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2004年10月
10月31日(日)
朝の悲惨なニュース。暴力で何が解決するというのでしょう。
昨日から錯綜したイラクでの「日本人の遺体発見」ニュース。「人違いだ」と伝える朝刊を見ていたら、「別の遺体が見つかったって」とラジオでニュースを聞いていた夫が教えてくれました。
頭部のない遺体・・・なんて残虐な・・・。
サマワの自衛隊基地も標的にされているというニュース。いつ、「自衛」と言って武器をイラクの人たちに向けるかわからない事態が進行しているのではないでしょうか。
自衛隊のホームページもあらためて見てみました。サマワで何をしているのか。学校の再建などの写真が掲載されて、「復興支援」を強調していました。
でも、「赤旗」報道では、市民に銃を向けるオランダ軍に水を提供していること、基地の周辺では完全武装して銃を持った隊員が警戒態勢をとっていることなどが伝えられています。
基地が町の広大な敷地を利用しているために、目的地に行くのに迂回をしなければならないイラク市民、市街地ではそのことでトラブルも起きていると言います。
銃が市民に向けられる前に撤退を。
そしてあらゆる暴力を認めない、もちろんイラク戦争も誤りであったという原点を確認しなければ、テロとの本当のたたかいは始まらないと思います。
10月30日(土)
PTAの行事のフェスティバル。でも、やっぱり雨なんですね。
どうして今年は雨にあたるのか、運動会(学校、保育園とも)、遠足も雨。今日もまた雨。校庭でやる予定の企画のほとんどが、校内になってしまいました。
いくつかのゲーム、バトンの演技が体育館に集中して、汗をかくほどの熱気でした。
担当したのは、バケツ玉入れ。運動会の玉入れの玉をつかって、バケツにいくつ投げ入れられるか、というシンプルなゲームです。年齢で距離を若干かえて、制限時間10秒、これがなかなか難しい・・・。
父親に連れられて、息子と娘もやってきました。「2つ入った〜」と喜ぶ娘、うまくいかずに悔しがる息子。係に徹しなければならない私は、話し掛けてくる2人を適当にいなして、次の子どもの対応に・・・。
こういう子どもと遊ぶという行事、好きですね。「10秒はあっという間だよ、がんばってね」「一つも入らない子は何人もいるんだよ。また挑戦してみてね」などなど、ついつい子どもたちと話してしまうのです。
できれば、青空の下、歓声をあげながらやりたかったものです。
子どもを学校に通わせるようになって、私は「主婦」の皆さんがとても大切な役割を果たしていることをあらためて知りました。学校の様々なとりくみは、PTAの役員さんたちが献身的に活動しなければ、とてもやっていけないものです。日中から学校に集まって、会議や準備をこなしているPTAの皆さん、すごいです。係になってみて、そのことがよくわかりました。
最近、「主婦パッシング」ともいえる動きがありますが、地域にとって昼間、地域や学校で活動できる人、というのは欠くことができない存在だと思います。女性が働くかどうか、「主婦」の存在をどうみるか、なかなか難しいものですが、事実としていま、学校や地域を支える力を過小評価してはいけないというのが、今の私の意見です。
10月29日(金)
交通事故での死者8000人を46年ぶりに下回った(昨年度)。
教習所で、交通事故についての講義を受けました。死者数は年々、減少しているけれど、事故の件数、負傷者数は増えつづけているのだそうです。
私はほぼ毎日、自転車に乗っています。自転車通勤するようになってからは、ヒヤっとする経験が何回かありました。教習所に通い始めてからは、自転車でも左右の確認はもちろん、時には後方確認もするようになりました。
死者数7702人(昨年度)というのは、決して少ないとはいえないでしょう。それでも、減少してきているのには、交通事故をなくす様々な努力があるのだとは思います。足立区の日本共産党区議の活動でも、危ない交差点に信号・カーブミラーをつけるというのは、地域のみなさんの声を聞いて機敏に対応・交渉をしています。
危ないなと思ったら、すぐに問題にすることが、事故を未然に防ぐ大切な活動なのだと、実際にハンドルを握って実感するようになりました。
ところで、交通事故の犠牲者を考えた時、私がどうしても思い浮かべてしまうのが、自殺者は年間3万人を超えているという事実です。
交通事故の3倍以上の死者、異常事態ではないでしょうか。交通事故をなくすために、様々な交通ルールがあり、道路の整備が行われています。同じように、自殺者をなくすために社会のルールが必要なのではないのかと思うのです。
経済的な苦しさから自殺する中高年層が増えつづけている----失業、倒産という「危険」を回避できるような社会的なルールをなぜ講じないのか、それどころか、ますます失業・倒産を増やすような政治をすすめて、「構造改革だから、痛みを我慢しろ」という、こんなことがまかり通るのでしょうか。
学科の講義では、死亡事故を起こし交通刑務所で刑を受けている加害者の手記が配られます。命を奪ってしまったという重い事実を一生背負っていく苦渋があふれる手記です。
小泉首相には、政治が背中を押して自殺させてしまった人がいるかもしれない、という自覚などないのかもしれません。ましてや、その人の命の重みを一生背負うなんて、思いもよらないことでしょう。「構造改革」の痛みがどんなものなのか、わからずに「痛みに耐えろ」と言うだけなのでしょうか。
10月28日(木)
戦争をめぐる息子との会話。「日本はアメリカと仲がいいから大丈夫」
と、晩ご飯の仕度をしている私に息子が言いました。
「でもね、アメリカと一緒になって戦争をするようになったらだめだよね。イラクでも、アメリカが爆弾を落としたりして、子どもも殺されたんだよ」
空襲で家族とはぐれ、1人で死んでいった女の子の物語が国語の教科書に載っていて、その音読を終えた後のことでした。
「東京にも空襲があったんだって。学校の体育館とかに逃げた人たちが、そのまま火に取り囲まれてみんな真っ黒に焼けてしまったんだって」
「川に逃げればいいんだよ」----今も起こるかもしれないという思いがあるのでしょうか、どうしたら助かるかに、息子の関心は向いていました。
「戦争は今はないよ」と答えつつ、未来永劫とはいえない不安を覚えずにいられません。
「強いアメリカと仲がいいから大丈夫」、この言葉も、息子1人が考えついたものとは思えません。学校の友だちのなかで、戦争をめぐってどんな話がされているのでしょうか。
「平和を希求する」人間を育てる、そういう学校であってほしいと思います。
10月27日(水)
岩に埋もれた車から幼い男の子が! ニュースに目が釘付けでした。
救援募金をよびかけるチラシを作っている時に、中継映像に気がつきました。山の斜面、オレンジ色の服を着たレスキュー隊員たちが、わずかにみえる白い車体を囲んでいました。
土曜日の地震から今日まで、生き延びている人がいるという情報に驚き、目が釘就けになりました。
男の子が抱きかかえられて現れたときには、「よくがんばったね」と熱いものがこみあげてきました。
母親ともう1人の子どもも生存していると思われる情報が流れていたので、続いて救出されるのかと、はらはらしながら、作業の合間にテレビを注視。ところが、そこからの時間の長いこと。
途中で映像がゆれると、「風が強いのかな」と思っていたのですが、余震が頻繁に続いていたのですね。
途中からは印刷作業も入り、携帯ラジオで中継される情報を聞き続けました。「母親が土砂のなかから救出された」「長女も土砂に埋もれている」----絶望的な気持ちになります。
生きていてほしい、でも土に埋まっていたら・・・・。
被災した母親は、私と同年齢。2人の子どもがいることも私と同じ。
保育園と学童から娘と息子を連れ帰る時、このニュースのことを伝えました。「かわいそうだね」「でも、弟は生きているんでしょ?」
家に到着した時、息子がポツリと聞きました。
「一番悲しいことって何かな?」
一瞬考えて、「親より子どもが先に死んじゃうことかな」と答えました。
息子は、「戦争も悲しいよ。いっぱいの人が死んじゃうんだから」と続けました。国語の教科書に戦争のことが出てきたようです。命について考える大切な時を迎えています。
10月26日(火)
救援募金の訴えで、久しぶりにハンドマイクを握りました。
西新井東口、雨の中の訴えです。
新潟中越大地震、台風・豪雨災害、いつ普通の生活に戻れるかも分からない被災者の方々。政治が全面的に支援策をとることを求めるのはもちろん、今すぐできる支援の手を・・・と募金を訴えました。
駅の階段を下りながら、財布を出し始める女性、いったん通り過ぎてから引き返して募金してくれた高校生らしい2人組、財布の小銭を全部つかんで箱に入れてくれた青年。
何かしたいという思いが伝わってきます。
ニュースでは、1日おにぎり2個だけという食事、寒さのなか毛布は1人1枚など、支援物資の足りなさを伝えています。
学校の体育館など、床は板張りですから、下敷きと上掛けとせめて2枚の毛布が支給されないのかと思います。
家族や知人の安否、余震、家が崩れる不安、これからの生活への見通しがまったくたたない不安、想像するだけで涙が出そうになります。
かけつけて力になることが出来ないだけに、せめて自分の募金と、この地域の募金を、支援の心として届けたい、その思いで呼びかけました。
色々な募金が取り組まれています。ボランティアの受け入れも始まるようです。
何かできることを、支援の輪を広げていきたいと思います。
10月25日(月)
初めての路上運転。いざ、日光街道へ!
仮免許証というのが、白い紙に印刷されたものだとは思いませんでした。まさに「仮」なんですね。
教習所のコースを1周して、いよいよ路上へ。道路が見えたとたんに心臓の鼓動がわかりました。「信号を右折して、日光街道に入ります」、この瞬間が一番緊張しました。
法定速度60キロ、隣に大型車が来るとついスピードをゆるめて避けてしまいました。
「逃げないで。60キロまで出す」ムム自動車の怖さと面白さを実感しました。
「日光街道はどこまで続いているか知ってますか?」
緊張をほぐす意味もあったのでしょう、指導員の方が話し掛けてくれました。
「日光・・・ですか?」「素直な答えですね(笑)。青森ですよ」
驚きました。高速道路もあるから青森まで日光街道で行く人は、まずいないでしょうが、本州の北端まで続いているというのは、なんだか「すごい」と思ってしまいます。
30分ほどの乗車時間だったとは思いますが、教習所に戻ってきた時には心底ほっとしました。
今日の緊張を忘れずに、免許取得めざしてがんばります!
10月23日(土)
震度6が何回も・・・。台風に続く被害の大きさが心配です。
その時、私は揚げ物をしていました。グラリときた瞬間、火を止めたものの「この油がひっくりかえったら・・・」と心配でした。
ちょうどラジオでFM放送を聞いていたのですが、「揺れの大きかった地域のみなさん、あわてずに行動してください」というアナウンサーのよびかけが、なぜか心に響きました。
続いて新潟地方の状況が続々と伝えられ、暗がりでの激しい揺れがどれほど恐ろしいか、我が家の懐中電灯はどこにあったか、などなど考えているところに、2度目の揺れ。
5歳の娘は、テーブルにもぐりこんだままでした。保育園での避難訓練の成果ですが、怖くて怖くて、固まってしまって、テーブルからでられずに泣き出すほどだったのです。
最初は、思わず笑ってしまいましたが、3度目の揺れで笑っていられなくなりました。その後も、中越地方で、3分おき、5分おきに地震情報が続くと、大変な事態だと深刻な気持ちになります。
最近、大きな地震が続きます。台風で雨をたっぷりふくんだ地盤がどうなるのか、どうか被害が大きくならないようにと祈らずにいられません。
10月22日(金)
土石流の危険箇所が9万近くも!「赤旗」記事をメモしました。
今日の「赤旗」3面に、驚くような資料が載っていました。
急傾斜地・崩壊危険個所は、全国に11万3557ヶ所、うち2003年度末までに対策がとられたのはわずか23%
土石流危険渓流は、8万9518ヶ所、うち2002年度末までの対策は19%。
台風被害、「自然の猛威だ」で終わらせるわけにいかない、政治の責任がやはりあったのです。
公共事業費が、欧米諸国の合計額を上回る日本。やらなければならない仕事は後回しにして「予算がない」といい、やらなくていい、急を要しない開発に大盤振舞。その結果が、人命を奪い、家屋をつぶしていったのではないでしょうか。
人の命を守ること以上に大切な政治の仕事があるでしょうか。
東京湾に道路がなければ、関西空港が広がらなければ、神戸や名古屋に空港が出来なければ、高速道路がもっとつくられなければ、命が危ないという人がいるのでしょうか。
関西空港の2期工事を求める企業は、政治家に多額の献金を渡しています。献金を受け取った議員が、2期工事を促進する議員連盟までつくっています。
土石流対策などを求める地域住民や自治体は、政治家に多額の献金などやるはずもありません。
利権最優先の公共事業が何をもたらすのか、今年の災害被害を絶対に忘れてはいけません。
10月21日(木)
綾瀬川の水位に驚き、台風の被害に絶句。
昼頃、綾瀬新橋を渡ろうとして、いつもと眺めが違うことにハッとさせられました。
高い塀のような堤防から川面までの斜面の部分がなくなっていたのです。水位が相当高くなっていて、隣の橋を見るとそのすぐ下をどぶ川が流れているようにも見えました。
ニュースが伝える被害のあまりの大きさに、これが現代の日本のことなのかと、絶句してしまいます。
土砂に襲われつぶされた家々、テレビの画面に子どもたちも「何これ!」と驚きの声をあげました。
降り続く雨に、「雨はもういいよ」とぼやく程度でしたが、命を奪われた人、生活の糧を奪われた人、本当にどうしてこんなことになるのでしょう。
救済、復旧、救援を被害者の立場ですすめてほしい、「個人財産の補償はできない」というような冷たい仕打ちはしないでほしい、と心から思います。
物理的にも精神的にもうちのめされている人たちに、行政がさらに冷たい仕打ちをすることのないように。
ところで、私事ですが昨日の大雨の中、カッパ姿で傘もささず携帯電話に出てしまったために、携帯電話が使い物にならなくなってしまいました。水滴がかわいて直るか、もうダメか、様子を見ているのですが・・・。それから、仮免許交付されることになりました。
10月20日(水)
この数日のこと。国会行動や、雨の中の修了検定や・・・。
またまた更新の間があいた一番の理由は、2度目の仮免失敗が大きな原因です。
土曜日に手痛い失敗をして、本当に落ち込みました。「運転にむいていないんだろうか」と、情けなくて涙が出るほどだったのです。
慎重な運転ができなくなるほど焦ったり、緊張したり。その理由もまたはっきりしていました。運転にまったく自信がもてなくなっていたのです。2日ほどずどーんと落ち込んで、「練習しかない」「納得いくまで練習だ」と、吹っ切ることができました。
そして本日、土砂降りのなかハンドルを握り、やっと!技能検定は通過することができました。あとは学科の結果を待つばかり。
この間、大切な行動もありました。
10月18日(月)
介護保険見直し・年金について政府交渉
久しぶりの国会。渡辺やすのぶ都議、足立区議団、そして地域の方々が続々と参議院議員会館に集まってきました。総勢30人を超える要請団です。
利用料1割負担、これが必要な介護さえ受けられない事態を生んでいるのに、「原則は1割負担」と見直しをつっぱねる厚生労働省。
年金問題では、「7割の国民が今もって反対している。このことをどう受け止めているのか」と、議員と変わらぬ迫力で地域の方が役人を問いただす場面もあって、国民の声を聞け!という交渉になったと思います。
これからもどんどん、私たちの声をいろいろな形で政治に届けていきたい、交渉の間、様々な要求・課題が頭の中をかけめぐっていました。
10月15日(金)
30人学級にふみだして! 都庁に要請に行きました。
渡辺やすのぶ都議、足立区議団、区民のみなさんと一緒に東京都教育委員会に「陳情」してきました。
足立30人学級を実現するネットワークには、元校長先生、PTA会長の経験者もいて、いろいろな角度からの「陳情」となりました。
国が定める最大40人という規模を、独自になんらかの形で小さくしているのが、圧倒的な道府県。少人数学級をまったく実施していないのは、東京、石川、岐阜、香川だけ。この数年で、「小学校1年生だけでも」とか、「せめて最大35人に」とか、自治体の判断で少人数学級が実現しているのです。
自治体の独自性を否定し、妨害してきた、かつての国のやり方も、長年の運動と世論で大きく転換してきたのです。
それなのに!「今日は、ご要望を聞いてくれというから来た」「授業を習熟度別などで少人数に分けることは効果があると思うが、生活指導はそれなりの人数が必要」----まったくやる気なしの態度に終始する教育委員会の部長。
私も母親として思いをぶつけてきました。
息子が保育園の年長組の時のこと。保護者会で「今、昼食を早く食べられるように練習しています」という説明があって驚きました。学校の給食の時間内に食べ終わるように、ということです。よくかんで、ゆっくりと、楽しく・・・ではないのです。
幼稚園の年長組に通うお子さんのお母さんに話したら、「幼稚園も同じ。お弁当を残すのでどうしたのかと思ったら、食べ終わらないのが心配で、おなかがすいていてもふたをしてしまう」というのです。
学校の先生にこの話をしたら、40人近い子どもと、20人の子どもとでは、給食準備の時間は倍以上違う、「早く早く」とせかすしかない、とのこと。
子どもの立場で考えれば、授業によってクラスのメンバーが変わるのがいいといえるのか、小学校1年生でさえ生活集団は多いほうがいいなどといえるのか、明らかだと思います。
教育委員会の役人さん、1ヶ月でも2ヶ月でも、実際に学校で35人以上のクラスを受け持ってみたらどうでしょう。
新宿駅まで、人ごみぬいながらの帰路、一緒に行動した方と怒りを語り続けてしまいました。
10月14日(木)
「イラクに大量破壊兵器がある」、90年代の話なのかと志位委員長の追及
国会の代表質問を事務所のYさんといっしょにテレビ視聴。国会論戦は、何人かで「そうだ!」とか「何言ってるんだか」とか、言いながら見るのがいいですね。
政治と金の問題、イラク戦争を支持した根拠、年金・介護問題、米軍基地、どれも今、まさに問われていることばかりです。
なかでも、「そうだ」と力が入ったのは、イラク問題。
アメリカ・イギリス軍のイラク攻撃が始まったとたんに「支持する」と言った小泉首相。その根拠としていた大量破壊兵器の存在が、アメリカ議会で正式に否定されたのですから、首相としての政治責任が問われているはずです。
小泉首相が「大量破壊兵器がある」「査察を拒否している」といったのは、いつのことを指しているのか。90年代にはあてはまるが、少なくともイラク戦争前には、そのような事実を国際社会は確認していないのではないか----
なんと答弁するかと思ったら、80年代、90年代のことを時系列に並べたてるだけ。これが一国の首相が、戦争支持の理由としたことなのか!!
人間を殺すことを正当化する戦争、それが、こんな無責任な態度で「支持」されたのかと思うと、体が震えるような怒りを覚えます。
今も、結婚式をしていた民家が攻撃されたり、子供の命が奪われているのです。モスクもまた攻撃されました。
殺人の正当化、いかなる理由があっても絶対に認めるわけにはいlきません。
(ところで、この数日、もう少しでカウンターが5000を超えるなと思っていたら、今朝9時過ぎにすでに超えていて驚きました。どなたか1日でカウンターの数を稼いだのかな? 5000を記録した方、ぜひメールでお知らせください。)
10月13日(水)
「女子の制服がズボンでもいい」----え!ズボンはダメなの?
「新婦人しんぶん(10月7日号)に、足立の新婦人もとりくんだことが載ってるから読んでね」と、数日前に新婦人のKさんに声をかけられました。
遅ればせながら読んでみると、テーマは中学校の制服。女子はスカートと決められていて、ズボンはダメ。「なぜズボンはダメなの?」という娘のつぶやきに、母親たちが学校や行政に働きかけて、標準服としてズボンも認めさせていった、というとりくみが紹介されていました。
足立区では、区の男女共同参画社会推進条例の「苦情処理」を活用して、ズボンもOKという道を開いたということです。
地域性ということもあるでしょうが、私が通っていた長野県小諸市の中学校は、校則は厳しかったけれどズボンは認められていました。気候が寒いということもあったのでしょうか。女子のプリーツスカート姿の方が珍しく、ズボン主流でした。
それにしても「女だから」「男だから」と「常識」になっているものをくつがえすことは、人間の意識を変えるだけになかなか困難なのだとあらためて思います。自分の時はこうだった、それを否定されるのはどうも納得いかない、そんな思いも働くのでしょう。
たとえば、男女混合名簿。今、東京都教育委員会のメンバーが、混合名簿廃止をめざして力を入れているというのですから、私にしてみれば時代錯誤もはなはだしい。
ところが、しばらく前の民放番組で、芸能人や弁護士がこの問題をめぐって討論するのをみたら、「なんで混合にしなければいけないんですか?」「女らしいとか、男らしいとかが、なぜいけないの?」と、この声が多数だったのです。
私は、自分の息子の入学式で男女別名簿になっていることに驚きました。保育園では、生まれた月順が当たり前、それがいきなり男が先で女は後、という名簿になるのはなぜ?、と学校の時代遅れを感じたのです。
なぜ?と子どもに問われて合理的に答えられない問題は、柔らかい頭で考えることが必要だと、私は思います。
自分の経験がすべて、となっていては、時代は前に進まないのですから。
10月12日(火)
国会開会。小泉さん、民間・地方に「できない」ことだけ国がやるのですか?
久しぶりの国会中継。小泉首相の所信表明を、ついつい文句を口にしながら聞きました。
構造改革の仕上げ、「民間に出来ることは民間に」「地方に出来ることは地方に」を徹底する、だから郵政民営化が焦点だ----なんと国民生活からかけ離れた政治でしょうか。
郵政民営化しなければならない理由は何か、国民の側に、その理由があるでしょうか? 郵政職員が公務員であることがいけない、それが税金の無駄遣いだというのが、演説で強調されていましたが、60円・80円で全国一律に郵便物を扱う郵便業務、「公」だからできることではないのでしょうか。
小泉さんの好きな「民間に出来ること・・・」という言葉、つきつめて考えていくととんでもない道を歩むことになります。
保育も学校も、介護も病院も、現実に民間が担っている部分はあります。年金や保険だって、民間企業が扱うものがあります。地方は、市民の生活を守るために、様々な社会保障施策をとっています。ということは、社会保障は国はやらなくていい、ということになってしまいます。
では、逆に国にしか出来ないことは? 一番は、「防衛」関係でしょう。これは国にしかやりようがありません。
戦争の問題を含む外交、経済界との関係、国の政治はそれだけやればいい、あとは民間と地方にお任せ----確かに小泉内閣の政治はそんな姿がちらついています。
こんな政治を本当にのぞむのかどうか、この国会でも、本当にやるべきことは何かが問われる論戦が始まります。
10月10日(日)
保育園の運動会、みんな大きくなったね。
1日延期となって、「台風一過の晴天」と思いきや・・・。朝には雨がパラパラ、肌寒い陽気、でも元気に出発しました。
夫は北海道に出張中、私は父母会で運動会係。係の仕事の合間に「お父さんのために」とビデオも撮ってと、あわただしい1日でした。
リハーサルを見ているとはいえ、本番はまた違った感慨があります。年中・年長の組体操は、「涙が出ちゃった」というお母さんもいました。
背中も頭も泥がついてもへっちゃらで、足も手も泥だらけになりながら、一生懸命組体操をする姿は、確かにすごい! 一生懸命だけれど、楽しそうに動いている娘を見て、本当に大きくなったなと思えます。
年長になると、「勝ちたい」という気持ちもぐんぐん大きくなるのでしょう。かけっこ、リレー、真剣そのものです。
障害児を受け入れている保育園なので、車椅子を保育士さんが押して走ったり、他の子どもとはかなり遅れてもがんばって走ったり、そういう姿もみられます。
でも、リレーになると、その子どもを、他の子どもたちがどう受け入れるのかが難しいところです。
息子が年長の時、どうしても早く走れない友達のことを「**くんがいるから、1回も勝てない」と言っていたことがあります。
勝ち負けじゃないよ、といったところで「勝ちたい」という気持ちがなくなるわけではないし、「**くんも一生懸命走っているんだよ。みんなももっと一生懸命やってみたら?」と言ってみたものの、息子の顔は納得していませんでした。
息子が一番悔しがっていたのは、いつも勝つ組の友達が「また勝った」「おまえたちは弱いな」と「いばる」ことだったようです。
灰谷健二郎さんの『天の瞳』という本のなかに、学力テストの話が出てきて、「2番・3番の人がいなければ、1番にはなれない」という意味の言葉があったように思います。「勝つ」ためには「負ける」側がいなければならない----当たり前のことですが、このことを考えられるかどうかで、「勝つ」ことの意味がだいぶ違ってくるように思えます。
運動会で、そんなことも考えられるといいのだけれど、それはちょっと欲張り過ぎでしょうか。
さて、娘のかけっこは・・・。3着、ゴール前でやっぱり照れたように笑ってしまうので、兄の「力走」とは対照的。
息子に言わせれば「もっと本気で走れよ!」
娘は、「たんたん(兄のこと)の時みたいに、おかっちゃん(私のこと)が、がんばれ〜って大きな声で言わないからだよ」
(小学校の運動会では、声が枯れるかと思うほどの応援だったものですから・・・)
でも、親にとっては、勝ち負けよりも、照れてもなんでも、一生懸命にとりくむ姿そのものが手放しに嬉しいんだよ。
10月9日(土)
台風の週末、誰も歩いていない町を親子3人で歩きました。
午後、買い物をして店を出たら・・・、土砂降りになり、風が出ていました。もう少し早く買い物をすませるんだった、と後悔しても台風は待ってはくれません。
途中で、私の傘はひっくり返って使い物にならなくなり、子ども2人も傘とカッパはあるものの、顔も足もずぶねれです。
「誰も歩いてないよ」「車も通らないよ」
「もう少しだ、がんばれ」
家について、風呂場に一直線でした。
毎日雨が降り続いたうえでの台風。荒川、綾瀬川、中川など川に囲まれた地域ですから、水害対策が気になります。
通勤するときに、綾瀬川にそって自転車を走らせますが、川の水位より低い位置に住宅街があることは一目瞭然。「街づくり」ということを思わずにいられません。
夕方、北海道に出張中の夫から「台風は大丈夫だった?」と電話がありました。そういえば風の音がやんでいると、ラジオをつけてみたら、思ったより短時間で通過していたのですね。一番ひどくなるときに、外にいたってことなのか、と苦笑してしまいました。
明日は、保育園の運動会。晴れるといいのですが。
10月6日(水)
昼休みに、久しぶりに本屋さんにぶらり。
朝から会議で代々木まで出ました。日本共産党の中央委員会や東京都委員会のビルがある場所です。
夕方までの長い会議、昼休み1時間は駅周辺をぶらりと歩きました。
以前、中央委員会に勤務している友人に案内された「タイ料理」のお店で昼食。家でのカレーでは味わえない、スパイスたっぷり、香草の香りが独特のレッドカレー。本格的なカレーを食べたいと、この数日思っていたのです。
そして、近くの本屋さんに。アニメやデザインの学校、予備校、日本共産党の本部などがひしめく地域、本の種類もなかなか面白いものがあります。芸術関係の本、眺めているだけでわくわくします。政治関係は、左も右もそろえています。北朝鮮の本など、ずらりと並んでいて、「危ない国」という扇動を感じてしまいます。
入り口すぐに詰まれた本を手にしました。「日本ペンクラブ」の本、『それでも私は戦争に反対します』
勇気が湧いてきます。自分の出来るところから、自分の活動する場で、戦争反対の声はどこからでもあげられて、その声が遠いところで勇気の芽を育てているのですね。
10月5日(火)
雨の中の仮免検定、さて結果は・・・。
前の晩、学科の勉強をして珍しく遅く寝て、夢にも試験が出てきて・・・少々寝不足。おまけに天気は土砂降り。
娘にカッパを着せて、荷物を大きなビニール袋で包んで、いざ出発。
保育園から教習所までの約30分、自転車で行くしかなくて、すっかり濡れました。
着替えを持っていったのでトイレで着替えて、集合時間までイメージトレーニング。でも濡れたためか寒くて仕方ありませんでした。
さて検定はどうだったか、結論から言いましょう。技能試験、終了直前のまがり角で、後輪が沿石を乗り越してしまいました。この時点で不合格確定。
内心「よし行ける!」と思ってしまった瞬間のことでした。
路上で事故を起こさないために、練習しないといけないですね。
職場のUさんからは、「それは崖から落ちたってことだよ」と笑いながら言われてしまいました。教習所の中だから沿石だけのことに思えるけれど、路上ではブロック塀にぶつかったり、歩行者と接触したり、それこそ崖から落ちたりということなんだと、肝に命じました。
ハンドルを握る責任感をちゃんととらえていないことが、不合格の一番の原因なのかもしれません。来週になってしまうけれど、心を入れ替えてがんばります。
10月4日(月)
「武装勢力制圧」とラジオのニュース、「新たな戦争」と「赤旗しんぶん」
朝6時、ラジオはJ-WAVE、「イラクでアメリカ軍が武装勢力をほぼ制圧した様子」という主旨のニュースが流れました。聖職者協会の声として「一般市民に犠牲」と、つけたしのように伝えていました。
しばらくしてから届いた「赤旗しんぶん」、「これは新しい戦争だ」との見出しが目に飛び込んできます。
写真が伝える、子どもの犠牲、溜池のような穴になった住宅地・・・。
「武装勢力がいるのだから仕方がない」というのでしょうか。一人の子どもの命、女性の命、市民の命は犠牲になるべくしてなったというのでしょうか。
イラクについてのニュースが「リアル」さを欠き始めています。「赤旗しんぶん」の役割の重さを感じます。
イラクとは別のニュースですが、1面に、三重県の台風被害救援の活動がのっていました。日曜日には600人近いボランティアの方々が救援活動に参加したそうです。
三重県の日本共産党がよびかけて募ったボランティアは70人。救援活動に参加したボランティアの1割以上が、党のよびかけで集まった方々ということなのかと、驚きました。
あたたかい豚汁をつくり、泥水をかき出し・・・。
日本共産党の原点を見る思いです。「人民の苦難のあるところ日本共産党あり」、そういえる活動を私もしていきたいと思います。
10月3日(日)
雨の日曜日、集会所で子どもたちの歌の練習をお手伝い。
町会の敬老会が今月予定されていて、子ども会の有志で歌を披露しようということになったそうです。この責任者になったのが、家族ぐるみでおつきあいをしている友達のIさん。
「子どもたちの声がとても小さくて・・・。なんとか手伝ってもらえない?」とのSOSを受け、娘をつれて雨の中、練習場所へ。
8月の終わり頃から、数名とはいえ毎回練習に集まってくれる小学生。ところがいざ歌うとなると、なぜか話すときよりもか細い声。歌唱指導と称して、一緒に歌う私やIさんの声ばかりが響いてしまいます。
5歳の娘、4歳のIさんの娘の声の方が大きいくらい。(8月に1度練習の場に居合わせた娘は、「りんごの唄」が気に入って、「赤いりんごに・・・」と保育園の行き帰りに歌っているのです)
「このあたりまで声を飛ばすつもりで、声を出してみて」「おなかから、息がフーと出てくるよ」と、なんとか声を出しもらおうとするのですが、照れがあるのでしょう、思うようにはなりません。「大きな声で元気良く」、簡単なようで「やらせる」ことは難しいですね。「今時の子どもは・・・・」と言ってしまいたくなるような気持ちを抑えて、「照れてるのかな? きれいな声が出ているのにもったいないな」と、押したり引いたりのやりとり。
声が出てくれば、歌う楽しさを味わえるように、もう少し歌い方のアドバイスもできるのにな・・・。
私個人は、久しぶりに遠慮なく声を出して歌えて気持ちよかったのですが、子どもたちはどう思ったでしょう。帰り道、傘をさしながら、4歳・5歳の2人組といっしょに「赤とんぼ」の歌声を響かせました。
10月2日(土)
「新春のつどい」の魅力を伝える仕事も楽しいですね。
来年1月9日、足立の日本共産党と後援会で「新春のつどい」を、福島県いわき市スパリゾートハワイアンズでやります。
このとりくみを知らせるチラシやニュースを作る仕事に関わっているのですが、なかなか面白いものです。
私が東京13区予定候補になったことを足立のみなさんに発表したのが、昨年1月の「新春のつどい」、同じスパリゾートでした。知り合いもほとんどいないなかで、地区委員会のSさんにあちこちの会場を連れられて、あいさつをしてまわりましたっけ。その時お会いした方、覚えていますか?
私は、顔と名前を覚えるなんてとんでもない、名刺を配って歩くこともほとんど経験がなく、とにかく汗だくになって歩き回ったことしか覚えていません。
今回は、スパリゾートにどんな温泉があるのか、周辺の観光地の魅力は?など、ガイドブックやインターネットで情報を集めているのですが、本当に一日たっぷり遊べそうですよね。
石炭・化石館の模擬坑道なんて、子どもを連れて行ったら面白そうだな(娘は怖がって泣き出すかも・・・石炭採掘の様子を人形で再現しているので)、などと思いながらチラシを作っています。
昨年のとりくみの感想も読みました。初めて日本共産党の行事に参加したという方が大勢いらっしゃったことがわかりました。しかも「また参加したい」と、ほとんどの方が書いているのです。「温かい気配りで楽しく過ごせました」という主旨の感想も多く、いいとりくみだったんだなと、自信が持てます。
来年も、「また行きたい」と言ってもらえるように準備をすすめていこうと思います。
10月1日(金)
「出直せ」の声を無視して、年金改悪が今月から・・・。
今月分の厚生年金の保険料から、毎年値上げがスタートです。納得できない国民が圧倒的に多く、参議院選挙でも、今でも、年金の政策の「出直し」「やり直し」を求める声が強いのに・・・。
あきらめないぞ、という心意気を示すときですね。
朝のNHKのニュースでも、収入が増えないままに(増えないどころか減っている)、負担額が重くなれば、日本の経済に与える影響も決して小さくない、ということをコメントする声も紹介されていました。誰が考えても、こんなやり方でよい芽が出てくるなんて思えないでしょう。
ところで、自動車免許の進行状況ですが、本日夕方、教習所で第1段階の「授業」がすべて終わりました。いよいよ仮免検定です。
「カギは視線だね」と、何人かの教官から指摘されています。視線が近くに行くことが多いというのです。自転車に乗りながらも、道路のルートを見る練習をしたり、方向指示器を出して「ミラー・目視」の真似をしたりと、この数日間、自分なりの練習もしてみました。
仮免検定は来週火曜日、どうなることでしょう・・・。
「視線が近すぎると、先が見えない。ふらつく」----こんな指摘を受けながら、これは自動車だけではないよな、と何度も思います。
政治も社会の動きも、子どもたちの様々な問題も、視線を近く、その場の対応ばかりを追っていては、先のカーブや危険を見落とすことになるのでは?
行きたいところ、行くべきところを見ながら、政治・社会のハンドル操作(舵取り)をしていかなければ。