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2004年1月

1月31日(土)

団地を路地を歩いて「赤旗しんぶん」を広げる一日。

何人の方とお話をしたでしょうか。足立区の一番北の桑袋、一番東の中川、そして西の西新井、暗くなるまで1軒1軒訪ね歩きました。


今日の未明に衆議院でイラク派兵「承認」の強行。そのニュースを受けての一日です。

サマワが安全な地であることの根拠にしていた市評議会の存在が、どうなったのか。まったく不明のままです。しかも、占領軍のもとにつくられた統治機関の方針に反発して評議会のメンバーが辞職しているのですから、まさに異常な事態です。


お話のできた方とは、イラクのことももちろん話題にのぼります。

「これからどうなるんでしょうね」と心配顔に話す女性、「公明党はどうなってるんだ」と怒りいっぱいの男性・・・。

「殺されて帰ってくるんでしょう」という人もいました。殺されるだろうとわかっていて自衛隊を送り出すのだと、今の小泉政権のやり方をみているのです。


こんなに命を粗末にする政治があるでしょうか。

その政治を許す国民になってはいけない。


多くのマスコミがイラク派兵も、憲法を変えようという動きも、ただただ国会や政治家の動きを伝えるだけという状況。

イラクで何が起きているのか、自衛隊が日ごろ人道支援活動の訓練をしているのかどうか、イラク支援活動をしている日本人が自衛隊派兵を歓迎しているのかどうか。もっと掘り下げて伝えてほしいのに。

イラク派兵反対の運動もほとんど伝えないマスコミ。


本当に多くの方々に「赤旗しんぶん」を読んでほしいと思います。そして、今の政治、これからの政治をどうしたいのか、町の中でどんどん話ができる、こんな行動をしませんかと、政治にものをいう人の輪を広げていきたい。


途中の休憩でおいしい大福をごちそうになり、いっしょに行動した地域の党の方々と楽しいお話もして、晩ご飯までの一日が終わりました。


(1月29・30日の「出来事」つづる余裕がありませんでした。残念ながら、欠番です。)



1月28日(水)

子どもの未来を思い、涙うかべる先生。この国の未来は決して暗くない!
夕方6時過ぎ、西新井駅のそばにある足立教育会館へ。足立区労連の「新春旗びらき」に招待していただきました。


足立教職員組合の事務所があるこの会館。会場となった広間にも、子どものイラストと「子どもたちに明るい21世紀を」の文字が元気に掲げられていました。

手品あり、歌ありの楽しいひと時でした。

「あなたが夜明けをつげる子どもたち」 ――先生方が力強く歌い、「この歌はいつも涙がこぼれそうになる」と語る方も。


「最近荒れている中学生の女の子、事情を聞いたら、大好きな部活をやめるように親から言われたとか。試合に参加するのにもお金がかかる、これ以上は負担できない、経済的な苦しさが子どもたちをも直撃している。」

「グローバル化だといって、パート・アルバイトの働き方しかない、こんな社会で子どもたちはどうなるのか。」

「子どもたちが青年になって、戦争に引っ張り出される、そんな時代をつくるわけにいかない。」


マイクを持って訴える方々は、みな今の時代が映し出す未来を憂い、こんな未来をつくるわけにはいかないと思いを語っていました。

聞いている私たちも、そうだそうだと連帯を広げ、その思いを歌声にのせて大合唱に。


橋本のぶよさんの日本語訳の「イマジン」が胸にしみわたりました。

腕をくんで歌った「がんばろう」、力強くこぶしをつきあげて、会場をあとにしました。



1月27日(火)

久しぶりに通るF商店街、消えたお店に複雑な心境

候補者としての活動に入る前まで、毎週通っていた商店街があります。「赤旗しんぶん」日曜版の配達で歩いた道、所用があって久しぶりに歩いて通りました。


息子と一緒に大きなスイカを買った八百屋さん、タオルを鉢巻にしたおじさんが寒さのなかで品物を並べていました。

丸いままの特大スイカ、保育園のスイカわりで買ったものです。割る用には別の「もう食べられないよ」というスイカを無料で提供してもらい、大きなナタのような包丁も借りて、台車で運びましたっけ。


高齢のご夫婦が開いていた雑貨屋さんは、今風のおしゃれなお店に変身。とても素敵なお店になっていてびっくりしました。

店先に、ちょっと不似合いにトイレットペーパーなど昔のままの商品がひそやかに置いてあり、それも嬉くなります。

代替わりができたお店をみるとほっとします。がんばって続けてほしいものです。


その先に、よく切れる肉切り包丁と、菜切り包丁を買った金物屋さんがあったのですが、突然店じまいしてしまったとか。

「研ぎが必要な時は持ってきていいよ」と言ってくださった、気さくなご夫婦。その機会も奪われてしまいました。

メーカーが小売店を無視して、安値で大型店に卸してしまうことを嘆いておられました。

町の専門店が消えてしまうのは本当に残念です。


消費税や大型店に立ち向かおうとしながら、その力を出せずに消えていくお店。

「もうどうしようもないよ」とあきらめの声もよく聞きます。

来年度予算案では、また私たちの買い物意欲を失わせる内容がもりだくさん・・・。

それでも、あきらめたら終わりです。納税者=消費者=働くものたちは、黙っていないと示していきましょう。



1月26日(月)

「大量破壊兵器がある」と発言した重みを理解しない首相。

私の事務所も大きく模様替えをしている最中。今日は、国会中継に耳を傾けながらその作業が続きました。


民主党の議員の質問もイラク派兵を焦点にしていました。

「外交官を殺害したのが、国または国に準ずる組織によるものなのかどうかもわからず、どうして自衛隊派遣の地域を非戦闘地域と断定できるのか」

くり返しこの点を追及しても、石破防衛庁長官の説明は私も理解できませんでした。


「国または国に準ずる組織」の武力行使があれば戦闘地域で、そうでない人たちの武力行使があっても戦闘地域ではないというのが、政府の説明。

政権が崩壊したイラクで「国または国に準ずる組織」がなんなのか、誰も説明できず、武力行使があっても戦闘ではないという・・・。そんなバカな。


外が暗くなり、私の片付け物が終わる頃、やっと日本共産党の出番です。

穀田議員「首相は、大量破壊兵器があると断定して、イラク戦争を支持した。この間違いを認めるべきだ」

そうです。今日の「赤旗しんぶん」では、アメリカの調査団長が「存在しない」と明言したこと、この発言を国連もアメリカもイギリスも重大問題としていることを1面に大きく報道しているのです。


大量破壊兵器が世界の人たちの命を脅かしている、だから米英がその解決のため武力行使を決した、日本はそれを支持する――戦争支持というあまりに大きな問題をなんと軽く扱ったのか。

どれだけの市民の命が奪われ、子どもの命や手足が奪われ、心も身体も傷つけられ、未来を奪われたのか!

それを「支持する」意味をどう考えているのか。こんな無責任な人を首相としていることへの怒りはたぎります。


この重大な問題を棚上げにしたまま、米英軍支持の立場で陸上自衛隊本体の派兵命令が出されました。

「お母さんは戦争する国をゆるしません!」――24日の区民集会でかかげた手作りプラカードに書いた一文です。

絶対に許さない、人殺しを支持した政府を絶対に。



1月25日(日)

本日は温泉デー。英気を養い、また、がんばりましょう!

西新井方面の地域でつくる日本共産党後援会「ひまわり会」の新春のつどいに参加しました。


「温泉だ」と子どもたちも喜んでいました。本当は仕事に連れて行かないようにと思っているのですが、夫も大事な仕事があって、そちらは子連れというわけにも行かず、「温泉だったらいいよね」と、夫と子どもにお願いしての参加です。

行き先は「草加健康センター」。薬湯が名物とか。


いつも町でお会いしているご婦人方と、お風呂でいっしょになるのはちょっと気恥ずかしいかな・・・と思っていましたが、子どもが一緒だと、不思議とリラックスして当たり前にお風呂に入れました。

水風呂にも腰まで入って歓声をあげる娘、「おかっちゃんも入ってよ」と言われても、サウナにも入らず水風呂は・・・。結局足だけ入りましたが。


小学2年生になると、「男湯に入る」とがんばる息子。参加していた知人にお願いして、息子とは別行動でした。もう母親離れが始まったのかと寂しいような、しっかりしてきたなと嬉しいような。

宴会でご馳走もいただいて、みなさんとざっくばらんにお話ができて、楽しい一日でした。


お風呂上りに耳にしたニュースでは、「イラクのサマーワで、イラク人警官が襲われた」と伝えていました。

月曜日には陸上自衛隊本隊派遣に突き進む動き。

誰が「安全」に責任をもつのでしょう。「比較的治安は良好」、それで軍隊派遣をするなんて。


医療団体で働く夫と話していたら、劣化ウラン弾の犠牲になったイラクの子どもが、日本の病院で治療中だとか。一人に1000万円以上の経費が必要だといいます。自衛隊を送る予算があれば、子どもたちの治療に使ってほしいと切に思います。

医療活動を担う国際赤十字が治安の悪化からイラクから撤退してしまったといいます。

戦争で多くのイラク人を犠牲にし、今も占領を続けて治安を悪化させているのがアメリカ・イギリス軍です。真の人道支援が滞る原因をつくっているのです。

自衛隊がどんなに浄水活動をしようが、道をつくろうが、アメリカ・イギリスと行動をともにするなんて、根っこが間違っているのです。


重装備の武器の変わりに、医薬品や医療機器を送りたい。食料や衣料品を送りたい。

「ものや金だけでいいのか」という人に言いたいのです。

「軍人は必要ない。イラクの人たちには、医療も復興も担える力がある。足りないものや金を送ることがなぜいけないのでしょう」と。



1月24日(土)

公園に次々と集まる人の流れ、手作りの宣伝物が曇り空に映えます。

イラク派兵反対の足立区民集会、昨年12月に続いて2度目です。

足立区役所発のバスに乗って会場に向かいました。バスから降りると、乗り合わせていた女性が「皆さんについていけば、会場に行けますね」と話しかけてきました。こういう集会には初めてだとか。


午後2時前に会場につくと、すでに歌声が響いていました。開会までの間、平和の歌を次々と歌っていたのです。

私も歌の輪に加わりました。「戦争はもういやだ・・・・」などなど、今歌いたい歌がたくさんあります。

会場を見回せば、様様な団体がそれぞれに横断幕をかかげ、自分だけのプラカードをかかげる人も大勢います。


私も子どもが書いた「せんそう やめい」をかかげ、時々その裏の娘のお絵かきをかかげました。もっと大きく作ってくればよかったな、とちょっと思いながら。

高校生が、イラク派兵の問題を通じて、平和のことを考え語り合える仲間ができたことを、喜びいっぱいに発言。

夏に北千住駅でいっしょに宣伝行動をしたことがある、千住の教会の牧師さんもマイクをもって、「宗教を利用した戦争はゆるせない」「イスラム教もキリスト教も戦争を否定する立場」など、とても良い声で訴えておられました。


区民集会には約500人が参加。小さな町のなかに、突然あらわれた平和の集団です。


平和の憲法をもつ国がなぜ、軍隊を戦地に送るのか――みんな怒りを持っています。

そして子どもたちにどういう日本を手渡すのかと、考えています。

平和パレードは、宣伝カーの音が聞こえこず、急きょハンドマイクを握ることになりました。

青年時代、集会後のデモではほとんど毎回「シュプレッヒコール!」と、マイクを握っていましたが、あの時代から10年近くがたっています。湾岸戦争の時のデモを思い出してしまいました。


帰宅すると「戦争やっちゃだめ、ってお仕事してきた?」と子どもたち。

「書いてくれた絵を持って歩いたよ」と言うと、「えっ」とやめてよという顔の息子、「ほんとに?」と喜ぶ娘。

少し事情がわかる息子には、母親の行動はどうも恥ずかしい思いがあるようです。



1月23日(金)

明日は区民集会、ビラを印刷して北千住西口へ。

つい先日の同じ場所でのイラク派兵反対宣伝で、さんざんの反応だっただけに、「意を決して」の宣伝です。


「いまさら反対しても」という声にこたえることを考えながら、ビラの内容を少し変えて、印刷にも挑戦。

「派兵国はわずか38カ国」と文章を入れていると、世界がどんな目で日本と日本国民の動きをみているかと思えてきます。

なぜ日本が軍隊を派兵するのか、たとえばアジアの国々の多くは疑問と怒りをもってみています。

欧州のマスコミも「戦後はじめての戦地への本格派兵」と伝えているとの記事がありました。


5時半から約1時間、先日よりも人数が少ないのでどうなるかと思ったら・・・

不思議とビラを受け取る人が、決して少なくないのです。国会での論戦が始まったということもあるでしょうか。

日本共産党ののぼり旗をみて話しかけてくる人もいます。


「反対したってもう行っちゃったでしょう。こんなことしたってムダだよ」という男性。

私はハンドマイクで訴えている最中でしたから、すぐそばでのやりとりに耳を傾けるしかできません(耳を傾けながら、訴えていたのですが)。

その人、最後には、大師前の時と同じで「日本共産党を応援しているんだよ。がんばって」と言って立ち去っていきました。


このままでいいとは思っていない、でもどうしたらいいのか、日本共産党は議席は小さいし・・・

そんな思いを持つ方が少なくないのでしょう。「それなら、いっしょに力を合わせましょうよ」――大きな声で叫びたいくらいです。


帰宅して、明日の集会に持っていく宣伝物を子どもに作ってもらいました。

子どもの絵をと思っていたら、息子は絵だけでなく「せんそうは やめい」と力強く書いてくれました。

娘はただのお絵かきですが、くまちゃんや風船を描ける平和と幸せは、憲法九条のもとで生まれ育ってきたからだと思えてきます。この笑顔や幸せを世界中の子どもがもてるように、戦争を知らない子どもたちだけの世界になるように・・・願いは深まります。



1月22日(木)

夜のニュースに唖然。航空自衛隊本隊がイラクに・・・ 

7時前に帰宅して晩御飯を作りながらニュースをみていたら・・・、日の丸を振る女性が、笑顔から泣き顔に変わりハンカチで涙をぬぐう姿が映し出されました。


国会中継を見ていた夕方4時ごろ、イラクに出発していたなんて。

次々に踏みにじられる思い、既成事実を積み重ねていってその先に何が待っているのかと、胸が苦しくなります。

国会では、「民間人が危険なイラクに行くわけにはいかない」と、公明党の神埼氏が言えば、その通りと小泉首相が受けるやりとり。

自衛隊ならいいというのでしょうか。


日本共産党の志位さんは、イラク派兵にしぼっての質問でした。

「大量破壊兵器もいまだ見つからない。イラク戦争に大義はまったくなかった」

「イラクをテロがはびこる国にしたのは、戦争と占領を続ける米・英軍ではないのか」


戦後、日本の国が海外で人を殺したことはない、それがどれだけ日本にとっての財産なのか――胸が熱くなります。わずかな期間に、このかけがえのない財産が危機に瀕しているのです。


昨年11月に参加した「うたごえ祭典」で、みんなで歌った「嵐」という歌。娘が気に入って、よく口ずさんでいます。

「雨、雨、風、風、吹き荒れてみろ。 そんな時こそ俺たちは、また強くなっていく」

4歳が歌う歌ではありませんが、「かっこいい」と言って何度も歌う娘。

政治の流れに、くじけそうな気持ちに、言葉がしみこんできます。



1月21日(水)

「もう行っちゃったじゃない」という声。今日は大師前宣伝でした。

イラク派兵反対の宣伝、各地をとびまわる日々。今日は縁の日でにぎわう西新井大師の商店街です。


初詣宣伝の時より人出があるのではと思える人の流れ。ちょうどお昼の時間でしたから、一番にぎやかだったのでしょう。

いつもの宣伝ポイントにハンドマイクをおき、訴えをはじめました。

昨日のやや落ち込んだ気持ちを奮い立たせて、約20分。


行き交う人は「何の宣伝?」と目をむけてくれるので、昨日の無視されたような気分にはなりませんでした。そして、こんな言葉も聞こえてきました。

「反対って言っても、もう行っちゃったじゃない」

今さら何を――という思いを持つ人が少なくないのでしょう。それがわかっただけでも、昨日のもやもやが晴れてきます。


「先遣隊が派遣されたからと、あきらめるわけにはいきません」

「本隊はまだ派遣されていません。私たちの意思を政治に届けましょう」


途中で「反対だけ言って、対案はなんなの?」と、男性から少しつっかかるように話しかけられました。

「アメリカ・イギリス軍に撤退するよう求めるのが第1歩だと思うのですが」等々話していくと、段段意見が一致してきました。

よくよく話せば、「日本共産党に期待しているからこそがんばってほしい」という方だとわかりました。


一方通行ではない対話が必要な時だとつくづく感じます。

宣伝からもどれば、国会中継で「憲法を変えよう」と民主党が質問し、「与野党第1党で話し合おう」と小泉首相が受ける――平和のためにどういう日本をつくるのか、たくさんたくさん対話しましょう。

町の中の当たり前な会話に平和やイラク派兵や憲法を!



1月20日(火)

1週間ぶりの更新でした。ご心配おかけしました。

サーバの不具合が2重に生じたため、1週間ぶりに更新作業ができました。メールで「アクセスできないのだけど」とお問い合わせいただいた方もいて、ご心配いただいて申し訳ない思いと、HPをみていただいているという嬉しさがわいてきます。


1週間の「出来事」を毎日つづっておけばよいのに、さぼっていて思い出しながらつづるのに半日かかりました。

それから学校の保護者会に向かい、「悩み事」も先生にお話して(私もあるんです。子育ての悩み)、同じクラスのお母さんから「やせたね、大丈夫?」と心配してもらい(顔だけやつれてしまったので・・・。だいぶ回復していますが)、というあわただしい一日になりました。


保護者会の日は、夕方、学童と保育園に迎えに行くことが多いのですが、今日は午後6時からの宣伝行動。夜、息子から「友だちはみんなお迎えが早かった」と不満を聞かされました。ごめんなさいね。


宣伝行動は、北千住西口で、イラク派兵反対の足立の実行委員会の宣伝でした。

この1時間、私が手渡したビラは10枚そこそこだったでしょうか。途中15分くらいハンドマイクを握っていましたが、あまりの反応の悪さに苛立ちさえ感じました。途中で歩いてくる人の目を見つめるようにしてビラを差し出してしまいました。挑発的だったでしょうか。

諦めなのか、無関心なのか、こういう行動が嫌いなのか、言葉をかわさなければわからないだけに「どうして」という思いが胸に沈殿していきます。


ハンドマイクでの訴えで、途中声がつまりそうになったのは、自衛隊の家族の気持ちを思ったからと、反応の冷たさへの悔しさとがまざっての、苦い涙がこみあげそうになったからです。

帰り道、夜空を見上げて「めげるな」と言い聞かせながら歩きました。



1月19日(月)

150日間の初日。国会へ向かうデモを走って追いかけました。

イラク派兵、年金改悪、憲法改悪・・・。これまでないような重大な問題に囲まれた国会開会日。

日比谷公園霞門から国会へのデモに参加したのですが、霞ヶ関の駅から出るとすでにデモが先の方を歩いていました。走って追いかけて合流。


衆議院・参議院とも、出迎えた日本共産党の国会議員団の横には、ダンボールに入った署名が何箱も積み上げられていました。

「156万人の署名が寄せられた」とのこと。初日にこんなに署名が提出されるのは、かつてなかったことだそうです。

昼休みデモも、これまでにない参加者1000人を超えたそうです。その後の集会は、100人予定が300人を超えて、会場に入りきれませんでした。


みんな危惧を強めています。各地での運動を様様な団体の方が発言していましたが、みんな自らの人生をかけて行動していることがわかります。

この思いをどこまでもどこまでも広げていきたい。


デモの終結地点で、医療関係の団体から参加した夫をみつけました。夫の携帯で私の写真をとってもらいました(デジカメが電池切れだったんです)。

久しぶりに2人で食事をすることもできました。聞けば、財布を忘れたので私と会わなければ食事ができないところだったとか。

PKO法案での徹夜国会で、2人で食事をしたことを思い出しました(「国会レポート」に逸話がちょっと出てきます)。


6月16日まで、何度国会に足を運ぶことになるでしょうか。

今度は、足立の人たちと各党の国会議員に署名を届けに行きたいと思います。



1月18日(日)

NHKの日曜討論。道路と庶民の生活、どちらが大切かを考えました。

道路公団の「改革」をめぐって、共産党の市田書記局長が「無駄な道路をつくり続けることは、決まったことだからとそのままにする。これが改革といえないのは明らかだ」と厳しく政府を批判しました。

応える自民党の安部幹事長。「日本全国のアクセスにとって必要だ」と高速道路をさらにつくることを当然と言っていました。


「あったほうが便利」なのかもしれません。

でも、国の財政が大赤字で、だから消費税を上げるとか、年金削るとか言っているときに、なぜ毎年何兆円も道路建設に使わなければならないのでしょうか。

毎月赤字の家が、あったら便利だからと、もう1台車を買おうとか、家を建て増ししようとか、生活費を削りに削ってするでしょうか。

まず国民の生活が最優先であるべきです。


高速道路を新しくつくらなければ生きていかれない――こんな人はまずいません。

でも、消費税を上げられたら、年金削られたら、追い詰められる人はたくさんたくさんいるのです。

総選挙で訴えた内容が、こみあげてきます。


思いは政治に向かっても、本日は夫が仕事のため、私は母親としての一日でした。

息子の友だちが遊びに着たので、「こんないい天気、荒川土手に行こう!」と子ども3人をつれて出かけました。

枯草まみれで草すべりのあとは、「探検」と称して、川べりに。よく見ると、小さな小さな魚の大群がいました。


我が家のサケよりまだ小さい稚魚たちです。大きくなって海にくだるのでしょうか。まわりにはごみが浮いているような荒川に、たくさんの命があることを実感します。

サケを荒川にのとりくみがもっと広がって、川の美化・浄化の運動も広がらないものかと思います。



1月17日(土)

風花が舞う中、宣伝カーを走らせました。

雪の天気予報、娘はなんとスキーウェアーで保育園に行きました。

「もともとモコモコだから、今日はモコモコモコだね」と言うと、まんまるの顔でニッコリ。


午前中、党大会最終日の様子をCS放送でみました。

総選挙での大幅な後退で、マスコミは「党の存亡がかかったもとでの大会」と報じていましたが、3日間におよぶ発言は未来への希望、活動への気概にもあふれるものだったと、報告がありました。

連日の「赤旗」が伝える発言の様子も、内容・顔写真とも生き生きとしていました。

そして、国際連帯がひろがった大会であることも、本当に嬉しく報道を読みました。


さっそく、昨日の先遣隊派兵に抗議し、1月24日の足立区民集会を伝える宣伝に出かけました。

宣伝カーを走らせてすぐ、白いものがチラチラと舞ってきました。雪、風花です。

寒さは足をはいあがってくるようでしたが、「殺し殺される歴史をつくるわけにはいきません」と訴える胸の内は、だんだん熱くなっていきました。


今朝の「朝日」には、先遣隊出発式で、携帯電話のカメラをもって部隊を写す少女の写真が載っていました。

真剣なまなざしで写真を撮る少女、わずかに少女の方へ視線を動かしているらしい自衛官、父親でしょう。

どんな表情をしているのか、どんな思いでいるのか・・・。

「殺す」ことも「殺される」ことも当然視する政治を許せるはずがないのです。

この少女の父親が、すべての先遣隊の家族が悲しみに包まれることのないよう、一刻早く派兵計画をとりやめさせたい・・・。



1月16日(金)

防衛庁前に約100人。陸上自衛隊の先遣隊派遣に抗議。

今日、先遣隊派遣が決定。12時20分に防衛庁前で抗議行動があることを知り、プラカードをもって駆けつけました。


防衛庁の壁沿いにプラカードや横断幕、旗が並びました。そしてその前には警官がずらり。

車道には右翼の車がのろのろ走行で、罵声をあびせます。

「自衛隊にありがとうと感謝して当然」「反対するのは非国民」と絶叫する街宣車。

妨害に負けず、抗議の声をあげました。


どういう人たちが、もっとも自衛隊派兵を望んでいるのか、平和憲法を変えようというのか、まざまざと見せつける行動です。

昨年派兵された航空自衛隊も軍歌とどろくなか出発しました。軍歌を鳴り響かせる右翼が勢いづくはずです。


「非国民」という言葉が、平和運動に投げつけられ、報道規制を政府が主張する時代。

こんな日がくることをほんの数年前に思い描いたでしょうか。

いっしょに行動していた方が涙をうかべ、「命がけでがんばりましょう」と言葉をかけてくださいました。



1月15日(木)

イラク派兵反対のビラ作り。伝えたいことはたくさんあります。

久しぶりのビラ作りです。「宣伝のとき、こんなビラがあったら」と思っていたものを自分で作ることにしました。


昨年末と1月とでは、イラク派兵反対の世論が勢いを失っている――これは、各地で宣伝行動をしている人からきかれる声です。この「出来事」でも、その空気の違いを記しました。

「もう行ってしまったのだから」「人道支援だから」という人たちに、なぜ「反対」なのかをしっかり伝えたい、そう思いながら文章をつづります。


私は何より「イラク戦争もその後の占領も正しい」という立場での派兵は、絶対に認められないというのが、もっとも核になった思いです。

イラクの人たちにきれいな水を渡したい、破壊された町の復興を援助したい、それは誰だって思います。その思いを利用して、占領軍に協力することはあまりにひどいやリ方ではないでしょうか。


もう一つ伝えたいのは、「イラク派兵反対」の各地の行動です。

ビラ作りのためにあらためていわゆるマスコミの新聞を見直しました。たとえば、著名人がよびかけた「1・11行動」をどう伝えているか。

「1・11」は、ジャーナリストの佐高信さんや、国立市長等々、広範な著名人が「1月11日午後1時11分、イラク派兵反対の思いをそれぞれの場所から音で示そう」とよびかけた行動です。


「赤旗」は翌日1面トップ、その他の記事で参加した方々の声も紹介しました。吉永小百合さんらがメッセージをよせたことも。

「朝日」「毎日」は数行の記事、「読売」には見つけられませんでした。「東京新聞」は参加者の声もふくめて伝えていました。

日本共産党がかかわる集会を無視することもたびたびありますが、これは、まったく政党とは違う、大きな行動です。それすらまじめにとりあげないとは。


巨大なマスコミの前で、私たちが足を踏ん張り、耳をそばだて、声をあげ、平和の世論をつくらなければならないことを改めて思い知りました。



1月14日(水)

強風のなか自転車を走らせて・・・、梅の花発見!

なんて冷たい強風なんでしょう。荒川沿いを走って、自宅から梅田の事務所に向かっていると、横風にハンドルをとられそうになりました。

でも春への息吹はもう始まっています。年末年始のあたたかさのためでしょうか、近所で紅梅が咲いているのをみつけました。


梅の花はいいですね。寒さのなかで自然の強さ、生命を感じさせてくれます。私の故郷、信州・小諸では、4月頃咲くので、入学式といえば桜ではなく梅でした。市の花も、学校の校章も梅をかたどっていました。寒さに負けない強さ、希望を示しているようで、今も大好きな花です。


昨日の党大会の報告について、事務所の人たちと意見交流。どうやって世の中変えていくか、頭の中をいろいろなことがめぐります。考えていることを行動に、実践に移すことの大変さも頭をよぎります。

子育て中の身、家庭も省みずというわけにもいきません。いろんな意味での「どうやって・・・」が次々と沸いてくるのです。


ニュースでは「武器輸出の禁止事項見直しも必要では」と防衛庁長官が発言したとか、今週中にも陸上自衛隊先遣隊がイラクに行くとか、胸がざわざわすることばかり。いったい日本をどこにむかわせるのでしょう。

こんな情勢緊迫のなか、ホームページにアクセスできない!というアクシデントも発生してしまい、悩ましい一日でした。

(この更新は、1週間ぶりです)



1月13日(火)

党大会にCS中継で「参加」しました。

実は、ライブで視聴するのは初めて。

日本共産党は、中央委員会総会の内容もCSで中継放送しているのですが、国会では受信できないので、秘書や事務局員はなかなかライブで接する機会がないのです。


大会の最初に海外からの来賓紹介がありました。15カ国の政党が招待にこたえて参加してくださいました。

緒方靖夫さんが、一人ひとりを紹介し、その国の政党についての一言の紹介をしていきます。

「イラク戦争、イラク派兵への反対をつらぬき奮闘」というコメントが何度か紹介されました。私たちと同じ立場で声をあげ、運動をしている、国境を越えた連帯が胸に響いて、ちょっと涙がこみあげました。


世界から見たときの日本の政治がどうなのか、イラク戦争やイラク派兵をめぐっての異常なアメリカ追随を改めて思い知ります。

そして、「改憲さえもアメリカ主導で行われようとしている」との指摘に、「そうだ!」と胸の中で大きな声をあげました。

憲法制定の翌年に、すでにアメリカの国防総省などで平和憲法の明文改憲を求める動きが始まったという指摘には、うなってしまいます。


「自主独立」の日本をつくりたい。

イラク派兵反対や憲法改悪反対の「国民的共同」がよびかけられましたが、どうやって「国民的」に広げていくか、真剣に考え行動していかなければと思います。党大会は17日まで。全国から集まった代議員・評議員が熱心な討論を繰り広げることでしょう。


ニュースでは、同じく今日、民主党の大会が行われたことが報道されていました。

都内のホテルに、どういう人が集まっているのでしょうか。どういう討議をするのでしょうか。

国連の要請にこたえる「新軍隊」をつくるという、日本の進路の根本に関わる方針が、どれだけの党員の議論を経て確認されるのでしょうか。


軍隊を否定し、戦争も武力行使も否定する平和の憲法――これほど憲法が危機に立たされたことはなかったでしょう。

国民的議論、運動、どうやって・・・・。気持ちは高まり、あせります。


 

1月12日(月)

成人の日、主権者としての第1歩を力強くふみだしてください。

今年の成人式も「事件」が起きたようで、ニュースにため息がでます。お酒に酔って騒ぐことが「記念」になるのでしょうか。

大人の「幼さ」がなぜ蔓延しているのかと情けなくなります。


社会を構成する一員としての自覚を持てる機会が少ないまま、「成人式」を迎えているように思えます。

私自身、大学2年の「成人の日」は、ただの試験勉強中の学生として迎えただけでした。(式典にも参加しなかったし、晴れ着も無縁でした。)

日本共産党と出会って、政治や社会へのかかわりをもち始めていたとはいえ、「社会を私たちが築いていく」「どんな社会を?」ということは、ほとんど語り合わず「式に出るかどうか」ということが話題になったに過ぎないような・・・。


お酒やタバコを公然とたしなめる、それが「成人」の意味ではないのに、それしか具体的な変化が見えていなかったように思えます。

主権者として育つためには、学校生活のなかで「自ら決める」「話し合ってルールをつくる」等々の経験がもっと必要でしょう。

学校行事も決められた枠のなかで楽しむことが主流、それが普通だと、私も思っていました。


20台半ばに、少年団という子ども育成組織の集会に参加して、集会の期間中のルールを子どもたち(高校生)自身が一から話し合って決めていく(これが、もどかしいような決め方ですが、時間がかかっても子ども自身で決めていくのです)という場面に出会って、とても新鮮に感じました。

自分が子ども時代に、こういう経験をしてみたかったと切に思いました。


希望をもちにくい時代だけに、希望をつかみとる主権者になってほしい、私自身もそうありたいと思います。

十数年後には、我が家の子どもたちも大人の仲間入りをしていきます。

「お手伝いなにする?」と、晩ご飯の1時間前から食卓にお皿やおはしを並べる娘、

遊び疲れて泣きべそ顔の妹を一生懸命だっこしていた息子、どんな大人になっていくやら。


大人になるまでのわずかの期間、まず、子ども時代を子どもだから出来る経験をたくさんたくさん積んで、

子どもの幼さは、子ども時代にしっかりたっぷり楽しんで、大人になっていってほしいと願っています。



1月11日(日)

久しぶりの朝市。民主党のみなさんに思わず声を。

足立区内の3ヶ所の朝市、選挙後は、都合がつかなかったり、具合が悪くなったりでずっとご無沙汰でした。

新年で仕切りなおして、東和アモール商店街の朝市に出かけました。


家を出たとたん、冷たい風に震え上がりました。自転車を走らせる手が感覚がにぶくなっていくのがわかります。

商店街に到着する前に朝市を知らせる空砲が鳴り響きました。

三好すみお区議、地域のみなさんが買い物客にチラシをくばっているところに合流しました。


しばらく宣伝をしていると、向こうから揃いのジャンバーを着た人たちが、何組か。白・青・ピンク、自民党・民主党の国会議員や区議がそれぞれ運動員とともに歩いているのです。選挙本番の様相です。

民主党のみなさんには思わず声をかけました。

「イラク派兵反対で共闘しましょう!」


選挙のあと、同じ選挙区をたたかったみなさんと顔を合わせるのは初めてです。

簡単なあいさつ程度で、あとは言葉をかわしませんでした。運動員の何人かは私の顔をまじまじとみていましたが、「この人、候補者だったけ?」ということでしょうか。


ちょっと気後れしそうな気持ちをふりきって、商店街のみなさんにも声をかけて歩きました。

懐かしそうに声をかけてくださる方、お買い物途中でふりかえって「ああ」とにこやかに声をかけてくださる方、元気が出てきます。

「またがんばります!」と選挙前と同じ笑顔でこたえることができました。



1月10日(土)

先遣隊への派遣命令――ここからが正念場です。

「自衛隊が派遣されるところが安全だなどとは、一言も言っていない」、そう発言してきた石破防衛庁長官が記者会見にのぞみました。

「派遣される自衛官と家族を、この人は知っているのかな」と、ふと思います。

自分の家族や大切な友人の顔を思い浮かべ、この人たちがイラクに軍人として行くとしたら・・・と考えたとき、まったく同じ事が言えるのでしょうか。


こんな情勢のもと、私は・・・保育園の新年会「もちつき会」へ出かけていました。

つきたてのおもちをほおばり、こま回しや羽根つきに夢中になっているたくさんの子どもたち。

保育園のなかでは、顔だけ知っているどおしでも、なんだかみんな知り合いのような気持ちになります。


目の前で1歳過ぎぐらいの子どもがばったりころんでしまって、母親は2人分のお餅のお皿を持っていていて――こんな場面にも出会い、もちろんその子を抱き上げました。

「痛くなかったよね。大丈夫よ」と声をかけると、ちょっと泣きそうだった顔が、ほっとした顔にもどりました。


娘は、「ゆきちゃん(同じクラスの子)のお母さんが、ゆきちゃんを探しているんだって。ゆきちゃ〜ん、どこですか〜!」と歩き回っていました。

娘の1歳上のクラスの子は、「こま回し教えてあげる」と、娘の目の前で一生懸命こまにひもをまき、何度も挑戦。


みんな当たり前に「思いやり」を実行しています。

この思いをまっすぐに育てたい。毎年、新年を穏やかに平和にあたたかい気持ちで迎えたい、今年の1月ほど切実に願ったことはありません。



1月9日(金)

明日にもイラクへの「派遣命令」が・・・。緊急の宣伝行動へ!

松尾かつや区議と西新井駅東口へ向かいました。緊急の連絡を受けて、地域の支部の方々も集まってくれました。


直前まで冷たい風が吹きつけていて、またポケットに手をいれられてしまうのでは・・・という不安に。

ところが宣伝カーを出発させたときには、風がおさまり穏やかなあたたかささえ戻ってきたのです。

昨日とは打って変わって、チラシを受け取る人も多く見られました。


宣伝をはじめてすぐに、車椅子の高齢の女性を介助している女性が足を止めてくれました。そして、2人分の署名をしっかりと書いてくれました。

「がんばってくださいね」の激励。あきらめるわけにはいかない、その思いが伝わります。


テレビでは、「イラクに自衛隊が派兵されたら、確実に日本はテロに狙われる」「狙われるとしたら・・・」というやりとりが頻繁にされているとか。

なんと無責任な物言いでしょうか。

自衛隊派兵もテロも「当然視」することの無責任さ、犠牲になる命への無責任さ、こんな報道でいいのでしょうか。

人間の歴史は人間がつくっているのです。今の時代に自分はどうするのか、なぜ真剣に問い掛けないのでしょうか。


 

1月8日(木)

寒風のなかでのイラク宣伝。「ポケットから手を出して」と言いたい気分。

夕方6時、風にチラシを飛ばされそうになりながら、イラク派兵反対の宣伝をしました。

1月24日(土)に足立区民集会が行われます。そのお知らせをしながら、署名を呼びかけました。


竹ノ塚駅東口には、昨年末からの光のイルミネーションがまだ残されていました。

その光が寒さに冴え冴えとして見えます。


寒さに手はかじかみ、身体がこわばるような思いでした。

道行く人も手をポケットに入れて、足早に過ぎ去っていきます。手を出してチラシを受け取ってほしい・・・。

反応がいまひとつなのは、寒さのためだけなのか、と少し弱気になってしまいました。


時間が立つにつれて、「仕方がない」という思いが強まってしまうのでしょうか。

来週の半ばにもイラクに陸上自衛隊先遣隊が送られるというニュース。「仕方がない」ではすまされない一歩を、黙って見過ごすわけにはいかないのに。


帰宅して、今日が始業式の息子から、今年第1号の「学級だより」を受け取りました。

「世界中の子どもたちがしあわせになる年を祈ります」――担任の先生の一文に、ややくじけそうだった気持ちが立ち直りました。


    わが事務所のコンピューターがクラッシュ! これまでメールをくださった方のアドレスはわからなくなってしまいました。また、ぜひメールしてください。



1月7日(水)

七草粥を食べて、いざ国会へ。来年度の保育予算案を勉強しました。

朝5時半から土鍋でお粥を炊いて、餅入り七草粥をつくりました。餅を入れるのは大阪風なのでしょうか。

パン食が多いためか、珍しい朝食は子どもたちに大好評。「またお粥がいい」とリクエストされてしまいましたが、全粥は時間がかかるんですよね。


年末に井上美代参議院議員の国会秘書さんにお願いして、予算案レクチャーを設定してもらいました。膨大な予算案のなかから、子育てに関わる部分のみ。

それでも8人の担当官が厚生労働省からやってきてのレクチャーです。


「ひも付き補助金廃止」というお題目で、保育所運営費の大幅な変更がもりこまれた予算案。説明への質問も集中しました。

公立保育所の運営は、自治体の責任なので、国庫補助金制度は廃止して、地方交付税措置にするというのですが、地方交付税にもりこまれると使い方は自治体の自由裁量になります。

しかも地方交付税としていくら自治体に渡すのかは、大変細かな計算にゆだねられてしまい、国が保育予算としていくら出したのかは判断しようがなくなるともいえるでしょう。


ため息が出てきます。

事務所に戻れば、足立のある自民党区議が発行した、保育所入所の子どもの給食費をもっと親が負担すべきというチラシがありました。

親は経済力に応じて保育料を負担しています。この保育料をもっとあげろということでしょう。


子どもの発達のために税金を使うことをいやがる人がどれほどいるのでしょうか。

腹立たしい思いが募ります。

自治体も「お金がない」といって保育所を増やそうともしない、保育料はあげていく、親は経済的ゆとりをどんどん奪われていく、これで「少子化」が止まる



1月6日(火)

核兵器廃絶をよびかける署名、2時間がんばりました。

6日・9日は広島・長崎への原爆投下を忘れず、全国で「6・9行動」と呼ばれる署名よびかけが行われます。

今年最初の「6・9行動」、足立では西新井大師参詣の方々へ署名をよびかけました。集めたのは、核兵器廃絶の国際協定実現をめざす国際署名、国連に届けるものです。

足立では、この署名を集めるための「会」もつくられました。


同じ署名が世界の多くの国々でとりくまれていることを思うと、勇気と希望がわいてきます。

午前10時、お大師様への道は日陰で寒さに手がかじかみます。沿道の露店もまだ店支度をしているところ。人もまばらで署名が集まるのか、ちょっと不安でした。

ハンドマイクでの訴えとともに、バックにアコーディオン演奏とうたごえが響きました。うたごえサークルの平和の歌です。


大師前の駅から出てきた人の視線がいっせいに演奏にそそがれます。

「何の署名ですか?」と尋ねる人が何人も。中には「みなさんはカトリック? プロテスタント?」と布教活動と勘違いした人も。

2時間の宣伝行動の合間で、参加した20人のうち大半が歌に参加した時間もありました。歌えば寒さに負けない元気が出てきます。


近くの露店からただよう「焼き芋」のあたたかそうなにおいにひかれながら、手をこすりあわせたり、足踏みしたり。

寒さの中でがんばったかいあって、核兵器廃絶の署名は97人分が集まりました。人通りが絶える時間もあるなかで、これはなかなかの成果です。

ピアスをいくつもつけた青年二人や、大師名物のおだんごの買い物袋を重そうに持つご婦人が署名してくれたり(その間私が袋を持っていましたが)。


署名数を数えるあいだ、いっしょに行動した方から念願の焼いもを手渡され、凍えた手とお腹があたため、署名の数に心もあたたまりました。



1月5日(月)

今年もよろしくお願いします。よい年を切り拓きましょう。

ゆっくり過ごし、たっぷり遊んだ年末・年始。

その反動で、朝出かける時、さみしそうにしていたのは息子の方でした。娘は「何時にかえってくる?」と結構平気な様子。


本日は、日本共産党の「党旗開き」。中央委員会での会議の様子が、リアルタイムで全国に通信されます。

志位委員長の「あいさつ」だけですが、「情勢を深いところでつかんで」という言葉に、「ふんふん」とうなずきつつメモをとりました。

歴史はつくるもの、今の政治や社会もこういう姿を望む人たちが動かしているといえるでしょう。それを「よし」とするのかどうか、もっとみんなで考えて、どういう社会をつくりたいのか語り合いたいものです。


さて、それではこの休日の一番の出来事。我が家のベランダから、生涯初の「初日の出」体験。

初日の出を「拝んだ」(見ただけですが)あと、西新井大師へと向かいました。元日宣伝です。区議団、渡辺やすのぶ都議といっしょに、門前の商店街に並んでの宣伝でした。

「お大師さま」にも初詣して、破魔矢とかわいい申の置物を買って、元日の気分そのものでした。


その後の休日は?

凧揚げ、荒川土手での草すべり、キャッチボールにバドミントン・・・

毎日毎日外でたっぷり遊んで、日ごろの運動不足をやや解消できたでしょうか。