高校2年の修学旅行で広島に行きました。長野県から広島というのは、大変な旅です。前年までは奈良・京都でしたが、どうしても広島を加えたいと先生方が努力をされたようです。
米ソの核開発が急速にすすみ、「核戦争3分前」といわれていたときでした。NHKでは「核戦争後の地球」が放映され、核シェルターが開発されるなど、現実に核戦争が起きうるという、漠然とした恐怖が私の心にも沈殿していました。
事前の学習も繰り返され、被爆の実態を学んだ上での修学旅行でした。なにより衝撃を受けたのは、原爆資料館の見学でした。被爆した人が身につけ ていたもんぺ・防空頭巾、沸騰したブツブツがはっきりみえる瓦、そしてなによりショックを受けたのは、瓦礫と人骨が溶け合いひとつの塊となった展示物でし た。人が人として死ぬことさえ許さなかった、骨をとりだして埋葬することさえできないムムここに人がいたのだと思うといたたまれず黙祷したまま動けなくな りました。
出口に置かれた人影が焼き付けられた石段、そのそばに来館者が自由記入するノートがありました。ページをめくると、ラテン語が目に飛び込んでき ました。レクイエム(鎮魂歌)の一説です。とたんに部活で練習していたフォーレのレクイエムのメロディーが頭の中で響き、涙が噴出すように流れました。外 の階段を下りるときにも涙はとまりませんでした。
このとき、私は打ちのめされていました。こんな悲惨な事実がありながら、なぜ核兵器はなくならないのか、なぜまた核戦争を起こそうとしているの か、人間はどうしてこんなに非力なのか。これは、大学で民青同盟と日本共産党に出会うまで、秘められた大きな絶望となって刻まれていたのです。
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