1978年、小諸市立小諸東中学校に入学。自宅から25分かけて歩きました。浅間のふもとの町で坂道も急傾斜。雪の日の通学途中、立ち往生して いる車の後ろを押して動かしてあげたこともありました。校則の厳しい学校でしたが、当時の私は「守って当然」という「保守派」。大変「まじめな」中学生でした。
小学校で始めた合唱は、「続けるのが当然」と迷いなく合唱部に入部。女性ばかりでしたが3年生のときにどうしても混声合唱曲木 琴」を歌いたいと、男子をスカウト。変声期の男性たちを悩ませながら、やめたいという人にも手紙攻勢でひきとめ、文化祭までつきあわせてしまいました。
1981年、長野県立野沢北高等学校に入学。ここでもすぐ音楽班(合唱クラブ)に入部。ベルディ、モーツァルトのレクイエムな ど、本格的な合唱を経験。文化祭にはオペラもやりました。1年「愛の妙薬」、2年「ノルマ」、3年「真珠とり」と舞台装置、衣装も自分たちで用意し、メイクアップも本格的に。演劇と音楽の両方を楽しめて、私のやりたいことそのもの!でした。(演奏の方は・・・お客さんが気の毒だったかな?)
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