日本共産党 田村智子
コラム

【13.05.03】誕生日おめでとう!日本国憲法

新宿駅での街頭宣伝から日比谷公園へ

 
憲法記念日の街頭宣伝、何度か新宿駅東口でマイクを握ってきましたが、今日の演説はいつもにもまして緊張しました。
憲法改定の動きがかつてないほど現実のものとなってきた、その中で迎える憲法記念日。

昨日夜まで、予算委員会の質問準備でした(連休明け7日が私の質問の出番です)。
そこから頭を切り替えての演説準備。

まず、あらためて自民党の憲法草案を読み直しました。
きな臭さがプンプンと漂い、復古主義に彩られた条文。
国民の手にある憲法を、国民の頭上に君臨する「憲法」に変えてしまう。

この草案を頭において、演説の内容を固めました。
96条改定で、改定案発議のハードルをさげる、この道理のなさをどう伝えるか。

日本国憲法は、国民が政府を監視し公正な政治を行なわせる「よりどころ」。
その改定は、あくまで国民の要求でなければなりません。
政府の責任者である総理大臣が、改定のハードルを下げようとするのは本末転倒、まさにアベコベ内閣です。

憲法は、国民が政治や法律の「不公正さ」を正す「よりどころ」となってきました。
例えば「朝日訴訟」。
1957年、肺結核が重症化していた朝日茂さんが、憲法に保障する生存権を掲げて、国を裁判に訴えました。
当時の生活保護の基準はあまりに低く、肌着は2年に1枚、パンツは1年に1枚という基準。
病状の悪化で病院給食を食べられなくなっていた朝日さんは、生卵などで栄養をとっていましたが、それを買うお金にも欠乏していたのです。
喀血しながらも裁判をたたかう朝日さんの姿に、多くの支援者が立ち上がりました。
憲法25条が保障する「健康で文化的な最低限度の生活」とは何かを問いかけたこのたたかいが、今日の生活保護制度の土台をつくったといえるでしょう。

例えばハンセン病元患者のみなさんが、隔離政策をあらためなかった国を訴えた裁判。
らい予防法が、憲法が保障する基本的人権を蹂躙する法律であることは明白でした。
政府だけでなく、この法律を廃止しなかった国会の立法不作為も断罪されたのです。

「1票の格差」を問いかけた裁判。
憲法が保障する法の下の平等とはなにか、公正な選挙とは何かを問いかけ、選挙制度の見直し必至となりました。
憲法違反の状態の衆議院が、憲法改定の発議ができるのかという疑問もわいてきます。

私たちはもっと憲法に依拠して、政治や法律を変えることができるはず。
数々の憲法違反を問う裁判の歴史を垣間見て、なんだかわくわくしてきました。

96条を変えたその先に何があるか。
安倍総理自ら、憲法9条の改定で自衛隊を国防軍にと、国会で答弁しています。
「自衛隊は、海外からみれば軍隊。それを軍隊ではないというのは詭弁」というのが安倍総理の持論。
本当にそうなのか。

今年はイラク戦争開始から10年。
アメリカはイラクで4500人もの軍人が命を落としました。イギリスは500人。
そして、イラク市民はじつに10万人以上が犠牲となったのです。
自衛隊は2年半にわたって計5000人がイラクに派兵されました。残念ながら米軍の後方支援まで行ないました。
しかし、5000人のうちただの一人も命を落としませんでした。一人のイラク市民の命も直接奪うことはありませんでした。
憲法9条があり、戦闘行為に加わる軍隊にはなれなかったからです。

私の同じ時期を生きた歴史にも憲法の力はしっかりと証明されている。
戦争の歴史だけでなく、私の歩んだ時代にも照らして憲法を語りたくなってきました。
そう、もっと語りたいのです。憲法を。
語れば語るだけ、憲法が私の中に生きていく、一人ひとりの生きる力になっていく、そんな気がしてきました。