました。
「いま算数はクラスを小さくわけて授業やってるんだよね。だれが教えているの?」(担任以外の先生が教えている場合、どんな先生なのかも保護者にはわからないことがあるのです)
「先生によって教え方が違うので、うちの子はとまどっているみたい」
それではと、教え方を統一したら先生の個性がなくなってしまいます。
肩透かしのような回答しかしない都教委。でも最後には「都民のみなさんの期待にこたえる教育の実現に努力する」と言いました。
30人以下のクラス編成への「期待」の大きさをさらに示していきましょう!
2月11日(金)
NHK受信料、支払い保留の気持ちがわかります。
朝のラジオ第1放送、「建国記念の日」についてとりあげていました。
「日本の国の起こりを考えることは大切」など、2月11日の意義をあるジャーナリストが熱心に説いていました。
「国を大切に思う心」とか、「他国に例のない長年の天皇制の歴史」など、首を傾げたくなる話が続きました。
アナウンサーが「違う考え方もあるようですが」と、「バランス」をとるような話に水を向けると、
「でも共産党を含めて、日本の政党は天皇制に反対していない」----だから国民全体が天皇制を受け入れているというのです。
従軍慰安婦について特集した番組が、政治圧力で大幅な変更を押し付けられた、この問題の根っこにも天皇をどうとりあげるかにありました。
昭和天皇の戦争責任を追及することはご法度、国民は天皇を敬愛して当たり前、こんな「おしつけ」が日常茶飯事なんだと、実感しました。
ちょうど「赤旗」の「主張」欄に、そもそも2月11日を「建国」とすることの「でたらめさ」が詳しく書かれていました。「日本書紀」の記述にもとづけば、縄文時代、まだ文字などない時代に「建国」したことになるのです。
「お話」と歴史は違います。神話を歴史にすりかえて普及しようという動きをよく見極めていこうと思います。
2月7日(月)
地方議員のみなさんが政治の「おかしさ」を次々告発
日本共産党の国会議員と地方議員の懇談、国政選挙の予定候補者として私も出席しました。
直接、さまざまな生活相談に応じたり、暮らしに直結する地方政治を担当しているので、国が決めた方針・施策が具体的にどうなるのかを示す話がたくさんありました。
なかでも驚いたのは、板橋の区議さんが発言した介護保険の問題です。
介助が必要なお年寄りが、通院する時にヘルパーさんに付き添ってもらう場合、付き添い(介助)は病院の玄関までしか認められない、と区が指導しているというのです。
半身不随などのお年よりが、玄関までは体を支えてもらっても、そこから先は1人で歩けというのでしょうか。区は、看護士の仕事だというけれど、そんな余裕が病院にもありません。そういう体制をとっていない病院で、事故があったらどうするのでしょう。
診察室への同席も「だめ」というけれど、食事の状況、体調など、ヘルパーさんが詳しくつかんでいる場合もたくさんあります。まして、言語が不明という場合、医師から何を支持されたか、ヘルパーさんが家族に伝えているのが現状です。
「介護保険と医療保険の2重利用になる」----とんでもない理屈です。
その他、「そんなひどい」という告発が多々ありました。暮らしを政治に結ぶ仕事、どうなって進めようかと思いをめぐらす一日でした。
2月6日(日)
クラスのお母さんたちと初めての懇談会
3年生の息子のクラス、1月の保護者会で1人のお母さんが「子どもが学校に行くのが苦痛になっているようだ」と悩みを話してくれました。
子どものなかでの悪ふざけなのか、「いじめ」なのか、状況がよくわからないままでしたが、参加したお母さん(お父さんはいないんですよね)たち、みんなが心配をして「なんとかしなければ」という立場で話し合いがすすみました。
学校やそれぞれの家庭での子どもへの対応だけでなく、親同士が親しく話ができる関係も必要ではないか・・・。
そんなことを考えて、地域の集会所を借りて、お茶会のような集まりをもってみました。
働いている親は、保護者会にも授業参観にもなかなか行かれないものです。初めて顔を合わせる方が何人もいました。
自己紹介(子ども紹介ですね)から始まって、ざっくばらんに学校のこと、子どものことなど話しました。
「学校の様子はほとんどわからなかったので、いろんなお話が聞けてよかった」
「学校のことで、おかしいんじゃないかと思ったら、率直に意見を先生たちに言っていかないと」
本当にいろんな話ができて、笑いもいっぱいあって、悩みや胸のうちにしまってきた思いも出し合って、3時間近い時間はすぐにたってしまいました。
こういう機会が必要だよなと、実感しました。
今、学力の問題、子どもの荒れの問題など、不安なことがたくさんあります。学校や教育委員会、文部科学省が次々に「教育改革」といってすすめる内容も、親にはほとんど説明もなく、まして意見を聞いてもらえる機会など待っていたら絶対にないのです。
できるところから、親も声をあげていく時ですね。
2月5日(土)
小森陽一さんの講演に期待がふくらみます
「9条の会」の事務局長。今日も東京都内で講演をしていますし、2月15日には足立区の区民集会で講演の予定です。
区民集会を成功させるために、私も党のニュース作りを担当しました。
小森さんの写真を入手できないかと、インターネット検索。すると、各地での講演の案内や、講演を聞いた方の感想をみることができました。
教育基本法の改悪----愛国心や奉仕を書き込もうという動き、「ひとしく」「すべて」などの言葉をとってしまった、国民の教育を受ける権利を狭めようという動き
憲法9条をくずしてしまう動き
「黙っているわけにはいかない」「できることから」と、思いを駆り立てる講演の様子が伝わってきます。
私も15日の区民集会に参加します。青年の「9条の会」や、医療関係者の「9条の会」なども登場の予定。楽しみです。
「9条の会」の各地での集会は、第二会場を必要としたり、会場となる建物に入りきれず建物をとりまく人の輪ができたりと、大きな共感をよんでいます。
足立から「9条の会」への連帯をしめす集会にしたい、その思いが強まりました。
(「9条の会」のHP http://www.9-jo.jp/)
2月4日(金)
子ども達への絵本の読み聞かせ
私も会員になっている新日本婦人の会。親子リズムという集まりが各地で開かれています。今日は、その集まりの一つで念願の絵本の読み聞かせをさせてもらいました。
会場をのぞいてみたら、3才前後の子どもたちが10数人、お母さんといっしょに元気にリズム体操をしています。
「え、こんなに大勢なんだ」と、ちょっと不安に。集中して聞いてくれるかな。人見知りで「知らないおばちゃん」と拒否されるかも・・・。
リズムの最中にも、子ども達との接触を試みました。双子を相手にしているお母さん、1人をだっこすると、もう1人は待つことになるので、「おばちゃんとやってみる?」と声をかけましたが、その子は固まってしまいました。「知らないおばちゃんだもんね。ごめんね」と、引き下がりました。
会場を抜け出そうとする子どもを発見。「どこに行くのかな?」と、くすぐったり、つついたり。面白がって何度もそばに寄ってきました。よし、いい調子だぞ。
リズム体操が終わって、いよいよ出番。「今日は、絵本を読んでくれる先生がきてくれました」(いや〜先生ではないんだけど・・・)
子ども達が座ってこちらを見ています。まずは、『もこ もこ もこ』をとりだしました。座ってくれた子どもは、みんな集中して、「どうなるの?」という目を向けています。
初めてにしては上出来でしょう。
ところが2冊目からが大変でした。子どもはもう私にも慣れて、私に急接近、絵本の前にたちはだかってしまうのです。私の絵本を持つ手はどんどん高くなり・・・。
「これでおしまい」と本をしまったら、「また本読んでね」という女の子もいて、心の中で「やった!」とガッツポーズ。
子どもたちとの楽しい一時があった同じ日に、愛知県で乳幼児への殺傷事件が起きたとニュースが繰り返されました。
1歳になろうという赤ちゃんになぜナイフをむけることができるのでしょう。何が、人間をこんなにゆがめてしまうのか。
犯人への怒りと、被害にあったお母さんの苦しみに、胸がつまってしまいます。
2月3日(木)
竹中さん、国民のくらしが想像できますか?
今日も携帯ラジオのイヤホンをつけたままの一日。夕方4時半前、ようやく予算委員会の志位さんの質問が始まりました。
テーマは「7兆円の負担増」。このときばかりは、テレビの画面に見入りました。
パネルで表を示す質問は、日本共産党が普及したと言っていいでしょう。国会秘書時代、同僚秘書がわかりやすい表にしようと、前日までパネル作りをしていたことを思い出します。
今回のパネル、折れ線グラフの一つは右肩上がり、もう一つは下降の一途。企業利益と家計所得のグラフだという説明に「う〜ん」とうなってしまいました。
リストラ・賃金カット、派遣社員などの急増で、企業の利益はぐんぐん上昇中。その分、家計が苦しくなったことは一目瞭然です。
ところが小泉首相は「所得も増えるだろう」ぐらいの答弁しかしないのですから、「なんとお気楽な」首相なのでしょう。
腹立たしいのは竹中大臣です。これまで日本の人件費は高すぎた、ようやく高すぎた分の半分が解消されたのだ----なんという生活観のない答弁でしょう。
人件費が高すぎたことが日本の経済を危機に追いやった、構造改革でこれを是正している、というのです。
日本の経済をだめにしたのは、バブルで無謀な投機に走った大企業ではなかったのでしょうか。
正社員が派遣に置き換えられることが「当然」。自立できない給料で苦しむ若者がいても「当然」、年収が激減してもまったくの他人事。
利益のために暮らしを破壊しても「仕方ない」どころか、それを「もっとやれ」と応援する政治の本性がはっきりとみえました。
「竹中大臣、許すまじ」と、中継が終わった後もしばらく怒りがおさまりませんでした。
ところで、今日は「豆まき」の日。昨年同様、娘は保育園で鬼が登場する前から大泣きで、先生の後ろに隠れていたとか。
家でも「鬼がきたら大変」と、惜しげもなく炒り豆をまきました。
国民いじめの悪い鬼のような政治にも、国民の怒りの豆をぶつけようではありませんか!
2月2日(水)
ラジオで予算委員会を聞きながら
国会で審議が始まった予算案の内容など、たまっていた新聞を切り抜きながら「勉強」しました。介護保険の「見直し」、障害者施策の「改革」・・・どれも国のお金は出し惜しみ、国民のふところからもっと出させる「しかけ」が鮮明です。
目は新聞などの記事、耳はラジオの国会中継。
自民・公明の与党と民主党の応酬がきわだっていました。与党は、民主党議員の「公選法違反」、政党助成金の個々の議員への配布問題など、首相や大臣に見解を聞くという質問。民主党は、日本歯科医師会の橋本元首相への1億円献金問題など、政治献金問題。
昨日、日本共産党の井上哲士参院議員も政治献金問題を厳しく追及していましたが、政治不信をもとから正すことは、この何十年という間、政界の大問題だったはずです。
与党と民主党、いわゆる2大政党ではたして、政界汚職、政治と金の問題などを大本からただすことができるだろうかと、応酬を聞きながら思いました。
企業・団体献金を「よし」とする、政党助成金も「必要」という、団体や企業の「ぐるみ選挙」は当たり前----2大政党のどちらも同じ立場ではないのか。
日本共産党の議席が伸びた国会では、「ムネオ」疑惑の追及が逮捕にまで結びつきました。
1億円もの政治献金を「忘れた」で済ませようという橋本元首相、違法行為が明らかなのに「逮捕」も「起訴」もない。この国会でどこまで追及が進むか、日本共産党の質問時間が少ないことが本当に悔しいです。
2月1日(火)
寒風のなか東綾瀬の町を歩いた2時間半。
東綾瀬の党支部のIさん、こつこつ町を歩き、日本共産党の政策をハンドマイクで訴えて回る活動を毎日のように続けています。
私も今日は、Iさんと2人組で町を歩いて、渡辺やすのぶ都議のリーフを渡しながら政治のことを話し、「赤旗しんぶん」をすすめました。
寒波到来で風が冷たい! 手がかじかんできます。
私が生まれる前年に建設された公団住宅。建替えの準備が進んでいます。さざんかの植え込みも、おそらく垣根といえる高さだったのでしょうが、今は2メートルをこえる高さにまで育っています。
Iさんが、公団に住み始めた頃のことなどお話をしながら歩いていると、保育所から子ども達が散歩に出かける場面に出会いました。
「私たちが子育てを始めた頃、ポストの数ほど保育所をって運動が広がったんですよ」
訪ねたお宅では、年金が下がってほんとに困っている等々、今の政治でいいのかという思いが感じられました。でも、政治を本気で変えていく道、展望が見えてこないという、あきらめの気持ちも広く深くあるのだなと実感します。
日本共産党が大きくなっていかないと、と思います。力がないとは言わせない、そんな奮闘をしなければと。
公団の近く、高層マンション建設反対の横断幕が何枚も張られている地域がありました。
町づくりのために立ち上がる力は、決して小さくない。力を集めたり広げたり、引き出したり、何がどうやってできるのか、考えながらの半日でした。