日本共産党 田村智子
コラム

【13.07.20】日本共産党の議席の力ー原発をめぐって

原発利権集団の「目の上のタンコブ」の威力

街頭からは時間が足りなくて伝えられない日本共産党の実力、ネットで広がってと願いつつ、演説のつもりで書きます。

原発にしがみつく勢力の「目の上のタンコブ」となった日本共産党。
3・11の事故前から、大地震によって送電線の鉄塔倒壊、原子炉冷却のための送電ができなくなるなど、バックアップ機能の不備に鋭くきりこむ国会質問。(吉井英勝衆院議員・2006年12月提出の質問主意書)
これが、「想定外の津波だから賠償責任はない」と言いたい東電に突き刺さったことは言うまでもありません。

ヨルダンとの原子力協定、外交防衛委員会に日本共産党の議席がなく、参議院ではほとんど問題にもならずに可決して衆議院に送付(2011年3月31日、賛成した党派は、民主、自民、公明、みんな、維新の党に合流した党派)。
しかし衆議院では、外務委員会の笠井亮議員が構えていました。ヨルダンは地震の危険性はないのかなど参考人から意見聴取をすべきと求め実現(2011年8月25日)。地震の危険性を専門家が厳しく指摘する展開に。
採決ももつれこみ、他党の議員から「笠井さんの狙い通りになった」と声が上がりました。
残念ながらこの協定は、2011年12月9日に再度参議院で可決・承認となりましたが、最初は賛成していた公明党・みんなの党が反対に態度を変更するという、大きな変化をつくりだした。
その後もヨルダンからは原発輸入に反対する国会議員が来日、笠井さんを訪ねエール交換をし、原発輸出入を止める国境を超えた連帯も広がっています。

再稼働第一号に名乗りをあげた、九州電力の玄海原発。地元住民への説明会で、稼働を求める発言をするよう、協力会社にメールで依頼していたことを、赤旗が暴露。予算委員会(2011年7月6日)で、笠井亮さんがとりあげ、マスコミも一斉報道。
怒りの世論で再稼働にいたらず、2012年の猛暑を原発なしで過ごせることを証明。

私自身も、原発労働者の実態を何度もとりあげました。
福島第一原発の労働者の内部被曝検査がやられていないと予算委員会(2011年5月20日)で追及。この時、東電は虚偽の数字を答弁し、対策がすすんでいるように描きました。
質問後、答弁の数字に疑問を持ち、東電や経産省を問いただして虚偽が発覚。
厚生労働委員会(2011年6月7日)で問題にし、東電を指導する経産省に謝罪させ、その後、ホールボディカウンターの設置が大幅に増やされました。
事故収束作業の人員削減や予算不足(2011年11月21日の予算委員会)、作業員の危険手当ピンハネ問題と違法派遣(2013年5月26日の予算委員会)などもとりあげ、その度に東電は政府から聞き取りや指導を受けることにもなりました。

こうした役割を果たせるのは、日本共産党には原発反対の運動の歴史があり、原発の地元で頑張る党員、地方議員とスクラムがあるからです。
原発労働者の問題は、箝口令がしかれマスコミも取材に難航しています。共産党の地方議員が、地域の労働組合や弁護士と労働相談に粘り強くとりくみ、危険手当もらっていますかと問いかけるポスターをはりめぐらせるなどしてきたーーこうした活動があって、初めて現場の実態を勇気をもって告発する労働者があらわれるのです。

日本共産党の存在が、原発利権にしがみつく勢力にとって、いかに邪魔であるかも、この2年あまりの「事件」で明らかです。

昨年末、新たに原子力規制委員会が発足。ところが、この記者会見に赤旗記者を入れないという事件が起きました。私もその理由を、規制委員会を担当する規制庁の役人に聞いたのですが、こちらの反論に次々と理由が変わりました。
「赤旗は日本共産党の宣伝をする新聞だから」→「特定の思想の記者は入れられない」→「記者の席が足りない」…
これにはマスコミの記者から「席は空いている」という声が上がりとうとう、赤旗記者も記者会見に入れることになりました。

今年3月には、東京電力が福一の事故現場を公表することに。ところがまたもや赤旗記者はダメだという。この時は時間切れで、赤旗記者ははいれませんでしたが、こういうやり方には倍返しをするのが日本共産党です。
それでは党調査団を福一に入れるよう求めて了承させたのです。
しかも、東電が示した20分コースでは足りない、40分のコースでと要求し、志位委員長先頭に複数の国会議員、赤旗記者、宣伝局のテレビカメラも同行しての調査を実施したのです。
この調査で汚染水対策の不十分さを目の当たりにし、海洋投棄を狙っていることを察知。すぐに国会で井上哲士参議院議員が追及して、政府は海洋投棄させないと答弁せざるをえませんでした。

原発利権集団が、最も怖れるのは、日本共産党の質問時間が増えること、赤旗で原発の闇を暴露されること、これが私の体験にもとづく実感です。
同時に、私たちは、原発をなくそうという運動の中で、立場の違いを超えた一点共同も経験してきました。多くの市民、広範な市民のみなさんとともに運動をつくるという経験もつみました。
官邸前の行動を報道し続けたことが、各地に金曜日行動を広げる一助になりました。その運動をまた赤旗が報道し、各地の運動を励ましてきました。

国民が要求の一致で立ち上がれば、必ず政治は変わる。
原発は全て止める、止めたまま廃炉へ、輸出も許さないーー政治の決断を求めて頑張ります。
そういう質問がもっともっとできるよう、参議院での議席を大きく増やそう!