浅間山のふもと小諸市に生まれました。実家は「紙・文具卸商」、文房具のほかに、書道の筆や墨は、奈良県の問屋さんが定期的に商品をもってきていました。土蔵に木製の棚という建物を倉庫にした古いつくりの店で、よく、近所の友達と倉庫のなかでかくれんぼをして遊びました。
田舎の卸商は、山をこえて小さなお店(よろずやさん)への配達もします。私たち子ども(姉・弟・私)は、父の配達についていくのが大好きでした。ワンボックスカーの後ろで荷造りした段ボールの間に座っていると、冒険しているような気持ちになりました。配達が終わると、空のダンボールに入ってみたり、後ろ向きに座って後続車に手を振ったり、飽きることなく遊んでいました(昔はチャイルドシートもなかったものですから・・・)。
本も大好きでした。唯一の市立図書館が自宅から5分程度のところにあったのも幸いでした。日曜日の午後を図書館ですごし、子どもどうしで紙芝居を演じることもありました。「劇団」と称して演劇のまねごとをしたり、学校の帰りに自分で作ったお話を友達に聞かせたりと、お話大好きっ子でした。
1972年、小諸市立野岸小学校に入学。池そうじで大きな鯉を素手でつかんだり、飼育栽培係りで鳥小屋や温室の管理をしたり、落ち葉を山にして堆肥つくりをしたりと、生き物や植物に触れる機会がたくさんありました。
小学校4年生で合唱クラブに入部。朝、昼、放課後と毎日、夏休みもお盆以外は弁当持参で練習でした。その甲斐あってか、小学校5年生のとき、NHK合唱コンクールで長野県代表になり、テレビ放映のためNHK長野放送局での録画撮りも経験しました。