日本共産党 田村智子
コラム

【13.07.01】生活保護の法案審議でうかびあがった問題点(その1)

「水際作戦」の根絶もせず申請を厳格化

廃案となった、生活保護法の一部を改正する法律案。
参議院選挙後の国会に再び提出する、との厚生労働大臣のコメントも報道されています。
同じ法案の提出をゆるさない世論を広げなければ。
ということで、私が委員会で追及した(追及しようとした)法案の問題点をまとめました。

申請書提出の義務づけ
現行の生活保護法には、申請の方法についての条項はありません。
申請があった場合に、保護実施機関がどう対応するかを定めているだけです。
法案では、この法律のつくりを大きく変えました。
申請は文書の提出で行うこととし、申請書の記載事項まで条文に書き込んだのです。(衆議院での修正で「特別な場合は」口頭申請を認めるとしています)

生活保護の申請のときに、申請書を渡さない、申請書を提出しようとすると「忘れ物ですよ」と受け取らない、こうした対応が、残念ながら現実に起こっています。
(京都府舞鶴市では、「忘れ物ですよ」の対応について、京都府から是正指導が出されました。)
「水際作戦」という言葉が、法案審議の際に、質問者・答弁者ともに繰り返し使われたほどです。

こういう現実のもとで、記載事項を定めた申請書の提出を保護申請の原則としたらどうなるか。
答弁では「口頭での申請も認める。現行通り」と繰り返されました。
それならば、現行法を変える必要はありません。
何のために、申請書提出をわざわざ法律に書き込むのか。
介護、医療、あるいは保育などの法律で、申請書提出やその記載事項を法律に書き込んでいるものなどありません。

法案では口頭での申請は「特別な事情」に限定されています。この「特別な事情」とはどのようなものか、これも審議の焦点の一つになりました。
障害などで、記述が困難な場合というのは具体的に示されましたが、その他は省令で示すという答弁。

現場で口頭申請が認められるか否かが最も問題になるのは、申請書を渡してもらえない、受け取りを拒否される、という時です。
そこで、こういう質問をぶつけてみました。

田村「申請書を渡さないという場合は、特別な事情に当たるのか」
政府も修正案提出者も、「それはあってはならないこと」と繰り返すだけ。
田村「あってはならないことが現実に起きているから聞いている」

申請の意思を明確に示しているのに申請書を渡さない、この場合は、口頭申請をしたとみなされ応諾義務が生じると、実施要項や通知で示すべきではないのかーー私もしつこいくらいに食い下がりました。
答弁は「あってはならないことについて、その対応を通知などで示すことはできない」というもの。

この質問は厚労省にとって、かなり厳しかったようです。
質問が終わってから、担当の役人から「質問が相当に厳しい」という声があがったほどでした。

食い下がったのには、わけがありました。
私自身が福祉事務所での「水際作戦」を目の当たりにしていたからです。
「派遣切り」の嵐が吹き荒れた頃、何度か街頭労働相談に取り組みました。
20代、30代の若者たちが何人も、仕事も住まいも失い所持金も底をつく状態で私たちと出会い、一縷の望みを持って福祉事務所へと足を運びました。
しかし、路上に返されてしまった人が続出したのです。ホームレス支援策として設置されている緊急一時宿泊所が満員だから、空きが出たら連絡するーーこの対応を突破するのは至難の技でした。

日雇い派遣で、資材置き場や公園で寝泊まりしていた男性は、
「自分たちのような人間が、住むところを得るのはやっぱり無理だ。希望を持ったのが間違いだった」と私に告げて、寒風のなか路上へと帰って行きました。
この時の無力感は忘れようがありません。
家に帰って食事をとる時、お風呂に入る時、私はこうしていていいのかと、苦しいほどの焦燥感を抱きました。

何度も支援の窓口を訪ね、何度も絶望を抱きながら、それでも日雇い派遣の彼は、自分の力で保護申請し、住まいを得ることができました。
憲法や生活保護制度への理解を深め、行政に対しても自ら意見を言うようになったことが、事態をきりひらく力となったのです。

福祉事務所にやっとたどり着いた生活困窮者が、その対応に絶望して、元の場所に戻っていく。
こんな「水際作戦」はあってはならないといいながら、その根絶ができていない。
それなのに申請を厳格化したら、どんな事態が起きるのか。
孤立死、孤独死、衰弱死、餓死、自殺ーー福祉事務所や役所を訪ねたのに、保護にならないまま命を落とす事件が何度となく問題になっていることを、厚生労働省がしらないはずがありません。