日本共産党 田村智子
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【14.05.27】文教科学委員会 教育委員会改悪法案 教育への政治介入について

○田村智子君 日本共産党の田村智子です。
 この法案は、首長の判断で大綱に教育内容に関することも書き込める、教育委員会のトップとなる教育長も首長が任命するなど、教育への政治介入の懸念が払拭されません。
 政府は、教育行政への首長の意向の反映を民意の反映と説明をしますが、それは多様な民意の反映を保障するものではありません。むしろ、住民代表である教育委員会の権限を弱めることなどから、首長による政治介入、国による教育統制に道を開くことになるのではありませんか。大臣、お願いします。

○国務大臣(下村博文君) 全くそういうことではありません。

○田村智子君 そう簡単にお答えになったんですけれど、それでは少し具体的に、現実に私が述べたような懸念を広げる事態がこの法案審議のさなかに起きているということを指摘したいと思います。
 文部科学省作成の道徳教材「私たちの道徳」、これをめぐる問題についてお聞きをいたします。
 この教材は、心のノートを抜本的に改訂をしたもので、今年度から無料で全国の学校に配付されています。文科省が教材である「私たちの道徳」を作り、学校に配付する、その法的な根拠は何か、簡潔にお示しください。

○政府参考人(前川喜平君) 地方教育行政の組織及び運営に関する法律第四十八条におきまして、文部科学大臣は地方公共団体に対し、教育に関する事務の適正な処理を図るため、必要な指導、助言、援助を行うことができるとされております。「私たちの道徳」の作成、配付については、この法律に基づく各地方公共団体への指導、助言、援助の一環として行っているものでございます。

○田村智子君 私も説明を受けまして、法的には都道府県や市町村に対する指導、助言、援助であると。ほかにも例示として幾つか示されていまして、手引書を作成し利用に供することと、教育及び教育行政に関する資料又は手引書を作成しと、これにも基づいているんだという説明も受けたんです。それが、全国の小中学校に総数で約一千七十七万冊、全児童生徒数は約一千万人強ですから、まさに全児童生徒数に匹敵する冊数が配られているということになります。
 では、その資料を教員は教材として使わなければならないという法的な義務があるのかどうか、お答えください。

○政府参考人(前川喜平君) 「私たちの道徳」は教科書ではなく、道徳教育の充実を図るための教材でございます。したがって、法令上、教科書のように学校に使用義務が課されているものではございません。

○田村智子君 文科省が使用を義務付けることはできないということになります。
 もう一点確認をします。週一回程度の授業の教材などは通常学校に置いていて、必要なときに持ち帰らせるということはよくあることだと思います。同じように、「私たちの道徳」を教室に置くのか、家に持って帰らせるのかなどの使い方についても、こうしなければならないという義務は教員や学校にはないというふうに考えますが、局長、いかがですか。

○政府参考人(前川喜平君) 文部科学省として、各学校に対し「私たちの道徳」の使用方法について具体的に義務付けを行っているという事実はございません。
 一方で、「私たちの道徳」につきましては、学校の教育活動全体はもちろん、家庭や地域でも活用されるようにとの趣旨で作成、配付をしたものでございまして、文部科学省としては、この趣旨を踏まえて、「私たちの道徳」が効果的に使われることを期待しております。

○田村智子君 文科省としての趣旨はあり、期待はしたとしても、法的に使用方法について文科省が義務付けることはできないということも確認をしました。使用義務はないし、使用する場合も持ち帰らせるなどの使用方法についての義務はないと。これは、教員の裁量、教育の自主性に関わる教育行政の基本的なルールです。基本のルールです。
 一九七六年の最高裁学力テスト判決でも、憲法解釈として、大学教員だけでなく、小中高校の教員についても、一定の範囲としながら、教授の自由というのを認めています。教育の本質的要請から教員の教授の自由について述べているこの判決文の該当部分、局長、読み上げていただきたいと思います。

○政府参考人(前川喜平君) 学問の自由を保障した憲法二三条により、学校において現実に子どもの教育の任にあたる教師は、教授の自由を有し、公権力による支配、介入を受けないで自由に子どもの教育内容を決定することができるとする見解も、採用することができない。確かに、憲法の保障する学問の自由は、単に学問研究の自由ばかりでなく、その結果を教授する自由をも含むと解されるし、更にまた、専ら自由な学問的探求と勉学を旨とする大学教育に比してむしろ知識の伝達と能力の開発を主とする普通教育の場においても、例えば教師が公権力によつて特定の意見のみを教授することを強制されないという意味において、また、子どもの教育が教師と子どもとの間の直接の人格的接触を通じ、その個性に応じて行われなければならないという本質的要請に照らし、教授の具体的内容及び方法につきある程度自由な裁量が認められなければならないという意味においては、一定の範囲における教授の自由が保障されるべきことを肯定できないではない。しかし、大学教育の場合には、学生が一応教授内容を批判する能力を備えていると考えられるのに対し、普通教育においては、児童生徒にこのような能力がなく、教師が児童生徒に対して強い影響力、支配力を有することを考え、また、普通教育においては、子どもの側に学校や教師を選択する余地が乏しく、教育の機会均等をはかる上からも全国的に一定の水準を確保すべき強い要請があること等に思いをいたすときは、普通教育における教師に完全な教授の自由を認めることは、とうてい許されないところといわなければならない。もとより、教師間における討議や親を含む第三者からの批判によつて、教授の自由にもおのずから抑制が加わることは確かであり、これに期待すべきところも少なくないけれども、それによつて右の自由の濫用等による弊害が効果的に防止されるという保障はなく、憲法が専ら右のような社会的自律作用による抑制のみに期待していると解すべき合理的根拠は、全く存しないのである。
と。

○田村智子君 大変長く読んでいただいたんですけど、要約しますと、これは完全な自由を認めているということではない。それは当然です、私たちもそう思います。大学の教授のように自分の研究でどんどん教えていいということではない、年齢や発達にふさわしい教育内容などを国が法律などで示す、しかし、その範囲の中で具体的な内容や方法についての裁量を認めるという中身になっているわけです。「一定の範囲における教授の自由が保障されるべきことを肯定できないではない。」、肯定できるという意味です。
 国が作成した資料を教材として使用するかどうか、家に持ち帰らせるかどうかはまさに教員の裁量に属することであって、国は強制をできません。これは憲法上の原則です。ここから大臣にお聞きをしたいんですね。ところが、驚いたことに、この「私たちの道徳」は教材として使用し、家にも持ち帰るようにするのが義務と言わんばかりの動きが起きています。
 下村大臣が御自身のフェイスブックに、五月十二日、次のように書き込ました。調査のお願い、四月より小中学校において道徳の時間、新しい教材として「私たちの道徳」というこれまでにない充実したものを作成し、配付しています。ところが、児童生徒に、他の教科書のように家に持ち帰らせず学校に置きっ放しにさせている学校があることが判明しました。是非、保護者にも読んでいただきたいと考えています。子供たちがきちんと家に持ち帰っているか調べていただきたいとお願いします。そうでないところは文科省として指導したいと思います。
 これは、文部科学大臣の職務として調査のお願いをされているんでしょうか。誰に対して調べていただきたいと依頼をしたのですか。

○国務大臣(下村博文君) 私は当然のことだというふうに思っています。
 四月以降、幾つかの学校現場を訪問した際に、「私たちの道徳」のことを知らない児童生徒がいたり、学校に、持ち帰らせないよう指導している学校があったりするなど、必ずしも適切に配付されていない状況が見受けられました。適切でない状況というのは、つまり、先ほど田村委員がおっしゃっていましたが、国が都道府県と教育委員会に対して、今回、「私たちの道徳」というのを教材として作りましたと、どれぐらい必要ですかということを事前に教育委員会に対して問い合わせたところ、御指摘のような数になったわけでございます。
 ですから、それを事実上全ての生徒に配付する、教育委員からのそういう要望があったわけですから、それに合わせて作成、配付したものでありますし、さらに、学校教育の活動全体はもちろん、家庭や地域でも是非活用されるようにお願いしたいという趣旨で作ったものでありますから、せっかく十億以上掛けて作ったものですから、その趣旨について是非生かされる必要があるのではないかというふうに思っておりまして、これが十分に生かされていない状況は極めて残念であるというふうに思っております。
 実際にその授業、道徳の授業の中でどう活用するかどうかということについて私が強制をするようなことを文言の中でも書いたわけではございません。御指摘のように、去る五月の十二日、私自身のフェイスブック上で、「私たちの道徳」について子供たちがきちっと家に持ち帰っているか調べていただきたいと投稿したわけでございます。学校が児童生徒に配付していなかったり、あるいは家庭に持ち帰られていないという多くの具体的な報告が寄せられました。
 御指摘のように、これは教科書じゃありませんから、実際道徳の時間に使うか使わないかは、それはそれぞれの教育委員会の判断によるところがあるというふうに思いますから、それを強制しているわけじゃありません。しかし、私が、家に持ち帰って親にも、保護者にも読んでいただきたいということについては、これはせっかく貴重な国民の税金を使って新しく教材を作ったわけでありますから、是非活用していただきたいと思っております。
 今回、このソーシャルネットワーク、フェイスブックの特徴を生かして多くの国民の皆様方から御意見をいただいたというのは極めて有意義なことだと考えております。つまり、相当の部分が小中学生を持っている親が見ていない、あるいは家に持ち帰っていないというような実態が分かりましたので、改めて文部科学省として各教育委員会に対して、是非この「私たちの道徳」については家庭や地域においても活用していただきたいということで、是非子供たちに持ち帰らせていただきたいということをお願いをしたところであります。道徳教育の一層の充実が図られるという点から、更に取組を進めてまいりたいと思います。

○田村智子君 局長の答弁を聞いていたのかなと、ちょっと、大変疑問に思いましたね。教材をどのように扱うかは文科省は義務付けることなんかできないんですよ。
 それじゃ、大臣、これは持ち帰らせるということを大臣としては義務付けるということなんですか、どうですか。

○国務大臣(下村博文君) いや、義務付けているわけではありませんが、先ほど、しかし、局長の答弁にもあったと思いますが、「私たちの道徳」については、学校の教育活動全体はもちろん、家庭や地域でも活用されるようにとの趣旨で作成、配付したものであり、文部科学省としてはこの趣旨を踏まえて「私たちの道徳」が効果的に使用されることを期待していると、これは局長も答弁しているとおりでありまして、効果的に活用を是非していただきたいということを期待しているわけであります。

○田村智子君 文科省の意図がどうであれ、これどうやって使うかというのは学校の裁量、教員の裁量なんですよ。そのことをずっと確認したわけですよ、憲法の原則からも。
 文科大臣が文科省として指導したいからと不特定多数に調査を呼びかけ、持ち帰らせていない学校名や自治体名を報告させる、これじゃ、まるで監視社会ですよ。そうでしょう。そのことをおかしいと思わないことに、私なら政治介入が起きるんじゃないかという疑念がこれ生じますよ、当然。
 しかも、私、重大だと思うのは、このフェイスブックの文面を読んでいると、誤った情報を不特定多数に発信して調査を呼びかけているというふうに取れるわけですよ。児童生徒に他の教科書のように持ち帰らせず、教科書と同じように扱うのかと。学校に置きっ放しにさせている学校があることが判明いたしましたですよ。文科大臣がこう書けば、「私たちの道徳」を家に持ち帰らせる義務がある、学校に置きっ放しにしている教員は問題だ、けしからぬと、こういう誤った理解を与えることになるんだと思いますが、大臣、いかがですか。

○国務大臣(下村博文君) これは持ち帰っていただいて、是非家庭で、あるいは地域で活用していただきたいという趣旨でこれは作成、配付したものでありますから、是非そのようにしていただきたいと思います。ただ、それをしなかったからといって、それでペナルティーを科すということではありません。あくまでもお願いベースであります。
 ちなみに、この「私たちの道徳」については是非市販をすることも考えて、つまり子供たちを持っていない一般社会の方々にも是非、学校でこういう教材ができたということについて読んでいただければというふうに思っております。

○田村智子君 これ、そうでないところは指導したいなんて書いたら、これは問題だというふうに扱っているのと同じなんですよ。事実上の義務付けを学校に課しているのと同じだというふうにしか受け取れないわけです。ただ、義務付けるものではないというふうにおっしゃいました、お願いのレベルだと。書いている文書はお願いのレベルをはるかに超えている、踏み込んでいる、そのことは指摘しなければなりません。
 問題は、そのフェイスブックに書き込まれたコメント、これ読みますと、義務付けだと思い込んでいるものが多々あるんですよ。だから問題なんですよ。例えば、とんでもない学校ですねと。違法、違憲な教諭は懲戒してもらわないとと。違法、違憲ですよ。そういう不届きな学校があれば直接御報告します、そういった意識の学校は先生の入替えを検討していただきたい、こんなことしている教師に教育者としての資格はなし、こういうコメントが延々続いている。
 これでも誤解を与えたと思いませんか。

○国務大臣(下村博文君) 私がそれを書いたら、それは大臣としていかがなものかということになると思います。しかし、一般の国民がそれぞれコメントを寄せたことに対して、それがけしからぬとかどうだとか言うことは、それぞれの国民のそれぞれの判断ですから、それは田村先生はそういうふうに判断されたのかもしれませんが、だからといって、私がそのとおりにするわけでは全くないわけであります。

○田村智子君 あなたが義務付けであるように書いたから、こういうコメントが寄せられる。あなたが誤解を広げた。私だったら、違法、違憲なんてコメントが来たら、それは違いますよと書きますよ、当然。だって、大臣だもの。法律預かっているんですもの。そのまま放置されて、不特定多数が今もこうしたコメントが見られる状態になっているんです。誤解を広げ続けているんですよ。だから、重大だといって私、取り上げているんです。
 「私たちの道徳」を使っていない、持ち帰らせていない、そういう教員は道徳教育に真剣に取り組んでいないと決め付けられるようなコメントなんですよ。大臣もそう決め付けているのかなというふうに思ってしまうんですけど、私、それは大きな間違いだと思うんですね。
 今日、ここまで道徳の教科書を持ってきました、重たいものを。(資料提示)私も道徳教育、とても大切だと思うから持ってきました。(発言する者あり)

○委員長(丸山和也君) 静粛に願います。静粛に願います。

○田村智子君 ここ、中学の道徳、この教科書を作った出版社は、「私たちの道徳」、文科省はこれ、中学三年間一冊なんですよね。ここの教科の出版社は、一年、二年、三年用って、こうやって作っているんです。これ、小学校、中学校、これだけになるんですね、一年生から中学三年生まで。中身も相当に工夫されて、私もこういう教材で授業をやったら面白いだろうなと、是非そういう授業は見てみたいなと思えるようなすばらしいものがあるわけですよ。とても大切なことだと思います。
 あるいは、埼玉は県の教育委員会として作っておられます。中身を読みますと、例えば、クラス代表委員になった女の子をうざいというふうにクラスが雰囲気をつくっちゃう、こういうことをどう考えるかという中身とか、携帯電話を、メールの返事が返ってこないと、その友達をみんなでハブにしようかというのをどうしようかというような中身があったりとか、あるいは不登校の体験を基に自立を考えるなど、本当に学校の中で先生方が直面している問題を吸い上げて、教育委員会が工夫して工夫して作られたんだなということがよく分かります。
 その埼玉のある先生はこう言っていました。国の教材も読んだが、子供たちの置かれている現状から出発することにより重点を置いている県の教材の方がやはり使いやすい、これまでも県の教材を使って道徳に頑張って取り組んできたのに、国から配付されたものを使っていない、持ち帰らせていないのは問題だと言う、味方であるはずの教育行政のトップが何でこんなことをするのか理解に苦しむと、こういう声を私、何人かの先生から聞いているんです。
 大臣、いかがですか。

○国務大臣(下村博文君) 私は、その先生の方が理解に苦しむと思います。
 田村委員が道徳に対してプラス評価をしていただいたというのは大変有り難いことでありますが、私が視察に行ったとき、そこの自治体も三つの道徳における教材が置いてありました。それは、今回、国が配付した「私たちの道徳」だけでなく、ちなみに申し上げれば、それは都内でしたけど、東京都が教育委員会が作成したもの、それからそこの自治体が作成したもの、つまり三種類置いてあります。それはそのまま置きっ放しなんです、それだけ。
 私は、確かに埼玉県もそうですし、ほかの自治体も相当立派な副読本、副教材を作っていると思いますよ。でも、全て学校に置きっ放しではなくて、是非そういう教材こそ家に持ち帰ってもらって保護者の方々に読んでいただきたい。
 ですから、私が言っているのは、「私たちの道徳」だけ持ち帰らせればいいということじゃなくて、その県が作った、あるいはその自治体が作ったものも併せて是非持ち帰っていただいて読み比べていただければ、これは子供だけでなく大人にとってもなるほどなと思うことがあるのではないかと思いますし、できたら全ての教材を読んでいただければ大変有り難いと思います。

○田村智子君 お願いベースでお願いベースでと言いますけど、お願いベースでずっと持ち帰れ持ち帰れと言っていたら、それは義務付けになっちゃうんですよ。それはやってはならないということを、もうずっと局長とのやり取りで確認しているんです。大臣、この確認をしっかり踏まえてもらわなかったら困りますよね。
 それで果たして大臣の職務に当たれるのかというふうに思いますし、私もう一つ思うのは、大臣のフェイスブックのところにあふれているのは、この「私たちの道徳」、文科省が作ったものを持ち帰らせていない学校はけしからぬ、教員はけしからぬ。どんなに頑張って授業の実践をやっている教員にもそうやって誹謗中傷が投げかけられているんです、今も。延々とコメントが続いているんです。
 これ、その教員の立場に立ったら、大臣どう思いますか。傷つくんじゃないですか。道徳というのは、相手の立場に立って物を考えるんですよ。誹謗中傷。相手の立場に立って物を考えようということを教えるじゃないですか。(発言する者あり)ええっとかって、もう驚きますね、そんなところでやじが飛んでくると。(発言する者あり)

○委員長(丸山和也君) 静粛に。

○田村智子君 そうやって誹謗中傷にさらされている、道徳に熱心ではないとレッテルを貼られていると、こういう事態をどう思いますか。

○国務大臣(下村博文君) 田村先生、事実関係でちゃんと、国会の場ですからね、質問してください。

○田村智子君 事実関係に沿っていますよ。

○国務大臣(下村博文君) いや、誰か特定のその教師に対する誹謗中傷であふれたような文言というのは全くないと思いますよ。

○田村智子君 学校名があります。

○国務大臣(下村博文君) 何とか学校とあったかもしれませんけれども……

○田村智子君 学校名、幾つか挙がっているんです。

○国務大臣(下村博文君) 特定の教員に対する誹謗中傷というのはなかったと思います。
   〔田村智子君「それは教員全体のことです」と述ぶ〕

○国務大臣(下村博文君) そもそもこれは……

○委員長(丸山和也君) 勝手に討論しないでください。

○国務大臣(下村博文君) はい、分かりました。
 私のフェイスブックについてのコメントはいろんなものがあるでしょうけど、それを私が規制するという立場ではないというふうに思います。

○田村智子君 誤った情報が流れていたら、それを正す義務は情報を発信した側にはあるはずです。
 「私たちの道徳」の中学の版のところには、情報社会に生きる一人として絶対にしてはいけないことというページがあって、こう書かれています。インターネット上での誹謗や中傷、あるいはメールを介したいじめや嫌がらせが増えてきている、ソーシャル・ネットワーク・サービスを意図的に悪意あるコミュニケーションに利用する人もいる。
 こういうことを踏まえて私たち議員というのはソーシャル・ネットワーク・サービスをこれ利用することが必要だと思うんですね。大臣があたかも持ち帰ることが義務であるかのような情報を発信し、持ち帰っていない学校や教員は道徳の教育を全く軽んじていると思わせる情報が、今どんどん拡散しているんです。
 シェアしますシェアします、どこどこの学校も持ち帰らせていません、どこどこの学校も持ち帰らせていません。学校の先生の個人の名前は出てこないかもしれないけれども、そういうのを読んでいると、保護者と例えば教員、学校の信頼関係、これも傷つきますよね。持ち帰らなきゃいけないものを持ち帰らせていないんだ、うちの学校どうなっているんだろう、うちの先生どうなっているんだろう、そうなりますよね、信頼に傷が付く。
 大臣が誹謗中傷するつもりがなかったとしても、あなたが発した情報によってそういう情報が拡散している。これは事態の収拾が必要だと思いますけど、いかがですか。

○国務大臣(下村博文君) 率直に言って、そういう発想そのものが共有できません。
 私が申し上げているのは、「私たちの道徳」の趣旨というのは、これは最初に制作するとき、各教育委員会に対して、家に持ち帰って是非家庭や地域でも活用されるような、そういう教材として作りましたと。どれぐらい部数が必要ですかということの中で全ての教育委員会が必要部数について申込みがあったので、それで全国に配付したわけでございます。当然、それだけの貴重な税金が活用されているわけですから、趣旨にのっとった活用についてはお願いしたいというのは、これは当然のことでしょう。

○田村智子君 じゃ、なぜ全国のその全児童生徒数に匹敵する数が配られることになったのか、このことも私もちろん後で質問する予定でいましたので、そこに入りたいと思うんですが、その前に一言、やっぱり大臣、余りに反省がないというふうに思うんですよね。
 局長とのやり取りで明らかなように、教材の扱いについては学校の裁量であり、教員の裁量である。大原則なんです。大原則なんです。それを踏み越えて、持ち帰ることは当たり前じゃないですかというふうに大臣が言われる。こういうのを私は政治介入と言うんじゃないのかなと、あるいは国家による教育統制と言うんじゃないのかなというふうに言わざるを得ないわけですよね。
 義務でもないものを義務でもあるかのようにゆがめた情報を流す。教員の具体的な頑張りを見ることもなく、一方的に問題扱いをすると。国が作った教材を自画自賛して、これを使うことが大事だという自らの価値観を頑固に押し付ける。こういう自らの行為を自省する、これが道徳教育の中で私は学ぶことじゃないのかなというふうに思うわけですが、一言ありますか。
(発言する者あり)

○委員長(丸山和也君) 静粛に。

○国務大臣(下村博文君) 一方的な思い込みの質問としか思えないですね。
 私は、先ほどから申し上げていますが、これを学校で絶対使えということを一言も発したことはないわけですね。先ほど申し上げたように、国も「私たちの道徳」というのを教材で作りましたと。しかし、先ほど申し上げたように、地方自治体でも作っていますと。立派な教材たくさんあります。都道府県の教育委員会が作ったものもあるし、それから区市町村の教育委員会が作ったものもあると。それぞれいいものを使ってもらったらいいと思いますので、ほかの自治体なり教育委員会が作ったものを排除して、国が作った「私たちの道徳」という教材が一番いいからこれを使えという指導をしたことは全くありませんし、それを義務化するつもりは全くありません。
 ただ、せっかく作った教材だから、家にも持ち帰って親御さんにも是非読んでいただきたいと。これはほかの副読本についても同様に是非お願いしたいぐらいです。

○田村智子君 大臣がお願いだと言っても、事実上、持ち帰りなさいと求め続けることになると。
 私、今度文科省にちょっとお聞きしたいんですよ。
 義務付けではないということをおっしゃったので、これは是非私も発信したいと思います、義務付けではないと。大臣がどんなに持ち帰ったかどうかということを調査を掛けたとしても、それは義務付けではないということは確認したいと思います。
 さらに、文科省にお聞きをします。
 大臣のこのような行動に私は文部科学省がブレーキを掛けてほしいんですよ。ところが、そうじゃないんですね。フェイスブックへの書き込みの三日後には通知を出しているんですよ。資料として配ったので見ていただきたいと思うんですけれども、これ課長の通知ですね。「「私たちの道徳」の配布について」と、わざわざ下線が引かれているんです。学校に据え置くのではなく、児童生徒が家庭に持ち帰って家庭や地域等でも活用できるよう、対象児童生徒一人一人に確実に配布してくださいますようと書いてあるわけですね。
 これ、義務付けじゃないと言いながら、じゃ、これは持ち帰らせるということを義務付ける方向に文科省はかじを切ったということですか。

○政府参考人(前川喜平君) 今回の通知は、地教行法第四十八条に基づきます地方公共団体に対する指導、助言、援助の一環として行ったものでございます。
 今回のこの冊子につきましては、これは児童生徒一人一人に給付する、給与するものでございまして、給与した以後はその児童生徒の所有物になるわけでございますが、その児童生徒一人一人が手元に置き、学校のみならず家庭や地域でも活用してほしいという願いを込めて作成し、配布したものでございまして、各学校においては、冊子本来の狙いが効果的に達成されるよう、学校に留め置くのではなく、児童生徒に持ち帰らせた上で、家庭や地域でも活用していただきたいという趣旨で通知を行ったものでございます。

○田村智子君 あくまでお願いだと。
 それでは確認しますが、文科省は今後、初中局として、「私たちの道徳」を家庭に持ち帰らせているかなどを、その使い方を特化して調べる、そういうことはやらないですね。

○政府参考人(前川喜平君) 具体的な活用の状況などについて調査を行うかどうかは、今後の状況を見極めつつ検討したいと思います。

○田村智子君 持ち帰っているかどうかに特化した調査を行うということはあるんですか。

○政府参考人(前川喜平君) 今後の状況を見極めつつ検討したいと思います。

○田村智子君 これ、教材を使うかどうかは学校と教員の裁量であると。しかも、先ほどの文書はお願いだと言っているんですから、それにふさわしい扱いをしてもらわなきゃ困ります。
 私、何も道徳教育をどのように進めているか調査を行っちゃいけないなんて思いませんよ。だけど、その場合にも、教材の使用及び使用方法に義務付けはない、このことはちゃんと周知をすべきだということを申し上げておきます。
 そもそも、先ほどから問題になっている、なぜ全児童生徒数に匹敵するものが配られたのかということについてお聞きします。
 法的には、都道府県又は市町村に対する指導、助言、援助なんですよ、これは。指導、助言、援助にすぎないんです。文科省は、必要部数を調査したと言いますが、では、全国の学校が教材として使いたいと言って必要部数を上げてきたんでしょうか。

○政府参考人(前川喜平君) 「私たちの道徳」につきましては、事前に各都道府県、指定都市、教育委員会等に対して行いました必要部数調査に基づきまして配布したところでございます。

○田村智子君 必要部数の調査というのは、それを求める通知が昨年の九月六日、初等中等局教育課程課発の文書で出されています。その中にどう書かれているか。調査票について、各都道府県委員会が作る調査票ですね、その調査票について、平成二十六年度在籍見込みの該当児童生徒数に乖離した数にならないよう必要な調整を行った上で作成することとあるわけですよ。結局、全児童生徒数の見込みの数字を書くようにとあらかじめ求めたのではないんですか。それとも、ちゃんと一校一校の学校から必要部数を受けたんですか。どうですか。

○政府参考人(前川喜平君) この九月六日の事務連絡におきましては、文部科学省におきまして道徳教育の抜本的な充実を図るため、心のノートを全面改訂し、平成二十六年度から使用できるよう、全国の小中学校に対し無償で配布するということを伝えた上で、ついては平成二十六年度使用分の新心のノート、この時点では名前が決まっておりませんでしたので、新心のノート、仮称、の送付先及び必要部数等を把握したいので、別紙に基づき、送付先及び必要部数一覧を作成し、当課宛て送付くださるようお願いしますと、こうなっておりまして、必要であるかどうかについて判断した上でその必要部数を送ってほしいと、こういう依頼をしているところでございます。

○田村智子君 これ、東京都教育委員会が国の通知を受けて区市町村教育委員会等に宛てて通知を出したわけです。そこでも必要部数は在籍見込みの児童生徒数について作成しますというふうにされているんです。これを受けた市区町村の教育委員会はどうしたかと。私、幾つかのところに尋ねたところ、学校に必要冊数を確認していないと、児童生徒の数を、大体人数をただそのまま書き込んで報告を上げているというふうに答えているところが幾つもあるわけですよ。こういうの、自作自演と言うんじゃないですかね。
 大臣は先ほど、全国の学校が必要として、だから全国に匹敵する十億円を掛けて作りましたというふうにおっしゃいましたけど、学校があらかじめこの内容を見て、これはすばらしい、是非使いたいと言って必要部数を上げたんじゃないんですよ、多くのところで。そうじゃなくて、文科省から児童生徒数を書いて、それと乖離することのないように数字書きなさいよと言われて、そういう数字書いて上げたと。それで全国に配られたんだから、文科省としては持ち帰ってもらうということを前提にしているんだから、だから持ち帰りなさい、持ち帰ってない学校や教員は問題だと言う。これは、国のまさに教育の統制としか言いようがないですよね。
 国の教材を自画自賛で学校現場に押し付けて、その上、その使い方まで監視をしてしまう。こんなことを許していればどうなるかと。国からの教材と称してどんな内容のものでも教育現場に強要する道が開かれてしまう。憲法と法律でも守られている教員の裁量、自主性を踏みにじるというようなことは、これは断じて許されないことだと言わなければなりません。学校教育に、文部科学大臣先頭に文科省が手を突っ込むような介入を現にこうやってやっていながら、今回の法案で政治介入に道を開くんじゃないか、そんなことはありません、一言お答えになるだけ。これでは、懸念は全く払拭されない。次回以降、法案の中身についても更に質問したいと思います。
 終わります。