<下村文科大臣の答弁を再考します>
4月8日の文教科学委員会。
教科書採択についての私の質問を録画で聞き直しました。
最後の「伊藤博文」論争での下村文科大臣の答弁、そのごまかしに、あらためて怒りがわいたのですが、私の発言も言葉が足りないところがありました。
(大臣の長い答弁で時間が足りなくなったのが原因ですが。)
質問でとりあげた『Will』2014年4月号(ワック・マガジン)の該当部分を示します。
「我が教育大改革構想」と題する、下村博文・文部科学大臣へのインタビュー記事。(聞き手は、田村重信氏(自民党政務調査会調査役)
日本、アメリカ、中国、韓国の高校生の意識調査(日本青少年研究所、2012年調査)を紹介。
「自分はダメな人間だと思うか」との質問に、「よくあてはまる」「まああてはまる」と回答した高校生が日本では84%と、他国と比べて高い結果になったことをとりあげ以下の発言が続きます。
(以下、引用)
下村 「自分なんかダメな人間だ」と自信を喪失した84%の高校生がそのまま大人になった時、日本に未来はあるのでしょうか。戦後の自虐史観教育や約15年に及ぶデフレなど経済停滞によって自信や誇りを失い、若者たちの間で、なぜこんな世の中に生まれてしまったのかと疑問を抱くような悲観論が蔓延した日本の状況を変えなければなりません。
私は若い人たちに、自分という存在が地域のため、社会のため、国のために貢献できる人間であり、自らを誇りに思ってもらえるような教育が受けられる社会にしていきたいと考えています。
田村 そのためにも日本の素晴らしさを教えるような教育が求められていると思うのですが、これまでは歴史教科書にしても歴史の「影」の部分ばかりが強調されてきました。
下村 そうですね。たとえば、私の博文という名前は亡くなった父親が伊藤博文から付けたと母親から聞いたことがあるのですが、私が中学生の頃の教科書では、伊藤博文について日本の近代化の貢献者だと大変評価された記述がなされていました。
ところが、最近の記述は安重根に射殺された人物ということになっています。自民党の教科書議員連盟が問題にしたことで、いまは「射殺」から「暗殺」という記述に変わりましたが、それでも記述の中心となるのは安重根で、韓国では記念切手になっていると写真付きで紹介されているのに、伊藤博文の写真は掲載されていません。
(引用終わり)
この発言を読んで、「高校の日本史Bの教科書で1社が、伊藤博文の写真を載せず安重根の写真を掲載している」ことを述べている、と受け取れるでしょうか。
「私が中学生の頃の教科書は…」から始まっていれば、中学の教科書全般について述べていると受け取るのが自然ではないのか。
私はそう受け取ったので、中学の社会(歴史的分野)の教科書を見て(育鵬社・自由社以外)、すべてに伊藤博文の写真が載っていること、憲法制定に尽力し、政党政治への道を拓いたことなどの記述があることを確認したのです。
高校の日本史は、地理との選択科目。日本史Bが通史、近現代史は日本史Aで、選択した生徒は両方を学ぶことになります。
日本史Aに伊藤博文の写真を掲載し、重複をさけて日本史Bには別の写真を使用するということも編集の工夫としてありうるでしょう。
伊藤博文と安重根の記述については、「新しい歴史教科書をつくる会」と同調する人たちから何度も聞く話です。
文科大臣が同じ手法で教科書全般を攻撃するのは、あまりに異様です。
日本が韓国を軍事力で脅しつけ、「条約」という形で外交権を奪い(1905年)、韓国軍を解散させ(1907年)、韓国廃滅を閣議決定して皇帝の退位を強要し(1909年)、「併合条約」によって植民地とした(1910年)、この朝鮮に対する支配の中心に伊藤博文がいた、これは歴史の事実です。
隣国との関係を学ぶことが「自虐史観」なのか。
「日本は朝鮮に学校の建設をすすめるなど、良いこともした」、「影」だけでなくこうした「光」も教えるべき――これも「自虐史観」論を展開する人たちからよく聞くことです。
そういう事実の断片を知ることにも意味はあると思います。
けれど、それはまさに「断片」であって、本質ではない。
「歴史の「光」というのならば、侵略戦争に反対する国民の運動があったということこそ、「光」だと思います」、質問の最後に述べた言葉は、ずっと思い続けてきたことです。
なぜ「この戦争は間違っている」という声が、多くの国民のなかに広がらなかったのか。
NHK朝ドラ「ごちそうさん」のいろんなシーンを思い出します。
次男を少年兵として送り出してしまった母親として、めい子は「かっちゃんを殺したんは私や」と苦悩する。
そして、徴兵からもどった長男に自責の念をこめて静かに言う。
「笑われても、怖くても、恥ずかしゅうても、言わなあかんことは、言わなあかん。おかしい思うたら、言わなあかん。えらい人はそれを言わせなあかん」
私たちは、二度と戦争をしないために歴史を学ぶのだと、声を大にして言わなければ。
教育行政を担う人たちに、子どもたちに「お国のために死ぬ」ことを教えた政治の責任を問い続けなければ。