国会会議録

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民間に空襲補償早く 議員立法へ協力を 田村智子氏求める

日本共産党の田村智子議員は5日の参院厚生労働委員会で、国内の空襲被害に関して、民間の戦争被害者が現行の援護法では給付金等の補償対象とならない問題を追及し、一刻も早い救済のための議員立法に向けて政府に協力を要請しました。

 現行の戦傷病者特別援護法と戦傷病者戦没者遺族等援護法では、国との雇用関係がなく犠牲となった民間人は、援護対象から外れている状況です。

 田村氏は、沖縄戦の犠牲者たちが声をあげて援護法が改正され民間人へ援護対象が広がった事例や、米軍の魚雷攻撃を受けた疎開船「対馬丸」の学童被害者は、政治決断で法律をつくらずに毎年の予算措置で遺族給付金の支払いが行われた経緯を紹介。「しかし、国内の空襲被害者については戦争被害としての民間援護はずっと対象外とされたままだ」と指摘し、民間人に対する空襲被害補償を政治責任で行う必要性を強調しました。

 その上で田村氏は、名古屋空襲で顔の一部を熱風ではぎとられ左目を失ったにもかかわらず、福祉手帳の交付も障害福祉年金の対象も受けられなかった事例や、空襲で手足を失った民間人の障害年金額が基礎年金と同額である上に、特別な医療手当の対象ではない問題点などを示し、「私たちを見捨てるのか」との高齢化する民間被害者の声をつきつけました。

 塩崎恭久厚労相は「つらい思いをされている方々が多いというのは私もよく理解している。立法府で議論をした上で国民的に考えてもらいたい」と答弁しました。

 2016年4月6日 しんぶん赤旗

 

【速記録 4月6日 厚生労働委員会】

○田村智子君 日本共産党の田村智子です。

 戦傷病者等の妻への特別給付金の支給については、先ほど公明党の佐々木議員からの指摘もありましたが、やはり対象となる方々が大変高齢であられることから丁寧な周知を改めて私もお願いしたいと思います。

 過去には申請主義ということが厳格に取られて手続ができないままに時効失権となる事例が生じ、私も厚生労働委員会でそうした問題をただしてまいりました。現在、先ほどのゼロ件というふうにも報告もありましたけれど、やはり、恩給を担当する総務省との連携も図られて、お一人お一人を直接につかむというような対策も取られたことでこうした問題が起こらないように進んでいるかと思いますが、更に高齢になっていて、様々な郵便物に対応することが困難な方ということもあり得るかと思います。是非、一人の漏れなく手続が取られるよう丁寧な対応を改めてお願いしたいと思います。

 一言お願いいたします。

○政府参考人(堀江裕君) 戦傷病者等の妻に対する特別給付金はほとんどが継続の受給者であり、また、新規対象者につきましても、戦傷病者等である夫が恩給法の増加恩給、戦傷病者戦没者遺族援護法の障害年金等を受けていることから、受給対象者はおおむね把握してございます。

 今回の法律が成立し施行され次第、地方公共団体における確認を経まして、五月中にも個別案内を行っていく。また、その際には、請求者の負担軽減を図るということで、請求書類の記載事項のうち国で確認できる事項につきましてはあらかじめ印字した請求書類を同封するというようにしてまいりたいと思っております。

○田村智子君 今日は、こうした戦後の様々な戦争被害に対する援護の対象となり得ていない空襲被害の方々のことについて質問いたします。

 昨年八月、戦後七十年という節目に、与野党超党派議員が空襲被害者等の補償問題について立法措置による解決を考える議員連盟を発足させました。私も立ち上がりからのメンバーの一人です。

 民間の戦争被害者は国との雇用関係がないので現行の援護法の対象とならない、これでよいのかと空襲被害者の皆さんは、長年、国会議員への要請を行い、裁判にも訴えて、声を上げ続けておられます。運動の先頭に立ち続けた杉山千佐子さんは百歳を超えられました。議員立法で一日も早く道を開きたいと私も焦燥感を抑えることができません。そこで、その議員立法を進めることを後押ししていただきたいという思いで質問いたします。

 まず確認をしたいのは、戦傷病者及び戦没者遺族への援護は、軍人あるいは軍や国によって徴用された方だけではありません。国との雇用関係がない場合にも準軍属として援護の対象となっています。それはどのような方々で、そのうち戦傷病者は現在何名いらっしゃるか、お答えください。

○政府参考人(堀江裕君) 国が所管します戦傷病者戦没者遺族等援護法につきましては、国と雇用関係にあった軍人軍属や雇用類似の関係にあった準軍属が公務等による傷病により障害の状態になった、又は死亡した場合に、国が国家補償の精神に基づき使用者の立場から補償を行うものでございまして、国と雇用関係にあった軍人軍属以外の方につきましても雇用類似の関係があった準軍属としての援護法としての対象としてございます。

 準軍属として援護法に基づく障害年金の支給対象となっている方のうち内地勤務の陸海軍部内の有給軍属を除きました平成二十七年三月末現在の身分別の支給者数でございますけれども、国家総動員法の関係者五百八十二人、戦闘参加者三百五十六人、国民義勇隊員二十四人、満州開拓青年義勇隊員、義勇隊開拓団員二十六人、特別帰還者七人、防空従事者十一人、以上、合わせて千六件というふうになってございます。

○田村智子君 この戦闘参加者三百五十六人というのは、沖縄などで自分たちが地下ごうに、ガマに入って避難していたと、そこに軍がやってきて、君たちは出ていってくれと、ここは軍が使うからといって出ていったとか、あるいは軍に言われておにぎりを差し出したとか、こういう、別に戦った方ではないんですよね。本当に民間で戦火から逃れて、だけど軍から何らかの命令あるいは依頼があってそれに応じたという線引きを行って、これは沖縄戦の犠牲者の方々が声を上げて援護法を改正させたことによって準軍属として援護の対象としたという経緯があります。

 もう一点確認したいんです。このほか、沖縄への米軍上陸が必至となる下で、対馬丸で集団学童疎開をした学童についても犠牲者遺族への給付金がありますが、これが給付された経緯などを内閣府に説明をお願いいたします。

○政府参考人(藤本一郎君) 対馬丸遭難学童遺族特別支出金についてお答えいたします。

 御承知のとおり、昭和十九年八月二十二日に沖縄から九州方面への疎開学童等を乗せた航行中の疎開船対馬丸が沖縄県の悪石島沖で米軍潜水艦の攻撃を受けまして沈没し、学童七百八名を含む計一千四百八十四名が亡くなられました。この対馬丸事件に関しましては、沖縄戦が目前に迫った時期に政府の軍事政策に協力するという形で対馬丸による学童疎開が行われ、その途中で遭難したという特別の事情があり、この事情を考慮して、このような特別な状況下で死亡した対馬丸遭難学童の遺族に対し国として弔慰を表す措置として、昭和五十二年度から対馬丸遭難学童遺族特別支出金を毎年支給しております。

 その支給額につきましては、平成四年十月以降は、戦傷病者戦没者遺族等援護法の遺族給付金の十分の七に相当する額を支給してございます。平成二十八年度の予算額につきましては、計約二百七十五万円となっておりまして、一人当たりで見ますと、支給額は年額約百三十八万円となっております。

 冒頭、ちょっと私、対馬丸の経緯、事件について御説明したときに沖縄県悪石島と申し上げましたけれども、鹿児島県の悪石島沖の間違いでした。失礼いたしました。

○田村智子君 この対馬丸の学童犠牲者については、言わば政治決断で法律を作らずに毎年の予算措置によって遺族給付金の支払というのが現在も行われているということなんです。シベリア抑留者、原爆被害者、中国残留邦人など、民間の方を対象とした何らかの援護法も、これは被害者の皆さんの運動によって実現をしてきました。しかし、国内の空襲被害については民間人の援護はずっと対象外とされたままです。

 私も、議員連盟の学習会や全国空襲被害者連絡協議会の集会などで被害者の方々から直接お話をお聞きして、このままにするわけにはいかないという思いでいっぱいなんですけれども、例えば先ほど、百歳を迎えられたという杉山千佐子さん、名古屋空襲で二十九歳で顔の一部を熱風で剥ぎ取られ、左目を失ったと。顔面やけど及び片目失明では福祉手帳の交付もなく、障害福祉年金の対象にもならなかったと、こうお話をされておられます。

 空襲で手や足を失った方々は現在は障害年金の対象ではありますが、その額は基礎年金と同じで、特別な医療手当の対象でもありません。これは様々な援護法の対象と比べて、社会保障という観点から見ても余りに低い水準ではないかと思いますが、いかがでしょうか。

○政府参考人(堀江裕君) 内地で空襲により障害を負われた民間人の方につきましては、戦傷病者特別援護法の対象とはなってございません。

 戦傷病者特別援護法は、戦傷病者戦没者遺族等援護法と同様に、国と雇用関係にあった軍人軍属、雇用類似の関係にあった準軍属が公務等による傷病により障害の状態になった又は死亡した場合に国が国家補償の精神に基づき使用者の立場から補償を行うものでございまして、今御紹介がありました戦傷病者特別援護法の給付内容としては、療養給付、補装具の支給、修理等は行っておりますけれども、雇用関係又は雇用類似の関係になかった、内地においての空襲により障害を負われた民間人についてはその対象にはなってございません。

○田村智子君 鹿児島県で六歳のときに空襲に遭って左足の膝から下がちぎれてしまった安野輝子さん、赤チン塗っただけの治療で、その後もむき出しの骨を皮膚や肉が覆うのを待つだけだった。小学校には母親に背負われて登校したが、雨が降れば休み、いじめられては休み、勉強にも付いていかれず、閉じこもる日々となった。中学校は家から遠くて、松葉づえで通うことはできなかった。なぜ自分は助かったのか、死んでしまった方がよかったと、何度も何度も同じ思いにとらわれてきた。けがの治療も十分に受けていなかったので、義足と擦れる部分が痛くて痛くて、歩くこともできなくなってきていると。

 また、東京大空襲で片腕を失った方、残った手の指もケロイドで関節が曲がってしまっています。この腕では普通の仕事に就くことはできず、どうにか雇ってもらってもばかにされ、職を転々としながら生きてきた。厚生年金を掛けるような働き方はとてもできなかった。

 空襲の被害というのは、そのときだけではありません。特に空襲によって手や足を失った、ひどいケロイドで顔面や関節がゆがんでしまった、こういう方々は、その後も学ぶ機会を奪われ続け、働くことに大きな制限を受け、それが一生涯の不利益にならざるを得なかったということなんですね。

 塩崎大臣も、こうした被害者の方々からお話聞く機会あったと思います。今もう八十歳とか百歳とか、それでもなお私たちを見捨てるのですかと声を上げておられます。感想を一言お願いできますか。

○国務大臣(塩崎恭久君) 戦傷病者戦没者遺族等の援護法につきましては、先ほど定義を申し上げたとおりで、雇用類似の準軍属までは対象にしているわけではございますけれども、今御質問の一般の戦災者、いろんな御経験をされてつらい思いをされている方々が多いということは私もよく分かっているわけでございますが、その方々に対する補償ということにつきましては、今申し上げたように、特段の法的な定めは今はないということで今日まで来ているわけでございます。

 今、超党派で議員連盟で先ほど冒頭に先生からお話がありました活動が熱心に行われているというふうに理解をしているわけでありまして、立法府において御議論をいただいた上でこれは国民的に考えていければというふうに考えているわけでございます。

○田村智子君 私、一昨年も決算委員会で、防空法ということに着目して空襲被害者の戦後補償をということを求める質問をしたんですね。このとき一番困ったのは、担当する省がないということだったんです。だけど、私は本当に、例えば中国残留邦人の問題、やっぱり厚労省の援護局がやっていると。あるいは、空襲で手や足を失った、障害を負っていると、こういう方々は本当にこのままでいいのか、これはやっぱり私は厚生労働省が一定の役割を果たせるんじゃないだろうかというふうにも思っています。

 先ほど準軍属のところで、防空従事者、この方々が援護の対象になっている。だけど、この方々は別に消防隊員とかじゃないと思うんですよ。消防隊員は公務員ですから恩給の対象だと思います。見張りをしていたとか半鐘を鳴らしたとか、こういう方なんです。でも、防空ごうというのは国民みんなに防空の義務を負わせていたわけで、成人男女は事前避難をすることも法律によって禁じられ、逃げるな、火を消せと徹底した防空訓練や消火訓練が行われていた、このことが逃げ遅れから多大な犠牲をつくってしまったということもまた大阪などの裁判では問われてきたわけですね。

 また、戦争孤児の皆さん、この方々も、家族も家も財産も全て失った。しかし、その後、政府は何らの支援策も行わなかった。野良犬扱いし、親族に引き取られた方も……

○委員長(三原じゅん子君) 申合せの時間が来ております。おまとめください。

○田村智子君 はい。泥棒猫と言われ続けてきたと。

 こういうことをやっぱり政治の責任で決着付けるため、是非とも政府の側も御支援をいただきたいということを申し上げまして、質問を終わります。


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