ともここらむ

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学校教員のアスベスト被害について質問

<中皮腫の公務災害認定はたった3件のみ>

学校でのアスベスト被害について、文教科学委員会で質問をしました(たった12分の質問時間というのが悔しい…)。
学校には、耐火・防音などのために、鉄骨や天井に吹き付けアスベストが使用されていました。
理科の実験で、アルコールランプの上に、石綿が白く塗りつけられた金網を置いたことも、多くの方が経験しているでしょう。
学校でアスベスト対策が本格的にとられたのは、2005年以降のことなのです。

2009年、大阪府立高校で化学を担当していた教員が中皮腫で亡くなりました。20年以上、理科の先生をしていた方です。
中皮腫はアスベストを吸い込んだことによって発症する、重篤な疾病。
遺族は、学校での業務がアスベスト曝露の原因として公務災害を申請しますが却下。
これを不服として審査請求をし、今年1月、やっと公務災害として認定されました。

アスベスト被害の問題にとりくむ市民のみなさんから、教員の中皮腫がほぼすべて公務災害として認定されていないとの問題提起を受けて調べてみると…。
そもそも申請もこれまでにわずか18件(中皮腫のみ)。そのすべてが却下され、審査請求によって3件のみ公務災害とされたことがわかりました。

一方で、環境省が所管する石綿救済法によって、教員が救済認定された事案は、2006~2011年度の6年間で137件(中皮腫)。
このかい離はあまりに大きい。

石綿救済法は、労災や公務災害では救済できない人が多数いることからつくられたものです。
建築現場の一人親方などは、個人事業主で労災の対象にはなりません。
泉南アスベストのように、工場などからアスベストが飛散した場合も救済できない。
家族がアスベストを扱う仕事をしていて、衣服などにアスベストが付着して家庭内で曝露したという場合もあります。
この枠組みで、教員の救済がすまされているのは大きな問題です。

公務災害を所管する総務省も、下村文科大臣も、私の問題意識に応える答弁はしませんでした。
「公務災害の認定は、適切に行われている」というスタンスです(立場上、適切ではない、とはいえないですね)。

しかし、私の問題提起を、文科大臣は真剣な面持ちで聞いていました。
2005年当時、自分も文科大臣政務官として、都内の学校のアスベスト除去工事を視察したことも答弁のなかで話していました。

アスベスト曝露が業務によるものかどうか、この証明が難しいことが、何度も問題になってきました。
建設業に従事していた場合、いつどこで働いたか、どういう作業かを、10年、20年、それ以上とさかのぼるのは非常に困難。
だから、中皮腫を発症した場合は、1年間、建設現場で働いていたことが証明できれば、業務によるものと判断しています。

教員の場合も、学校にアスベストが存在したことは推測されても、曝露の状況まで証明することは困難です。
古い校舎の修繕・改築が行われていた場合など、アスベスト対策が十分に行われず、空気中に飛散し曝露するという事件は、今も起きています。

ならば、環境省が救済した137人について、勤務校がどこで、その学校の老朽化はどうだったか、改築・修繕の時期はいつか、アスベスト対策はどうなっていたか、など検証が必要ではないのか。
これは、文科省が動かなければできないことです。

中皮腫は発症すると、本当につらい症状になることが多く、せめて治療費や生活費など早く救済することは、政治の責務です。
秘書時代、2002年から2003年にかけて、アスベスト被害について聞き取りや質問づくりにとりくみました。
石綿被害の闘病の壮絶さを知って涙を流したり、2003年当時、国に全面的な対策を求めてもほとんどゼロ回答で怒りの涙を流したりしました。

質問の最後に宣言しました。
「アスベストの問題はこれからもとりあげます」


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