<「逃げるな、火を消せ」と強要した政治の責任>
「終戦の日」、新宿駅東口での日本共産党街頭演説で汗をしたたらせながら話し、午後は錦糸町駅へ移動して、全国空襲被害者連絡協議会の結成4周年の集いであいさつ。
今年の「終戦の日」にどうしても話したかったのは、防空法のことです。帝都東京をはじめ、都市を防衛するため、「逃げるな、火を消せ」と国民に義務付けた法律。
通常国会の決算委員会で、空襲被害者は「お気の毒」ですまされない、犠牲者を増大させた政治の責任があると問題提起したのですが、総理の暴走をみるにつけ、一度の質問で終わらせるわけにはいかないと思えてくるのです。
私が防空法に興味を持ったのは、今年3月まで放映されたNHK連続テレビ小説「ごちそうさん」を見てからです。
バケツリレーなど消火訓練の担当者となった悠太郎は、防空法を研究し、焼夷弾の威力を化学好きの娘に確かめる。訓練当日、悠太郎は、消火などできない、空襲が始まったらただちに逃げろと叫び、逮捕拘留される。
大阪空襲の夜、建築の専門家である悠太郎から地下鉄が一番安全だと聞いていためい子は、家族を連れて地下鉄の駅へ。ところが入口はシャッターが閉まっている。「あけろ、あけろ!」と叫ぶめい子に、駆けつけた職員は、防空法で決められている、シャッターを開けることはできないと言う。
切羽詰まった状況に、職員はシャッターをあけ、さらには地下鉄を走らせて避難を助ける――この大阪の地下鉄のエピソードは事実であると、何人もの証言があります。しかし記録にはいっさい残っていません。防空法違反になるからでしょう。
防空法とは、帝都防衛を目的とした法律です。
空襲など戦争の被害を恐れて、帝都から転居することを禁じました。のちに消火活動の足手まといになる子ども、高齢者については転居を認め、学童疎開が行われました。
空襲のターゲットにならないように、灯火管制を決めたのも防空法です。ドラマや映画で、明かりを黒い布で覆い部屋をできるだけ暗くしているシーンをよく見ますが、これは法律によって義務づけられたことだったのです。
(終戦によって照明の覆いが外された時、安堵感と希望がふくらんだと、戦争中子どもだった方々の話の中でよく語られています。)
空襲への備えとして防空壕を準備し、常日頃の消火訓練を行う、これも防空法で定められたこと。
空襲を恐れる気持ちは、本土決戦の妨げになるとの考えから、徹底して「火を消せ」と求めたのです。
当時の政府や軍は、焼夷弾の火をバケツリレーで消すことができると考えていたのか。それほど愚かだったのか。上層部は、空襲の何たるかを十分知っていました。地下鉄が安全であることも、帝国議会の中で議論されています。
にもかかわらず「逃げるな、火を消せ」と国民に徹底した。
空襲があるとの情報で逃げ出すものは村八分にして、配給を止めると宣告したところもあります。
戦争の末期になると、各地の空襲被害がうすうす国民の知るところとなります。それでも「焼夷弾は手袋をはめてつかんで投げ出せばよい」という宣伝まで行って、逃げるなと求めたのです(昭和19年12月1日付「朝日新聞」小幡防空総本部指導課長の談話)。
子どもは疎開した、空襲警報ですぐに避難した、しかし大人は消火活動に向かった、このことがたくさんの戦争孤児をつくりだした要因の一つです。
保護者を失い、親せきの家を転々としながら厄介者扱いされ、学校にも行かせてもらえなかった。誰も引き取り手がないまま、浮浪児となって収容された。盗みなど犯罪をしなければ餓死するしかなかった。
戦争孤児となった子どもたちは、戦後も国から生活保障されることはありませんでした。
天皇赤子と言うならば、親であるはずの天皇は、なぜ孤児たちを子どもとして大切にしなかったのか。
住宅密集地を狙った空襲は、民間人を狙い撃ちにしたもので、国際法違反の攻撃です。アメリカの責任は強く問われなければなりません。
同時に、被害を大きくした日本政府と軍の指導者にも、大きな責任があるはずです。
無謀な戦争に突き進み、アジアの人民の命を奪い、戦地へ食料もないままに国民を送り出し犠牲にした。国内では、法律によって戦火から逃げることすら許さなかった。
こうした政治の責任に、今こそ光を当てるべきだと思うのです。
安倍総理は、戦争をすすめた政治家や軍の司令部も、国難に立ち向かった偉大な先人だと思っているでしょう。その命令のもとで戦った日本軍も、国のために力を尽くした英雄だと。
だから、日本軍「慰安婦」や南京虐殺など、残虐行為を認めたくない。崇高な使命を果たすべく奮闘した先人を穢す事実を認めない。
せめて、戦争だったからどの国でも、残酷なことはアクシデントとして起こり得たぐらいにとどめたいのでしょう。
とんでもない!
エネルギーの確保のための戦争と言いながら、国内のあらゆるエネルギー、鍋釜、食糧を戦争のために食い尽くしたのが、当時の日本政府ではなかったのか。
その戦争に突き進むことで利益を得るごく一部の人たちが、アジアの人民の命も、日本人の命も犠牲になって当然とばかりに、戦争に突き進んだのではなかったか。
戦争に異議を唱える国民を、治安維持法によってしめあげ、小林多喜二のようになりたいかと脅迫し、愚かな選択に国民を従わせたのではなかったのか。
その政治の責任をあいまいにすることは絶対に許されません。
戦争に突き進んだ政治への無反省は、新たな戦争への火種となる。
それら全てとの対決を決意する一日となりました。