桜が満開、そして舞い散るなかでの新年度(首都圏の桜前線ですが)。入学式を迎えた家庭もたくさんあることと思います。
そういう我が家も、兄は大学2年生に、そして妹は4月5日に高校の入学式に出席しました。入学式に先立つ、4月1日、いよいよ新年度のスタートはこんな始まりでした。(Facebookの個人ページから)
4月1日、今日から高校生だね、おめでとう。今朝、娘を起こす時の言葉。高校生なのに、母親が起こすのか、という問題はありますが、いつもは不機嫌に目覚める娘も、この言葉には素直でした。
入学式前から同じ高校の友達ができ、これまでの友達、これからの友達の垣根を越えて、春休みを満喫しているようです。なかなかやるじゃないか。
昨日は、みんなで高校の制服を着てお出かけをしたとか。娘の制服(標準服)は、まだ届いていなかったので、なんと中学の制服を着て行きました。
「え、中学の制服って、あんなに嫌っていたのに?」
「制服を自分流に着たかっただけで、制服が嫌いなわけじゃないよ」
「中学の制服は見るのも嫌なのかと思って、処分するところだった」
「え〜、やめてよ。捨てる気ないから」
そうだったのか。ダサい制服だからイヤだったのではなく、娘から見てダサい着こなしがイヤだったのか。
娘の中学生活の半分は、校則への反抗だったように思えます。ソックスの長さはくるぶしよりも上、スカート丈はひざ下数センチ、髪は肩にかからないように、長い場合は黒か茶のゴムでとめる、ポニーテールは禁止、冬は防寒のセーターを着ても良いがその下に制服のベストを着用のこと(下着・ワイシャツ・ベスト・セーター・ブレザーという服装)などなど。
学校なんだからおしゃれなんかしなくていいよ、という思いもあり、同時に、こんなに細かく決める必要があるの?という疑問もあり、私も3年間、もやもやが続いてきました。
膝小僧を少しみせて、ソックスはくるぶしギリギリ、そうでないとダサい、というのが娘の価値観。ほぼ毎日、校門前の服装チェックで先生と小さなバトルを繰り返してきたというわけです。
私も何度か学校の先生方と話をしてきました。そのなかで、冬には素足に短いソックスでは、健康によくない、タイツを認めてほしいという話をして、校則が一部変更されるという吉報もありました。
けれど、3学期のしめくくりが近づくにつれ、私の中では、服装や髪型がちゃんとしていないと、卒業式への出席にダメ出しがあるのでは、という不安が膨らんでもいました。
来賓も多数いる、卒業式に出るからには、服装や態度はふさわしくーー私もTPOをわきまえることには賛成。みんなが気持ちよくお祝いし合えるようにと思います。
一方で、「私らしく卒業したい」という娘の言葉にも、それは、卒業式の主人公はあなたたち一人一人だものね、という思いも、抑えられません。
「私が卒業式に出ることと、スカート丈や髪型と、どっちが大切だと思ってるの?」
娘にそう言われ、その問いの答えは立場によって違うよなぁと、考え込んでしまいました。
娘の立場に立てば、細かな服装にこだわって卒業式に出させないなんて、あり得ないでしょう、となります。
別の立場に立つと、卒業式に出ることが大切なんだから、そんな細かな服装にこだわらずルール通りにすればいいじゃないか、と。
結局、娘がどんな格好だったのか、実は卒業式に出席できなかったのでわかりません。「私は号泣するんだから、そんなところを親に見られたくない、絶対来ないで」という娘の言葉に助けられました。なにしろ国会日程が一番きつい時ですから。
号泣した、T先生のメッセージにはうるっときた、など、娘の話に、ああ、卒業式に無事に出られて、中学生活を締めくくることができたんだと安心しています。
ちなみにT先生は、娘の宿敵ともいえる生活指導担当の先生でした。年度途中の異動となったと娘から聞いていました。T先生の言葉に、うるっと来るとは、娘もなかなかじゃないか。
中学でのいろんなことも、決して無駄でもマイナスでもなかったのですね。
でもこういう経験の中で、私は中学から制服がなくなって、標準服になって、着こなしも標準を示す、ということにしたら、学校はものすごく変わる、劇的に変わるんじゃないかと、思わずにはいられません。
これからの娘の高校生活がどうなるか、実はとても楽しみにしています。また、私も刺激を受けるんだろうなぁ。悩んだりぶつかったりすんだろうなぁ。
期待してるよ、あなたの高校生活。