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2005年1月
1月31日(月)
米軍のためなら、住宅も体育館も野球場も税金でつくるなんて!
「赤旗しんぶん」を広げて、目を見張りました。米軍にポンと「思いやり」----2005年度の予算案で在日米軍への「思いやり」予算がどうなっているか、一覧表になっていました。
知りたかった情報の一つです。
家族住宅、体育館、小学校、プール、野外運動場・・・。滑走路や倉庫など、直接、軍の活動に関わるものだけでなく、実に至れり尽せりの施設整備がぞろぞろ。
新潟中越地震でも、被害にあった住宅の再建には「私有財産だから補償できない」と、国の補助制度を否定しているのに、米軍の家族住宅建設には税金をあっさり提供する、本当に腹立たしいではありませんか!
今月の初め、渡辺やすのぶ都議からの要望で、小池晃参議院議員の事務所と連携して、障害者入所施設への補助金について厚生労働省への要請をセッティングしました。
足立区内で新設予定の施設、国の補助金がおりないのではないかという不安が広がっているのです。
2005年度の障害者施設整備費は、わずか101億円だそうです。「新設は基本的には認めない」というのが国の姿勢。101億円には、大規模改修費などが含まれているというのです。
米軍「思いやり」予算は、2378億円。米軍のための施設整備費、しかも日本が負担する義務のないお金です。
待機児童が多数いる保育所、来年度は、保育所・児童養護施設・乳児院あわせて167億円しか予算計上をしていません。
必要な施設整備にはあまりに冷たい、アメリカ軍には実にあたたかい、こんな政治を絶対に許すわけにはいきません。
1月30日(日)
子どもは風の子、夕方まで公園で遊んでいました。
月末は党の活動も忙しいのですが、今月は夫が昨日から出張。みんなに申し訳ないな・・・と思いつつ、子どもと過ごす一日でした。
日差しは暖かいけれど、風は身を切るように冷たかった午前中。我が家に息子の友だち、娘の友だちが遊びにきました。
家の中ではゲームに集中してしまうのが気になりますが、その時間に家の掃除に集中することができました。
「はい、この部屋も掃除するからゲームはおしま〜い」と声をかけると、素直にゲーム終了。ほっとします。
午後は、さらに友だちの輪を広げて近くの公園へ。小学生4人組は、縄跳びやボールで駆け回って遊び、私にも仲間に入れとボールが飛んできます。
保育園の娘3人組は・・・。それぞれの興味があったり、「貸して」「だめ!」の争いがあったり、なかなか一筋縄ではいきません。
一番年上の娘が、すねてしまった友だちに声をかけたて遊びに誘う場面もあって、「なかなかやるじゃない」と見守っていました。
自分のお母さんが、他の子どもと仲良くすることが「許せない」のが、この年代なのでしょうか。他の友だちと遊んでいても、そんな場面に時々出会います。これも少子化の影響なのかな、などと考えてしまいます。
「赤旗しんぶん」で「少子化」を考える連載が続いています。毎日、真っ先にこの記事を読んでいます。産院の不足、保育園の不足、「本当に少子かなの?」と私も経験してきた一人です。
親の子育ての難しさを親の立場で考えると同時に、子どもには「少子化」がどんな影響を与えているのか、子育てのしにくい世の中が子どもにとっては「子どもとして生きる」ことを難しくしていないか・・・。思うことはたくさんあります。
1月29日(土)
「この子は何歳?」児童労働のレポート
郡山総一郎さん、イラクで拘束され無事解放された3人のなかの1人として、私も初めてお名前を知りました。
イラクでどんな仕事をしていたのかの一端がわかる写真集『未来って何ですか ぼくがいちばん撮りたかったもの』(新日本出版社)を手にとりました。
瓦礫の町、誤爆の跡にのこる手作りの人形、下半身のやけどの治療で泣き叫ぶ子ども・・・。「爆撃で多数の死傷者」というとき、そこにどんな苦しみがあるのか、痛みがあるのか、それを知ろうイラクを訪ねたことも、激することなくつづられています。
戦争や紛争だけではない、より当たり前のように続いている児童労働の現場にも目を見張りました。
アフガニスタンへの空爆で、難民がおしかけたパキスタン。難民の子ども達は、れんが工場やカーペット工場で働いているのです。なかでも驚いたのはカーペット工場の写真。まだ言葉も片言を話し始めたところでは?と思える、とても幼い子どもがカメラを見つめていました。
「この子は何歳? 2歳そこそこでは?」
自分の子ども、保育園の友達の小さな頃を思い出してみても、こんな作業ができるとは思えません。遊びでさえも、次々に関心が動く時期。
そんな時期の子どもをひとつの作業に何時間も拘束するとしたら・・・この子の成長はどうなるのか。
これが「テロとの戦い」がもたらしたものなのでしょうか。爆撃で奪われる命だけでなく、その後も長く長く続く苦しみや困難が子どもたちを襲うのだと、胸が苦しくなってきます。
郡山さんは、4月24日(日) 足立の青年たちが企画する「足立9条のつどい」に来てくださるそうです。ぜひ私も話を聞いてみたいと思います。
1月28日(金)
要求を語り合った2時間
東京選出の国会議員と東京で活動する様々な団体の方々との懇談会がありました。小選挙区予定候補の1人として、私も会場の衆議院議員会館へ。
視覚障害者の団体から参加した方、昨年12月も鉄道のホームからの転落事故で2人の方が亡くなったと話されていました。駅員がどんどん少なくなり、ダイヤは過密になり、転落事故は後を絶たないのに、ホームへの可動式ドアの設置は遅遅として進まない・・・。
横断歩道への点字ブロック設置(どこを渡っていいのかわからなくなるそうです)、銀行の通帳記入への点字適用など、指摘されなければ気づかずにいる問題がたくさんあることがわかりました。当事者の方から話を聞くことの大切さが身にしみます。
臨海再開発の問題を追及する市民団体の方、第3セクターの破たん処理がどうなっているかという問題提起がありました。
経営破たんが明らかなのに、今も、都庁で働いていたお役人が天下り、年俸・退職金を多額に手にしているようです。年俸や退職金がいくらか、情報公開を求めても「プライバシーに関わること」という理由で開示しないそうです。そんなひどいことがあるのでしょうか。
議員からは、国会の動きも報告されました。憲法調査会の論点整理で、「象徴天皇制を見直す」「集団的自衛権について見直す」などの内容がもりこまれそうになり、「これでは改憲そのものではないか」と日本共産党の山口富男議員が指摘して、「このままではまずい」という流れになったとか、憲法問題のNHKの特集番組後、自民・公明・民主の議員達が「集団的自衛権については、ああいう言い方ではだめだ。もっとわかりやすくしないと」など「反省会」をしていたとか、臨場感あふれる話にメモをとる手に力が入ります。
早く私も国会で働きたい、国会とくらしを結びつける活動をしたい、という思いがこみあげる2時間でした。
1月25日(火)
真珠湾攻撃と東条英機のこと
いま、日本共産党の綱領を学ぼうと、不破さんの本(『新・日本共産党綱領を読む』 不破哲三著 新日本出版社)を職場の仲間と学習しています。
これが、なかなか面白い。日本の近現代史のなかで、日本共産党のことがわかる、歴史読み物のような始まり方なのです。
同じようにこの本を勉強しているという、Sさんと話す機会がありました。
「いや〜面白いね。はまってしまうね」とSさん。「真珠湾攻撃を東条英機も知らなかったなんていうのは、びっくりしたね」
これは私も驚きでした。東条英機が首相になったのは真珠湾攻撃の約2ヶ月前。ところが、この攻撃について知らされたのは直前の12月1ないし2日だったというのです。
すでに、攻撃のための艦隊は配置済み。当時の内閣がどういうものだったのか、戦争遂行の中心部が天皇と軍部であったことなど、このエピソードでも浮き彫りです。
新しい憲法がどのように作られたか、これも豊富な資料で示されていて、今の憲法をめぐる議論を考えるうえでも必読ものです。
それにしても、私自身、学校教育では近現代史を学んだという記憶がほとんどありませんが、少なくとも戦争への道を歩んだ歴史、戦争の歴史、現代社会の土台がどのように築かれたかという歴史など、絶対学ばなければいけないことだと思います。
ヨーロッパでは、アウシュビッツ解放60周年で大きな式典も開かれ、歴史への「共通の認識」が確認されているのに、日本とアジアでなぜ「共通の認識」がいまだにつくられないのか、腹立たしい限りです。そればかりか、アジアへの侵略戦争の美化が政治主導で狙われる----事実を隠すことも、ゆがめることも歴史と人類への大罪です。
1月24日(月)
インフルエンザから復活
先週1週間、娘から息子そして私へと、インフルエンザのウィルスが我が家を席巻していました。
涙目で一日ぐったりしていた娘は、3日たつと熱はあっても元気になり「何して遊ぶ?」を連発。ぐったりしている兄の横で、手まりの練習をして、ボールが兄にぶつかりそうになると口元に手をやって「しまった」のポーズ。
私も横になっていたいのに、かなりつきあわされました・・・。
月曜日、やっと3人そろって「平熱」にもどりました。体調管理をしっかりして、予防接種もやらなければいけなかったと、反省しています。
学校でもはやり始めた様子。みなさんもどうぞお気をつけ下さい。
さて、復活したその日が毎月24日の消費税宣伝。少々不安ではありましたが、夕方、北千住駅東口の商店街へ。
「署名だけでいいんですか?」と言いながら、増税反対の署名をしてくれた1人の女性。「手が冷たいね」と、私の手をかかえてこすってくれました。その後も、なんだか立ち去りがたそうにして、私やほかの宣伝中の人に話し掛け、そのうち署名をよびかけてくれているような雰囲気も。
もっと広く行動に参加できるやり方を考えていきたいものです。
宣伝行動の終わり頃、「あんた選挙に出た人でしょ? なんとか智子」と声をかけてくれた男性がいました。1年以上たって覚えていてくれたのかと、嬉しくなりました。
東京の小選挙区候補(第1次分)も発表になりました。ふさわしい活動をしなければと、背筋がのびる思いです。
1月12日(水)
ビラ配布で逮捕・起訴に抗議
昨年末から「こんなことって」と、憤りを持っていた事件です。葛飾区内のマンションのドアポストに、日本共産党の区議会報告などのビラを配ったら、「住居侵入罪」だといって逮捕。拘留期限を次々に延長して、とうとう昨日、身柄を拘束したまま起訴してしまったというのです。
オートロックでもないマンションの共有の外廊下、政党の活動や主張を知らせるビラを配るために歩いたら「罪」なのでしょうか。
「正当な理由無く立ち入った」といいますが、それでは、政党や団体などは、どのようにして多くの人に活動を知らせたらいいのでしょうか。
配布していた男性を取り押さえた、警察関係者と思われる人は「精神的な苦痛」を受けたそうですが、たとえば自分と異なる意見は「見たくもない」、だから逮捕されて当たり前というのでは、民主主義は土台から崩れてしまいます。
有事法制では、政府が必要と認めたら「国民の権利を制限する」こともできます。政府に批判的な意見の宣伝行動は、根こそぎ「逮捕」の対象とされかねない、危険性をひしひしと感じます。平然と起訴した、東京地検に私も抗議します。
この事件に怒っている人はもちろん、疑問をもつ人も、その思いを東京地検にバシバシつきつけましょう!
東京都千代田区霞が関1−1−1東京地検 崎坂誠司検事
1月10日(月)
成人式 晴れ着の波間で宣伝
綾瀬駅から東京武道館へ向かう道、振袖の女性たちの列が続きます。スーツが主流の男性のなかにも、真っ白な羽織はかま姿があったり。
そんな華やかな若い人の流れの合間で、日本共産党の成人式宣伝をやりました。
振袖姿ではビラを受け取る気持ちにはなれないのか、なかなか難しいものです。
それでも晴れやかな青年の顔を見るのは、なんだか嬉しいものです。同じ振袖姿でも、それぞれに個性が感じられるから不思議です。
こういう青年が、就職活動となると個性を押し殺したスーツ姿を「強要」されてしまうんだよな・・・そんなことを考えてしまいました。
マイクを持った時にも、「日本共産党がめざすのは、1人ひとりの能力や社会に役立ちたいという願いが生かして働ける社会」と訴えました。会社の横暴勝手で、個性も自分の意志も、仕事も奪われる、そんな社会を変えていこう----今日の晴れやかな顔が、働く場でも生かされるように、力を合わせたいです。
この宣伝行動と時を同じくして、夫は車の修理のために出かけました。
私が車庫入れに失敗して、修理が必要になってしまったのです。あ〜いくらかかるのやら・・・。これ以上傷つけないよう、がんばります。
1月9日(日)
足立新春のつどい 1450人が集まりました
東京から3時間かけて、福島県いわき市へ。バスでの大移動です。
我が家も自家用車で家族そろって、いざスパリゾート・ハワイアンズへ。
政治集会の司会としてステージに立つと、2年前にここで、足立のみなさんへの「お披露目」をしたことを思い出しました。
「田村智子って何者だ?」という方がほとんど。まだ国会で働いていたので、名刺も控えめな秘書の名刺。それからいろんなことがあったな〜。
今回、ステージの真中には、「どでかい」渡辺やすのぶ都議のポスター(拡大版)、都議選だ!と気運がもりあがります。
久しぶりの司会は、ちょっとあがってしまって・・・でも、会場のみなさんと一緒におおいに気持ちが昂揚しました。
プールと温泉を楽しむ父子、こんな楽しそうなところでの別行動は少々つらいのですが、会場の半分ほどをまわり歩いて、いろんな方と楽しく話し込みました。体を心配してくださる方、少々丸くなった顔をみて「その方がいいよ。迫力がある」と激励してくださる方、うれしいものです。
ところで、自家用車で来たのには訳があって、帰りの常磐自動車道、首都高速、そして自宅まで、なんと私が運転したのです。
初めての高速道路、「車線変更なんてとんでもない」と左車線をひたすら走り、そのうち軽トラックの後ろにつけることになり、時速80キロという制限速度を見事に守る運転でした。
料金所も手が届くところに停車でき、その後の合流もはらはらしながらクリアし・・・。無事、帰宅できました。少し度胸がついたような気がします。
1月6日(木)
大師参道で署名のよびかけ
西新井大師の駅前は、焼きいもの匂いがたちこめていました。手先が凍えそうな寒さのなかでは、とりわけ魅力的です。
立ち並ぶ露店のまん前ではやりにくいな・・・と思いつつ、核兵器なくせの国際署名の行動を始めました。原水爆禁止足立協議会の「6・9行動」です。
今年5月に国連で開かれる軍縮会議に、核兵器廃絶のプログラムをもつよう各国政府に求めようというアピール署名。(日本原水協のHPから→http://www.antiatom.org/sign.html)
「世界56カ国でとりくまれている署名です」「国連に届けます」とよびかけると、何かな?という顔で視線を向ける方が大勢います。でも、立ち止まって署名までは・・・という方がほとんど。
そんななか、「5月に国連に持っていくの? それじゃ書かなきゃ」と年配の女性がペンをとりました。隣の女の子がのぞきこみます。「お母さんといっしょに署名する?」、年配の女性(おばあさんでしょう)が声をかけるとコクンとうなずいてくれました。
お母さんが名前を書き、その横に1文字1文字ていねいに名前を書く女の子。小学校1年生だそうです。
若い夫婦で相談して、高校生ぐらいの男の子が少しためらいながら・・・こんな1筆1筆がとても大切に思えます。
1人の力は小さくても、それが日本中で、世界中で、集まっていったらきっと世界を動かせる。私の名前・意思が国連に届くのだ!と思うと、この署名運動がとてもロマンに満ちたものに思えてきました。
1月5日(水)
息子の書初め
朝、私が出かける前に「書初めやっちゃうから、みてて」と準備を始めた息子。
書道の授業時間がほんのわずかなのに、学校があっせん販売したのは白毛のふと筆。柔らかくて書きやすいといえるのかな・・・私が子どものときは、まず腰が強い茶毛の筆だったような。
「お正月」の「お」は、筆の運びが難しく、一緒に持って書いてみました。12月に何度か学校で習ったぐらいでは、基本的な筆の運びさえ習得するのは難しいはず。先生も三十数人の子ども1人ひとりの筆の運びを見るなんて不可能でしょう。
結局、上達したい子どもは塾で・・・ということでしょうか。
国立大学の授業料も、1年間の支払額は50万円を突破。来年度もさらに値上げさせようとしています。(参照 http://www.jcp.or.jp/youth/gakuhi/index.html)
学ぶのにはお金がかかる、お金がなければ学べない、こんなことが平気ですすめられている理不尽さ。
小中学校でも、学校では「最低限」を教えるが、それ以上は自分でお金をかけて学べという道がつくられていくように思えます。
息子は左利き、でも右で書く字は意外に味のある、迫力にみちた字です。
学校でもう少し習ったらおもしろいのにな・・・。そういう子どもが、いろんな分野でたくさんいるはず。個性や能力を育てていく学校にしていきたい、そのために親は何ができるのかと考えながらの書初めでした。
1月4日(火)
2005年 今年もよろしくお願いします。
仕事はじめです。
終戦から60年、節目の年。
CS放送で視聴した、日本共産党中央委員会の「旗びらき」でも、志位和夫委員長が節目にあたって、日本が直面する課題ということを話していました。
過去の侵略戦争を「正しい」、あるいは「仕方がなかった」と、美化することを許さない。
不戦の誓い、世界平和を極限まで追及した憲法9条の改悪を許さない。
国連憲章の平和の原則をつらぬく世界秩序。それにもとづいた自主的な外交。
アメリカのイラク戦争をめぐっても、日本は当事者から一歩引いた位置にいて、戦争と平和のことを論ずる----こんな傾向を自分の中にも感じていただけに、「日本の課題として」というとらえ方は、いつも貫かなければと思います。
ところで、今日の「赤旗」、渡辺えり子さんと斉藤貴男さんの対談には、ぐいぐい引き込まれました。
特に渡辺えり子さんの戦争を許さない行動力には、感服、感動!
ぜひぜひお読みください。我が身を振り返らずにはいられません。