国会会議録

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小中一貫 いじめ不登校悪化 田村氏質問 参考人が懸念表明

2015061204_04_1 「小中一貫教育」を制度化する学校教育法改定案についての参考人質疑が11日、参院文教科学委員会で開かれ、法政大学の佐貫浩教授、共栄大学の藤田英典副学長(東京大学名誉教授)、白梅学園大学の無藤隆教授の3人が意見陳述しました。

 藤田氏は、文科省が「小中一貫校」の理由としている“中1ギャップ”論を批判し、中学の不登校件数が多いなどの問題は、学力・進学競争や管理教育による面が大きいとして、「思春期への適切な対応にはおおらかな環境が望まれるが、小中一貫校になれば、いじめ・不登校への対応でむしろ事態の悪化を招く」と指摘。「余計な改革をすべきでない」と強調しました。

 佐貫氏は、先行実施された品川区の小中一貫校の実態を紹介し、(1)小中一貫校の目的は学校統廃合(2)小学校5、6年生の活躍の場(リーダーシップ)の消失(3)前倒しの詰め込みカリキュラムと行政による教育内容への「不当な支配」の危険性(4)「一貫校」であるのに多くの生徒が転出し中1で約半数が外部から入学している―と指摘。一貫校設置には教育学的根拠もなく、具体的な検証もないと述べました。

 日本共産党の田村智子議員は、中央教育審議会でも小中一貫校は小5、6年生のリーダーシップの形成に課題があるとしているが、どのような解決方向を議論したのかと質問。無藤氏は「リーダーシップは各学年に必要だ」と述べましたが、5、6年生の成長過程への議論については具体的な紹介はありませんでした。

                        2015年6月12日(金) 赤旗

【 議事録 】

 

○田村智子君 日本共産党の田村智子です。よろしくお願いいたします。

 まず、三人の参考人にお聞きをします、同じ質問で。

 やはり私も、中学でいじめ件数が一年生でぐっと増える、それから不登校の件数は中学校の三年間では増え続けているというこの統計資料を見てみると、中学校の在り方そのものに真剣にメスを入れなければならないということが問題提起されているんじゃないのかなと、子供たちからは、そういうふうに思うわけです。

 私もこの三月まで中学生の母親でもありましたので、やはり思春期の一番難しい時期に、髪を縛るときはポニーテールは駄目で、ゴムは黒か茶色でなきゃいけなくて、スカートの丈は膝下三センチでなければならなくて定規で測ると。ソックスはくるぶしが見えては駄目とか、問題のある子供は制裁的に例えば校門にもう入れないとか、こういうことを思春期の一番難しい時期にやる。あるいは、内申点のことを考えて、子供の側が言いたいことが言えなくなっていく。

 こういうことが、果たして小学校と中学校の区切りをなくすというやり方で解決がしていくんだろうかと。むしろ、中学そのものの在り方というのを根本的に問い直していくことの方が求められているんじゃないかというふうに思いますが、三人それぞれにお聞きしたいと思います。

○委員長(水落敏栄君) それでは、無藤参考人、藤田参考人、佐貫参考人の順にお述べください。

○参考人(無藤隆君) 中学校の在り方を大きく変える必要があるということは私も賛成です。ただ、根本的に駄目だということではないので、国際的に見ると、私は、日本の小学校は非常に高く評価されておりますが、中学校もほぼそれに準じて高く評価されていると思います。

 そうはいっても、中学校の現場において、思春期又はそれを過ぎる、様々な問題行動が出てくる時期でもあるので、時に生徒指導上の厳しい面が表立ち過ぎているということと、それからもう一つ、子供たちの学習ということでいうと、より年齢が上がるからこそ、より主体的で、最近の言い方で言えばアクティブな学びを求められると思うのですが、実際には、小学校に対して中学校ではアクティブな学び方が減っていく傾向があります、これは学校差が大きいですけれど。そういう意味での中学校の在り方の改善というものが必要だと思います。

 では、義務教育学校がそれに有益か有益でないかということでありますが、やはりそれは使い方ということになるんですけれど、私としては、義務教育学校というものを今回御議論いただいているということとともに、中央教育審議会では、二年後を目指して学習指導要領の改訂の議論を始めているところであります。御存じのように、アクティブラーニングというものを中心に、より主体的な学びにシフトしたいということであります。

 そういう意味では、御指摘の中学校の在り方についてどうやって改善していくか、教師の多忙感、その中心の一つは部活動の問題でもありますので、そういうことも含めて中学校について考えていく必要があります。その際に、私は、小学校高学年と中学一年のつながりの中で、先ほども申し上げた緩やかなシステムの転換というものを図るというのは、幾つかの手だての一つとして有効であり得ると考えております。

 以上です。

○参考人(藤田英典君) この問題は本当に難しくて、明確なことは言えないんです、明確というか具体的なことは余り言えないんですが。

 システムを変えるというのは、中学校の場合に、高校入試ということが、これを取り払うということができればいろんな方法はありますけれども、そういう中で変えるというのは非常に難しいですね。

 そうすると、次に、先ほど例も挙げられました様々な規則と規律で縛るという、これは体罰の問題もそうですけれども、やはり教師の意識を変えていく必要が非常に大きいと思いますね。それからもう一つは、実は、そうは言っても、例えばいじめもそうですし暴力行為もそうですけれども、起こっている地域や学校とそうでないところというのはかなり違いがありますから、割とそういう危険性を抱えているといいますかリスクを抱えている地域には、やはり教員を加配するとかいうことをして学校のカルチャーを豊かなものにしていくと。

 その際に注意する必要があるのは、今日私飛ばした最後のところですけれども、ボトムクオーターもハッピーであり得る学校づくりという言い方をしているんですが、学校の中で、学力とか試験に合格するとか、そういう物差ししかなければ、ボトムクオーターがハッピーであり得るということは絶対にあり得ないですよね。そして、大体小学校高学年辺りから、学力面でボトムクオーターというのはずっとボトムクオーターを歩かされるわけですよ。そうすると、そういう状況をずっと続けて中学、高校と行って、ただ、高校へ行くと今度は多様性がありますからちょっと収まるんですが、やっぱり中学がそれが続くと、やはりボトムクオーターは自分の誇りとかあるいは自分の生きがいとか自己肯定感を持ちにくいですよね。それに加えていろんなプレッシャーが掛かるから、いろいろな問題が頻発するというふうに言えると思いますから。

 そういう意味で、うまくいっている学校は、先ほど言ったように、非常に学校の中での交流とか、友達同士のそれが盛んだということと、教師が一人一人の子供をよく見ている、そして認める、いろんな課題を、問題を抱えていることも含めて認めて、一緒になって何とかしようというふうに取り組んでいる学校はうまくいっている。昔はそういう教師が非常に多かった、中学校段階で。それがやはり多忙化の中で、いろいろ教師のやらなきゃいけない仕事が増える中で困難になっていると思いますから、具体的にはやはり加配を困難校といいますかリスクの高い学校にはするというのが一番有効な手だてではないかなと思います。

 あとは、やっぱり先ほど言った豊かな学校づくりですね。ボトムクオーターもハッピーであり得るということは全ての子供がハッピーになり得ることですから、そのためにも多様な物差しと、そして、それぞれの物差しで頑張ったら、それは一つ一つが認め称賛に値するという点で等しい価値があると、これは私、名誉の等価性と言っていますけれども、そのカルチャーがなければやはり子供たちが自己肯定感を持てないですよね。ですから、そういう点が重要だと思います。

○参考人(佐貫浩君) 実は、小中一貫教育の目標として学力を上げるということが基本的に書かれています。ところが、品川でどうなっているかというと、教科担任制、期末テスト、早習カリキュラム、こういうものを小学校の六年生、五年生に下ろすというのが小中一貫カリキュラムの基本になっています。そうしますと、中学的な矛盾が実は小学校六年生、五年生に下りると。私は、これを皮肉って小五プロブレムが起こるというふうに言っているんですが、そういう形では問題は解決できないだろうと。したがって、小中一貫という形でこの学力問題を解決する特別な手だてがあるとか、それから中学校的な困難を克服する方法があるとかいうふうに言うのは、私は根拠がないというふうに思っております。

 もう一つは、これを解決していく根本的な問題は、丁寧に子供たちに働きかける教師の条件や力量が確保されるということです。先ほども言いましたが、教師の余りの多忙性があり、そして今、学力テストで点数を上げないとその学校は駄目だという形で、指標が結局学力だけになってきます。しかし、思春期を本当の意味で乗り越えるためには、人間関係だとか自分自身が主体として新しい世界をつくっていく、そういう自信だとか、こういうものがあって初めて自分で勉強しようとか、ほかの友達とも一緒にやっていこうとか、こういう人間的意欲が形成されるわけですから、そういう意欲を形成することで思春期を乗り切り、本当の意味で新しい学習に対する意欲を形成していく、この総合的な教育のありようを、今、根本的に考えていくことが必要だというふうに思います。

○田村智子君 無藤参考人に中教審での議論のことでちょっとお聞きをしたいんですけれども、今回の義務教育学校をつくるという、小中一貫校をつくっていくということで、これまでも挙げられてきた五、六年生のリーダーシップをどうするのかということが課題として挙げられているというふうに思うんですね。

 私は、やっぱり一年間、二年間掛けて学校生活の様々な係をやったり、クラブ活動で、五年生から始めて五、六年で吹奏楽頑張るとか。あるいは行事も、年間通じての行事ですね、運動会や音楽会や、一か月に一回ぐらいでしょうか、全校集会で司会やるとか。こういう中で、一年、二年掛けてやっぱりリーダーシップ性、あるいはその達成感というのが育まれていくというふうに思うんですね。これが緩やかにしちゃってその区切りがなくなったときに、課題があると認めて、では、どうやって五、六年で普通の小学校生活の中では培われるリーダーシップ、達成感、これを育むことができるというふうな議論になったのか、具体的にお願いしたいと思います。

○参考人(無藤隆君) 私などが緩やかにと申し上げているのは、学習指導の在り方とかクラスの組み方とか、例えば学級担任と教科担任の組合せであるとか生徒指導の在り方、さっきの細かい規則のような話なんですけれど、それを緩やかに徐々に移行するという意味で使っております。

 それに対して、リーダーシップの問題は、先ほどどなたかのところでもお話ししましたけれど、あらゆる学年でリーダーシップ養成は不可欠です。

 例えば小学校一年生にリーダーシップ養成が必要だし、中学一年生でも同様です。五、六年生でリーダーシップを持たせる機会を十分与えなきゃいけないというのは賛成ですけれど、では、中学一年生は三年生のリーダーシップの下に従うだけでいいのか。それは全く間違っていると思います。そうではないんです。小学校五年生、六年生、中一、中二、中三、それぞれの学校でリーダーシップを持ち、同時に、先輩への憧れ、それに従う機会、その組合せが必要だと。それをやるのが義務教育学校だと思います。

○田村智子君 今の御意見でお二人の参考人に、藤田参考人、佐貫参考人にも御意見をお聞きしたいと思います。

○参考人(藤田英典君) 私は、やはり節目というのは非常に人生において重要で、小学校段階は、学校の段階の区切りがやはりその大きな節目になっていると思います。

 ですから、子供たちは、その節目節目において、その一点においてではなくて、先ほどから出ているように、小学校ですと五年生、六年生のときにそういう節目に当たり、いろいろ学んで自分で自覚し成長していくと。それから、中学がその点で一番難しいんですね。高校になりますと、例えば部活動で一生懸命やっている人も、二年生までは部活をやる、あるいは三年の前期までやるけど、その後は入試の試験の準備だとか、あるいは最近は推薦入試が非常に多くなっていますから、そういうところをクリアしている人はずっとやるとか。

 ですから、中学だけがそれがやっぱり難しいんですね。節目は高校入試という、しかも九八%以上が高校入試には巻き込まれているわけですから。だから、ここの部分の入試の在り方を本当はもっときちっと変えることができれば一番いいんです。これをやるには、やはり地域の人たちと一生懸命検討するのが一番いい。

 この点で注意する必要があるのは、高校入試は決して全国の競争じゃないんです。都道府県内の競争なんです。だから、都道府県で了解すれば、改革が可能なんですね。ですから、その点を踏まえて高校入試の在り方を少し変えることができれば、随分中学の生活は良くなると思いますね。

○参考人(佐貫浩君) 無藤参考人のおっしゃったように、あらゆる学年でリーダーシップを形成することが必要だと、これは当然のことです。ただし、注意すべきは、実は学校制度は、その制度そのものによってある課題を提起する、そういうシステムとして存在しているということは重要なことです。

 小中一貫校の多くの場合、四三二という形が考えられています。しかし、四年生までのリーダーシップというものは、果たして学校そのものを動かしていくような形に展開し得るかというと、これはもう学校の先生の感覚からして、それは難しいというふうになるんじゃないかと思うんです。

 そういう意味では、五、六年生が初めて学校を動かすというふうなリーダーシップを、その制度によって課題として提起されるわけですね。

 ところが、小中一貫教育で、多くの場合は五、六、七と、これが一つのグループになるわけです。そうすると、五、六年生が初めて自分たちで世界をつくる、自由に挑戦するということが、中学一年生が上に来ちゃうとできなくなるわけです。しかも、五、六、七は、実は義務学校では九年生、八年生が全体としてはリーダーシップを取っているわけですから、そもそも制度的に見て五、六、七のリーダーシップが希薄化するわけです。

 こういうところに、制度としてリーダーシップ、思春期に生きるための自律的な課題を言わば峠として設定するということがなくなるということが最大の問題だと思います。

○田村智子君 ありがとうございました。


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