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2003年12月 |
12月29日(月) 今日が私の仕事おさめ。みなさん、よいお年をお迎えください。 「しんぶん赤旗」の購読をすすめて歩く半日。 ある中小業者の社長さんから、「あなたのパンフレットをすみからすみまで読みました」と嬉しい言葉をかけてもらいました。 1年のしめくくりの仕事で、こんな嬉しいことはありません。 一足先に大阪に向かった家族を追って、私も夕方には東京を発ちます。 しばらくこの「出来事」も更新できませんが、新年もまた心新たにがんばります。 年末年始の休みは、子どもたちとたっぷり遊んで心のリフレッシュ!の予定です。 そんな出来事をまた後日気ままに記します。今後ともおつき合いください。 12月28日(日) 今日も一日、家々を訪ねてまわり、ケーキをおみやげに帰宅しました。 今年は世間の「仕事おさめ」が早かったので、「あら、まだ仕事?」と声をかけられることも。仕事というか、党の活動ですね。 出かけるときは久しぶりに娘に泣かれてしまいました。 「赤旗しんぶん」を読んでいただく方を広げる、党の仲間になってくださる方を広げる――総選挙の悔しさが、この地道な活動のエネルギーになっています。支持してくださった方を訪ねると、「私1人が投票してもだめだよね」と、いっしょに悔しがってくれました。 途中休憩もしながらですが、午後6時まで、十数軒の家々を訪ねてまわりました。 途中、通りかかった梅島駅頭、青年たちがイラク派兵反対を元気に訴えていました。今日は、足立区内の駅をまわってのロングラン宣伝だとか。 「がんばってね」と、写真をパチリ。 仕事が終わって家に電話すると、娘が受話器をとりました。 「おかっちゃん? いまどこ?」 「これからお仕事のところを出るよ。ケーキ買ったよ」 「(息をのむ音)ケーキ! やった! それじゃね」 具合の悪かった夫がやっと復活して、今日がお待ちかねのクリスマス・ケーキを食べる日となったのです。 晩ご飯のあとのデザートということで、テーブルにもう一度キャンドルを並べていたら・・・・ 息子「うわ!」 娘「あー、ケーキが!」 子どもたちが隣の部屋からケーキ運ぼうとして、なんとまっ逆さまに落っことしたのです。 ここで怒ってしまったらせっかくの気分が台無し。 なんてことを!という思いをのみこんで、フライ返しをつかってどうにかケーキを皿に入れて「それじゃ、このままみんなでつついて食べましょう」 形はぐしゃぐしゃのショートケーキ、みんなでつつくと、結構楽しく食べられました。 12月27日(土) 朝カーテンをあけて見下ろす景色は、初雪! 昨日までの暖かさが嘘のようです。我が家は5階、目の前は駐車場。雪化粧の町は、はっと息をのむような静けさです。 子どもたちを起こして外を見せると、「雪合戦」「そり」「スキー」と、この雪ではとても無理と思える言葉がポンポンでてきました。 保育園と学童への道も、親子3人で歩きました。 途中でもちろん脱線のしっぱなし。わざわざ公園を通って、足跡をつけたり、車のボンネットに積もった雪を丸めて投げたり。 子どもと別れてからは、私は夕方まで団地の1軒1軒を訪ねて回る一日でした。 選挙の時の話をしたり、イラク派兵反対の署名をお願いしたり、そして「赤旗しんぶん」の購読をすすめたり。 他の政党はほとんどこういう活動をしていないのでしょうね。税金や企業からの献金で活動していたら、庶民の生活は本当にわからなくなることでしょう。 1ヶ月800円の週刊の「赤旗」を購読してもらうことも困難な家がたくさんあるのです。 年金は削られる、介護保険料は天引きされる、仕事はない、そんなつらい話がたくさん聞かれます。 一昨日の「読売」で、塩ジイこと塩川前財務大臣が「年金給付金はまだ高すぎる」と話す記事がありましたが、いったい何を根拠にと、驚きと怒りがないまぜになりました。 確かに、塩川前大臣やその知り合いの方々は十分な年金や財産があるのでしょう。でも、圧倒的なお年より、圧倒的な庶民は、どれだけ日々の生活を切り詰めているのかわかっているのでしょうか。 訪ねたお宅の何件かは、この寒さの中でも暖房をしないで外套を羽織っていたほどです。 それでも、私たちへのあたたかい思いに満ちています。 寒風に吹き付けられながら思います。「負けてなんかいられない」と。 12月26日(金) 3500人分の平和の思いを国会に届けました。 午後1時、衆議院の議員面会所につくと、日本共産党の衆議院議員、山口富男さんが話を始めていました。 議面に集まっているのは、足立区で署名にとりくんできたみなさん。 国会は今日が「御用納め」という日に、集会があるのは大変珍しいことです。 今日、航空自衛隊の先遣隊がクウェートに飛び立ちました。 そのクウェートと日本は「地位協定」という約束事を結んだけれど、その内容があまりにひどいということを、山口議員は怒りをこめて報告してくれました。 クウェート国内で自衛隊員が犯罪を犯したとしても、その罪を裁く権利は日本にあるというもの。 沖縄を思い出します。少女暴行事件や交通事故をアメリカ軍の人が起こしても、日本でその罪を裁くことができない。身柄の拘束さえできない――これが沖縄県民はもちろん、日本の多くの人たちの怒りの対象となって、この「地位協定」の見直しを求めているのです。 日本政府が米軍の立場に立って、県民の気持ちを逆なでしてきた理由もはっきりしてきたように思えました。 米軍と同じ立場で海外での活動が可能となるのですから。 でも、こんな「地位協定」を周辺のヨルダン、カタールは拒否しているといいます。 日本が再び加害者の立場に立ちかねないこの事態。 山口議員に手渡した3500人分の「イラク派兵反対」「憲法9条まもれ」の声を大切にしなければなりません。 短時間の集会後、何人かの秘書さんたちと会って話もして、来年度予算案の資料なども受け取りました。 ほんとに国会と結んでがんばっていかなければと思います。 国会が身近な場所になるようにしていきたいと。 12月25日(木) 夕方の西新井駅東口、イラク派兵反対の署名に若い人たちも次々と。 「街頭演説 2003年12月25日午後5時より 西新井駅東口」――これは、すでに町からはなくった私のポスターの下のほうに書かれている告知です。 あのポスターは、街頭演説のお知らせポスターでした。 クリスマス街頭演説をどうするか、地元の松尾かつや区議とも相談して、イラク派兵反対の署名とあわせての宣伝行動にしました。 地域のみなさんもポスターや署名用紙を持って集まってくださいました。 日本共産党の新しいステッカーも登場。「憲法9条を守ろう」「イラク支援に軍服はいらない」など、一言主張とイラストで、通行中でも目にとまります。
演説をはじめる前には「イマジン」が宣伝カーから響きます。 松尾さん、私と話した後には、民謡歌手の山縣三郎さんが朗々と民謡を歌い、道行く人も次々に足を止めていました。 署名も1時間足らずで58筆。若い人たちが立ち止まる姿が、これまでになく目立ったように思います。 演説・署名行動が終わって、片付けの間に「ハッピー・クリスマス」を流したら、宣伝行動に参加していた方が何人か引き返してきました。 「いい曲ね。オノ・ヨーコさんも何日か前にテレビに出て、平和のことを話していたわよ」 「あんまり素敵な曲だから引き返してきちゃった」 誰にでもできる平和のアピールをもっと考えたいものです。 「しんぶん赤旗」には、憲法9条の全文が書かれたポスターを町中に張り巡らせようと、こつこつ訪問を続けている長野県の方が紹介されていました。 足立でも、自分で手書きステッカーをつくって玄関に張っているという方がいました。 私ももっと何かができるのでは・・・。 明日は航空自衛隊がクウェートに向かいます。 そして私たちは、イラク派兵反対の署名をもって国会に向かいます。 12月24日(水) クリスマス・キャンドルは「ひまわり園」の手作り。我が家のささやかなイブでした。 まだ具合の悪い夫を前に、ケーキというわけにもいかないイブの夜です。すぐに寝床についた夫、「静かにね」と子どもたちに言わなければならないのがつらいところです。 そこで、クリスマス・ツリーのそばにキャンドルを並べてみました。部屋の明かりを消してみると、静かなクリスマス気分に。 このキャンドルは、障害者のみなさんがつくったもの。10月に竹の塚「ひまわり園」「ひまわり福祉園」を訪ねた折に買ったものです。(10月21日の「出来事」に出てきます。)
クリスマス・カードやプレゼント、あたたかい気持ちが行き交う日、政治の力によって惜別の日にされる人たちがいるなんて許せません。 今日、航空自衛隊のクゥエートへの「出発式」があって、小泉首相が出席したそうです。小泉首相は、いったいなんと言って「激励」したのでしょう。 ちょうど同じ時間に、私は街頭で「イラク派兵反対」を訴えてまわりました。 宣伝カーからは「イマジン」や「ハッピー・クリスマス」の曲。 「航空自衛隊がクゥエートに向かおうとしています。しかし、イラク国内にいつ自衛隊を送り込むのか決められずにいます。私たちの世論の力です」 地方議会も200を超えて、イラクへの自衛隊派遣に反対の決議や意見書を採択しているといいます。 クリスマスの買い物客でにぎわう西新井の駅前も通りました。ジョン・レノンのメロディに何事かと振り向く人たち。 「自衛隊の家族みなさんは、どんな気持ちでクリスマスを迎えるのか、とても他人事にはできません」、車の中からアナウンスを続けました。 中学校の前では、生徒たちが「がんばってください」の声援。 クリスマスを過ごした翌日(明後日)、航空自衛隊が飛び立つなんて。でも、あきらめるわけにいきません。平和は願うだけでなく、つかみとらなければ。 12月23日(火) 家族そろっての休日は久しぶり。ところが夫が風邪で寝込んでしまいました。 「平和パレードに参加してほしい」等々の声がかかっていたのですが、「この日は何も予定をいれない」と家族に宣言していたため、本当は1ヶ月ぶりぐらいに家族そろって・・・のはずでした。 具合がよくないのに昨日も出勤などしたからでしょう。扁桃腺がはれて、昨晩から声も出せないような状況です。 「クリスマスの飾り付けをしなくちゃ」と数日前から騒ぐ子どもたち。この数年は、手作りツリーを飾っていました。その時家にあるものをつかって、絵の具やラメやクリスマスラッピングを使って。 空いていた水槽のなかに、おもちゃの家やマスコットをつかって、クリスマスの町を作ってみたこともありました。 今年も・・・と考えていましたが、「ツリーがいい!」の声におされて、初めてツリーを買うことに。 クリスマスは平和への願いでもあります。クリスマスに唱える聖句にも「神に栄光、地には平和を」という意味のものがあります。 午前中にNHKが放映したイギリスのアニメ、「戦場のキックオフ」という番組を見ました。休日にサッカーを楽しむ田舎町の青年・少年たちが、志願兵となって戦場に行くというストーリー。 最前線でドイツ軍と半年にわたってにらみ合い、塹壕での生活を続ける青年たち。クリスマスの日、ふとしたきっかけで両軍のサッカー交流が始まってしまいます。いくつものゴールがつくられ、いくつもの試合が始まって・・・。 第一次世界大戦の話です。 4歳の娘にはほとんどわからなかったようですが、それでも家族が嘆く場面では「かわいそう」と。 小学2年生の息子がどんな反応をするかと気にしていると、神妙な顔で「戦争なんてやらなければいいのに」と。 今も志願兵のようにイラクに送り込まれる青年が現実にいることを、どう伝えればいいのでしょう。 穏やかな休日。公園で子どもたちが元気に走り回り、町では家族連れで買い物をする姿がいっぱい。 自衛隊の家族の方々はどんな気持ちでクリスマスを迎えるのかと、ふと考えてしまいます。 12月22日(月) 「組合差別にJRの責任はない」という昼のニュース。では、誰が責任を? 国鉄分割・民営化。学生時代、この「事件」を知ったからこそ、日本共産党で働くことを決心したようなものです。とても過去のことにできない、熱い思いがわいてきます。 1987年に民営化された国鉄、その過程で人員削減を理由に、分割・民営を許さない運動をした組合の人たちが、信じられない差別を受けました。 電車の運転士や保線作業員という、専門分野で積み重ねた経験を無視した配転。「人材活用センター」という隔離場までもうけて、与えた仕事は必要のない場所の草むしり、駅構内の立ち食いそばや喫茶店での接客、自動販売機への缶ジュースの補てん等々。 鉄道で働く夢をもって就職した人たちを、ずたずたにする仕打ちでした。 何人もの人が苦しみから自殺にまで追い込まれました。「赤旗」が伝える事実が、胸につきささり、知ることのなかった労働現場の激しい闘いに圧倒されました。新橋にあった「人材活用センター」にも行きました。 昼休み集会に行こうとすると、管理職の人たちが体当たりで妨害にきました。女性の私にまで、容赦のない体当たり。恐怖と怒りで身体が震えました。 まだ自動改札がなかった時です。改札を出るときに、切符の裏に(当時は白かった)「分割民営反対」「国労がんばれ」などの一言メッセージを書いて、国労バッヂをつけている人に手渡すこともしました。 ある時、手渡した相手がそのメッセージを見つめたまま、動かなくなるという場面にも出会いました。新宿西口の改札口、あふれるような人の流れに目もくれず、私が置いたメッセージをみつめつづける若い国労組合員。 どれほどの苦しみを感じながら働いているのかと、その後姿を見ながら、涙が止まりませんでした。 1047人が不本意な首切りにあった、その責任を誰が取るのでしょうか。 組合差別があったことを認めながら、その責任はもうなくなった国鉄にあり、JRにはないという最高裁判決。 1人も路頭に迷わせないといった、当時の橋本運輸大臣。まったくの嘘でした。国もJRも責任がない、こんな不正義がまかり通る社会でいいはずがないのです。 毎年、国会にも「1047人の解決を」と、当事者のみなさんが足を運んでいました。力になりたい、どうにかしたい、という思いと、自分の非力さを痛感します。責任をはっきりさせたい、組合差別を断罪したい、その思いをどこにぶつければいいのでしょう。 12月21日(日) 神社の境内で「お餅つき」。やっぱり杵は重かった。 あたたかく風もおだやかな一日で、子どもからお年よりまで大勢のみなさんが集まっていました。三好すみお区議の地域の後援会が主催したものです。 私は子ども3人を連れての参加です。「3人とも田村さんの子ども?」と驚かれましたが、1人は息子の親友です。 それぞれの好物があって、あんこ(息子)、きな粉(娘)、納豆(友だち)、からみ(私)と、全種類のお餅がそろいました。豚汁も美味しく、おなかいっぱいいただきました。 おなかがふくれると、子どもたちは社殿「探検」に出かけ、私は一言のあいさつ。そして、いよいよ餅つきが・・・。 選挙の前にも、柳原病院のおまつりで、「餅ついてごらんよ」といわれてやってみたら、杵をもちあげるだけでフラフラ。今度は、少し動きやすい服できましたが、やっぱり杵は重いですね。 渡辺やすのぶ都議はうまいものです。 周りからは「年代が違うから」という声も。いえいえ、都議は昔やっただけでなく、毎年こうやって地域の行事でちゃんと餅つきに参加しているからでしょう。 この気取らないところが、いいですね。 本当はこのあとも予定をいれていたのですが、今週は夫が風邪でダウン。今日は一日ゆっくり休めるように、子どもたちをひきつれて公園で一日を過ごしました。 バドミントンでは横にそれたシャトルを追って、転びながら拾うほどの活躍(?)。ゆっくり子どもと外遊びをするのも久しぶりでした。 この土日、そして23日の休日、国会周辺は休みどころではない騒ぎでしょう。予算案確定までの5日間、議員会館の食堂も休日営業をするのですから。省庁前の座り込みも続いていることでしょう。 そして各地では平和の行動も広がっているでしょう。週明けは私もまた街頭に出かけましょう! 12月20日(土) 「お年寄りがこの寒さの中で徹夜の座り込みをしないければいけない、こんなひどい政治」 という話をしたのは、参議院議員の小池晃さん。都内での共産党の会議でのあいさつです。 (今日は一日会議に出席の日でした。)
今日が、来年度予算案の原案が示される日。また年金を削ろうという動きに、年金者組合の方々が厚生労働省前の座り込みを徹夜で続けているというのです。小池さんも徹夜で一緒に座り込んだそうです。 厚生労働省の官僚の1人が通りかかったので、小池さんが呼び止めたそうです。「ちょっと話を聞いていきなさい」と。 その人は渋い顔で、お年寄りのみなさんの話を聞いていたそうですが、立ち去ってからもう一度あらわれて、あたたかい缶コーヒーをたくさん差し入れたとか。 お年寄りの生活に心を寄せれば、年金削減がどれだけひどいことか身にしみるはずです。 数字だけみていてはわからないのです。知り合いの方の顔を浮かべ、その生活を想像すれば、政治が何をすべきかは明らかなのに。
この会議に出席する前に、今日がクリスマス会の娘を保育園に連れて行きました。 クリスマスの劇や合奏、ダンスを、年少から年長までの子どもたちが発表する日です。残念、見られない・・・。 でも、昨日の午前中、リハーサルをこっそり見たので、どんな笑顔で踊るのかはわかります。 雪だるまの白い衣装に、赤い帽子、友だちと手をつないでくるくる回るところが、一番の笑顔になります。 昨日、帰宅してからリハーサルを見たことを話して、「ニコニコしていたね」と言ったら、 「だって、カンちゃん(娘が手をつなぐ男の子)大好きなんだもん!」とのこと。どうやらボーイ・フレンドのようです。 子どもたちの笑顔を思い浮かべ、徹夜で寒風の中を座り込むお年寄りを思い浮かべての会議参加。 子どももお年よりも笑顔が当たり前の世の中にしていきたいと、熱い思いが込み上げてきます。 12月19日(金) 竹ノ塚の町に響くジョン・レノン。イラク派兵反対の集会は500人が集まりました。 集会前にも会場の公園周辺、竹ノ塚駅東口で、集会を知らせる宣伝をしました。もちろん、2日間かけてつくったデコレーションをもっての宣伝です。 そして、宣伝カーからまず流したのはジョン・レノンの曲。「平和を我等に」「イマジン」「War is over」・・・ クリスマス・イルミネーションのもとでのこの宣伝は、実はたった3人でやったものですが、大変人目をひきました。 曲にあわせて、「Very Mery Christmas・・・」と口ずさみながら歩く人も。歌は、思いをひきだしてくれます。私たちの思いを伝えてくれます。 車を会場に運んだ後は、ハンドマイクと風船での宣伝。ヘリウムガスを入れたので、子どもがほしがります。「イラク派兵反対」の文字がふわふわ、子どもたちの頭の上でゆれています。 集会前の約2時間の宣伝でした。 6時30分、会場には小さな提灯がたくさん。照明は宣伝カーのライトだけでしたから、提灯やペンライトが暗がりに映えます。 急に北風が吹きつける天候になってしまいましたが、みんな元気に声をあげていました。高校生も制服姿で発言。大きな拍手をおくりました。 平和パレードでは、昨日作った横断幕が大活躍。風が強いので持つのは大変だったと思いますが、区議団の方々がしっかり掲げてくれました。後日の「フォトレポート」をぜひご覧ください。 パレードの途中で通りかかったマンション、ベランダからペンライトを振っている方が。こちらも思い切りペンライトを振ってこたえました。道行く人は「何事か」という顔で通り過ぎますが、若い男性がピース・マークを送ってくれる場面も。 このパレードの最中も、アナウンスやシュプレッヒ・コールのバックには、ジョン・レノンが流れ続けました。 世界中で「戦争は終わった」と歌える日をめざす、それは「ミサイル防衛」でできることでしょうか。テロと戦争で闘うことで実現できるでしょうか。 戦争を終わらせる力は、「人間、人民の力」。そんな歌の数々が、次々と頭をよぎる一日でした。 12月18日(木) 明日の区民集会へ、宣伝そして横断幕をつくりました。 昼前後で、会場周辺の地域に宣伝カーをだして、集会の案内。 そして、昨日に続いて宣伝物の作成です。 思い出します。青年時代を。 湾岸戦争が起きた時、私は東京の日本民主青年同盟の専従者でした。新宿東口歩行者天国での大宣伝にむけて、あの4車線道路を横断する大看板をつくったりしました。 当日は、東京各地から民青の仲間が集まって、路上ライブや仮装などで戦争反対をアピール。宣伝カーからは、ジョン・レノンの曲。そして、サイレン音とともにいっせいにダイ・イン。冬の路上の冷たさが身体に伝わってきました。 その時以来の横断幕つくりでしょうか。布に絵の具で字を書くのはなかなか大変で、時間もかかりました。 CDを聞きながら黙々と作業。聞いていたのはスタジオ・ジブリ映画のテーマソング集でした。「火垂の墓」の挿入曲、「My Sweet Home」で思わず手が止まりました。 幼い妹の野辺送りのシーンで流れた曲です。戦火で犠牲となった子どもたちのことが思い浮かびます。これまでの歴史の中で、いったいどれだけの子どもたちが、戦争で命を奪われていったのでしょう。 イラクの子どもたちへの思いもこみあげてきます。イラク戦争が「正しい」なんて、絶対に認められない。あなたたちは不当に命を奪われ、未来を奪われた。それを私たち大人は絶対にゆるさない。 「戦争と占領に手をかすな! イラク派兵反対」――作業開始から3時間で書き終わりました。 明日、それぞれの平和への思いが集まり大きく広がることを願いましょう。 12月17日(水) クリスマスの飾り、ラッピング、クレヨン・・・作ったものは? 19日の緊急区民集会にむけて、アピールするもの作り始めました。竹ノ塚の「光のイルミネーション」の道を通るパレード、それなら、道行く人にアピールできる平和の思いを・・・と、考え考え作ってみました。 「イラクの子どもたちに平和と笑顔のクリスマス・プレゼントを」と書こうと思って、気がつきました。 イスラム社会が、クリスマスを欧米や日本のように祝うのだろうか? 思いは、イラクに軍隊ではなく、子どもたちの笑顔がよみがえるような日々を贈りたいのですが・・・。 そこでもう一つの思いを、クレヨンで記しました。 「自衛隊と家族に 平和・笑顔の クリスマスを」 12月25日に航空自衛隊を派遣しようとしているときです。自衛隊員の家族が、涙と苦痛のクリスマスを送ることのないようにしたい。 色々と買い物をすると、消費税額に目がいきます。いよいよ消費税増税を具体的にすすめようという動き。 それだけではありません。来年度予算は、「補助金を見直す」といってまず、保育と教育の補助金を大幅に減らしてしまうというのです。 保育・教育の国庫負担金が「ひもつき補助金でけしからん」という人がいるのでしょうか。 たばこ税や消費税の地方分を増やすから、「総額は減らさないようにする」といいつつ、その保障が少しもみえてこない。来年4月からのことが、まだ見通しがみえない、こんな政治があるでしょうか! 20日予算案の原案が示されます。どういう内容か、しっかり見極めなければ。 夜は東京の日本共産党と後援会の集まりがあったのですが、夫が出張中、子どもの体調もいまひとつ、ということで私は参加できませんでした。 冒頭で、衆議院候補者が、参加者に会釈してのあいさつをしたと思います。13区のみなさん、会場にいなくてすみません。田村は心の中で深々と会釈をしていました。 12月16日(火) 国会中継に区議会、どちらも目が離せません。 昨日の衆議院につづいて、今日は参議院でイラクへの自衛隊派兵の問題で審議中継がありました。午後からは足立区議会も最終日。 国会中継はあとからインターネットでみることができるので、午後からは区議会に足を運びました。 北千住西口に建設中の「足立文化芸術劇場」の運営について決める条例が審議されました。 区民の文化活動の発信地にという目的での「再開発」です。目的は大賛成! そのために必要なことは・・・? 多額の費用を必要とせずにつかえる舞台、稽古場が必要、そして、仕事以外につかえる時間が必要です。「環境整備」は政治の仕事です。 ところが、審議を聞いていて「え?」と思ったのは、 この劇場の運営はすべて株式会社が責任を持つということ。儲けなければいけない、株式会社が、区民の文化活動のために動くのでしょうか? 自民党の区議からも苦言が示されたほどです。 東京の上京するとき、期待したのは、いろんな劇やミュージカル、音楽を劇場で鑑賞できるのでは、ということでした。でも、あまりのチケットの高さに驚いて、ほとんどその機会を持ちませんでした。時間のゆとりをつくるのは、子育て中の身にはもっと難しい・・・。 劇場はすぐそこにあるのに、とても足が向かない――こんなことではいけないですね。 そして、自由な芸術活動は「平和があってこそ!」というのも、今、とても重い意味を持っています。 国会審議では与党の質問で、「自衛隊員や家族の不安をあおる世論」への敵視がいっそうひどくなっています。 有事法制のもとでは、「敵視」が「規制」となるのです。湾岸戦争の時には、イギリスで、ジョン・レノンの歌が放送禁止になりました。 そんな時代をまたつくるわけにはいきません。 (昨日の「出来事」アップロードに失敗しました。2日間分のアップになります。( 12月15日(月) 「戦闘をしているアメリカ・イギリス軍の物資を運ぶのか」、答弁を逃げる小泉首相 午後の国会中継を事務所で見ていました。 午後4時、穀田議員(スポーツマンなので、かなりがっしりした体つきなんです)が、落ち着いて質問席に立ちました。 質問した内容は明瞭でした。 「アメリカ軍・イギリス軍の物資と兵士を自衛隊が輸送するのか」 「フセイン残党勢力の掃討作戦だといって、イラク市民をも犠牲にしている、その活動に対しても物資を輸送するのか」 それに比べて小泉首相の答弁は、実にたくさんのことを述べていました。なんとクウェート侵略のことまでもちだしたのです。 ところが能弁でありながら、明瞭な質問点についてはあいまいに逃げようとした、なぜ能弁だったかが浮き彫りになる質問でした。 自衛隊がどんなに戦闘行為には加わらない、あくまで人道支援だと言っていても、現地に行ったらどうなるか。圧倒的な情報をもち指揮権を発動するのはアメリカ軍ではないのでしょうか。どんな物資をどこに運ぶか、日本政府単独でどのような判断ができるのでしょうか。 アメリカから、これをどこに輸送してほしいといわれれば、断ることなど出来るはずがないのです。それが、戦争に直接使われる武器であろうと。 与党の腹立たしい質問の最中は、19日(金)の足立区民集会にどんな宣伝物をもっていこうかと、事務所の人たちと話がはずみました。 せっかくのパレードです。「私もいっしょに歩いてみようかな」と思えるようにしたいのです。 自分のアピールをかかげ、あなたも「思いを行動に」とよびかける集会・パレードにしていきましょう! 12月14日(日) フセイン元大統領が逮捕の情報・・・。それでイラクはどうなるのか。 夜、子ども番組を映し出すテレビ画面の上に、「速報」が流れました。 わずか1行の情報に、「それでイラクはどうなるの」と思い、次には「フセイン大統領が見つからないから、いないということにはならない」という小泉首相の「迷言」が頭をよぎりました。 大量破壊兵器はどうなったのか。いまだにみつからない。 初めからフセイン政権打倒のための戦争だったことはもう明白です。 夜9時過ぎのニュースでは、バクダット市内の様子も伝えていました。空に向かって銃を撃って喜ぶ市民・・・。「独裁者がいなくなった」というコメント。 アメリカ占領下の報道ですから、すべてを伝えていないとは思います。でも、独裁支配に苦しんだ人たちが多数いることは確かでしょう。 独裁が占領になってはいけないのです。 戦争と占領に苦しめられた人たちが、どれほどいるか。 時々思います。 南アフリカ共和国で、大変抑圧的な人種差別が行われてきたことを。戦争ではなく、国際世論と国内の長い長い闘いで、アパルトヘイトにピリオドを打ったことを。 独裁者の圧政も、戦争によらずにピリオドをうつことはできなかったのかと。 午後、ぬかが和子区議の地域で、平和のねり歩きがありました。ハンドマイクから呼びかけながら、小1時間歩いての行動です。 車から手を振る人、なんだろうと驚いたように見つめる人。自衛隊を戦場に送るわけにはいきません。
12月13日(土) 風邪でダウンしてしまいました。せっかくの休日だったのに・・・ というわけで、14日(日)の分とあわせてのアップデートです。 息子の誕生日まで仕事を入れてしまったので、今日はたっぷり遊ぶぞ!と思っていたのに、です。 朝から食欲がなかったのですが、息子のリクエストで、朝一番の映画を見に行くことに。 電車に乗って松戸まで出て、「ファインディング・ニモ」をみて(ストーリーは出来すぎですが、面白かった!)、映画館を出た瞬間から、おかしかったのです。吐き気がだんだんつよくなって、身体を起こしているのがつらいほどに。公園で遊ぼうと思っていたのに。 病院からの帰り道も、「あそこの公園でブランコする」という娘をなだめるのが大変でした。 息子の友だちが遊びにきてくれたので救われました。近くの公園で、娘までいっしょに遊んでもらうことに。 公園から我が家にもどってきた子どもたち、さらに1人増えていました。この方が勝手に遊んでくれるからいいのですが。 今朝、生まれたばかりのサケの赤ちゃんを見せようとしたら、朝1匹だったのが、3匹に。そしてよ〜くみていたら、卵のからを脱ぐ瞬間もあったようです。私は見逃したのですが。 「へぇ、ちっちぇ〜!」といいながら、子どもたちも一生懸命みていました。 その後は・・・私は完全にダウンでした。遊べなくてごめんね。 12月12日(金) くもり時々雨のなか、署名版をもって梅田・関原の町をまわりました。 天気予報では午後から晴れるはずなのに・・・。 でも天気がどうのこうのと言っていられません。18日には、航空自衛隊への出動命令を出す動きが伝えられるもと、今日も、自衛隊イラク派兵を許すなと訴えてまわりました。 新聞記事を読めば、先日の小泉首相の記者会見の無責任さにまた怒りがわいてきます。 「自衛隊は戦争はしないんです。武器も運びません」という小泉首相の発言に、外務省・防衛庁があたふたしているとか。 福田官房長官が記者会見で「米英軍の兵士を運ぶことはありうる」と発言したとか。 現在イラクで活動中の兵士を丸腰で運ぶことなどありうるでしょうか。当然武器を携えていなければおかしいのです。 航空自衛隊が武器をつまなかったら積む荷物がないという声もあるそうです。 一国の首相の発言が、わずか数日でくつがえされる、それほど「基本計画」の内容はあいまいということではないですか。 自衛隊がイラクで攻撃されれば、テロと戦うと言ってもっと大規模な派兵が行われる危険性もある、日本でテロが起こるようなことがあれば、有事法制で国民全体を戦争体制にすることもありうる。 事態と今の政府の動きをみるにつけ、急速に戦時体制に日本を動かす歯車がうかびあがってきます。 歯車は一度回り始めたら、それを止めて逆に回すのは相当な力が必要です。歯車を回さないために、今できることをしよう。 精一杯よびかけて、橋本ミチコ区議といっしょに商店街もまわって署名をよびかけました。 話しかければほとんどの方が「そうだよね」と思いは同じになります。 夜には、地域の後援会のみなさんの、カラオケつきの集いに参加しました。 私も「PIECE OF MY WISH」(希望のかけら)を歌いました。あきらめないで、いろんな希望を集めて、大きな「力」にしたいと思いをこめて・・・。 12月11日(木) 「足立ものつくり展」第2弾、またまた財布のひもをゆるめてしまいました。 今度は今日の生活用品がずらり。靴、カバン、染物のふろしき、アクセサリー等々。 会場に行くと共産党の女性区議のみなさんも、財布を片手に歩き回っていました。ラム皮の靴のやわらかさ、軽さに感嘆したり、おしゃれなランドセルに見入ったり、カバンを買うかどうか迷ったり。 いいものはほしくなりますね。 私もやっと名刺入れを持つことになりました。前から買わなければと思いつつ、なかなか女性がもってしっくりくるものを探せずにいたのです。 カバンも、「田村さん、赤やピンクの服を着るときは、こういうのがいいわよ」と女性区議のNさんにすすめられて・・・。 一昨日・今日で、いくらつかったは計算するのやめておきます。 嬉しかったのは、ある業者の方から「覚えていますか?」と声をかけられたことです。9月に足立区内を区議さんに連れられて歩き回ったとき、訪ねた方の1人でした。 お名前と、品物を見て、「あ、もちろん覚えています」と返事ができました。「今日の出来事」にも登場している方です。 見ず知らずだった方とこうして知り合いになっていく、そうすると、自分の世界も広がります。 中小業者の不況の苦しみも他人事ではなくなります。 夕方、北千住東口で、消費税引き上げ反対の宣伝・署名を、業者の方や法律事務所の方といっしょにとりくみました。 消費税増税されたら、あの中小業者のみなさんはどうなるか、これまで出会ってきたお年よりはどうなるか、もちろん自分の生活もどうなるか、そんなことが頭をよぎりながらの行動でした。 「10%以上なんてとんでもありません」と声をだしてビラを配っていると、 「え〜! 10%?!」と高校生も驚きの声をあげていきます。寒さがこたえる中、驚いた顔で立ち止まり、署名をしてくれる人も。 年の瀬で物入りの時ということもあるでしょうが、確かな手ごたえを感じた1時間でした。 12月10日(水) 学校の「30人学級」と「2学期制」、子どもと親が望むのはどっち? 足立区議会の文教委員会を傍聴しました。日本共産党の針谷みきお区議が、本会議に続いてまず「30人学級」について、区教育委員会に質問をくりかえしていました。 針谷「少人数学級の教育効果を認めるか」 区教委「実施したところで効果があるといわれていることは承知している。しかし、少人数指導、ティームティーチング(T・T)の方がより効果があると考える」 何の検証もなしに、2つの学級を授業に応じて3つにわけるというような「少人数指導」や、1学級に授業に応じて2人の先生を配置するT・Tの方が効果があるというのは、あまりに乱暴な議論です。 足立区としてはお金がかかる「30人学級」はやる気がないということがわかりました。 もう一つ、針谷区議がとりあげたのが来年4月からスタートする「2学期制」です。 これまた検証がないことが浮き彫りです。 他の区で検討委員会を設けて2学期制に変更することのメリット・デメリットを慎重に検討しているのに、足立区はトップダウンで突然実施を決めてしまい、実施することをPTAなどに説明して回っているのです。教員、父母、そして子どもたちの意見など関係がないといわんばかりです。 針谷「40日間という夏休みがあるのに、10月の体育の日の連休までが1学期というのでは、一つの学期のなかで教育の中断が生まれてしまう」 区教委「夏休みに入る前の面談などで、教科ごとの到達点を教員が示し、課題を示すことで、より継続性のある教育が期待できる」 何を言っているんでしょうね。物理的に1学期の途中で長期の休みがあり、1学期と2学期の間は3日間の休みだけ。これは子どもの心情とあまりにかけ離れています。 それに、教科ごとのきめ細かな指導をするには、まさに少人数学級でなければできないはずです。 小学生まで、担任が受け持つ授業とそうでない授業があって、一人一人の教育の到達点を細かに示し、課題を与えるなんてどうやってできるというのでしょう。 テストの点数だけで見るということでしょうか? 文部科学省が子どもの実態とかけ離れた教育改革をすすめれば、足立区もそれに輪をかけて子どもの実態を無視した行政をすすめる、こんなことでいいのかと何度も首を横にふりながらの傍聴でした。 2学期制は、お金はかかりません。お金をかけないで目新しいことをするのが、「教育改革」なのでしょうか。 夜は、イラク派兵反対の日比谷野外音楽堂での集会。 でも、こちらには夫が参加することになりました。私は子どもたちと過ごしながら、イラク派兵反対を心の中でかかげています。 12月9日(火) イラクへ自衛隊を送り込む「基本計画」、記者会見に怒り心頭です。 午後5時、小泉首相の記者会見が始まりました。 あろうことか、憲法の前文を読み上げて「国際貢献」だと開き直る――思わずののしりながら聞いてしまいました。 日本の憲法は戦争の否定が大前提です。イラク戦争を「正しい」といって自衛隊派遣することが、どこが憲法の精神なのか。 イラク戦争について「大義」を質問されると、「フセイン政権が続いていたら世界の脅威」だと答える。政権打倒のための戦争だと発言したようなものです。 どこかの国に問題があれば、一方的に戦争をしかけていいということではないですか! これが平和の憲法をかかげる日本の首相の発言として認められるはずがない。 記者会見報道の直後には、梅島駅で署名をよびかける宣伝行動。思いのたけをハンドマイクから訴えました。 この記者会見の前には、足立区庁舎で開かれていた「足立ものつくり展 伝統工芸展」に足を運びました。 染物、江戸刺繍、彫刻、彫銀・・・、そのすばらしさに感嘆するばかり。 そして小さなお琴を悩んだ末に買ってしまいました。ちゃんと演奏できるものです。高校時代に音楽の時間で少し習いました。それを思い出して、財布のヒモをゆるめてしまいました。 こんな満ち足りた気持ちが吹き飛ぶような記者会見。イラクに行く自衛隊を「感謝と敬意の念をもって送り出す」よう国民にもとめるという小泉首相。 いいえ、私は、自衛隊員を、日本の青年たちを、私と同じ時代に生まれ生きてきた青年たちを、決して戦地に送り込まないために、力をつくすことを決意します。 12月8日(月) 太平洋戦争が始まった日。街頭・駅頭で訴えつづけました。 明日にもイラクへの自衛隊派遣を閣議決定するというのですから、じっとしてなんかいられません。 午後6時からは、足立区内の労働組合や平和団体などなど、大勢のみなさんと、北千住西口での宣伝・署名。 「宣伝など目に入らない」といわんばかりに、通り過ぎる人の流れ・・・。ついつい「他人事にはできません」と、ビラをまきながらも声をだしてしまいました。 同じ日本の青年たちが、命の危険にさらされている、自分の友人だったら、家族だったらどう思いますか?と問い掛けたい気持ちです。 今日配ったビラには、朝日新聞に掲載された自衛隊員の恋人の投書の一文が書かれていました。 「毎日が不安でいっぱいです。小泉首相の無責任な発言に腹が立ちます」「なぜ戦争がおきてしまったのか」 イラクでさらに日本人の犠牲がふえれば、またテロとの戦いといってさらに自衛隊派兵を拡大しかねません。これでは戦争そのものです。 一度まわりはじめた歯車を止めるには、もっと大きな力がいるのです。歯車をまわさないために力を出すときです。 もちろん、署名に立ち止まる方は何人もいました。でも、でも、まだ足りない。もっともっと大きくしなければ・・・。 午後からの街頭宣伝の前は、娘の病院でした。 生まれたとき唇や上あごがうまくつながらない「口唇裂」という、小さな障害がありました。4ヶ月で手術、その後も1年に何回か経過をみる通院。電車に乗っていく大きな病院ですから、時間もかかります。 昨日から、「行かない」「保育園におくれちゃう」と、涙を流して訴える娘。今朝は父親に説得され、ようやく病院行きをみとめてくれました。 病院から綾瀬駅にもどってきたのが12時過ぎ。保育園では、クラスのみんなが午睡の準備。1人昼食を食べることに。 食べ始めた5分後、シーツ等々の準備をおえて娘の方を見ると、ぽろぽろ泣き始め、しゃくりあげて・・・。あわてて隣に座って、食べ終わるまで話しかけました。1人だけで食べる昼食なんていやですよね。だから病院に行くのもいやがっていたのだとわかりました。 3歳児クラスは30人近い子どもを2人の保育士さんでみていますが、午睡させるだけでも手一杯。何か対応が必要な子どもがいても、とても手がまわりきらないことがよくわかります。 問題を起こす子どもは、ついきつく叱ることにもなるでしょう。本当は心に寄り添うことが必要なのに。 食べ終わるときにはすっかり元気になって、おしゃべりまでしていた娘。安心して仕事に向かいました。 12月7日(日) 息子の8回目の誕生日。 ところが、夫は夕方まで仕事。私も日程が入っていて・・・。朝から息子は「せっかく日曜日が誕生日なのに」とぼやいていました。 午前中は、針谷みきお区議の地域で「ささのはまつり」に参加。一言のあいさつをして、あとは子どもと楽しみました。「焼き鳥食べる」「焼いもがいい」「おしるこ」とおいしいものをたくさん食べて、南京玉すだれや獅子舞に目を丸くして。 「ささのはまつり」は今回で25回目だそうです。地域のなかに根ざしたおまつりで、会場になった公園には親子連れも大勢いました。 昼に会場を後にして、今度は足立の共産党事務所周辺の公園で遊びました。日差しが暑いくらいで、上着や荷物を事務所に置いて、しばし砂遊び。「ゴジラをつくる」という息子。ここの砂では無理だろうと思っていたのですが、崩れてはやり直しの1時間、できました! 落ち葉や枯れ草、木の実もつかって、「ゴジラ対モスラ」が完成! 娘は、お花摘みやピラカンサの赤い実をひろったり、砂場にせっせと水を運んだり。 午後3時、私が次の日程に向かうことに。「いっしょに行って待っている?」と息子に聞くと、しばし考えたあと「いいよ。迷惑かけるといけないから」 この一言に詰まってしまいました。時々、仕事先に子どもを連れて行かざるをえない時があるのですが、どんなことを感じていたのでしょう。 事務所にいたTさんに子どもをみてもらうことにして、「1時間くらいでもどってくるから」と出かけました。 ところが戻ってきたのは2時間後。その間、鬼ごっこや紙飛行機とばしをしたりと、楽しく遊んでいたようです。何をして遊んだか、次々に話してくれましたから。 でもやっぱり言われてしまいました。「うそつき。2時間だった」 「ごめんね」と言うほかありません。 それでも夜は家族そろってケーキをかこみ、笑顔の誕生日になりました。 12月6日(土) 自衛隊員の家族の苦しみを他人事にはできません。 と、街頭で駅頭で訴える一日でした。 西新井駅では、西口・東口と場所を変えて訴えました。外交官2人の殺害という、悲惨な事件の直後とくらべ、若干、反応がよくないような気がしてしまい、「他人事にはできません」と声をかけての署名行動となりました。 平和団体、女性団体、日本共産党こぞっての宣伝行動1時間。高校生、中学生も立ち止まって署名してくれました。 誰かの命が奪われても、誰かの命が危険にさらされても、見ず知らずの人ならばそれでいいということにならないでしょう。 犠牲となった外交官の方々が自衛隊受け入れ準備をしていたからといって、その遺志を大切にということにはならないと思います。根っこにあるのは、テロをなくすという遺志のはずです。 新たなテロを広げていることが示された以上、これ以上の犠牲を生まないことこそ、遺志を大切にする道ではないでしょうか。 夜には、足立区の北部地域のみなさんが企画した、総選挙と1年間の活動の「ご苦労さん会」に参加。 「9日にも自衛隊派兵を閣議決定しようとしています。平和への願いを声に出して、1日1日を悔いなく送るときです」と、ここでも話に力が入りました。 選挙で応援してくださったみなさんのあたたかい言葉、拍手。これからも、いっしょにがんばっていきましょう! さて、もう一つ「出来事」があります。 足立区内で子どもたちがサケの卵を家庭で稚魚に育て、荒川に放流するとりくみがあります。もう15年をこえる運動。 我が家もサケの卵60粒をわけてもらいました。イクラのつぶのなかに黒い目がしっかり見えます。よく見ていると、卵の殻のなかでくるりんと回転することも。「生きている」と息子も目を丸くして見ていました。 2月の放流まで、どうか無事に育ってほしいです。 12月5日(金) 足立区長とはじめて言葉をかわしました。 自衛隊イラク派兵をやめさせるため、党派をこえて声をあげよう、行動しようと、申し入れにいったのです。 区長とのアポイントを「今日の今日」で設定したのは、渡辺やすのぶ都議。行動の広さ、機敏さは、学ぶこと大です。 渡辺都議が私を紹介すると、「ああ、どこかで見たことがあると思いました」 イラク問題では、区議会の答弁を聞く限り、「イラク戦争は間違っている」という態度もとらず、「自衛隊は派遣すべき」と、日本共産党とはまったく異なる立場です。 それでも話をすることの大切さを知りました。 「2人の犠牲には胸がつぶれる思いだった。テロをどうにかなくさなければならない」 「イラクの人たちのために、今何かすべきではないのか」 「平和という思いはいっしょ」 区長の言葉です。 テロという暴力をなくす手段、イラク復興へのステップについて話し合いをすすめれば、平和の問題での共同は決して不可能ではないと思います。 自民党を支持している人でも、まさに「党派を超えて」です。 今日は、医師会、建設業協会、工業会、千住の商店街の会長などにも足を運びました。 自衛隊の人が殺されるようなことになったらどうなるのか、という不安の声。アメリカいいなりを変えることはできるのだろうか、という声。 政治への疑問、平和への願いを実感します。これが政治を変える力の土台。ここから何をどうやって育てていくのか、考えさせられます。 12月4日(木) 二つの棺、家族の涙。「テロとの戦い」を考える時です。 子どもを寝つかせなければならないのに、ニュースの映像に目が釘付けになりました。 犠牲になった外交官の家族たちの悲痛な泣き顔。暴力で命を奪うことの理不尽さをつきつけられます。 「2人はテロと果敢に戦った。これからも屈せずに毅然と」と自衛隊派兵をすすめることは、断じて許せません。 テロとどうやって戦うか、今ほど問われているときはないはずです。 イラク戦争、イラクへの占領が、日に日にイラク市民の怒りを増幅させているのは誰もが認めるところでしょう。この怒りがテロへの支持に結びついていることも、疑いようがありません。 テロへの支持を断ち切り、暴力集団を孤立させる、これ以上新たなテロリストを生み出さない――この決意こそ、2人の犠牲を重く受け止めた判断ではないのでしょうか。 イラク戦争を認めなかった国連が、イラク復興をするときです。イラク戦争を「国際的な犯罪行為」と罰するべきです。占領軍となっているアメリカ軍・イギリス軍を撤退させなければ、新たな憎しみ・テロが増幅しつづけるでしょう。 それなのに、米英軍の補強部隊ともいえる、1000人規模の自衛隊(武装した軍隊そのものです)を送り出すなんて! 平和のパレード、平和の歌、首相官邸へのメール、署名・・・・ やれること、なんでもやるときです。 12月3日(水) 「財政事情が厳しい」からと、子どもを犠牲にするのですか? 引き続きの区議会傍聴です。 足立区内の公立保育所60、そのうち20を民間に施設ごと譲渡しようという計画がもちあがっています。その一方で、保育所に入れない子どもが500人もいるのに、「新しい保育所を今増やす計画はない」というのですから、ひどいものです。 質問した鈴木賢市区議とは、何度か保育所の問題で意見をかわしてきました。国の保育施策について、直接厚生労働省から説明を聞く機会もつくり、足立の共産党区議団の方々といっしょに参加もしてきました。 どんな質疑になるかと興味津々での傍聴でした。 区の担当者(福祉部長)の答弁には、思わずため息つきながら首を左右に振ってしまいます。 簡単に言えば、子どものことも父・母親のことも眼中になく、ただただいかに保育予算を少なくできるかと言っているようなものでした。 この質問の前に、鈴木秀三郎区議が、千住地域の二つの再開発のことを取り上げていましたが、そちらは予算の有効な活用といえるのかと首をかしげる事業なのに・・・。 帰宅してからはあわただしく、家事に追われて、すぐに就寝時間に。 金曜日に息子のクラスで「読み聞かせる」ことになっている、「伝承版 三枚のお札」を読んで、子どもたちを寝つかせました。 すぐに眠ったのは息子。娘は「あのお話読んでよ」と、まだ催促。 「あのお話」が何かがわからず、こんなやりとりが。 娘「ほら、男の子と女の子が保育園にいるの。それで、いじわるするお話」 私「え〜っと。それ、どんな絵があるの?」 娘「ゴボウみたいなの。兵隊みたいに1・2、1・2ってするの」 私「ゴボウみたいに黒いのが出てくるの?」 娘「ちがうよ〜! ひょろ〜ってしてて、いんげんみたいなの」 どの絵本かと考えながら、おかしくて笑いがこみあげ、それでますます娘は怒って「ごぼう」と「いんげん」を連発していました。 結局、自分で絵本の列をずっとみて、「これだ!」 とりだしたのは、『いたずらこびと』という絵本でした。私が子どもの時に買ってもらった1冊です。 小さな鉛筆のように描かれた「こびとたち」が、「ゴボウ」「いんげん」だったんです。 そのうえ出てくるのは保育園ではなくて学校。「いじわる」ではなく「いたずら」のお話です。 小学生以上向けの絵本を4才がどんなふうにみているのか、垣間見た夜でした。 12月2日(火) 国会→区議会→学校とあわただしい一日でした。 午前中、久しぶりに国会に行ってきました。国会秘書として働いていた分の源泉徴収をもらうためです。 共産党の議員団事務局やいくつかの議員室にも立ち寄りました。衆議院事務局の部屋は、スペースを削られてしまいます。そのための荷物整理であわただしい毎日のようです。 これからどんな活動をしていくか、少し意見も交流してきました。衆議院での議員の数が減ってしまった分、議員になりかわっての活動を地域でやっていきたいものです。 立ち寄ればそれだけ話もはずみ、気がつけば昼食をとる時間がなくなってしまいました。午後1時からの足立区議会本会議に大急ぎで向かいました。 今日は、共産党・渡辺修次区議の質問。はじめに、やはり総選挙のことについてふれると、「共産党は負けたじゃないか!」の野次が自民党席から起こります。悔しさがまたよみがえってきます。 イラクへの自衛隊派兵の問題をとりあげると、「そんな問題は関係ない」といわんばかりの野次がまたとびかいました。 区議会に直接関係ないという意味でしょうが、日本人の命が奪われてなお、そんな野次をとばすことができるとはと、野次がとんだ議員席の方をにらみつけてしまいました。 渡辺区議の質問が終わると、区議会の途中でしたが今度は学校へ。息子の担任の先生との個人面談です。 わずか10分でしたが、日ごろ知ることのない学校での様子がわかりました。先生とはなんだか半分は「おしゃべり」したような。笑いが度々起こる10分間でした。 そして、私からお願いして、「読み聞かせ」をする時間をもらえることに。やった! 国語の教科書に部分的に出てくる昔話「三枚のおふだ」、松谷みよ子さんが各地で昔話を聞き取ってまとめた本の中にあるのです。地方の話し言葉で、こうやって語り伝えていったのだと実感できるものです。 2年生の子どもたちが聞いたらどんな反応をするでしょう。今からわくわくしてきます。 今日はイラク問題でも、朝・夕と宣伝行動ができました。 朝の北千住、夕方の竹ノ塚。どちらも、注目の度合いが高まっていることを感じます。署名に足を止める方も決して少なくない。でももっとひろげることができるはず。もっとたくさんの署名を集めて、各党の国会議員になんとしてももっていきたいのです。 HPご覧の方で、署名がまだの方、ぜひ協力してください。署名の紙がないという方、メールでご連絡いただければお届けします。 12月1日(月) 足立区議会を傍聴。ここでもマニュフェストが議論に。 自民党・公明党の本会議質問でしたが、国政につながる問題が出てくるかなと傍聴することにしました。 鈴木区長のあいさつも、質問も、冒頭は「総選挙の結果」についてでした。「マニュフェスト」を各政党が示し、それが政党選択の基準となった。政党とともに国民にも選んだ責任が問われてくる――これが、共通した認識のようです。 鈴木区長に質問してみたくなりました。「あなたは、自分が選んだ政党のマニュフェストを全部理解して投票しましたか? 各党のマニュフェストをどこまで比較しましたか?」 膨大な内容のマニュフェスト、しかも、その全文が全有権者に配布されることもありませんでした。それでいて、投票の結果で、マニュフェストの中身が信任されたのだから、その政策をすすめることを認めろというのは、「脅し」に近いと思います。 憲法「改正」、消費税増税、年金切り下げ、自民・公明・民主各党は、こんな重大な問題を「争点」として打ち出さずに、マニュフェストに入れて「国民の信任を得た」と主張するのかもしれません。「公約違反はしていない」と。 同じ手法を地方議会でもやるとしたら・・・。そんなことを思いながらの傍聴でした。 区議会に向かう前には、地域の党支部の方といっしょに町を歩きました。雨でくつはびしょぬれでした。 「日本共産党」「田村智子」と支持してくださった方との絆をつくる活動です。消費税増税反対の署名などもって、家を訪ね話をしました。 あるお宅で、20分くらい話しこみました。 「戦争中、学校では何も勉強しなかった、空襲警報で裏山の神社に避難する毎日だった」等々、戦争の記憶、戦後の苦労・・・話はつきませんでした。 「イラクに自衛隊送るなんて、絶対やったらだめだ」 帰宅して夕刊をみると、喪服の人たちの写真。ベビーカーにのった幼い子どもも一緒です。 イラクで犠牲になった30歳男性の家族。こんな小さな子どもと、これから生まれてくる子どもが父親を奪われた・・・。 「こんな小さな子どもが・・・」とつぶやく私に、子どもたちが何?と問い掛けるまなざし。 「この子のお父さんが戦争で死んじゃったの」「かわいそう、お父さん」と娘。 晩ご飯に、こんな話題をしなければならないなんて、いったい日本はどうなってしまったのでしょうか。 |