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2004年2月

ひなまつり、祝うだけではありません。行動するのが今の女性たちです。

2月29日(日)

ひなまつり前の日曜日は、新日本婦人の会の「ひなまつり行動」です。

ちょうど、国でも自治体でも予算案が議論となるころだけに、暮らしをよくしたい願い、平和を求める女性たちは、「行動」するのです。


ベルモント公園には、色とりどりのデコレーションをもった女性たちが約100人。

平和の歌を響かせ、運動を交流して、西新井駅にむけて「ピース・パレード」に出発!

国会周辺ならともかく、こういう町でいわゆる「デモ行進」は珍しく、何事かと家から出てきてながめる人の姿も。中学校の前では「がんばって!」の声援がとびました。


運動の交流のなかで聞いた話では、教育基本法を変えようという自民党の国会議員が「お国のために命をささげることを教えるのは、大切なこと」と、あからさまな発言をしたとか。

耳を疑います。

命をかけて守るべきものってなんでしょうか。

国とは国家のことなのでしょうか。


国を愛する心――今、文部科学省も教育のなかに持ち込もうとしています。まず形式として、卒業式・入学式の「日の丸・君が代」、どんなふうに「君が代」を歌い、どんなふうに「日の丸」に敬礼するかまで、ことこまかに指示して、従わなければ教職員を処分する。異常です。


卒業式は、子どもたちの成長を祝い、門出を心をこめて励ますものにしたい、そう思って、卒業生と在校生が対面して座り、ステージを使わない学校もありました。

入学式は、子どもが緊張しすぎないように、小学校など1年生が早く学校になじめるようにあたたかい雰囲気にと、努力している学校もあります。

障害児の学校では、子どもの緊張をほぐすため、言葉・音楽など、配慮に配慮を重ねているそうです。その中で「君が代」の響きはまさに異質・異様。


誰のための学校なのでしょう。

子どもにとって、自分の住む街がよいところであることを願うことが、本当の愛国心なのではないかと思います。自分の住むこの街や、東京や日本が、例えば公害で汚れている、どうにかしたいと思うことが大切ではないのでしょうか。荒川の汚れをなんとも思わないのか、自然を愛して、どうにかしたいと思うのか。


そしてそれは、形で教え込むものではなく(調教のように)、様々な体験や学習の中から育まれるものではないのでしょうか。

政治の急激な動きにうかうかしていられない、そんな「ひなまつり」の行動でした。



事務所のご近所にあいさつまわり

2月28日(土)

昨年の梅雨時に、梅田に田村事務所をかまえ、今年からはここが、渡辺やすのぶ都議会議員との合同事務所となりました。心強いことです。

今日は、事務所のご近所みなさんに合同事務所となったことお知らせして、あらためてのあいさつとなりました。


自転車で町を走り回る私、ご近所の自転車屋さんにお世話になっていたためでしょうか、笑顔で迎えてくださいました。

「今度はがんばってくださいよ」と声をかけてくださった家もありました。

選挙の時は騒がしかっただろうに、みなさんとても好意的に接してくださいます。


この梅田も、私が通うようになってからでも大きく町が変わっています。

事務所のならびにあって目印にしていた信用金庫はなくなり、いま10階建てのマンションの建設がはじまろうとしています。

次々にマンションが建っていくと、「近所づきあい」ということもなかなか難しくなっていきます。


顔がみえる町にするためには・・・。

何より、住んでいる町で過ごす時間が長くなければ難しいですね。朝早くあわただしく駅に向かい、夜遅く帰ってくる生活では、自分の住む町にどんなお店があるのかさえわかりません。

労働時間の短縮――日本共産党がめざす社会のポイントです。

8時間の徹底だけでも、だいぶ生活は変わるでしょう。それが6時間とか、5時間とかになっていったら・・・。


未来社会への希望をふくらませながら、そのための一歩一歩を刻む生き方をするのが、共産党員です。

現世ご利益とはだいぶちがいますが、理想を決してあきらめないことは、生きる勇気そのものだなと思うこの頃です。



年金にイラク、話せば怒りがふつふつ湧いてきます。

2月27日(金)

「赤旗しんぶん」をもって、花畑団地を歩きました。


「年金で生活するのは、ほんとに大変」、だから新聞は・・・というのがほとんどの方から出てくる言葉。

「年金を減らし続けるなんてとんでもないですよね。この前、志位委員長も質問したんですよ。でも、時間が短くて、ほんとに悔しいんです」と話していくと、

「民主党の質問は長々とやってるのにね〜。議席へらしちゃったからね」

「だから、今度は負けられないんです」


どんどん話がはずみます。年金掛け金の無駄遣い、遺族年金のあまりに少ない額、10年働いても厚生年金受け取るより、遺族年金の方がそれでも多いという悔しさ・・・。話はつきません。

日本共産党に大きくなってもらって、政治を変えてほしいというのは、訪ねた方々の共通の思いのようです。それで、お金は厳しくても、「赤旗しんぶん」も読んでいただける方が広がりました。


私のこんな活動もだいぶ肩の力が抜けてできるようになりました。

初対面のお宅で、「すみません、ちょっとトイレお借りできますか?」とあがりこんで、そのまま、乾燥芋(おいしかった!)やお煎餅までご馳走になったお宅もあります。

「わざわざ来ていただいて」と言われて、こちらが恐縮しそうでしたが、そこは下町。恐縮せずに楽しく話し込んで、新聞の購読までお願いしてしまいました。


イラクに行った自衛隊がアメリカ軍の指導のもと、射撃訓練をしたというニュースもあって話題にのぼります。

「なにが人道支援なんでしょうね」

民主党もいっしょになって、軍隊をもとうと議員たちが話し合う時代。

こんな話が、世間話のようにできると、政治の問題がぐっと身近になります。


明日も、こんな活動ができることを願って花畑団地をあとにしました。



子育ての悩みいろいろ、保育園の保護者会で

2月26日(木)

保育園の年少クラスの娘、今日は今年度最後の保護者会でした。

いつもはなかなか顔をあわせる機会もないクラスのお母さん方が、ほとんど全員集まりました。


食事のこと、親子のふれあいのことなど、「家もそうそう」とか「こんなふうにしています」とか、短い時間でしたが交流が出来ました。

私の悩みはほとんどが、時間の足りなさからくるものです。

晩ご飯の準備中に、家にあるお菓子やらバナナやら食べてしまって、食事の時には遊んでばかり。健康によくないし、お行儀も悪いし・・・。

手際よく、おにぎりなど用意している家もあるとのこと。少し学ばなければいけません。でも、やっぱり迎えの時間が遅いという矛盾は、これからも悩みつづけることになるでしょう。


下のお子さんが生まれて大変というお母さんが何人かいました。

私も覚えがあります。

「下の子どもの面倒を見るときに、あなたがこれくらいの赤ちゃんの時はこんなことしてたんだよ、って話すようにしたんです。そうすれば、赤ちゃんのことが自分のことのように思えるのか、お兄ちゃんも子育てに関わってくれたような気がします」

ささやかな経験を話しました。


つい怒って手が出てしまう・・・というお母さんも。

体罰は、私はやらないことが一番だという主義を持っています。できるだけ、子どもに寄り添う、抑え付けない立場をとりたいと思っているからです。

わがままには毅然と向かう(なかなかうまくいきませんが)、そうでなくて、何か原因があるときは・・・。


我が家は、お兄ちゃんが「文句マン」になることがあって、私をいらいらさせることが度々あります。

その原因はたいてい、私が土日仕事だったり、帰りが遅かったりということだろうと、思い当たります。

「文句ばっかり言ってもどうにもならないでしょ」と突き放すと、いつまでも文句が続くので、思い切って「ごめんね。お母さんが忙しいから、それで怒っているんでしょ? でも、どうしてもお仕事にいかないといけないんだ。寂しくさせてごめんね」と話しかけてギュッとだきしめると・・・。

とたんに涙をポロポロ流して、それから笑顔になって、ということが何度かありました。


そんな経験も話してみました。

子どもは大人の心を読もうとします。それなのに、大人が子どもの心に無頓着なことがなんと多いことか。自らの反省でもあります。

悩みながら、子どもとできるだけ向き合って、がんばっていきましょう。

ただし、肩に力を入れすぎず。育児書通りでなくても、子どもの育つ力を信じて。



日本の危機は何か、何から国民を守るのか、有事法制の姿が見えてきました。

2月25日(水)

この国会、とても大変な法案が目白押し。それを参議院選挙までに「片付けよう」とは・・・恐ろしくなります。


マスコミもいっせいに内容を報道した「国民保護法制」――日本国民を何から守るのか、なぜ守る必要があるのか、根本から考えなければならないと思います。

北朝鮮の拉致事件という、他国から日本国民の命と人権が乱暴にふみにじられた事実はあります。

これは、「国民保護法制」がなかったから・・・ではないでしょう。


戦後、日本が他国との武力衝突もなく、海外のテロ集団から組織的なターゲットにされたこともないのはなぜか。

世界最強の軍事力をもつアメリカ、かつて最強を競い合ったロシアが、たびたびテロの標的とされてきたのはなぜか。

そんな根本を考えないといけないのでは・・・、新聞を前にしばし考え込んでしまいました。


国民保護法制とともに提出されている、アメリカへの土地・物資提供(日本政府が個人からとりあげて提供できる)のための法案など、もっと大きくとりあげるべきでしょう。

だれしも、国民の命・財産を守りたいと思うでしょう。だれが命を危険にさらしているのか、財産を奪おうとしているのか、事実にそって冷静に考えたいものです。


そんな重いニュースをうけながら、午後は、あたたかな日差しのもとで、西竹ノ塚の町を歩きました。

地域の党支部の女性3人とのひと時。

この支部のTさんは、自宅を支部の活動のセンターに開放してくれています。このお部屋には児童書や、日本近代文学の復刻版などが並んでいて、いつも私はまじまじと眺めてしまいます。

児童書は、私が小学生の時に学校図書館で見たような本。かつて、ここで子どもたちへの「読み聞かせ」などしていたそうです。

お借りして読んでみたいなと、わくわくしてくる空間。今度、うかがったときには手にとってみたいものです。



消費税宣伝、300枚のビラは30分足らずでなくなって・・・。

2月24日(火)

毎月24日は、消費税が法律で生み出された日を忘れない決意をこめての、消費税反対宣伝デーです。

北千住東口に5時半、少し遅れてしまいあわててビラをもって行くと、他団体のみなさん10数名が待ち構えていました。


地元の鈴木秀三郎区議がマイクを握ると、「よ!」と声をかけていく方の姿が。長年、この場所で宣伝活動を続けてきた実績です。

私もマイクを握りました。

「年金保険料をムダ遣いして、その責任はまったくとらない、税金もムダな大型開発や大銀行にそそぎこみ、それで年金を支えるお金がないから、消費税増税、こんな無責任な政治をどうして許せるでしょう」


この間のマスコミでの、年金掛け金のムダ遣い報道も多くの方々の目に触れ、怒りを呼び起こしているのでしょう。

次々に足を止めて署名をする人の姿、ビラもどんどんうけとられていきます。

私が話し終える頃、「もう終わりにしましょう」の声が。

「え?」と思ったら、予定した1時間の半分の時間で、ビラがなくなってしまったのです。


いいぞ、いいぞ、怒りを広げよう。

そう思いながら、今度は梅島駅での「イラク派兵反対」宣伝へ。毎週火曜日は実行委員会の宣伝デー。

今度は、なかなか簡単にはいきません。

国連アナン事務総長まで、国会で「理解」を示すような発言をしたという報道。複雑な情勢です。

でも、軍隊を送ることが日本の国際貢献でいいのか、という問いかけを続けなければなりません。


マイクでの訴えを終えると、こちらをちらちら見ていた男性が近づいてきました。

「この前の選挙に出た人だよね」

「はい、田村智子です」

「ああ、そうだ田村さんだ。今度はうかってよね。がんばって」

しっかり握手させてもらいました。わずかな一歩でも、前進があると信じて。



党大会のハイライトビデオ、感動が伝わってきます。

2月23日(月)

会議のはじめに、20分ほどのビデオをみました。1月の日本共産党全国大会の「ハイライト」。

青年たちの発言、「労働時間の短縮が、自分らしく生きる道を開く」ことへの確信。

ほとんどの青年が、自分の時間を大切にしたいと願い、自分らしさを追求したいと思っている。それは日本共産党のめざす未来社会とまったく同じ、このことを多くの青年に語っていくことができると、新しい綱領に自身と誇りをもって、何人もの青年が発言したことがわかります。


「理想の実現めざしてがんばって」と、かつての担任教師から声をかけられたという青年。そのときのこと、思い出したのか、涙をこらえての発言でした。

こちらも熱い思いがこみあげてきます。

かつて、自分の主張をまったく認めようとしなかった人が、なにかしかの理解をしめし、激励してくれる――その喜びと感動は、私も経験したものです。


ハンセン病患者の「収容所」ともいえる療養所で、「党は我が家」と日本共産党の支部をつくった、こだま(漢字が出てきません)さん。

家族会すらない、家族・親戚との縁を絶たれた患者のみなさんが、差別と事実上の虐待と闘うために、どれほどの労苦をのりこえたか。その闘いの絆が、日本共産党だったという事実にそくした発言は、戦前の反戦平和の闘いさえ思い起こさせます。


機会があれば、ぜひ、機会をつくって、多くの方々に「ハイライトビデオ」みてほしいと思いました。日本共産党はなぜ、元気なのか、田村がなぜ明るく元気なのかも、ここに答えのひとつがあるように思います。



今年はじめの桜、綾瀬駅近くの公園で咲いていました。

2月22日(日)

綾瀬駅のすぐそばに小さな児童遊園があります。無料の自転車置き場のすぐわき。

毎年、この公園でとっても早い桜の開花を見てきました。といっても、いつもは確か3月に入ってからだったような・・・。


買い物の帰り道に「遊んでいく!」と娘にせがまれて立ち寄って、「もう咲いている」と驚きました。

デジカメを持っていなかったのが残念。

ソメイヨシノではないのでしょう。昨日からの暖かさは、桜が咲いてもおかしくないと思えるほど。まだ花びらが開いたばかりなのか、強風にもしっかり耐えていました。


夫が仕事の日曜日、久しぶりに娘とのんびり過ごした午後でした。

ほんとは、片づけやら保育園や学校の用事やらがあったのですが、少々疲れがたまっていたのか(耳の調子もまだよくなくて)、気力がわいてこないのにはまいりました。

休養の大切さを感じます。


「赤旗しんぶん」では、過労で精神バランスが崩れていく人が多いことを特集していました。

私が「疲れた」という範囲ではありません。リストラ人減らしで、一人の会社員におしつけられる仕事量が膨大になっている会社が決して少なくないのです。

「働いても働いても終わらない」「間に合わない」

なんのために働くのか、生きるためではないのかと、こうした現状を知るたびに抑えようのない怒りを覚えます。

ゆとりを持って働くことの大切さ、それは仕事の質を必ず高めます。そして、働く人の人数を増やせます。


我が家も、家族そろっての休日は、今度はいつになることでしょう。



「とんちゅう・さん」と呼んでいたんですよ――元国会職員さんとの出会い

2月21日(土)

「赤旗しんぶん」の購読を訴える、地道な活動。そのなかで、思わぬ出会いをすることがあります。

今日はその一つ。


区議さんに「町会長さんなんですよ」と、紹介されて訪ねたお宅。外壁には自民党の掲示板があります。

インターホンで「町会長は変わって、私ではないんですよ」と会話して、そのまま終わるかと思ったら。

玄関のおとなしい犬をみて、区議さんと2人、少し立ち話をしているうちに、わざわざ玄関に出てきてくださって、「そこの道を入ったところの・・・」と新町会長のお宅を教えてくださいました。


せっかくだから、と私が名刺を渡すと、「秘書」という肩書きが目に飛び込んだようです。

「私も、衆議院で働いていたとき、共産党の担当をしていたんですよ」

さあ、ここから楽しい会話が続きました。


国会職員の中には政党担当の仕事がいくつかあります。当然、議員や秘書とも親しく言葉をかわすようになります。

この方は、自動車運転を担当されていて、東中議員、寺前議員といった、ベテラン中のベテランの議員さんを毎日のように車に乗せていたのです。

「先生なんて呼ぶと、やめてくれ、って言われるんで、東中先生のことは、とんちゅうさんと呼んでましたよ」


在職25年の時、当時の共産党議員団から記念の時計をいただいたとのこと。玄関に今もしっかり置かれた時計。嬉しくなりました。

「今の政治はおかしいですよね。イラクだって、小泉さんは腹を切るつもりがあるのか」と憂い顔。

私も、いま自民党の関係者でも「赤旗しんぶん」に登場して、政治の動きに警鐘をならし、日本共産党の役割を認めていることなどお話しました。


今日の出会いは、今度、国会に行く機会に、ぜひベテラン秘書の方々にお話したいと、楽しみがまた一つふえました。



年金生活の大変さを理解しようともしない、なんと腹立たしい政治でしょう。

2月20日(金)

遅ればせながら、党首討論をインターネット視聴しました。記事だけではわからない、議論の様子を知ることは、意味のあることだと思います。


衆議院のHPからチェックすると、日本共産党の志位委員長の質問時間は7分。議席が少ない悔しさがこみあげます。

わずかな時間をどう活用するか、スタッフとの打ち合わせもかなりの時間を要したことでしょう。

テーマはひとつ、「国民年金さえも支給額を15%削減するのは、憲法に保障された健康で文化的な生活さえふみにじるものではないのか」


町を歩き、庶民の生活を垣間見るだけでも実感する問題です。

冬の日中は家の中で外套をはおり、暖房さえも節約しているお年寄りと、何人も出会います。わずか3〜4万円の年金、そこから介護保険料を天引きされる、その怒りとつらさを何度訴えられたことでしょう。

「増やしてほしいとは、いまさら言わない。これ以上削らないでほしい」――この悲鳴のような訴えを政府にぶつける質問でした。


わずかな国民年金さえ削ってしまう、生存権さえ脅かされる

小泉首相は一切、一言も、このことについて語りませんでした。その生活の苦しさに心を寄せることさえありませんでした。


質問時間の短さ、なんと悔しいか!

日本共産党にもっと質問時間があったら、それだけ庶民の声が政治に届く、政府につきつけられる、これは明らかでしょう。

また、多くのみなさんに訴えたい中身がふくらんできました。


ところで、今日は予定外の出費が・・・。

耳の調子がよくなくて耳鼻科へ。「滲出性中耳炎」と診断されて、検査のうえ鼓膜切開(痛かった!中耳炎の後、子どもが耳鼻科を嫌がるわけもよくわかりました)。治療代と薬代で約7000円! 1万円札がなければ、病院に行かれないなんて、あんまりです。



念願のカウンターがつきました! どうなるでしょう、期待と不安と・・・。

2月19日(木)

正確には、昨日ついたようですね。私は今朝、発見しました(13番目の訪問者でした)。


先日も、息子がゼロ歳の時から一緒の保育園、今も学校が一緒というお母さんから、「ホームページどうしたんですか?」と聞かれました。

1ヶ月ほど前のアクシデントで、アクセスできなくなってしまったようです。

「見てくれたんだ」という驚きと、心配かけた申し訳なさと。


「田村のホームページが見られない」という声を聞きましたら、どうかもう一度検索し直すようお伝えください。

こんなふうに、思わぬところで「ホームページみていますよ」と激励されることが、何度かありました。年賀状で学生時代の友人から「発見したよ」という一文がそえられていたり。

どれくらいの方がアクセスしてくれているのかと、気になってもいました。


よし! まじめに、でも楽しみながら更新していくぞ!と決意する一日でした。

「こんなことも載せたら」「こんなふうにしてみたら」等々、ご意見・アドバイス、どうぞお寄せください。



映画のようなドキュメンタリー、ベネズエラの特集番組に言葉を失って・・・。

2月18日(水)

日本共産党の都役員になって(2月8日のことです)、初めての本格的な会議に出席しました。

会議の内容も元気とやる気のわくものでしたが、圧巻だったのは昼休みです。


いつ放映されたものか聞き落としてしまいましたが、NHKの衛星放送で放映されたベネズエラの「クーデター未遂事件」の番組を、ビデオで上映したのです。

アイルランドの取材陣が偶然遭遇した事件だったため、映画をみているような、いえそれ以上の迫力のすごい内容でした。


99年、圧倒的な国民の支持を得て大統領に就任したチャべス氏。多数の貧困層、石油利権を独占する財界、この問題にメスを入れる政治の改革にのぞんでいきます。それは、同時に石油輸入国であるアメリカの一国支配への中南米の闘いでもありました。


2002年2月、3日間の「クーデター未遂事件」が勃発。

反チャべス派が、チャべス支持の民衆が取り囲む大統領官邸に押しかけていく、これをあおったのは財界に牛耳られた民放テレビです。

衝突がおこるのを必死に防ごうとする大統領護衛軍、ところが突然、高い建物から民衆に向けた発砲が!


逃げ惑う民衆、狙撃犯がいると思われる建物にむかって射撃する護衛軍。

ところが、民放テレビは(これもあらかじめ撮影アングルまで決めていたことが暴露されるのですが)、民衆に向けて護衛軍が発砲しているかのような映像を流し、大統領の責任を追及するのです。


軍司令部が反チャべスを宣言し、大統領辞任を要求、辞任しなければ官邸を爆破するとまで迫ります。

チャべスは辞任を拒否したまま、軍に身柄を拘束されてしまう・・・。(これもすべて映像におさめられていました。)

翌日、反チャべス派は、国民議会やオンブズマンなど次々勝手に解任、新しい政権の樹立を宣言、それがそのまま民放で放映されていく。

町ではチャべス支持を叫ぶ民衆に軍が発砲、「チャべスの時にはこんなことは一度もなかった」と犠牲者をかかえて泣き崩れる人々・・・。


チャべス派は、ケーブルテレビを利用して、「チャべスは辞任していない。これはクーデターだ」と情報を伝え、それを聴いた民衆が再び大統領官邸へと押しかけていく。

民衆のすさまじい迫力に(しかし平和的な行動でした)、新政権を宣言した閣僚たちは大統領官邸から逃避。「金庫の中身までもって行った」と、その後の官邸を調べる人たちの会話。ここにも反チャべス派の根本がみえるようです。


チャべス大統領の身柄を奪還し、官邸にヘリコプターで降り立つ。

「彼は帰ってきた」の大合唱。

帰還後、初めて発言するチャべス大統領(マイクさえも奪われていたのですが)。「冷静になってほしい」と呼びかけ、クーデター首謀者たちに対しても「あなた方の理解が得られるよう私も努力しよう。しかし、憲法は共同体の土台をなすものだ。これをふみにじることは許されない」と語りかける。


圧巻でした。マスコミを牛耳られ、民衆との絆であった国営放送も軍に占拠される、それでもクーデターは失敗した。

どんな財力・陰謀をもってしても、たとえアメリカの強力な後ろ盾があっても歴史を逆戻りさせることはできないと、胸に迫ってきました。

また、チャべス大統領が、アメリカを批判して「テロは根絶しなければならない。しかしこれは認められない」と、国営放送でアフガニスタンで犠牲になった子どもたちの写真を掲げて国民に訴える場面には、「そうだ」と叫びたい思いでした。

私たちもこういう政府をもちたい、堂々と戦争を武力を批判できる政府を。


帰宅してからも私の興奮はさめず、晩ご飯の仕度をしながらひとしきり、夫に話してしまいました。

昨年夏、同じ中南米のコスタリカに行った夫(仕事です)、しかしベネズエラのことはまったく話題にのぼらなかったとか。けれど、アメリカの一国主義への反発は確実に広がっていることなど、珍しく政治の話が食卓に飛び交いました。



イラク駅頭宣伝、反応の変化に一喜一憂してはいけませんね。

2月17日(火)

 2月6日以来の駅頭宣伝になってしまいました。予定候補者として決定してもらったし、もっと街に出ないといけないなと反省しつつ、マイクを握りました。

 

毎週火曜日、「イラクへの自衛隊派兵を許さない足立実行委員会」の宣伝が続いています。駅によって反応の違いがあるのですが(なぜか北千住の西口は冷たいのです)、果たして今日は…。

 

宣伝する側の人数も多く、青年が積極的に「ぜひ署名してくださいよ」と声をかける、これも雰囲気をもりあげました。

そして意思をもって署名へとまっすぐ歩いてくる方の姿も、決して少なくはありません。

一喜一憂するわけではありませんが、国会討論や大量破壊兵器をめぐるニュースなどが影響しているのでしょうか。

 

私の訴えにも力が入ります。

イラク戦争の大義が、戦争を行った当事者、アメリカ・イギリス議会でも大問題となり、国連のイラク査察団団長は「大量破壊兵器があるという情報はスキャンダルだった」とまで発言しているのです。

日本政府は、なぜ「正しい戦争」という認識を変えようとしないのか、それどころか、軍隊まで送り出すのか…。

 

サマワでは、自衛隊の広大な拠点づくりのための借地料について交渉が続いているとか。年間数億円も払う必要があるのか、それで広大な「基地」をつくって、その後はどうなるのか。

 

あきらめるわけにはいかないいくつもの理由。

自衛隊のみなさん、家族のもとに早く帰って来い、これ以上行くな、そんな思いをこめた1時間の宣伝でした。

 


夜の「読み聞かせ」、自衛隊が登場する「お話」に一瞬息を飲みました。

2月16日(月)

この頃、子どもたちを寝付かせる時の「読み聞かせ」が途切れがち。今日は、夜9時過ぎに布団に入れることが出来たので(ほんとは9時には眠れるようにしたいのですが)、本を取り出しました。


もうすぐ保育園のお遊戯会、娘のクラスが演じる「ぐりとぐら」をまず楽しみました。

私が読む部分と、娘が歌う部分があって「ぼくらの名前は、ぐらとぐら・・・」の歌声が響き、いつもと違う楽しさがいっぱい。


その次は、土曜日におじいちゃんに買ってもらった「怪談レストラン」シリーズ、『亡霊レストラン』の登場。

どうして怖い話が好きなのか、しかもこれから寝ようというのに・・・。そう思いながら、短い話を読み進めていくと・・・

「ぜったい ふりむくな」という松谷みよ子さんが担当したお話が出てきました。自衛隊の深夜訓練の話です。


深夜眠気の中での行軍訓練、暗がりを歩く隊員の耳に、後ろから「ザッザッザッザ」という足音が聞こえてくる。

振り向いた隊員が見たものは、亡霊となった旧日本軍の行進。

最後の隊員の言葉が、今の時代に重くのしかかってきます。

「おれ、戦死しないよな。日本は、戦争をしない憲法があるんだから」(本が手元になくて不正確かもしれません)


夕方見たニュースでは、軍歌に送られて護衛艦がイラクへと出発し、それを見送る自衛隊の家族の姿が映っていました。

マイクを向けられて平静にこたえる妻たち・・・、でもその心中は?

NHKの報道で、誰の家族か一目瞭然のもとでマイクを向けられて、どれだけの本音が出せるでしょうか。


小学校2年生の息子は眠ってしまい、このお話は4歳の娘が聞いていました。わかるはずのない内容、わかるようになった頃、日本はどんな国になっているのか。「戦争をしない憲法」はどうなるのか、いろいろんな思いがよぎる夜でした。



「赤旗しんぶん」の写真から、しばらく目を離せませんでした。

2月15日(日)

1面の真ん中、日の丸をだらりと持ってうつむく子どもが2人。女の子は手を目にあてて、涙を流しています。男の子はやるせない思いが全身をつつんでいるようです。

陸上自衛隊本隊を送り出した家族の写真です。(2月3日 自衛隊千歳基地にて(


今の日本で、こういう悲しみを抱かなければならないなんて、許せるでしょうか。

自分の夫が命の危険を承知のうえで海外に送られる――想像もできません。家族との毎日が当たり前で、笑顔で話ができることが嬉しくて、そんな日々を意図的に奪われるなんて、どうして考えられるでしょう。


この写真は、自衛隊の家族が日本共産党の事務所に連絡をしてきたという記事に掲載されたもの。

北海道・旭川で、「派兵を拒否することはできませんか」と母親が相談してきたというのです。「息子を自衛隊に入れたのは私。でもイラクに戦争に行かせるために入れたのではない」、自らを責め、不安に駆られ、でもそのことを自衛隊の関係者にはいうこともできない。


連日、イラクでの規模の大きな武力衝突が報道され、家族のみなさんはどんな思いでいるのでしょう。

武力・軍隊は、さまざまな形で子どもから笑顔を奪っていくだけです。

本当に必要なのはなんなのか、子どもの笑顔をつくる力は何か、真剣に考えることが大人の責任です。


そして、今日、私はまた足立区を地盤とする衆議院東京13区の「予定候補者」として、足立の党のみなさんに紹介されました。

戦争への道をゆるさない、その闘いがあらたに始まります。



おじいちゃんへのバースデーケーキ。ロウソクは何本?

2月14日(土)

めったに一同に会すことがない、私たち親子とそれぞれの父・母。今日は、そのめったにない一日となりました。


大人の話はつまらないのか、「遊ぼう」と騒ぐ娘、勝手に友達と遊ぶ約束をする息子。

それでもみんなで楽しく食事をして、娘のおしゃまな「お手伝い」を楽しんでいました。


昼食後、地元のおいしいと評判のケーキ屋さんに、夫が買い物に行ってくれました。「どの辺?」と聞かれて、地図を広げ場所を説明しようとするのですが、方向音痴の私はしばし悪戦苦闘。「図書館の横の道をまっすぐで、公園が向かいにあるから・・・」、地図をくるくるまわして(これが地図が読めない証拠ですね)、やっと「ここだ!」と自信満々で指すことができました。


買ってきたのはなんとバースデーケーキ! 明日が私の父の誕生日だと覚えていてくれたのです。

思わぬバスデーケーキに、父も感激。プレートの「たつおくん おたんじょうび おめでとう」にみんなで歓声をあげました。


さて、そんなお茶のみ話のなかで、父が、「この前、木島英夫さん(前衆議院議員)が家にまで来てくれたよ」と話してくれました。

「何が悔しいって、木島さんが落ちたのが悔しいって話したら、ぜひ党の仲間になってくれって、話にこられて」

「それで?どうしたの?」

「私は党友ですから、と話した」そうです。


今、日本共産党は、選挙で勝って政治を変えるため、全国で党員、「赤旗しんぶん」読者をひろげる活動にとりくんでいます。

私が98年に初めて参議院選挙の候補者となったときから、党友になってくれた両親。

よびかけに前衆議院議員さんも、実家を訪ねてくれたことが嬉しくて、長野県の党のみなさんの奮闘を垣間見る思いです。



千住の町を歩いた2時間、下町はいいですね。

2月13日(金)

「赤旗しんぶん」を読んでもらって、日本共産党のことをしっかり知ってもらって、選挙で勝つ――私流にいうといくつもの「絆」をつくる活動が続く日々。


午前中は千住の町を歩いて、1軒1軒訪ねていきました。下町は顔が見える町、マンションでの話とは趣が違います。

穏やかなぽかぽか陽気。家の前に古い長いすをおいて(ベンチというより木製の長いすですね)、ご近所のお友達とお話中の方がいました。

町の案内役でもある地元のSさんの同級生だそうです。


みなさん、もう80歳を超えるといいますが、なんともお元気。

「あら、どこかで見た顔だと思ったら、田村さん。わざわざ来てくれたの」と、にぎやかなお話の輪に私も加わりました。

話の切れ目に、Sさんが、「あんた、赤旗は読まなきゃだめよ。世の中のこと、わからないよ」と元気に訴え、購読してもらいました。


年金への怒りや不信、イラク問題への不安、誰だってそういう気持ちを持っていることが、よくわかります。

でも、「どうすることもできないよ」というあきらめが、まだまだ多いように思います。その大きな原因が「共産党が小さいこと」だと、思います。


共産党を大きくする、議席も増やす、党員も広げる、「赤旗」読者はもっと広げる――それしかない、この数日の行動で骨身にしみました。

どうしたらもっと多くの方々に、「赤旗」を読んでもらえるか、どうしたら日本共産党を大きくできるか、いろんな思いがわいてきます。



足立区足立、ここも路地裏の町です。

2月12日(木)

「赤旗しんぶん」の見本紙を持って町をめぐる、宣伝カーで通るのとはまったく違う町の顔がみえてきます。


足立(私たちは足立町(あだちちょう)と呼んでいます)は、下町の路地裏がつづく町でした。うねうねと曲がった道、迷路のようです。案内の方がいなければ狭い範囲で迷子になってしまいます。


訪ねた家の1軒は、夫と死別して女手ひとつで仕事をきりもりしている方。

「私は年金をもらえない」といいます。会社勤めを15年もやったのに、退職の時の手続きで年金をもらえない道を選択してしまったというのです。「年金のことなんて、一言も説明なかった」そうです。

国民年金も「お父さんだけだった」とか。


制度の不十分さ、説明の不十分さ、取り返しがつかないだけに、なんともつらい・・・。

「元気なうちは一生働きます」、苦労の積み重ねのなかで明るさと元気を失わない、その言葉に救われます。

年金の問題は、山積みです。何の苦労もなく十分な生活費を年金でまかなっているお年よりは、ごくごく一握り。それなのに、今の政治は・・・。

なにが「百年安心」の年金制度でしょう。明日の暮らしもままならないお年寄りに、こんな冷たい政治はありません。



卒業証書を1冊ずつ作る手、生徒さんにみせてあげたい。

2月11日(水)

弘道の地域で、日本共産党とのつながりのあった方を訪ねて歩く半日。

その中の1軒、玄関(上がり口)と居間の仕切り戸をあけての対話になりました。ご夫婦がこたつに入りながら、手は作業をとめることはありません。すぐわきには、山積みされた赤い冊子。卒業証書だとすぐにわかりました。

1冊1冊に手で紙を張っていく、すばやく、まっすぐに、リズミカルに。見ていて気持ちよい手際よさです。


「赤旗しんぶん」の購読を訴えている間、あまり目をあわせることもなかった奥さん。

「卒業証書ですよね」と声をかけると、目を合わせてにっこりとしてくださいました。

「手作業なんですね。こういう風につくってること、生徒さんたちにみせてあげたいですね」


私も大学卒業のとき、こういう立派な証書を受け取りました。その時にはそれほどの感慨があったわけではありません。でも、こうやって手作業でつくられたのだろうかと思うと、とたんに大切にしなければという気持ちになりました。


もうすぐ卒業の季節。人生の節目を記念して、激励するにふさわしい卒業証書だと思います。

帰り道、この作業がどれほどの賃金になるのか、聞いておけばよかったと後悔しました。休日もなく働き、丁寧に仕上げるにふさわしい賃金になっているのかどうか。

*いま、田村事務所のパソコンでしか更新できないため、まとめてのアップロードとなりました。貴重な常連のみなさん、お待たせしました。



「高い家賃なのに、子どもといっしょに住めないなんて」、公団の矛盾を垣間見ました。

2月10日(火)

花畑、西保木間と、一日町を歩きました。「赤旗しんぶん」の読者を広げてこそ、日本共産党の活動を伝えられる、いっしょに世の中を変える力になる――この思いで、1軒1件を訪ねて歩きました。


花畑団地、たびたび足を運んだ地域です。40年前につくられた公団団地。老朽化もすすみ、エレベーターなしの5階建てが、高齢となった方々につらい日々のようです。

居酒屋さんのマスターは、「子ども3人が一緒に住めない、なんでこんな狭い団地で、家賃だけが上がっていくのか」と怒りを吐露していました。

一緒に住めば、家賃も光熱費もこんな負担にならない、環境にもよいはず。その通りです。

子どもさんが団地を出てしまって、高齢者だけの住まいになっている方が大勢います。


日本は住宅政策がないに等しいという指摘が長らくなされています。

どうしたらいいのか、根本から考え直すべきです。



「保育所は自治体の責任で」という総務省の説明。国の責任は???

2月9日(月)

午後から国会でした。以前から計画していた、保育所予算案・少人数学級についてなど、政府のレクチャーを地方議員さんと一緒に聞くためです。


保育所運営費(国・都道府県・市区町村負担が決められていました)を、大幅に変更しようという来年度予算案。

「公立保育所は、市区町村負担で」というのです。「その分、市区町村への税金交付を増やしましょう。あとは自由につかってください」ということです。

参加していた議員さんたちから質問の手があがります。

「これまでも国から地方へ交付される総額が減っている。地方の財政も困難なのに、直接助成をなくしてどうするのか」――怒りの声です。


「これまでは、国2分の1、都道府県と市区町村が4分の1ずつ負担してきたが、これからは市区町村が4分の4の負担ということ」

保育所運営の責任は国にはないというのでしょうか。

参加した人たちからも嘆息がもれました。


「子どもの育ちを保障するのは、国のどの部署になるのですか」という質問さえ飛び出しました。

本当にその通りです。


今日のレクチャーが、地方議会の力になり、さらに政治を変える力になることを願わずにいられません。



我が家のサケたち、荒川から海へと泳いでいったでしょうか。

2月8日(日)

昨年12月、イクラの受精卵を60粒受け取り、水槽2つで育ててきました。

今日が荒川への放流の日です。

私は残念ながら、一日会議。夫が子ども2人とサケ約50匹を荒川へ連れて行ってくれました。


帰宅して話を聞くと・・・

足立区の小学校がとりくんだこともあって、300人以上が荒川のワンド広場に集まったそうです。一度、全部のサケをひとつの水槽にうつし、そこから一人ひとりが小さな器に数匹ずつとって、川にいれたとか。


「最初はなかなか泳ぎだそうとしないで、その場にいたんだけど、そのうち川に泳いで行ったよ」と夫が話してくれました。

娘は土手が気になって、サケどころではなく、ダンボールの端切れもないまま草すべりをやったとか。

夫が写した息子の写真、器に入れたサケをやさしいまなざしでみつめていました。


荒川がサケの返る川になるようにと思います。最近は、河川敷に粗大ごみが放置されているところもみられ、川にはいつもなにかのゴミがぷかぷかしていて。ここにサケを放しているんだよ、魚が今もたくさん住んでいるんだよ、とみんなに知らせたくなります。

毎年、清掃活動にとりくむ団体もあるようです。私も荒川にかかわっていこうと思います。



「戦争はもういやだ」と熱唱(?)、気持ちよかった!

2月7日(土)

夜、足立区の東部の地域で、ちょっと遅い「新年会」がありました。

みなさんと楽しくお話して、おいしいご馳走をいただいて、私も日本酒の一升瓶をもってみなさんのところをまわり(酔わせてしまったでしょうか)、楽しいひと時でした。


選挙の時のくやしさ、私が訴えたなかみを覚えていてくれて「街づくり」のことをしばし話し込む方、こういう集まりは初めてという方、お話はつきません。

そんななかで「田村さん、出番だよ」の声。

地元の三好すみお区議との「にわかセッション」(そんな大げさな)で、「戦争はもういやだ」を歌うことにしたのです。


ぶっつけ本番。三好さんのリズミカルなギターにあわせて、カラオケ・マイクで歌いました。

「はい、女性のみなさん、ご一緒に」とか、歌詞コールもして、みんなの手拍子ももりあがりました。

こういうこと、大好きです。民青同盟の活動をしていたときに、よくやりました。懐かしい!


「戦争はもういやだ」「武器を捨てろ、海の底へ」――その通りですよね。みんなで心の底から歌いましょう!



「核兵器をなくそう」、歌声にのせて「6・9行動」

2月6日(金)

朝、「赤旗しんぶん」をみると、昨夜のキャンドル行動の写真が目にとびこんできました。沿道から参加者が相次ぎ、防衛庁前につくまでに1万人になったとか。

あたたかな灯火、でも、実際は相当寒かったようですね。参加したみなさん、ほんとにご苦労様。


今日は私が寒さの中でがんばる番です。

夜6時、西新井駅での「6・9行動」に勇んで出かけました。(6時からだと思い込んでいたら、6時半でした。おかげで周辺の店をちょっと散策できました。)

6日・9日、広島・長崎への原爆投下を忘れない、その決意での宣伝行動が全国でとりくまれています。


先月と同じく、うたごえサークルが「折鶴」「戦争はもういやだ」「この町から」などなど、歌い続けます。

チラシを配りながらつい私も口ずさんでしまいます。

歌っていると寒さを忘れそうです。


帰りがけ、うたごえサークルのYさんが「11月がうたごえ祭典が、いま足立ケーブルで放映されているんだよ」と教えてくれました。

今週は、私や区議のみなさんたちで即席にこしらえた「未来をつくる合唱団」の番だとか。

どんな歌声になっているやら・・・。



平和の灯が防衛庁に向かってすすむ、今日はキャンドル行動。

2月5日(木)

弁護士のみなさんがよびかけた「平和の灯で防衛庁を包囲しよう! 2・5ピース・キャンドル」。

残念ながら子どもづれでの参加はかなり厳しいようなので、田村家族を代表して夫を送り出しました。


キャンドルが灯されたであろう時間に、我が家でも色とりどりの小さなロウソクを灯しました。

「誰のお誕生日?」と、突然のキャンドルに目がキラキラの子ども。「ふー、していい?」

連れて行ったら、まわりのキャンドルを次々に「ふー」っと消してしまいそうですね。


この行動の前に、中川地域をハンドマイクでまわりました。地元のHさん(70歳を超えておられます)から、「ぜひ一緒にやりましょう」と要望されていたのです。静かな住宅街に突然のハンドマイク、けれど、温かく声援を送ってくださる方が何人もいました。

昨日見た赤嶺議員の質問に、勇気百倍。

「こんな調査で自衛隊の人たちの命はどうなるのでしょう」、訴える声に力が入ります。


Hさんもマイクを握りました。

「いま楽しく遊び、育っている孫をみると、この子達が大きくなったとき、戦闘にかりだされるような時代にするわけにはいきません」

訴え終わったHさんの目に涙がたまっていました。

日本共産党のチラシも300枚を各お宅に配布することができました。

「またやりましょうね」とHさん。命ある限りがんばるという決意に送られて、夕日の中川をあとにしました。



話題の赤嶺議員の質問をインターネットで視聴しました。

2月4日(水)

イラクに先遣隊を派遣したときには、すでに報告書の骨子ができていて、「サマワは安全」「自衛隊を歓迎している」ことを証明することが調査の目的だった――この内部文書を暴露した国会質問。マスコミも大きくとりあげていましたが、この審議はテレビ中継もありませんでした。


そこで、事務所のパソコンで視聴しよう!と衆議院のHPから接続しました。(誰でも聴けますよ。お試しください。)

内部文書の暴露が始まると、議場の雰囲気が張り詰めていったことがわかります。与党席で、まったく違う物を読んでいたとおぼしき議員も、「えっ」という顔で質問席をみて、赤嶺政賢議員が資料として配布した「内部文書」をパラパラとめくっている様子が画面に映っていました。


ひどいのは委員長の委員会運営です。

「この文書を確認できない」という石破防衛庁長官の答弁に、「確認すべきだ」として野党の理事が委員長席につめかけて審議がストップしているのに、審議中断を認めず、「赤嶺君」と指名を繰り返し質問を続けることを命じ続けるのです。


私も何度も秘書として国会の委員会をみてきましたが、通常は理事が委員長席につめかけた時には「速記止めて」と指示をして、事実上、審議中断になり、速記が止まっている間は質問時間とはみなさないのです。

ところが、「速記止めて」を言おうとしない。「理事会を今から開いて協議しよう」と野党の理事が言っているのに首を横に振り続ける。

とうとう、野党議員がいっせいに退席という事態です。


委員会の審議のやり方は、各党協議ですすめるのが当然のこと。委員長一人の権限ではありません。

別の角度からみれば、それだけ余裕がないのが、政府と与党なのだという証明でもあります。

議席を減らしてしまい、質問時間も短い中で、日本共産党の議員が必死の努力、全力の戦いをしていることを垣間見て、勇気がわいてきました。



節分です。福を呼ぶ豆まきで、鬼のことを考えました。

2月3日(火)

保育園の大事な行事でもある「節分」。「鬼が来ても泣かない?」と娘に聞くと、自身なさそうにコクンとしていました。

さて、どうなることか・・・。


夕方迎えに行くと、園庭にも豆がちらばって盛大に豆まきしたことがわかります。

「鬼来た?」 「うん、赤鬼が来た」

「泣かなかった?」 「泣いちゃった」と、ちょっとはにかんだ顔で白状する娘。

通りかかったクラス担任の保育士さんが、「Hちゃんと二人で、大きな声で泣いてましたよ」と教えてくれました。

どうやら、クラスで一番泣き声が大きかったようです。

着ぐるみが大嫌い、ミッキーマウスもパンダも怖くて泣いてしまう娘。予想通りです。


帰宅すると、保育園から持ち帰った豆を持ってきて、「豆まきしないと鬼が来るよ」と本気の顔で訴えて、真剣に豆まきをしていました。

それでも、暗がりは怖いようで、何か物音がするとビクッとして恐る恐る振り返る、そんなことを繰り返していました。


怖いものが「想像上の鬼」だということは、本当はとても幸せなことなのだと思います。

銃を突きつけられたり、爆弾で家を壊されたり、そんな戦闘を目の当たりにした子どもたちは、同じ人間を怖がり憎むことになってしまうでしょう。

「想像上の鬼」のような、やっつけなければならない人・国・民族などいないのです。


鬼だって「泣いた赤鬼」や「おにたのぼうし」のように、悪者だと決め付けてはいけないのでしょう。

こういう絵本を読むと、豆まきも「福はうち」を柱にしたいと思います。

夜、絵本がないので、私が覚えている「おにたのぼうし」を語り聞かせて寝つかせました。



冷たい雨のなか、国会へと向かいました。

2月2日(月)

今日は、井上美代参議院議員の私設秘書としての仕事です。

1年前まで国会秘書として通っていた議員会館の部屋に向かいました。外の寒さと「天と地」ほども違う暖かさ、暑いくらいです。

私が1年半前に挿し木したハイビスカスが、数日前に花をつけたそうです。


井上議員や国会秘書のみなさんとは、来週予定している来年度予算案のレクチャー(省庁から直接説明を受けることをいいます)の打ち合わせをしました。

地方議員のみなさんにも聞いてもらおうと企画したものです。

膨大な予算案の中から、厚生労働省の子育て支援策、文部科学省の少人数学級について、レクチャーを受けることにしました。


どちらも「お金がない」ことを理由に、遅々として進まない施策がたくさんあります。

小学校3年生まで児童手当を支給する、子育て支援がすすんだーーこんなことがいえるのでしょうか。

児童手当はたしかにあったほうがいいでしょう。充実も否定しません。

しかし、保育園は足りない、学校は先生が足りない、教室は老朽化、学費はどんどん値上げする・・・こういう大きな問題、一番切実に親や子どもが感じている問題に正面からこたえずにお金がないから我慢しろ、自分で努力しろというのは、根本が間違っています!


国会は、衆議院でもイラク問題の紛糾でこう着状態。雨も手伝って、やけに静まり返っていました。

でもそんななかでも、要請行動で議員室をまわる人たちがいました。国会への請願デモに向かう人たちがいました。

来週の国会がどうなっているのかと思いながら、地下鉄の駅へと向かいました。



「赤旗」創刊日。多くの方との絆となる新聞にしたいものです。

2月1日(日)

1928年のこの日、日本共産党の機関紙「赤旗」が発刊されたといいます。

記事を手書きして印刷、転々と印刷場所を変えたということも本で読みました。持っているだけで検挙される時代。

それでも「国民主権」「反戦」を掲げ、働くものが主人公の社会をめざして、主張を曲げることはなかった--この事実に、どれだけ勇気を与えられたか。


弾圧に負けずに「反戦平和」を貫いた人たち、組織があった。この事実に救われる思いになったことがあります。

初めて、従軍慰安婦や強制労働のことを知ったときです。私は大学生になるまで、なぜ日本に多くの朝鮮の民族が住んでいるのか知りませんでした。はずかしいことです。

その事実、どれだけの戦争犯罪が行われたかを知ったとき、日本人である私はどうしたらいいのだろうかという思いに駆られました。


国と国、民族と民族の加害・被害ということだけを見ていたら、日本人であることのつらさにいたたまれなくなります。

日本人まるごとではないのです。侵略戦争を許さないという道を歩むのか、侵略戦争を進める・美化する道を歩むのか、なのです。

映画「アンネの日記」を観たとき、ドイツ人でも反ナチスをつらぬきユダヤ人の命を救おうとした人たちがいることがはっきり描かれていたことが、印象に残りました。日本も同じように、歴史をとらえるべきではないのかと思います。


さて、この創刊日。昨日に続いて、何件かのお宅を訪ねてお話をして、「赤旗しんぶん」をすすめました。

病気で目がよく見えなくなってしまったSさん、「知り合いの人に記事を読んでもらうから」と購読してくださいました。「日本共産党に大きくなってもらわないと。田村さんも今度はがんばってね」と力強く激励されました。

中途失明と隣合わせの日々、でもSさんは明るく前向きに生きています。つらい日々をのりこえながら、世の中がよくなってほしいと願っています。

やさしい笑顔を胸に焼き付けて、期待にこたえようと思いが強まります。