日本共産党 田村智子
コラム

【13.09.18】高校生からの質問への回答(2)

首都圏の高校に通うAさんから夏休みの課題のため質問を頂きました。Aさんには既に回答を差し上げていますが、夏休みも終わったので、三回に分けてアップしています。(スタッフ)

慰安婦問題について

 私が慰安婦という言葉を初めて聞いたのは、大学を卒業してから(1990年ころ)のことです。それまで学んだ戦争の歴史は、広島・長崎での原爆被害、空襲、「ビルマの竪琴」などで描かれた日本軍の悲惨な敗戦の様子がほとんどでした。
それだけに、日本軍がアジアで何をしたのか、どれほど他国の人たちを傷つけたかを知った時の衝撃は大きく、これまでの自分の無知が恥ずかしくてしかたありませんでした。
 この頃、日本がアジアの国々に何をしたのかを学ぼうという声が、若者たちのなかに広がりました。高校生平和ゼミナールの運動では、原爆の学習に加えて、自分の町で起きた中国人や朝鮮人の強制連行・強制労働を調べる、元慰安婦の女性から話を聞くなどの運動も広がりました。
 こうした動きに、「自虐史観」という言葉を投げつけて、「慰安婦は強制ではない」という運動を広げる人たちが現れだしたのです。「強制ではない」とは、「自から日本軍の後をついて歩いた」ということを意味します。14歳、15歳の少女が自分の意志で、言葉も通じない軍隊についてまわり、1日に何人もの兵士と性交することを選択したというのか、そう考えると、「強制ではない」という言葉に抑えようのない怒りを覚えます。

 慰安婦の中には、貧しさからやむなく身売りをして売春婦となった人もいたと思います。慰安婦を連れて歩いたのは、民間の業者だった場合もあるでしょう。しかし、根本には、日本軍が慰安婦を必要とした、人数が足りなければ軍人も関与して強制的に女性を慰安婦にした、この事実は、ごまかしようがありません。
 日本政府の調査でも、軍や官憲の関与は否定できなかった、だから2001年に小泉純一郎総理大臣(当時)が、元慰安婦の方々への手紙を公表し、政府として償いの事業をすすめたのです。外務省のホームページには、海外に向けて、日本が慰安婦問題にどう取り組んだかを説明するページがあります。償い事業の相手国は、フィリピン、韓国、台湾、インドネシア、オランダにまで及びます。
 「強制ではない」「軍も政府も関与していない」という主張は、こうした日本の外交を否定するもので、諸外国に説明のつかない事態をもたらします。このような立場を政府がとれば、日本は「侵略戦争を反省しない国」として、アジアをはじめ国際社会から孤立することになるでしょう。

 侵略戦争の事実を明らかにし、戦争につきすすんだ政治の責任を自覚する、これは「自虐的」などではありません。日本には、戦前戦中、どんな弾圧の中でも侵略戦争に反対した人たちがいました。侵略戦争を進めた人たち、侵略戦争を許さず抵抗しようとした人たち、どちらの生き方を受け継ぐのか、どちらの立場を今日の政治が受け継ぐのかが、国民一人ひとりに問われているのだと思います。
((3)に続く)