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2004年3月

今日で退職、明日から新任の保育士さんたち。年度末に思うこと。

3月31日(水)

学校が春休みの間、「学童には行かない」宣言をしている息子。大阪から義父が上京し、「主婦」ならぬ「主夫」の役割まで果たしてくれています。

困ったのは娘です。4歳になって兄のあとばかりついてまわるので、一緒に家にいてもいいのですが、義父が疲れすぎてもいけません。

今朝は、「たんたん(兄のこと)ばっかり、ずるい」と大騒ぎ。


そこで息子にも学童に顔を出させることにしました。

進級にともなって、学童の「先生」が退職されるとも聞いていました。「お世話になりました」とあいさつしてくるよう言い渡して、「たんたんも学童に行くんだから」と娘を保育園に連れて行ったのです。


退職される「先生」は、保母さんとしてもキャリアのある方でした。気さくに声をかけてくれるので話がしやすいし、子どもたちと一生懸命に遊んでいる姿をみかけて嬉しくなったこともあります。

私立の保育園では、「この日が最後」という保育士さんが大勢いらっしゃると思います。国会秘書の仕事して、保育所運営費(国からの補助金)で、保育士人件費がどうなっているのかを調べたら、20万円にも満たない基本給で、しかも勤続年数の加算は5年まで(私立のみ)というものでした。


国の基準の通りというわけにはいかず、自治体でも上乗せをしているのですが、それでも、結婚や妊娠を機に保育士をやめてざるを得ない方も少なくないのです。母親になって初めてわかることもあるでしょう。なんとも残念なことです。

大切な職業、それに見合った給料を! これは、幼稚園の先生にもいえることです。


明日から、新任保育士さんも多数誕生することでしょう。大人が緊張していると、子どもも緊張してしまいます。どうか笑顔で接してください。そして経験をつんで、子どもを受け止めることのできる、ふところの深い保育をめざしてほしいと思います。



「女性のつどい」にむけて、女性たちのにぎやかな話し合い

3月30日(火)

4月22日に足立区の女性を集めて、「明日をひらく あだち女性のつどい」を開こうと計画しています。女性の願い、要求が生きる参議院選挙にしていこうという企画。

日本共産党の今村順一郎さんをメインゲストにむかえて、トークあり、歌あり、寸劇ありにしたい・・・という話し合いをしました。


3人寄れば知恵がわくもの。この日は3人以上の人が集まりましたから、楽しい案がとびだしてきます。

(ここで書けないのが残念。お近くの方、4月22日午後6時30分すぎに、ぜひ梅島・Lソフィアにお越しください。)


手作りで集会を準備するのは、なかなか大変です。私も青年時代にいくつか企画したものです。

都知事選挙にむけての青年集会、湾岸戦争反対のライブ、参議院選挙にむけた青年の「女性のつどい」などなど。

どうやって政治の問題を身近につかむかを練って、クイズや寸劇もやったな――などと懐かしく思ったりもしました。


夜10時までの打ち合わせ。その成果が生きる集会をつくっていかなければなりません。

あくまで、しなやかに、肩肘はらず、そして元気が出るように!


帰り道はザーザー降りの雨。いかにも春の雨です。桜が散らないことを願いながら帰路につきました。



売り上げ110万円・・・零細業者の実情に言葉がでませんでした。

3月28日(日)

「赤旗しんぶん」を読んでもらおうと、日本共産党の活動をしている業者のみなさんも、知り合いの区内のお店や工場をまわって歩いています。今日は、この業者のみなさんと話をしました。


千住のプレス工場をたずねた話を聞くと、開口一番、「とても、赤旗をとってくれとはいえなかった」そうです。この確定申告で赤字となった業者はたくさんあるけれど、売り上げが110万円だったというのです。看板屋さんの売り上げが70万円だった、製麺屋さんは一日の売り上げがせいぜい1000円・・・。

息子さんが公務員だったり、会社員だったりで、どうにか家族は食べていかれても、お店の明日には絶望感さえ漂います。


「個人の努力」だけで解消できません。町から工場や商店が消えていくのを、黙って見続けるわけにもいきません。

先日閉会した足立区議会では、日本共産党の伊藤和彦区議が、「区内業者は町の宝」との立場で、区の支援策を求めましたが、区の担当者もまた、この立場を否定できなかったといいます。


長い長いトンネルの先に明るい未来があるかのようにいい続けた小泉内閣、どこに、どんな希望があるというのでしょう。

構造改革でたしかに大企業は儲けるようになりました。この不況のもとでも史上空前の利益、トヨタ自動車1社で1兆円を超える黒字。それが、区内業者にどんな希望をもたらしたのか、もたらすのか。


以前、建設会社社長さんが言っていた言葉を思い出します。

「再開発が大手企業に発注されて、区内業者は下請けばかり。しかも買い叩かれて利益がでない。直接中小業者に仕事をくれたほうが、はるかに景気回復に役立つと思うんですがね」

私たちのめざす方向、「大企業優遇から、中小業者・国民生活優先の政治」が、待ったなしで求められていると実感します。



100人目の会員に! 日中友好協会に入会宣言しました。

3月27日(土)

公園の桜がほころびはじめ、一軒一軒のお宅の玄関先にも桜草や桃、雪柳、ハナカイドウが咲き誇り・・・。春を満喫しながら、足立区内を駆け巡る一日でした。


午後一番の日程は、足立日中友好協会の総会。

日中友好協会、中国残留帰国孤児の方々への支援や、侵略戦争の告発、不戦運動などを進めることで、中国との真の友好を築いていこうというみなさんです。足立区内には、戦後中国からの引揚の方々が多く住んでおられることも知りました。


活動をまとめた資料をみながら、いろんな思いがわいてきました。

長野県で過ごした子ども時代、残留孤児の帰国が始まりました。自分と同じかもっと小さい時に、中国に置き去りにされた人たちがいる、衝撃でした。特に長野県は、満州開拓団として県民を多数中国に送り込んだため、残留孤児は県の問題でもあったのです。


井上美代参議院議員の国会秘書をつとめていた一昨年、日本軍が一つの村を壊滅させた「平頂山事件」の生き残りという男性が井上議員を訪ねてこられたことがありました。この事件の真相を、今、日本の司法で明らかにしようというのです。歴史の証人ともいえる方の涙を流しながらの訴えは胸に迫りました。


そして昨年末、この「平頂山事件」を思わぬところで目にしました。子どもに買った本『骸骨レストラン』です。

虐殺が発見された場所は、そのまま遺跡とされ、人骨が累々と連なる「遺骨館」となったのです。この「遺骨館」訪ねた女性の語り、という短編が『骸骨レストラン』に収録されていました。声に出して読むことができませんでした。


この日の「赤旗」1面では、新潟で強制労働をさせられた中国人に、企業と国への賠償責任を認める地裁判決が出されたことが報道されていました。戦争犯罪の責任を今日の政府にとらせる画期的な判決! 目をみはりました。

こんな様々な思いを形にしようと、この日の総会で、「私も会員にしてください」とあいさつ。100人目の記念すべき会員となったのです。



年金生活と生活保護、くらしの底上げが大切です。

3月26日(金)

ある会議で、「足立生活と健康を守る会」のみなさんと話をしました。ちなみに、私も「守る会」の一員です。


生活保護費から老齢加算がなくなる、それで生活はどうなるのかという重たい重たい不安が、生活保護を受けている方々にのしかかっています。削れるところはないかと、生活を見直し、新聞はやめよう、着るもの理髪は我慢しようとなっていくというのです。

国民年金だけで生活しているお年寄り、生活保護費よりも少ない収入で、やはり節約に節約を重ねています。


暮らしの底上げが必要です。どうしても。

ところが、年金生活の人と生活保護の人を対立させるような風潮がつくられています。生活保護が「ぜいたく」であるような、「ずるをしている」ような視点が、暮らしの大変さを訴え改善させることを難しくしているように思えます。


年金で「文化的な」生活が送れない、こんな政治や社会がおかしい。

生活保護が自立への階段・踏み台になっていないのがおかしい。


どうやって暮らしの悩みにこたえていくのかを考え考えの帰り道、西新井大師の門前を通りました。

やっと春めいてきた陽気にさそわれて、少し探索。縁の日ではなかったので、参詣の人もまばら。「はい、食べてって」の声につい手を出して、草団子をほおばってしまいました。

ほおばったら買わなきゃいけない気持ちになって、まるで半分観光のような帰路でした。

あんこがたっぷりの草団子、おいしかったです。ごちそうさま。



「子どもと買い物」の難しさに悩み、楽しさに笑い・・・。

3月25日(木)

予定した会議が一つなくなってしまい、いつもより早めに保育園に迎えにいくことになりました。

息子のくつがきつくなっていたので、それでは買い物にとなったのですが・・・。


娘のうるさいこと! 自分もくつを買ってほしいといっては騒ぎ、アイスクリームが食べたいと言っては騒ぎ・・・。

「どうして、そんなわがままばっかり言うの? もう一緒にお買い物しないよ」

「ごめんなさい・・・・。アイスクリーム!食べる!食べる」

こんな会話を数回くりかえしてしまいました。


スーパーや大型店での買い物は特に感じます。まわりあふれる物がほしくなる、子どもの気持ちを刺激する商品があふれているのですから。

結局、根負けしてアイスクリームを食べて帰ることになってしまいました。こんなときは、自分の意思の弱さにも悩んでしまいます。私の子育てって方針に一貫性がないのかしら、と。


そして帰り道、家のすぐそばの八百屋さんでちょっと買い物することにしました。

「大根ください」(娘)、「バナナも」(息子)、「ソラマメも」(私)

息子が生まれた時からのおつきあいの八百屋さんです。

「大きくなったもんだよな。お兄ちゃん、何年生になった?」

そういいながら、おじさんが品物を子どもたちに渡してくれました。


必要なものを考えて、こんな会話をしながら買い物する、やっぱり子どもと一緒に買い物してよかったと思います。

おじさんにも子どもたちにも私も、笑顔の買い物になりました。



雨の宣伝はつらいけど、学んだことは大きかった!

3月24日(水)

毎月24日は、消費税法が成立した(1988年12月24日)日を忘れない、「消費税反対」の意思を示す日。

足立での消費税廃止各界連絡会の宣伝がありました。


いつも予想以上の反応に心が躍る消費税宣伝。ところが今日は氷雨、傘をさしながらでは署名を集めることもできず、ビラを配ることに専念です。

北千住東口、出口と地下通路が工事中で、いっそう宣伝がしにくくなっていました。

ハンドマイクを肩からさげて、傘をさしての宣伝はなかなか体力もいります。


でも、思わぬ収穫があったのです。

ハンドマイクから響く足立東民主商工会のSさんの話。ビラを配りながら、「えっ!そうなの!」と驚いてしまいました。

消費税率があがると国からお金をたくさんもらえる企業があるというのです。「戻り税」「還付金」、以前から新聞などで目にして気にしていたのですが、よく調べないままになっていました。


輸出品は、海外で販売されますから消費税の対象外となります。だから、製造過程で支払った消費税を「還付」するというのです。

企業が納める消費税というのは、

消費者から「預かった」消費税−仕入れや製造過程で企業が支払った消費税 という数式からはじき出されます。


輸出品の場合は、これがマイナスになるので還付されるというわけです。

しかし!トヨタ自動車などは、下請け業者に消費税をまけさせたり、仕入れ値を買い叩いて発注したりしていることは周知の事実。それなのに、下請け業者にはなにも還付されず、大企業だけに税金が還付されるのです。(不正確なところがあるかもしれませんが、大筋で言えば、こういうことでしょう)

その額、トヨタ自動車1社で1500億円!

税率が上がったら、もっと多額の還付金になるのですから、製造業の大企業にとって税率アップは痛くも痒くもない、あわせて法人税減税が行われれば笑いが止まらないということなのでしょう。


ビラを配りながら怒りフツフツです。勉強になりました。もっと勉強しなければなりません。

庶民にみえないところで何が行われているのか、暴き出していかなければ。



足立区議会最終日、やっと傍聴できました。

3月23日(火)

秋の区議会は連日傍聴もしたのに、予算区議会になかなか出かけられず、残念に思っていたところでした。

午後1時半すぎ、「間に合わないかも」と思いながら、区議会事務局に電話してみると、「アクシデントで休憩になっているから、大丈夫」とのこと。


副議長が辞任する、しないでもめていたそうです。議会運営について副議長の意見が通らないことが発端だったようです。

久しぶりの本会議傍聴。たくさんの案件を次々処理していきます。ほとんどは、「ご異議ありませんか」(全会一致で議決)、「賛成の議員の起立を求めます」(反対する議員がいる場合)と、議決だけがすすんでいきます。本会議だけ傍聴していたのでは、どんな内容なのか、傍聴者にはほとんどわかりません。


なかでいくつか「これより討論を行います」という案件があります。日本共産党の区議団が、意見表明を求めた案件。反対理由を述べる討論です。

その一つ、保育所利用料についての審議を行う新しい審議会設置の条例案がありました。

保育所のことで議論すべきことはたくさんあります。安心して子どもを託せる保育所とは? 延長保育のあり方は? そもそも保育所に入れない子どもへの対策は?などなど。


なぜお金のこと、利用者負担だけに焦点をしぼるのか、情けないではありませんか。

大島芳江区議が、保育所は自治体がとりくむことを義務付けられた施策であって、他の子育て支援策と同列に扱うものではない、と冒頭に指摘した点に大きく「そうだそうだ」とうなづいてしまいました。

足立区は、他の子育て支援策と比べてこんなに費用がかかっています、という資料ばかりを示しているのですから。


他の子育て施策も、予算を充分にとればいいのです。保育施策への予算後退は、他の子育て施策の低下につながりかねません。

日本共産党の反対討論に野次を飛ばす自民党議員。それなら堂々と「賛成討論」に立てばいいのです!議事録にしっかり「賛成理由」を残せばいいのです。

それが議会というものではないでしょうか。



ニューヨーク・マディソン街にあふれる人の波。「赤旗」1面に喝采!

3月22日(月)

待っていました、この記事を! 3月20日の世界の動きを伝える「赤旗」。

この人の波、プラカードの列、なんてすごいパワーでしょう。戦争反対の叫びは、本当に世界をめぐったのです。

集計するのはほとんど不可能でしょう。わかっただけで数百万人の抗議行動。


ところが、この日の1面で「国際共同行動」を報じた一般新聞はありませんでした。

一人の行動を特集的に報道することはあっても、多人数の行動をなぜまじめにとりあげないのか・・・。

やっぱり「赤旗」を広げなければ、と自信を持って仕事に向かいました。


足立のなかでも、1000箇所近い宣伝行動がとりくまれたことがわかりました。集会参加、宣伝での抗議、冷たい雨にめげずに、町のあちらこちらで平和を求める声があがったのです。

そして、高校生たちも。これも「赤旗」が大きくとりあげた、高校生平和大集会。


高校生が集めた「イラク派兵反対」のアピール署名を、見もしないで非難した小泉首相。それに負けない高校生たちの姿がとても頼もしく、嬉しいです。

さあ、これからです。



家族そろっての休日、でも、家族がそろわないんですね。

3月21日(日)

休日は、「赤旗しんぶん」読者を広げる活動、学習会や集会などなど、日本共産党の「活動日和」。なかなか丸一日の休みをとるのが難しい。

でも、今日は思い切って休みをとりました。久しぶりの家族そろっての休日です。


友達と遊びに出かける息子、「一緒に行く!」と、大騒ぎの娘。子どもはもう、自分たちの世界があるんだなと、嬉しいやら物足りないやら。

さすがに4歳の娘を勝手に遊ばせるわけにはいかず、あとを追いかけました。


兄と一緒に友達の家にあがりこんでいた娘を公園にひっぱりだし、ついでにその家の3歳の娘さんも連れ出しました。

お父さんが学校の先生で、持ち帰り残業に追われる身だとわかっていましたから、「一緒に遊んでいますよ」というわけです。途中で、娘の友達も合流。

女の子3人のやることといったら、まずは「オン・ステージ」、そしておままごと、劇遊びの鬼ごっこ(お母さんが、魔女になってね、というわけです)。想像力が豊かです。


昼ごろ、別行動で遊んでいた息子たちが公園にあらわれて、「**ちゃんと一緒にお昼食べたい」。相談の結果、息子が友達の家でご飯を食べさせてもらうことになりました。

そんなわけで、家族がそろったのは、なんと夕方。

こういうすごし方でいいのか、どうか。ちょっと考えてしまいました。


それにしても、子どもたちが公園で遊ぶ姿が少ないし、息子たちも何をして遊ぶと決めるわけでもなく、あっちの公園こっちの公園と移動しているのを見ると、遊びの豊かさがほしくなります。そういう自分も、小学生の頃、何して遊んでいたかあまり記憶にないのは、すでに遊びの豊かさが奪われていた時代だからでしょうか。

それなら、ボーイスカウトや習い事・・・と、なりがちです。

でも、時間がいっぱいあるのが子どもの特権。『モモ』の話を思い出します。



世界で心一つに「戦争反対」を叫ぶ日

3月20日(土)

1年前のこの日、11時33分、イラク戦争が始まりました。「戦争はやめて」という世界の圧倒的な声を踏みにじって。そして、その直後、「戦争を支持する」と小泉首相が明言。日本の中の圧倒的な「戦争反対」の声を踏みにじって。


1年前のことは鮮明に覚えています。国会では法案審議が目白押しでした。「戦争が始まれば、緊急の閣議が開かれるので、委員会はいったん休憩」そういう段取りが、各委員会の理事会で確認されていました。

ところが、この閣議の前に、小泉首相は記者たちに「支持する」と表明したのです。一体何を検討し、誰と話し合ったのか。


本会議は深夜におよびました。私はすでに帰宅していましたからテレビで中継をみていました。

「テロと闘う」と叫ぶ首相。テレビの画面をたたきたくなるほどでした。


そして1年。大量破壊兵器はみつかっていません。イラクでは、今も劣化ウラン弾や不発弾で子どもまで犠牲になっています。

世界に広がる「イラク戦争は誤りだ」の声。

芝公園、日比谷野外音楽堂など、集会には何万人もの人が参加したといいます。私は会議で50分もの「講義」(話ですね)をしていたので、参加できませんでした。


昼過ぎ、芝公園に行った夫と子どもたちの様子を聞こうと連絡すると、あまりの寒さに娘が泣きだしてしまったとか。

冷たい雨の中、がんばった参加者に呼応して、私も午後は宣伝カーを走らせました。

「イラク戦争から1年です。世界が声を上げているとき、みんなで心一つに戦争はいやだと声をあげましょう」



息子のクラスで最後の「読み聞かせ」

3月19日(金)

1年生の時から、何人かのお母さんたちとローテーションでとりくんできた「読み聞かせ」。今年度最後の出番をいただきました。

4月はクラス替えとなるので、このメンバーへの「読み聞かせ」は、これで終わり。1年生の7月に初めて本を読んだときから、みんな大きくなりました。

 

4歳の娘もつき合わせて、教室に入ると・・・

「今日、本読み?」と聞いてくる男の子、さっそく机を後ろに下げ始めました。最初に会ったときは緊張した顔だった子どもたちも、今では友だちのように話しかけてきます。

私が持ってきた紙芝居を見て、「これなんて字? なんとか文って書いてある」

漢字も読めるようになって、自分で読みたい気持ちも芽生えているのでしょう。

 

先生と朝のあいさつをして、さあ、はじまり、はじまり。

本日は紙芝居、「注文の多い料理店」、宮沢賢治の傑作です。

「私も子どものときに読んで、大好きなお話です。これは注文って読みます。文っていう字が読めるよね、もん、とも読むんだね。みんなもレストランにいくと、ご注文は?って聞かれるでしょう?」――こんな前置きをして、さっそく読み始めました。

 

しーんとする教室。ほんとは、子どもとのやりとりも入れたいところ、でも1時間が始まる前の朝自習の時間内でとどめなければならないので、とにかく読みすすめました。

余韻を楽しむ時間もないのが、とても残念。1年生の時よりも、時間がキュウキュウとしていることがわかります。

学校から今度は娘の保育園へ。

こんな「読み聞かせ」を来年度も出来るのかどうか、これから学校生活はもっと忙しくなるのでしょうか。

「食べられちゃうかと思った」と、学校から出て緊張がとれた娘が感想をひとこと。まんまるのおいしそうな娘が言うと、やけに実感がこもっていて、思わず「ふふふ」と笑いがこみあげてきました。

 


個性ゆたか、心は一つ。全国の党活動の経験は語ってつきることがありません。

3月18日(木)

日本共産党のすごいところ、それは、議員でも候補者でもない人たちが、政治を語って政治を変えよう、暮らしをよくしようと活動しているところ。他党との一番の違いだと思います。

今日は、そういうなかでもがんばって活動している支部のみなさんが、中央委員会の会議室に集まって、経験交流する会議が開かれました。


私は、CS放送で会議での発言を聞きました。

発言は本当に個性豊か。緊張しながら、どんな話し合いをし、どんなとりくみをしているかを真面目に報告する方。

政治漫談のように発言して、会場中(CS受信している全国中)笑いに包んだ方。

それぞれの地域の「訛り」もあって、本当に全国で心一つに「政治を変えよう」とがんばっているんだと、実感できます。


日本共産党が何をめざしているのか、それをもっと語って知らせて、共感する方に党に入ってもらいたい。

発言をきくごとに、むくむく思いがわいてきました。

「待っていても政治はよくならない。一緒に、政治を変える、時代をつくる、ダイナミックな生き方をしようじゃないか」

そう大きな声でよびかけたい気持ちです。



強風に背中を押されるように、歩いて対話して

3月17日(水)

北千住、駅周辺の再開発で新しいビルが立ち並ぶ西口とは、まったく趣の違う東口。その周辺の町を2時間半ほど歩きました。

路地を歩くと、玄関先の植木がなんとも楽しくて、梅はもう散り始めだな、桃が咲き始めたな、とうきうきしきます。春ですね。


最初に尋ねたお宅、いきなり「おら、もうやんなった。共産党の応援もやめる」と言われてしまいました。

総選挙での後退にがっかり、年金削る政治にうんざり・・・ということのようです。

「2大政党では変わんないってことですよ。今度はマスコミにも負けない戦いをしよう、赤旗をたくさんの人に読んでもらおうと、こうやって歩いているんです」


そう言いながら、昨日の「赤旗」を取り出した私。長野県松本市で、共産党が支援した市長が当選、「自・公・民主推薦の現職破る」の記事です。

「ほう!」、記事をみて目の色が変わりました。

「年金も、こんなのおかしいという世論をつくりましょう」


「赤旗」を購読してくださるお宅も、「応援するけど、今はお金が大変で新聞は・・・」というお宅、どこでも政治への不満、怒りは話がつきません。

なかには、「私も小選挙区でとるまでがんばる決意なんです」と話すと、「また落っこちるだけだろう」と言われたり・・・。悔しいけれど、今の力ではその通り。だから力を、日本共産党の力をつけていきたいし、大きくしたいのです。


途中から、風が猛烈に強くなってきて、その風に背中を押されたり、立ち向かいながらの2時間半。世論づくりの「仕事」はまだこれからです。



学費のための貯金を認める――生活保護制度をゆるがせた判決

3月16日(火)

「生活保護世帯に貯蓄認める」という夕刊1面の見出し、「え!」と目をみはりました。

学資裁判の記事だとわかり、「やった」と胸が躍りました。


参議院で井上美代議員の国会秘書をつとめていた時、生活保護制度のあまりに硬直した内容に何度怒りを覚えたことか。

高校生の息子さんがいるある方が、病気で働けなくなり、福祉事務所に生活保護の申請をしたら、「息子さんは働かないのか」と言われた。あまりのことに、生活と健康を守る会に相談し、一緒に窓口にいって発言を撤回させた――こんな事例もありました。


今回の裁判も、本人が努力してもどうしようもなくて生活保護を受給。わずかな額から節約して学資保険を積み立てた、ところが満期でおりた40数万円を「生活費にあてろ」という。これを「憲法で保障する、健康で文化的な最低限の生活を奪うものだ」と裁判で闘ったのです。


だいたい学校に通うのに、お金がかかること自体問題なのです。今の生活保護の制度では、中学校までの教育費ついては援助があります。しかし、子どもが高校進学することを前提としていないため、子どもさんが高校進学をするときに大きな問題となってしまいます。

厚生労働省とのやりとりでは、「義務教育ではありませんから」の一点張りでした。

それなら奨学金制度はどうか、かつて、欧米の奨学金制度を調べたとき、「高校生への奨学金は給付が当たり前、貸し付けて後で返せというのは日本ぐらいだ」とわかり、心底驚きました。日本の国の教育への考え方の貧困さ、情けなくなります。


働いた収入、あるいは年金収入で自立した生活が営めるようにしなければなりません。そのことも今の政治は放棄しています。

様々な理由で自活できなくなったとき、緊急援助として生活保護制度がある、これはとても大切なこと。ところが、貯金も許されない、自動車を持つことも許されない、一度生活保護を受給するようになったら制限が多すぎて、逆に自立への道が閉ざされているのではないでしょうか。


本当の自立支援とは何なのか、子どもにまで貧困の犠牲をおしつけることが許されるのか、この判決から考えていかなければなりません。



年金保険料のムダ遣いに怒りフツフツ。島根地域の小集会

3月15日(月)

昨年の総選挙以来の小集会でしょうか。島根地域のGさんのお宅に20人以上が集まってくださいました。


3ヵ月後には始まる参議院選挙、どんな選挙なのか、日本共産党がめざす社会は?――こんなテーマで話をしました。

「物価が下がっているからと年金をまた削る」、自民党と公明党のすすめている予算案を話すと、「おかしい。医療費は高くなっているのに」と、すかさず声があがります。

「そうなんです。物価が下がっていると言っても、何が下がっているかみてください。パソコン、テレビゲーム、家具・・・。こんなもの毎日買う人がいますか? 年金生活の方にとっては、医療費は上がり、米や玉ねぎなど食品も値上がりして、ふところはむしろ苦しくなっている」


何が値下がりしているかの資料は、私も最近勉強したばかり。

予算案分析特集の「議会と自治体」(日本共産党発行の月刊誌)で勉強しました。予算案分析の原稿を私も3度、この月刊誌に掲載したことがあります。国会の秘書さんと、中央委員会の政策担当者が、まさに総力をあげて分析した力作です。


意見交流では、保険料のムダ遣いに怒りの発言が次々出てきました。

社会保険庁長官の公用車、交際費まで、保険料から出費していた!これは、驚き、怒り、あきれの気持ちが噴出します。

一体、年金財源をどう考えているのか、年金生活者の実情を知れば、こんな使い方はできないはずです。


参議院選挙に向けて、政治への怒りをわさわさと広げましょう。政治を変える日本共産党を大きくしましょう。

2大政党で政治が変わったのか、変わるのか、堂々と問いかけていきましょう、そんな決意が私の中にもみなぎるひと時でした。



新日本婦人の会の集まりで、いっぱい勉強になりました。

3月14日(日)

私も会員となっている新婦人足立支部の大会、私も来賓として少しの時間、参加しました。

そして、このわずかな時間に、この間の勉強不足を反省させられるほど、他の方々のあいさつに学ぶことがたくさんありました。


その1 農業・食糧問題

新婦人と産地直送運動をすすめている千葉県の方のあいさつ。

鳥インフルエンザでの行政の問題点、農業政策の問題点。なかでも驚いたのは、政府が農業の大規模化、企業家を推進したことで、養鶏家の戸数が激減していることです。この40年間で、380万戸→4300戸 これは驚きの数字です。

かつて庭先で、健康的に飼われていた鶏が、狭い鶏舎におしこめられていったことを、まざまざと見せ付けられました。全国どこでも、生鮮食料品店なら買える卵を、たった4300戸の養鶏所でまかなっているとは!


その2 足立の区政

今回の予算議会を傍聴できていないため、ぬかが和子区議の発言が、大変勉強になりました。

北千住駅にそびえたつ「丸井」、その中につくられた区民文化ホール「シアター1010」、運営は株式会社に丸投げです。

丸投げしたのに、年間10億円も助成金を出して、従業員の給料の一部を区が負担するなど、まったくおかしな話が進んでいます。

その一方で、お年寄りへの「生きがい奨励金」を出し渋る、那須塩原にある区民保養所を廃止する、逆立ち区政をこれもまたまざまざと見せ付けられます。


新婦人のみなさんの活動も、勉強になります。

公園を子どもつれで使いやすいようにと、足立区にトイレの増設などを求めたら、具体的に公園の名前をあげてほしいといわれたそうです。

これは、今後私もすすめたい活動! 楽しみがふえてきました。



中川での宣伝、「赤旗しんぶん」の大切さを心をこめて訴えました。

3月13日(土)

久しぶりに足立区の最東端、中川にやってきました。中川の土手が見えるあたりまで、宣伝や訪問・対話でまわりました。


初めて会った方々と、年金をめぐる政治の動きで怒りを語り合い、イラクの問題で不安を語り合い・・・。そんな気持ちにこたえるのが、「赤旗しんぶん」なんですよと、訴えてまわりました。

その後約1時間、自転車にハンドマイクをくくりつけ、地域支部のHさんと2人での宣伝行動が始まりました。


年金をめぐる国会の動きなど訴え、最後に「赤旗しんぶん」の力について、心をこめて話しました。

昨日、赤旗日刊紙にジャーナリストの本田勝一さんが寄稿していた記事を読んで、これをみんなに伝えたいと思っていたのです。


本田勝一さんの寄稿より

「この一年間のマスメディアについて象徴的に言えるのは、核大国たるアメリカ帝国の一方的侵略に対して「侵略」という単語さえ使わないことだろう。日刊紙で侵略を明記してきたのは、政党機関紙とはいえ「赤旗」だけとは、あまりにも情けない。それに事実として、イラクを始めあの地域についての報道が最も詳しいのは、どの新聞より「赤旗」だった。」


「派兵反対デモは東京でも万単位であったのだ。それは「赤旗」で知ったが、一般誌ではまるで報じられなかった。米軍イラク侵攻時も、ドイツなど何十万人の、特に若者の大々デモがあったのに、一般紙ではほとんど報じられず、私はドイツの友人からの手紙や「赤旗」で知った。「赤旗」のその写真は圧巻だった。」


今の政治に異議を唱える行動、運動を黙殺するマスコミ。それが、どれだけ「反対しても仕方ない」というあきらめを植え付けてきたことか。

イラク戦争反対、派兵反対の集会・行動は、記者が実際に取材しているにもかかわらず、黙殺されてきたのです。

政治を動かす行動を伝えることは、主権者は国民であるという立場をとることではないでしょうか。

だからこそ、今の政治に腹を立てている人みんなに、「赤旗」を読んでほしい、政治を動かす勇気と希望を一緒にはぐくんでいきたいのです。



「重税反対」のスローガンが切実さをましてきます。

3月12日(金)

昨日から一転して寒い朝、千住旭公園に急ぎました。重税反対足立区民集会に参加するためです。

この公園、昨年の夏に、地域の日本共産党後援会が主催する盆踊りがあった公園で、なんだか懐かしくなりました。やぐらの上で演説するという、珍しい経験をしたのです。


デモ行進まで時間があるからと、私もマイクを持つことに。

今朝聞いた、「民主党が消費税を年金財源とする、年金法案の対案を国会に提出する」というニュースも、怒りをこめて伝えました。

消費税を8%、9%にするなんて!


公園から税務署に向けてデモ行進。税務署近くで流れ解散すると、参加したみなさんが手に手に封書をもって税務署へと列をつくります。

自営業者のみなさんの確定申告を集団で行うのです。

そのための「重税反対集会」だと、実は、今日はじめて知りました。(お恥ずかしい・・・)


納税者の権利がふみつけにされるような税務署での対応が横行し、それなら、みんなで申告をして横暴なやり方を封じようというわけです。

自営業者への申告調査といって、突然早朝に税務署員が自宅におしかけるという「事件」もありました。

犯罪的税金のがれとは無縁の人たちへの圧力です。


北千住の税務署には、この日にそなえて「集団申告」「個人申告」の案内板が出ていました。駐車場スロープが集団申告の入り口です。

そのスロープいっぱいに列ができ、道へと広がる・・・。圧巻でした。

工場のおじさん、お店のおばさんたちのパワーは健在です。




青年と語り合った約2時間、探求する目は輝いていました。

3月11日(木)

とある会議室に到着したのは、夕方6時半。日本共産党のある支部(青年だけでつくる支部です)の会議があるというので、私も特別参加しました。


支部長のUさんが、学習の資料として配ったのは「国民保護法」についての報道記事。いったいどんな内容なのか、目を通しながら各自が疑問や意見を出し始めました。

私も、そもそもこの法律の土台となる「有事法制」とは何なのか、少しまとまった話をしました。昨年夏に学習会の講師を依頼されて、あわてて勉強したことを頭のなかから引っ張り出しながら・・・。


なぜアメリカ軍支援をするのか? それで誰が得するのか?

「アメリカいいなり」――今の日本の政治、特に外交をほとんどの人がこう見ているでしょう。それがなぜなのか?

青年たちの目は、奥深く、本質を探ろうとしています。物事を多面的に、同時に核心をとらえていかなければと、私が襟を正す場面でした。


なぜアメリカに従属しているのか、それにこたえられる政府の役人、与党の国会議員がどれだけいるでしょうか。

私のわずかな政治的体験でも、「それ以外の外交・政治の道は、そもそも考えられない」というのが、一番の理由でないのかと思えます。実際、アメリカ合衆国以外、日本政府が「パートナー」だといえる国があるでしょうか?

アジアの国でありながら、一体これはどうしたことなのでしょう。


この日の会議では、年金にも話が及び、日本の予算の問題、将来のこと、有権者の意識などなど、実に広い政治の学習となりました。

仕事が終わってからの時間、疲れもあるだろうに、夜9時近くまで。私にとっては、とても面白い時間でしたが、他の青年たちも生き生きと疑問や意見を出していましたから、やはり面白い時間になったのでしょうか。

こんな学習や話し合いの機会を、もっと多くの青年につくることができたら、世の中は大きく変わるでしょう。


帰路を急ぐ北千住の駅前で、激しいまでにギター演奏する女性の姿をみかけました。

自分のメッセージを持ちたいという姿なのでしょう。個性豊かな青年たちのエネルギー。新しい時代をつくる力。かつて青年の私も、メッセージを送り続けます。



障害児学校の先生方とのひと時。子どもたちへの思いに励まされます。

3月10日(水)

足立区内の障害児学校の先生方の小さな集まりがあって、「少しお話をしてほしい」と声をかけていただきました。

やや緊張しながら、今の政治、参議院選挙に向けての思いなど話しました。

一年で一番忙しい学年末。仕事の疲れもみせずに、話を聞いていただきました。


障害児学校、子どものまるごとの発達に関わる教育です。それだけに、現場にいなければわからないことがたくさんあると思います。

私の友人Kさんも、障害児学校の先生です。数年前に、卒業式・入学式の「日の丸・君が代」の押し付けがあった時に、こんなことを話してくれました。


障害児学校では、学校が「安心できる場所だ」とわかってもらう努力をあらゆる場面でしている。

行事でどんな音楽をつかうか、どんな歌を歌うか、話をするときにどんな言葉を使うか等々、子どもに安心をあたえ、学校が楽しいところだと伝えるように、心がけている。

そのなかで「君が代」がどれだけ異質だったか・・・。


この話をしたら、今年の卒業式でのさらに異常な「押し付け」のことを、先生方が次々に話してくれました。

会場はステージを正面にして、壇上で話をしたり、卒業証書を渡すように――こんな細かなことまで東京都教育委員会が指示を出しているのです。そのステージの正面に日の丸を掲げ、参加者が日の丸に敬意を表していることを示す会場設営を求めているのです。


障害児学校で問題になったのは、壇上にのぼることが出来ない子どもがいる、ということです。急遽、壇上に車椅子でのぼれるようにスロープを作った学校も少なくありません。

しかし、予算は不十分。安全性に問題ありのスロープ、しかも車椅子で一人で移動できるようになった子どもも、介助がなければ上がれない傾斜です。

「去年、Aちゃんが自分であごで電動車椅子を動かした姿が、ほんとにみんなの励みになったでしょ。そういう機会まで奪ってしまう」

胸に突き刺さる発言でした。


それまではフロアー式、対面式で、みんなで子どもの成長をお祝いすることを主眼に卒業式を迎えていた学校。そこに乱暴に介入する政治。

同時に、障害児の親から涙ながらに「子どもを壇上にあげてやってほしい」という声があがったことも話されました。

普通の学校と同じにしてあげたいという思い。

障害児がどれだけ世の中で差別的な扱いを受け、親がそのことにどれだけ傷ついてきたか、親の涙の意味を知りたいと思います。


現場を無視する教育行政、これほどの害悪があるでしょうか。一皮むけば底が割れるようなやり方に、決して未来はないのです。

帰り道、「障害児学校を訪ねてみたいな」と思いながら空を見上げたら、流れ星がひとすじ。願いを思い浮かべる間もなく、空に吸い込まれていきました。



山原健二郎さん死去の報道。優しい笑顔と獅子のような質問がなつかしい。

3月9日(火)

朝、「赤旗しんぶん」を読んでいた夫が、「ほら」と記事を指差しました。

山原健二郎さんの写真、死去の文字。


国会秘書として働いていた時に、国会活動をご一緒したことが私の財産の一つです。

初めての小選挙区での衆議院選挙、高知1区で見事当選を果たした、その感動は忘れることができません。四国では比例でも議席は困難といわれる中で、小選挙区での勝利だったのです。


いつもニコニコと話をされ、国会の秘書や職員の方からは、敬愛の気持ちをこめて「キューピーさん」とあだ名されていました。

ところが質問や演説となると、「火を噴く」迫力でした。

引退が決まり、東京で「ご苦労さん」のつどいが開催されたとき、予算委員会での質問ビデオが上映されました。

コメ輸入自由化を決定しようという政府の動きが本当なのか、細川内閣に厳しく迫り、あまりの迫力に総理も大臣もたじたじとなっていました。

農家の苦しみ・恨み・怒りを一身に集めたとしか言いようがない「伝説」の質問。質問原稿などもないも同然、勢いで投げ出すのではと思えるほどの凄さでした。


国会での最後の質問も忘れられません。2000年4月。教育基本法を変えようという動きが、急遽強まった時でした。

教育基本法が悪いから、今の学校の問題が起きている、そんなことがあるか。どこに問題があるのか、真剣に考えなければならないとき、なぜ「教育基本法を変える」ということになるのか、万感の思いがこもっていました。


質問のしめくくりに、バーナード・ショーの言葉を紹介されました。

「学校は劇場のように楽しいところでなければならぬ」「恋人に会いに行くように楽しいところ」――これは、忘れられない言葉となって、今も胸に焼き付いています。

燃えるような気迫を、そして、優しさと柔軟さを胸に刻んで、先達の拓いた道をさらに前へと進めていこうと決意する朝でした。



クラスの「お別れ会」、がんばった子どもの姿がうかびます。

3月8日(月)

もうすぐ3年生に進級する息子、クラス替えがやってきます。入学から一緒だった友達、先生との「お別れ会」。保護者のみなさんも自由参加でどうぞと、案内があったのですが、残念ながら参加できませんでした。


保護者会には間に合うかと、学校にかけつけましたが、これも残念・・・。

でも、まだ学校に残っていたお母さんがたが、「お別れ会」の様子も教えてくれました。子どもが一人ひとり、自分の得意なことを披露したそうです。

息子は・・・「2重飛びがんばってたよ。一度目は失敗しちゃったけど、2度目はばっちり。先生も一生懸命練習したことを話してくれて、とってもよかったよ」とのこと。


この半月ほど、毎日のように縄跳びの縄を持ち帰って、道端や家の前で飛んでいたわけが初めてわかりました。

私が見に行っていたらどうだったかな、恥ずかしがって失敗したかも、いや、やる気まんまんが2倍になったかも・・・。どちらでしょう。


友達とのちょっとしたトラブルもあったようですが、元気に学校に通えたのは、クラスの雰囲気もよかったからでしょうか。

これからクラス替えでどうなるのか、遊びや勉強や友達関係はどうなるのか、心配をあげればきりがありません。


早めに学童に迎えに行って、「2重飛びがんばったよね。1度目は失敗だったけど、2度目は見事成功!」と声をかけたら、「どうして知ってるの?」という顔。

「ほかのお母さんも、すごかったよってほめてたよ」というと、「ふーん」とそっけないそぶり。でも、また持っていた縄飛びですかさず2重飛び。充実感もあったかな?

なかなか、学校行事に参加するのも難しい時もありますが、みんなで子どもを育てる学校にしていきたいですね。



「剣道をやりたい」という息子、子どもの習い事をどう考えたらいいのやら・・・。

3月7日(日)

昨晩は、子どもたちの就寝がいつもより遅くなりました。夜、剣道の見学に行ったからです。

数日前、「剣道やってみたい。土曜日に見学に行きたい」と突然息子に言われたのです。


普段は新しいことを敬遠してばかりの息子が、珍しく積極的なので喜びましたが、「剣道をやる」「やらせる」ことができるのか、不安はいっぱいです。

夜6時半に、小学校の体育館に集合というので、8時までと思っていたら、なんと9時まで!

6時過ぎに軽く食事をして、帰ってきてからまた食事。寒さのなかで見学したので、お風呂もゆっくり入ったら、もう10時半を過ぎていました。


週3回のおけいこ、いったいみんな食事はどうしているの? 子どもの宿題とか、次の日の用意とか・・・・。

「やりたい」という気持ちを大切にしたいけれど、共働きで家族そろっての食事が今でもままならないのに、ここに習い事が入ったらどうなるのか。


子どもの夕方〜夜のすごし方が、俄然問題になってきました。1年後には、学童もありません。

習い事で時間を使うのは、ある意味で、親が働いている時間に子どもが安全に時間を活用しているということになります。

でも、学校以外の時間割をもって子どもが生活することは私の本望ではなく・・・、あ〜どうすれば?


子育て中のみなさんも、経験者のみなさんも、どう考えますか? ご意見をよせていただけると嬉しいです。



東綾瀬の公団、東和の町、話し込めば時間が足りないほど

3月6日(土)

参議院選挙にむけて、対話と「赤旗しんぶん」を広げる活動。今日は夕方まで、歩き回りました。


午前中は、東綾瀬の公団住宅。建て替えにむけて、空いている棟をつくるため、引越しが続いているようです。

建て替えれば家賃があがる、しかし、今のままではエレベーターもないし老朽化しているし。居住しているみなさんの悩みは深いです。

そのうえ年金は削られる。「節約するだけ節約している」というお宅も少なくありません。

ふところの苦しさを知ったうえで、「赤旗しんぶん」を広げる、日本共産党を大きくして、そんな悪い政治を変えようとよびかけました。


「いったい、いつになったら日本共産党が伸びるのか」

「どうしたら政治は変わるのか」

あきらめにも近い気持ちは、少なくない方々の胸にあるようです。でも、同時に、あきらめても何も変わらないこともわかっているのです。

私も訴えながら、自問自答を繰り返します。そのたびに、やはり地道でも、道が遠く思えても、これしかないと答えに行き着きます。


それにしても、住宅問題はどうにかしなければいけません。

公団は黒字なのに、近隣の民間住宅の家賃と同じレベルにしていくために家賃値上げが方針とされています。

生活が大変な人が増えているのに、都営住宅も切り捨ての方向ばかりがちらつきます。

すべての新聞を止めて、図書館で新聞を読んでいるという方、都営住宅を申し込んでもなしのつぶてだというのです。


住宅を「個人責任」だけにしていていいのか。いつホームレスになるかわからない人がいったいどれだけいるのでしょうか。

住むところがあるという当たり前の安心を政治が放り投げていいはずはありません。



黙っていられない不当逮捕、街頭宣伝へ

3月5日(金)

総選挙で、日本共産党の主張を知らせるチラシをまいたら逮捕。この事件から2日。緊急に事態を知らせるチラシが、足立の党事務所に届いていました。

「これをつかって、緊急宣伝しましょう」と、午後、宣伝カーを走らせました。


逮捕された堀越さんのと知り合いだというYさんと、偶然会って、宣伝行動に合流してもらいました。

宣伝に出かける直前、やっと保釈された堀越さん。ところが、即起訴!

マイクでこの事件を話し始めると、道行く人は積極的にチラシを受け取ってくれます。

「こんなことはとても許されない」と、新聞配達員の男性が声をかけてくれました。


警察の不祥事、裏金づくりなど、本来捜査しなければならない問題は山積みです。

一人の公務員が、休日にビラをまくことが何ヶ月も捜査される――これこそ税金のムダ遣いではないのでしょうか。

知らせれば知らせるだけ、「そんなことが!」という声は広がります。どんどん知らせましょう、どんどん声をあげましょう。沈黙していては、「いつか来た道」を許しかねません。



防犯ブザーだけでは守れない、子どもの安全

3月4日(木)

足立区内の小中学校で、子ども一人ひとりに携帯用の防犯ブザーが配布されたそうです。秋の区議会、補正予算で決められたことです。


ないよりあった方がいいでしょう。でも、防犯ブザーをどういう時にならすのかを考えると、果たして小学校低学年の子どもが身の危険を感じて「防犯ブザーを鳴らさないと」と冷静に行動できるのかは、大きな疑問です。

日頃から訓練するわけにもいかないし、そんな訓練ばかりでは大人への不信感(知らない人はあやしいと思え)みたいにもなりかねません。難しい問題です。


息子が保育園に通っているとき、はじめて、「買い物している間だけ、公園で遊んでいていい?」と言ったとき、その成長に驚き喜び、その直後、「大丈夫だろうか」と不安が頭をもたげました。

まだ明るい時間でしたから、遊ばせて、大慌てで買い物をした覚えがあります。

最近は、4歳の娘もお兄ちゃんの「お出かけ」についていくと主張し、子どもだけの公園遊びも経験させてしまいましたが、「何かあったら、取り返しがつかない」と自問自答しながらです。


夜、NHKのニュース番組で、地域で子どもの安全を守るとりくみが紹介されていました。

公園の植え込みが道路からの視線をなくしてしまう、いつも子どもの姿が見えるようにと、植え込みを相当刈り込んだ(木を抜いた)公園が紹介されていました。しかし、「公園の魅力がなくなり、来る人減ってしまう。それでは、逆に子どもへの犯罪が起こりやすい」と指摘する声。

地域の方々の会合では、できるだけ大人が子どものそばにいるようにと、「公園に地域で花壇をつくって、水遣りなどかねて、できるだけ地域のお年寄りなどに来てもらっては」等々、意見が出されていました。


下町のよさを取り戻す時なのでしょう。それには、大人社会にゆとりも必要です。

ゆとりは、犯罪の根本を絶つ力でもあるでしょう。「イライラして」など犯行の動機が報道されるたび、「イライラ」を次々につくりだしている余裕のない働き方や、働く場さえ奪われる余裕のない生活が垣間見えてきます。


小手先だけでない安全対策、子どもを真ん中にして、日本の社会のあり方も問いかけていきましょう。


 

ビラをまいたから逮捕なんて! これが民主主義なのでしょうか。

3月3日(水)

昼過ぎ、党千代田地区委員会に強制捜査が入ったという話を耳にしました。なにがあったの?と、思うものの、それ以上の情報はなかなか入ってきませんでした。


インターネットのニュース検索をして、やっと見つけました。

社会保険庁の職員が、総選挙の時、「赤旗号外」「東京民報」を配布したことは、「国家公務員法違反」だから逮捕した――

驚きと憤怒でいっぱいです。

こんなことを警視庁公安部がじきじきに調べていきなり身柄を拘束した逮捕にふみきる、そして党事務所におしかけてパソコンなどを強制的に押収する。

戦前の特高警察を思い出します。


夕方には詳しい情報が党中央から入ってきました。

休日に自宅周辺の住宅に、法律上まったく問題のないビラを配布した、このどこか「政治的中立を犯した」といえるでしょう。むしろ、憲法に保障された当たり前の市民権を公務員から奪う横暴ではないでしょうか。


公務員の地位を利用して支持を強要する、利権をちらつかせて選挙活動をする、ということとはかけ離れています。

そしてそういう事例は、他党のなかで発生してもなかなか捜査しようとしない、あまりに意図的です。

公務員は私生活でも、政治にかかわってはいけないということなのでしょうか。政治を語り、自分の理想とする社会をめざしてはいけないのでしょうか。


社会の安全を守るのが公安警察ならば、いったいこの事件のどこが社会の安全を脅かしたのでしょう。

憲法に保障された当たり前の「思想信条の自由」はどうなるのか、有事法制が出来上がったら、同じように政府の行為を妨害したといといって、平和的な常識的な宣伝行動まで摘発されるのでは、とさえ思えてきます。


他人事ではありません。こんなことを一市民として許していいはずがないのです。



イラクでの同時多発テロ。武力ではテロを封じ込めることはできない・・・

3月2日(火)

なぜ暴力があとを絶たないのか、なぜ悲しみと憎しみを積み重ねてしまうのか、イラクのニュースに暗澹たる気持ちです。

アメリカ軍はテロと戦う、テロを根絶するといってイラクの地に現に駐留していながら、これほどの被害を防ぐことができなかった。


どんな強大な武力をもってしても、テロの根を絶つことはできないのだと、凄惨な事件が示してしまいました。

被害にあった人の口からは、テロへの怒りだけでなく、占領軍への怒り・不満が出されているといいます。あらたな反発、憎しみ、暴力を広げていることにいたたまれない思いです。

正当な武力行使、正当な戦争なんて、いまやありえないのだと、世界の共通の声にしようじゃありませんか。


サマワにごく近い地域でも、米兵の誤射によってイラクの民間人が殺され、重傷を負わされてしまいました。古いトラックでブレーキがきかない、それを静止をふりきった突破だといっていきなり銃撃する――イラクの南部もまた緊迫した状況に置かれていることをはっきりしめしています。


自衛隊はどうなるのか、同じように市民に銃を向けることはおきないのか、歴史を大きく変えかねない事態です。

「赤旗しんぶん」は、イラクで活動しているさまざまなNGO団体、ジャーナリストに積極的に取材をして、市民の目からみたイラクを伝えています。

昨日は、佐藤好美さんという写真家が登場していました。ストリート・チルドレンの姿を伝え、「一昨年9月には見たことがなかった」とのこと。どんな理由があっても、先制攻撃の戦争をした罪は深く重いのです。


3月20日、イラク戦争から1年の日。全世界の反戦デー。

この思いのたけを示す一日にしようではありませんか。


 

「春」目前の雪はとても冷たかった!

3月1日(月)

暖かい2月が終わり、いよいよ春と思いきや。雪・みぞれ・あられと、なんとも寒い3月の始まりです。

その中を、最年少足立区議の松尾かつやさんと、なんと自転車で2時間、町をまわりました。手はかじかみ、息は真っ白。訪ねるお宅が留守だと、ほんとにがっかりです。


日本共産党の活動は、なんて地道な1歩1歩なのだろうかと思いながら、話しただけ、政治への怒りや黙っていられないという思いを広げることになるだろうと、こつこつ歩きまわる日々です。

途中、あまりの寒さに、地域の党支部のHさんのお宅にあがりこみました。お茶1杯のつもりが、ジャムたっぷりのパンとコーヒーをいただき、あまりの食べっぷりのよさに「おなかすいているんでしょう?」(大当たりでした)と、ご飯にお手製のシュウマイ、明太子・・・・。ほんとにごちそう様でした。


夜、神保町の日本教育会館で日本共産党後援会の「女性のつどい」がありました。

候補者となる今村順一郎さん、小池晃さん、そのご家族も登場しての楽しいひと時でした。


昨年末にお子さんが生まれたばかりという小池さん、妻と子どもがビデオで登場。

私は、小池さんが結婚して間もない頃、妻となった小池さんと会ったことがあります。お互い青年活動をしていて、平和の集会をともにつくりあげた仲です。お酒もいける方で、一度だけ一緒に飲みました。その時すすめられた「ホタルイカの沖漬け」は、以来、私の好物です。


久しぶりにビデオでお会いする小池さん、ちょっとほっぺがやせたかな。今、おっぱいで夜も起こされているでしょうから、しばらく大変でしょうね。

無理をしすぎず、楽しみながら、仕事と子育て両立していきましょう! つらいこともあるけどね。


各地の女性後援会から、2人へのプレゼント。これはすごかった。お花あり、寄せ書きあり、お米あり・・・。

足立からも、すばらしい特大・絵手紙の檄、手作りの寄せ書きを手渡しました。

安心して子どもたちにバトンタッチできる社会をつくりたい、だれもが願う思いでしょう。

候補者や議員だけではできません。主権者は私の意味を考えながら、おおいに政治にものをいい、理想の社会をめざしましょう!